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不意の風が沢を渡り、木々がざわめく。
気がつけば、目に痛いほどの青だった空は色を薄め、徐々に夕焼けの色を滲ませていた。
流れに浸していた足は、既に感覚が鈍くなるほど冷えている。
タオルは崖の木の枝に置いてきてしまったので、ぞんざいにスーツの袖で拭い靴を履いた。
水を含んだストッキングが風にさらされ、私は軽く身震いをする。
ここがどれぐらいの標高かはわからないが、このまま夜になれば沢沿いでもあるし、気温が下るだろう。暗くなる前にどこか風を避ける場所を探さなくては。
一度傾きはじめた太陽の光は深い森の木々に遮られ、たちまち辺りに夕暮れの気配が漂う。焦る気持ちをなだめつつ、足を庇いながら、流れを背にして倒れていた崖下へと戻った。
カッパを回収して羽織り、タオルを首に巻き、懐中電灯を手にしたところで気がついた。
「あーっ!」
灯りはちゃんと点くだろうか。数度カチカチとON・OFFを繰り返すと豆電球が点灯し、心底安堵した。
自分の迂闊さに冷や汗をかきながら、潜伏場所を物色する。
ここから川までの見通しのいい一帯には、適当な場所はないだろうし、万が一雨が降って増水したときあまり川が近すぎると厄介だ。この足で崖に登るのはきついしなあ・・・・・・
辺りには体感できるほどの勾配はなかったが、先ほどの川の流れの向きから考えて、緩やかなカーブを描いた崖を右手に上流の方へと向かう。
崖といっても二メートル前後のものなので、大規模な崩れの心配はないだろう。どこか崖の窪みにでも潜り込めたらと思ったのだが、生憎私の体が納まりそうなスペースは見つからなかった。
懐中電灯があるとはいえ、暗くなってから歩き回るのは危険だ。次のカーブを曲がったら下流へ引き返そうと考えていたが、曲がったところで崖は一度途切れていた。
崖が崩れた跡のようで、土砂が扇状に広がりやや急なスロープを作っている。
大き目の石を拾い上げ、上へ向けて放ってみたが、周囲の地面は崩落してこなかった。斜面は草で覆われ若木がまばらに生えており、これ以上崩れることはなさそうだ。
覚悟を決めて、草木にすがりながら這い上がる。
途中握った枯れ木が折れてしまいバランスを崩しそうになったが、なんとか崖の上に出ることができた。
息があがり、膝と足首が痛む。日頃の運動不足が祟った結果だ。
いや、そもそもこんなところに飛ばされて?しまったせいだ。畜生。
木の影が落ちることもあり、既に辺りはほぼ暗くなっていて定かではないが、登った先は草地になっているらしかった。
「ちゃらら ちゃっちゃちゃ~」
疲れの余り、懐中電灯をポケットから出すとき某青ロボットの小芝居をしてしまう。いかん、壊れかけている自覚がある。気を引き締めねば。
左右を小刻みに照らしながらしばらく歩くと、視界の端に妙なものが映った気がした。立ち止まってその方向に懐中電灯を向ける。
「ぎゃー!」
光の輪の中に、うねうねした物体がのたうちまわっている。
一瞬意識が飛びかけたが、落ち着いてよく見るとそれは動いてはいなかった。
ばくばくする心臓をなだめつつ、照らしながら辿っていくと、同じようなものがいくつも集まって太くなり、大きな木の根元にたどり着いた。
わずかな範囲の灯りでは定かでないが、私の両腕では一抱えにできないほどの太い根が幾本も隆起しており、地面から一部離れながらもしっかりと取りついている。
根をまたぎ越えながら近づくと、木の内部がウロになっているのがわかった。
私一人ぐらいなら入れそうだ。
何も棲みついていないことを確かめ、足を踏み入れる。
意外と湿り気の少ないウロの内部は、暖かだった。カッパにくるまって横たわると、腐葉土の匂いに包まれる。
しばらく忘れていた田舎の山のような匂い。安堵に包まれると共に、急に眠気が襲ってきた。
懐中電灯を消しても、月明かりがウロの入り口から差し込んでくる。
葉ずれに混じる、樹液が流れる微かな音を聞きながら、私は眠りに落ちていった。