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かざなぎの記  作者: 藤原ゆかり
異文化見聞録
24/29

 残されたコリンと私は顔を見合わせた。これまでは誰かがしゃべっているのを聞いていればよかったが、突然口数の少ない人と二人きりにされると困ってしまう。



『えーっと。メリーから、私のこと、聞いたって?』

『うん』

 しばしの沈黙の後問いかけた私に頷いたコリンは、ちょっと笑うふうにした。

『なんて、言ってた?』

『あなたは森で修行してて、迷っていたエリカ様を助けたって。勘違いして襲い掛かったイーヴァさんやラマンさんを、逆にやっつけちゃったって本当?』

 やっぱり盛大に尾ひれがついていた。修行って何?

『あのね、コリン』

 どこから間違いを訂正しようか迷っていると、コリンが今度ははっきりとくすくす笑う。動きに合わせて、緩く巻いた金の額髪が揺れた。

『わかってるよ、嘘なんでしょ。メリーはいつもそうなんだ』

 わかっていたんだ、と胸を撫で下ろす。でも、他の人にもそんな調子で言って回ったんだろうか。

『安心して。他の人にはこんなこと言ってないと思うよ』

 たぶんね、とコリンは大人びた口調で呟く。

『許してあげて。僕を笑わせようとして変なことばかり言うんだ』

 悪気はないんだよ、と心配そうに言う彼に笑顔で頷く。確かにこの子の笑った顔を見るためなら、作り話の一つや二つしたくなる気持ちはわかる。



『これは、馬が食べるの?』

 コリンが持っている手桶を指差す。

『そうだよ』

 こっちに来て、と言う彼の手を借りて柵を乗り越え、建物へと向かった。屋根には屋敷のものと同じ風車がついているので、ここにも屎尿を処理する設備がついているのだろう。


 薄暗い中に入ると、厩舎らしきそこは動物特有の匂いはするものの清潔に保たれているようで、個別に仕切られた馬の寝床には新しそうな干草が敷き詰めてあった。今は大半の馬が草地に出ており、厩舎は閑散としている。

 コリンは仕切りの前に並べられた細長い箱に、持ってきた手桶の中身を確認しながら入れてゆく。林檎の芯や人参のヘタ、青菜の根元など野菜クズばかりで、卵の殻や骨などは入っていなかった。

 次いで彼は厩舎の隅から大きな籠とナイフを持ち出し、中身を切り分けながら同様に箱に入れる。覗き込むと、キャベツの外側の硬い部分やひょろひょろした親指ほどの太さの根菜、人参の葉っぱなどだった。確かに人間はあまり食べない部位だ。

『近所の農家の人が、肥料と交換に持ってきてくれるんだよ』

『へえ……』

 見ているだけなのも手持ち無沙汰なので、私も手伝うことにした。


『コリンも、ここに住み込み?』

 しゃがみこんで、ややしなびたキャベツをちぎりながら尋ねる。

『うん。三年前に親が死んで、お屋敷に引き取ってもらった』

 さらりと答えたコリンの言葉に悲壮感はなかった。ひとまずは自分の中で折り合いがついているのだろう。

『そう。私も、家族がいないって言ったら、ここにいろって言われた』

 私の言葉にコリンは一瞬手を止めてこちらを見る。

『そうなんだ。スタンフォードはいい所だよ。お屋敷の皆もいい人達だし、きっとナギも気に入る』

 ぽつぽつとした話しぶりながら、なんだか慰められる気がした。


『コリンみたいな弟がいたら、いいだろうなあ』

 ぼそっと呟くと、彼は耳を赤くして反論するように言う。

『そんなに年が違わないだろう?』

 この子もか。メリーに年齢も一緒に伝えて回ってもらえばよかった。

『あー。コリンは、幾つ?』

 十四、と答えが返ってくる。

『ごめん、私、十九です』

 反応は予想通りのものだった。そんなに童顔ですか?


