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言われた言葉を翻訳して、更に理解するまでに時間がかかった。そうでなかったら、私はわめき散らしていたに違いない。
『なぜ・・・・・・エリカが命を狙われなければならないのですか?』
冷静になれと努めて低く搾り出した言葉は、我ながら震えていた。驚きに?いや、怒りにだ。
睨みつけるように正面のスタンフォード卿の顔を見やって、はっとした。
『私はしがない田舎領主だが、さりとてこの行いを許すつもりはない』
断固とした口調の中に私以上の憤怒が潜んでいるのを聞き取り、私は返ってふっと冷静になる。
『例えこちら以上に大きな力に対してであってもな』
にやりと不敵に笑んだ卿の顔は大変魅力的ではあるが、はっきり言ってかなり悪役っぽかった。
だからと言って、どこの誰だか知らない主犯に同情する気持ちは、欠片も湧いてこなかったけれども。
『エリカを攫った者の手口だが』
スタンフォード卿は、コツコツと長い指でテーブルを叩きながら続ける。
『あれの母の・・・・・・が入ったブローチがあったろう。あの日の前日エリカは外した後部屋の引き出しに仕舞っていたのだが、それが無くなったらしい。騒がせまいと周りのものに告げる前に一度自分で探そうとしていたそうだ』
いかにもエリカらしい。
『引き出しに入れたのが自分の思い違いで、どこかに落としているかもしれないと心当たりのある場所を探していた時、村はずれの道で男に声を掛けられたらしい。―――お嬢さん、道で拾ったブローチの絵に似ているね。と。当然エリカは喜んで、ブローチの持ち主だと言った。すると男は驚き困った様子で、こう言ったそうだ』
一息ついた卿はリーヴさんが淹れてくれたお茶で喉を潤した。
『―――それは悪いことをした。ぜひ返したいが、実はきょうだいが急に病で倒れたのでこれから急いで遠くに行かなければならなくて、森の外れに馬を待たせてある。ブローチはその馬につけた荷物の中に置いてきてしまったので、よければ一緒に取りに来て貰えないか。とね』
思わず溜息が出た。
『それで、ついて行ってしまったんですね』
私の言葉は少々非難がましく響いたらしい。
『無論、エリカには厳しく言い置いた。・・・・・・あれは世間をまだ知らない。この館で生まれ、この丘が続く土地の風景やそこで暮らす人々しか知らないのだ。確かに愚かな行動をしたが、決して愚かな娘ではないのだよ』
親の欲目かもしれないがね、と卿は自嘲するように付け足した。
『いえ、エリカは賢い子です。きっと、本当はよくない事だと解っていた、と思います。それでも、行かずにはいられなかったんでしょう。・・・・・・お母さんが、大好きだったんですね』
卿は優しく遠い目をする。
『ああ。だが、あの子は母のことを覚えてはいないだろう。・・・・・・妻はエリカを産んだあと体を壊して、しばらくして亡くなったのでね』
そうだったのか。だったらなおさらあの肖像画は何物にも替えがたいはずだ。危険だと解っていても、求めずにはいられないほどに。
『素敵な方だったんでしょうね』
答えはなかったが、卿の表情は年月を経て今も尚、彼の人が胸に住んでいることを穏やかに物語っていた。
『それで、本当の犯人は、どこの誰なんですか?』
私はお茶をこくりと一口飲んで、両手を温めるようにカップを包み込む。甘みがついたお茶はやや酸っぱい後味で、乾いた口の中がさっぱりした。
卿が片眉を上げる。どうやら彼の癖のようだ。
『私は犯人が解ったと言ったかな、リーヴ』
『いえ、はっきりとは仰っていませんでした。ナギさんは誰だとお思いですか?』
急に思わぬ方向からボールを投げ返されてうろたえる。
聞いたのは私なのに。
目の前の二人は興味深げにこちらを見守っているので、しぶしぶ口を開いた。
『・・・・・・本当の犯人はよく解りませんが、協力者なら解る気がします』
『ほう、協力者。なぜだね?』
面白がっているのは気のせいだろうか。
『・・・・・・エリカを攫った男は、金で雇われていていたんですよね。それで馬や、立派な剣を、用意してもらっていた』
ちらりと相手を見て同意を確認する。
『森まで誘う手口は、酒浸りの乱暴者が考えたものとは思えない。エリカのブローチを、たまたま拾ったというのも、変です。部屋の引き出しから、盗ったと考えるのが自然、だと思います。だとしたら、それができるのは、館に出入りできる人だけです』
『それは誰だと思う?』
推理小説なら怪しい人ほど無実だったりするが、実際はそんなこともないだろう。
『森に、エリカを探しに来た人たちの中の一人が、今思えば、変でした。他の人が私に真っ直ぐ敵意を向けているのに、その人だけが、やけに冷静で、なのに狙いが私から、それていた気がするんです。・・・・・・ええ、ネルロのことです。それに、さっきも、なんだか私を・・・・・・絡め取ろうとするような目で見てくる』
そう。思えばあの男の視線は殺気ではなかった。それよりもっと嫌な感じ。こちらを自分の持つ毒に浸そうとするかのような。
背筋が寒くなってぶるっと震えた私の頭を、卿の手がぽんぽんと叩く。顔を上げると傍らのリーヴさんも励ますように頷いてくれて、気分を持ち直した。
『お金は、半分しか受け取っていなかった。ということは、サザランドへは、もう半分のお金を受け取るため、行こうとしたのでは・・・・・。行ったこともないのに、サザランドに行こうとしていたんですよね。でも、そこまでエリカを連れて行くつもりは、なかった』
あえて「殺すつもりだった」という言葉は使わなかった。
『男は、この土地の者、だったのでしょう?その領主の娘に対してのこんな仕事を、引き受けるということは、普通じゃありません。その、あなたによっぽどの恨みを持っていれば、別かもしれませんが。それに、仕事が終わっても、もうここには戻ってこられないでしょう。それと引き換えても、決心した。依頼主は、少なくとも協力者―――仮にネルロとします、を抱え、攫った男にも十分な物が、与えられる人。男が嘘を教えられていたら、別ですが、仮にサザランドとすれば、そこの大金持ちか、卿の仰ったように、貴方より大きな力を持った人物・・・・・・例えば、そこの領主ということに、なるんじゃないか、と思う、んですが・・・・・・』
尻すぼみになった。自分で言っていて、予想以上に大事かもしれないと思ったのだ。
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