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かざなぎの記  作者: 藤原ゆかり
令嬢誘拐事件記
28/29

 一月ほど経った頃。私は丘を見下ろす屋敷の裏手の窓から外を眺めていた。


 どこまでも続く枯草色の丘を、風が幾筋もびょうびょうと切り裂いていく。その風景はいずれ訪れる冬を予感させた。

 空に目を転じる。曇天の雲は厚く、一見一枚岩のようだが、じっと目を据えていると、無数の雲が群れをなし、上空の濁流に呑まれて為す術もなく押し流されている様子が見て取れる。無限にループするモノクロの映画のような現実感のない光景は、胸を奇妙にざわめかせた。


 今ここにいるはずのは本当に存在しているのか。長い夢を見ているのではないか。そもそも私の存在自体、誰かが見ている夢の一部にすぎないのでは?


 幾度繰り返したか知れない詮無い思考にはまりかけた私を、声が遮った。


『ナギどの。ここにいたのですね』


 このときばかりはこの声をありがたく思いながら、スマイル0円、と念じて振り返る。


 はたしてそこには蛇男、もといネルロが立っていた。


『ネルロさん!この間は素敵な香水を、ありがとうございます』

 今日もつけているんですよ、と小首をかしげながら上目遣いに微笑む。

 ああ、イタい。鳥肌が立つ。そして香水が臭い。このままこいつの胸倉を掴んで、顎に私の石頭を派手にぶち当ててしまえたらどんなにいいだろう。


『いえいえ、私の無礼を快く許してくださった心ばかりの御礼ですよ。思ったとおりあなたにぴったりの香りだ』

 ネルロはキザったらしい仕草で私の髪を一房すくい、薄い口元を歪めた。

『そんな・・・・・・。ネルロさんったら』


 引きつる頬を隠すように両手をあてがい俯くと、追いかけるようにネルロが覗き込んできた。

『あなたはとても魅力的だ。こんな田舎に埋もれるのは惜しいですねぇ』


 その耳に顔を寄せ、打ち明けるようにあたりを憚りながら囁く。

『わたし、スタンフォードにくるつもりはなかったんですよ。本当はにぎやかなサザランドに、行きたかったんですけれど、田舎から一緒に出てきた恋人が、私を置いて、他の女性と一緒に先に行ってしまったの・・・・・・』


 ごめんなさい、思い出すと悲しくって、と出てもいない涙をこらえながら顔を背ける。

 目の端でネルロの爬虫類のような目が陰湿な光を帯びるのが見えた。

『それは辛かったですねぇ。見る目のない男のことは忘れて・・・・・・そうですね、ひとまず私と散歩でもしませんか?』


 キメ顔と共に差し出されたハンカチをむしりとって、ぶいっとはなをかんでやる。

『ご親切に、ありがとうございます。優しいのね』


『どういたしまして・・・・・・』

 口の端をひくつかせたネルロの顔を見て、ほんのちょっとだけ溜飲りゅういんが下った。



 ネルロが差し出す腕に手を掛けて、屋敷裏の小道を降りていく。

 途中庭師のマースさんに行き会った。

『ナギさん、どこに行くんだね?』

 私がネルロといっしょなのを、見るからに感心しない様子のマースさんに向かって目くばせをし、はしゃいだ風を装って告げた。

風の吹く道(・・・・・)を辿って行くのよ!』


 そのままネルロを半ば引っぱるように歩きながら、矢継ぎ早に話しかける。

『風って、羨ましいと思いませんか?誰にも縛られずに、自分の行きたいところに、好きな時に、好きなように行くの。そして誰にも邪魔されずに、好きなことをするのよ』

『もしそうできるとしたら、あなたは何をしたいですか?』

『わからない。でも、にぎやかな町で綺麗な服を着て、美味しいものを食べて、楽しく暮らせたらどんなにいいでしょう』

『ほう。では、それが本当に手に入ると言ったら?』


 ネルロが立ち止まったので、私は手を離して一歩下がる。

『いやだ。私みたいな平凡な娘に、そんなの手に入るわけないじゃありませんか』


 屋敷からは丘ひとつ分離れた。振り返って見上げた彼の顔は、変わらず笑顔だ。

『平凡?大勢の男を相手に、ろくに使えもしない剣を振り回す娘さんは平凡とは言いがたいでしょう。ねぇ、どうしてあの時あなたはお嬢様を庇ったんですか?』

 ははぁ、そう来たか。

『もちろん、エリカを助けたかったからです』

『それはどうして?』

『どうしてって・・・・・・』

 エゴですよ。もっとも、この男の想像するものとは違うが、それでも自己満足のためなのは変わらない。

『あなたが正義感からお嬢様を助けたのは分かっていますよ。でも、人間自分に得がないとなかなか動けないものでしょう?もちろん、私もそうです』

 まあ、一般論にすりかえてくるのが妥当だな。

『・・・・・・本当に恥ずかしいんですが、実は貴族のお嬢様を助ければご褒美が貰えるかも、ってちょっとだけ思いました。私、道に迷って行くところもなかったし、町で暮らせるようにして貰えたらいいなって』

 実際は貴族だなんてしらなかったが。

『いいえ、恥ずかしいことなんてないですよ。当然の権利です。まあ、連れてこられたのがこんな田舎で驚いたでしょうが』

『そんな。お屋敷に置いてもらえるだけでもありがたいです。・・・・・・このあたりには大きな町はないんですか?』

 ないはずだ。あの地図にはまばらに小さい点が記されているだけだった。

『このあたりにはないですねぇ。大きな町となると、やはりサザランドでしょう。近頃はどんどん栄えて、王都よりも華やかだそうですよ。広い道に大きな店が並び、綺麗な布や飾りを求めて人が大勢集い、毎日が祭りのような賑わいだとか』


 ほう、と溜息をひとつ。

『素敵・・・・・・。そんなところで暮らせたら、楽しいでしょうね』

『暮らせますよ』

『えっ?』


『ナギさん、私と一緒にサザランドへ行きませんか?』

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