 メリーよりも年上だなんて、と呟くコリンをなぜか慰めながら厩舎の外に出る。ちなみにメリーは十七だそうだ。彼女のほうが確実に女性らしい体型をしていたのを思い出して、もの悲しくなった。もしや童顔というだけではなく、この体型も幼く見られる一因なのだろうか。


 べたっ


 軽く落ち込む私の頬に、生暖かいものが触れた。

「うわっ!」

 飛び上がって振り向くと、馬の鼻面が間近に迫っている。大きな黒い目は私の目線とほぼ同じ高さできらきらと輝いており、好奇心をあらわにしてこちらを見つめていた。ふいごのような鼻の穴から息が吹きだされるたびに、私の伸びた前髪が宙を舞う。

『こら、ポール』

 コリンは優しく馬の首筋を叩き、たてがみに手を差し込んで掻いてやった。コリンの肩口に顎を擦りつける馬は、どう見ても彼に甘えている。もし猫だったらごろごろと喉を鳴らしていることだろう。

『コリンは、馬が好きなんだね』

 言葉よりも雄弁に、彼の手や馬に注ぐ眼差しがそのことを物語っていた。


『ポールは特別なんだ。生まれたときから僕が育ててきたから』

 そう言うなり、コリンはたてがみを摑んで、ひらりと鞍も手綱もつけていない若馬の背にまたがった。

 柵の側に寄っていて、と私に言い置くと、かかとで馬の腹を軽く蹴る。はじめはゆっくりと、徐々に速度を増す彼らの残像は、人馬一体となって馬場を駆け巡る。陽光に少年の金髪と、筋肉が躍動する艶のある馬の肌が明るく照り映えた。


 馬を歩かせながら戻ってきたコリンは、私の側まで来て地面へ飛び降りる。

「すごい……」

 馬がこんなに綺麗な生き物だとは、思ってもみなかった。

『乗ってみる?』

 頬を紅潮させて額に軽く滲んだ汗を拭うコリンを見て、目を細める。可憐すぎて眩しい。

『乗ったことないから。そのうち、教えてくれる?』

『いいよ』


 またね、とコリンに手を振って陽のあたる緩い坂道を引き返す。空になった手桶は軽い。振り回しながら歩いていると自然と鼻唄が漏れた。


 坂を上りきり、白いクレマチスが絡みついたアーチを抜けたとき、少し離れた植え込みの影から視線を感じた。なんとなく穏やかさに欠けるそれが気になって、さりげなく立ち止まる。

 視線に対して斜めにしゃがみこんでこちらを隔てるように手桶を置き、木戸の脇に咲いていた瑠璃色の矢車菊ヤグルマギクを摘む。それを手桶に入れる際、取っ手越しに僅かに視線をずらして、伏目がちにあちらの様子を窺った。

 一輪目。髪の色は帽子を被っていて定かではない。

 二輪目。瞳の色は黒いような。

 三輪目。さすがに怪しまれるだろうか……

 男女を識別しようと盗み見たとき。


『なんだ、ネルロじゃないか』


 唐突に第三者の声が響いた。しゃがみこんでいた私は一瞬びくっとして立ち上がる。視線の主が潜む植え込みの向こうから、鍬を担ぎながら近づいて来たのは、庭師のマースさんだ。私は同じく立ち上がった視線の主に対して、努めてきょとんとした顔を作り向けてから、いかにもマースさんに意識が向いていた風に装う。

『マースさん。ごめんなさい。勝手に花を摘んでしまいました』

 顔が引きつっていても、この台詞なら不自然ではないはずだ。

『ああ、それは種が運ばれて勝手に増えたものだからな。かまわないよ』

『よかった。ありがとうございます』

 言いながら、猛烈に罪悪感を感じた。

 おまえのせいだ!と八つ当たりしたい気持ちを抑えて、ストーカーの方に向き直る。どこかで見たことがあるような?


「あっ」


 ひゅう、と喉が鳴った。

 女のように白い肌と薄い唇にその横のホクロ。森の中でこちらを狙っていた射手に間違いない。


 近づいてきた射手は、唇の両端を三日月のように吊り上げると帽子を取った。

『怖がらせてしまうかと思って、声をかけられませんでした。かえって驚かせてしまいましたね』

 申し訳ない、と言ってその場に跪くと、固まったままの私の手を取る。細めてはいるが決して笑っていない目は、蛇を髣髴とさせた。

『ネルロ・カリオティと申します。先日はエリカ様のお命を救っていただいたのにも関わらず、恩に背くがごとき行いをしまして申し訳もございません。このような可憐なご婦人になんたる振る舞いを!ああ、美しい方。愚かな私をどうかお許しください』


