5
小さな流れは、下る途中幾度か他の支流を含んで勢いを増し、またあるところでは地中にしみ込んで勢いを殺しながら、細々と続いている。
はめている腕時計は、落雷の衝撃のせいか壊れていたためわからないが、十五分ほど歩いた頃だろうか。
突然陽光が差し込み、見覚えのある光景が眼前に現れた。
それもそのはず、広がっているのは昨日散々歩いた川原だった。
辿ってきた川は既に湧き水と言っていいほどの量となっており、足元の崖を伝って水溜りのような池へとちょろちょろと落下している。
何気なく目線を左へ向けると、木々の合間からこれまた見覚えのある奇妙にねじくれた大木が確認できた。目を凝らすと、梢には青い実が沢山ついている。
・・・・・・あ、一房落ちた。
我に返り、かっと顔が熱くなる。
私は無駄に大回りして、ほぼもとの位置へ戻ってきたのだ。死角になっていたとはいえ、すぐ近くにあった池に全然気づかなかったとは。
「うわー、恥ずかしい・・・・・・」
何が山スキルだ。ここに誰もいなくて良かった、と初めて思った。
自分の間抜けさにガックリきたが、何とか喝を入れてよろよろと歩き出す。
ねぐらにしている木に向かって崖の縁を歩くと、ほどなく昨夜上がってきた斜面があった。
やはりこのまま上り下りするには少々急なので、手近の丈夫そうな蔓を力任せに引きちぎってより合わせ、急ごしらえのロープにして、端を木の幹に結びつける。縋れば、思惑どおり四つ這いにならずとも斜面を楽に下ることができた。
先程上から見つけた池を過ぎて、昨夜は歩かなかった方面の崖沿いを行く。道に迷う心配がないので、めぼしいものがないか探しながら歩いていると、崖の下で黒く光るものに気がついた。
幾つかに砕けた石が、ガラス質に鈍く輝いている。比較的大きなひとかけらを取り上げてみれば、割れた面は細かな波紋を描き、縁は薄くいかにも鋭そうだ。髪の毛を一本抜いてあてがい滑らせると、ふっつりと切れた。
「確か、黒曜石?」
旧石器時代の矢尻に使われていたというあれ。なぜここにあるかはわからないが、簡単なナイフ代わりにはなりそうだ。細かい破片も丁寧に拾い集め、大切に木の葉に包んだ。
思わぬ収穫にテンションがあがる。
食料、水、ナイフとくれば、次に必要なのは。
「火!」
魚も焼けるし、獣避けにもなる。何よりそのうち寒くなれば、暖をとる必要がでてくるだろう。
だが、当然ながらライターもマッチも持っていない。昔おばあちゃんと一緒に焚き火をしたことはあるけれど、それも火種があってこそだ。
脳内百科事典をめくりながら必死で考える。
黒曜石は火打石になるかもしれないけど、火打金がないと使えない。あとは・・・・・・確か棒を板の上で高速回転させるんだったっけ。
その場に座り込んで、うろ覚えの知識を頼りにキリ揉み式発火法を試みるが、当然ながら一筋の煙も立たない。
いたずらに手の平にマメを作りながら、意地になって揉み立てるうちに、首筋がジリジリしてきた。
空を見上げると、知らぬ間に時間が過ぎていたようで、太陽が真上に昇っている。黒髪のおかっぱ頭も熱を持っていた。
この状況で日焼けを気にするのもなんだかアホらしいが、とりあえず日陰に移動しよう。
傍らに放り出していたクルミを包んだカッパとスーツを一纏めに抱えると、懐中電灯が転がり落ちた。何気なく拾い上げようとして、慌てて手を放す。
「あちっ!」
軽量化の意図の全く感じられないアルミ製の古い懐中電灯は、火傷しそうなほどの熱を帯びていた。黒いスーツの上にあったのも一因かもしれない。
涙目になりながら指先をふーふー吹いていると、テレビで観たあることを思い出した。
懐中電灯が冷めるのを待って分解し、電球を外して反射板を取りだす。スーツのポケットを裏返して綿クズをかき集め、凹んだ反射板の中央に置いた。陽がよくあたっている岩の上に石で固定して、待つことしばし。
目を皿のようにして見守っていると、光を集めた中央部からうっすらと煙が立ち始め、やがてぱっと一瞬くすぶったかと思うとすぐに消えた。
は、早い。
しかし確かに火が熾ったことに励まされ、再度試みる。
今度は左手に植物の綿毛を集めて持ち、右手に二本の小枝を箸のように構える。くすぶった瞬間を見逃さず、反射板を箸で挟んで中身を左手の綿毛の上に落とし包み、間髪入れず大きく振り回した。ボッと火が点き、慌てて集めた枯葉の上に放り出す。必死に吹き立てると、炎があがった。
乾いた小枝やマツカサを追加すると、小さいながらも立派な焚き火の完成だ。流木を数本くべてしばらくすると、一層大きくなった。もう暫く消える心配はないだろう。
息があがり、汗で前髪が額に張り付いている。手と同様、顔も煤で黒く汚れていることだろう。しかし、そんなことはちっとも気にならなかった。
こんなに夢中になったのも、ここまでの達成感を感じたのも、子供のとき以来かもしれない。
煙に咳き込みながら、私は思い出せないぐらい久しぶりに、声を上げて笑い続けた。