『わかりましたから、放してください』

 微妙な言い回しはわからなくても、歯の浮くような事を言われているのは嫌でもわかった。捕らえられた手をさりげなく放そうとしても、絶妙な力加減で押さえられて引き抜けない。そのうえ指先に口付けかれて、全身の血がざっとひいた。服の下で肌が粟立ったのがわかる。


 たまらず指先を反らして耳に向けて持ち上げ、腕を大きく回して拘束を外す。都会は怖いところだと散々聞かされ、真剣に読んだ『これでバッチリ☆護身術』の最初のページに出ていたうろ覚えの技。実際役立ったのはこれが初めてだ。

『すみません、このような習慣に慣れていなくて』

 鳥肌をさすりたいのを堪えながら目を伏せ、込み上げる怒りのエネルギーを震える声と赤面に換えて恥らってみせる。こいつに対して罪悪感を覚える必要はない。離れたところで弓を構えていただけだし。


 蛇男は尚も何事か言い募ろうとしたが、マースさんに睨みつけられた。

『ネルロ。お前さん達が旦那様の仲立ちなしにナギさんに近づくことは、まだ許されていないはずだぞ』

『慙愧の念に耐え切れず、つい』


 失礼しました、と踵を返して去ってゆく彼の姿から背を向けざま、背後から先程と同じく悪意に満ちた視線を感じた。

 通常ならば自意識過剰だと一蹴するところだが、先程のストーカー行為に加え、力を込めて捕らえられた指先の痺れに本能が危険信号を発している。そしてここしばらくその本能だけを味方にして生きてきた私には、ネルロを警戒する以外の選択肢はなかった。


『大丈夫かね』

 側まで来たマースさんは心配そうに私の顔を覗きこむ。

『はい。ちょっと、驚いてしまって』

『あいつは今ひとつ得体が知れない』

 マースさんは苦々しげにため息をついた。

『おっと、余計なことを言ったな』

 気にしないでくれよ、と笑って側のアーチからクレマチスを一輪ぱちんと切り取ると、私の耳の横に挿してくれる。

『その矢車菊セントゥーレアもいいが、白いクレマチスもよく似合う』

 この素朴な賞賛は、恥ずかしくも受けとめることができた。


『ありがとうございます。これから、アリアンさんのお菓子作りを、手伝わせてもらえるんです。後で持って来ますね』

『楽しみにしておるよ』

 マースさんは嬉しそうに目を細めた。


 アリアンさんご自慢のお菓子は、スパイスの効いたジンジャークッキーだった。

 彼女が体重をかけて、取っ手のついた大きな麺棒でテーブル一面に広げた茶色い生地を、私とアンは打粉をつけた型を両手に持ってぽんぽんと抜いていく。


 まるで、子供の頃憧れた『長靴下のピッピ』のワンシーンのようだ。もっとも、彼女は大胆にも生地を家の床に直接広げていて、子供心にそこはいただけない、とも思ったが。


 思い出してくすっと笑った私を見て、アンが不思議そうに鼻を手の甲でこする。その拍子に鼻の頭に白く粉がついて、ますます笑いを誘われた。

 三人でそれぞれ生地の端を持ってそうっとはがすと、テーブルに花形に抜き取られた生地がびっしりと残った。アンと二人してせっせと天板に並べる横で、アリアンさんは再び残りの生地をまとめて伸ばしにかかっている。


 熱されたレンガ造りのオーブンに生地を載せた最後の天板を収め、使った器具を片付ける。

 テーブルを拭き清めたところで、タイミングを計ったかのように勝手口が開いて、マギーさんが現れた。

『ナギさん。あなたの荷物をお部屋に運んだので、見にいらしてくださいな』

 そういえば、昨夜スタンフォード卿がそんなことを言っていたっけ。


 既に昼食の仕上げに取りかかろうとしている厨房の二人に別れを告げる。かまどの前から振り向いて、お茶の時間を楽しみにしていて、と言うアンに軽く手を振って、勝手口から出て離れへと向かった。


拙作を読んでくださる人の中にも被災された方がいらっしゃるのではと思い、意味がない事と知りながらアップを躊躇っていました。

ライフライン復旧後に、それらの方全員にまた読んでいただけますように。

募金ぐらいしかできないことが歯痒いですが、西日本の片隅から皆様の無事を切にお祈り申し上げます。

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