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かざなぎの記  作者: 藤原ゆかり
異文化見聞録
17/29

 声にならない叫びをあげながら飛び起きた。

「っ……」

 あの夢を見たのは久しぶりだ。

 一瞬の後、くらくらする頭の重みに耐えかねて背後に倒れこむ。ぼふっと沈む柔らかな枕と肌をすべるさらさらしたシーツの感触。日向の匂いに混じりほのかなグリーン系の香りがするのが心地よい。

 外は明るいようだが今何時だろう。掛け布団に顔をうずめたまま体をひねり、夢現で枕元の携帯電話を求めて手探りする。

 ……目一杯伸ばしても畳に手が届かない。私の布団のサイズから考えてありえないことだ。


 布団!?


 今度こそ完全に目が覚めた。音を立てて血の気が引くのを感じる。ここはどこだ?

 身を起こし慌てて辺りを見渡す。

 私のアパートの部屋を三つぐらいつなげた広さの部屋だった。背後の窓には厚手のレースカーテンがひかれ直射日光を遮っているが、すき間から漏れ出る光量が今が昼間だと告げている。窓に程近い壁際には小さな机とクローゼット、覆いがかかった鏡台らしきものが据えられていた。

 私から見て対角線上のスペースには丸いローテーブルと布張りのソファーが二脚あり、そちらの壁際にも窓があるようだ。

 私が今身を起こしているベッドはどんなに寝相が悪くても転げ落ちそうにないほど広い。今は開け放たれているが頭上からは蚊帳のような薄布が吊るされており、病院のベッドのように閉められるようだ。ベッドサイドにある木製の小机には小さなランプとコルクで栓がされた白い陶器のボトルにコップ、ラベンダーの花が生けられた花瓶が置いてあった。

 ベッドの足元には背の高い衝立があり視界が遮られているが、部屋の構造からするとこの向こうにドアがあるのだろう。

 部屋を観察するうち肩から力が抜ける。ここがどこかわからず、病院の個室のようにもホテルの一室のようにも到底見えなかったが、なぜか警戒心は芽生えなかった。

 私を傷つけたり拘束する意思が全く感じられないせいかもしれない。部屋の雰囲気からはむしろ労わりやもてなしの気遣いが伝わってきた。

 自分が身につけているものが見慣れないネグリジェだと気がついたときには少々焦ったけれども。


 しばしぼーっとしていると衝立の向こうからノックの音がした。

「はいっ」

 思わず裏返った声で返事をしてしまう。

 ドアが開き、足音が衝立を回り込んできた。現れたのは大柄な女性だ。茶色のワンピースに包まれたふくよかな体を、たっぷりとしたエプロンで覆っている。

 彼女は私の顔を見るなり矢継ぎ早に何事か喋りながらぬっと手を伸ばしてきた。思わず避けようとしたが有無を言わさずがっしりと肩を掴まれ、額に手をあてられる。硬直した私をよそに満足したようにうなずきながら手を引くと、更に話しかけてきた。ヒアリングが追いつかないが、大丈夫かと訊かれているようなのでとりあえずこくこく頭を縦に振っておく。

 声を出そうとした拍子に私が咳き込むと、ベッドサイドのボトルから注いだコップを渡してくれた。促されるままに口にしてひどく喉が渇いていることに気がついた。両手でコップを持ち夢中で水を飲むと、鼻腔から微かな薄荷の香りが抜けていく。

 ぷはっとビールをあおるオヤジのように息をついた私の頭を大きな手で撫で、女性は部屋を出ていった。

 静かにドアが閉まる音を聞きながら呆然と頭に手をやる。すごいパワーだ。


 しばしの後またドアが叩かれた。私の返事に応えて軽い足音が続き、エリカが駆け寄ってくる。

『ナギ!目が覚めたのね。よかった』

 エリカは目を潤ませながら飛びついてきた。顔色もよく元気そうだ。

『エリカも、無事でよかった。ここ、どこ?』

 見知った人を見て私は不安な顔をしていたのだろうか。エリカは手を握り、こちらの顔を覗きこみながら噛み砕くようにゆっくりと喋ってくれた。

『ここは、私の家よ。スタンフォードの。あなたが気を失っている間にここに連れてきたの。ひどい熱を出していて二日間眠っていたのよ。』

 まるで今までと立場が逆転したようだ。

『エリカの家?お世話に……ありがとう。心配させる、ごめんね』

 それでスタンフォードって、と続けようとしたときドアの外で声がした。エリカはちょっと待ってねと言いおいて離れていく。


 いつまでも病人のようにベッドにいる訳にはいかないので、とりあえず掛け布団をのけて足元に畳む。ベッドの下に部屋履きがあるのに気がついて拝借することにした。内側がふわふわしていて素足に気持ちいい。

 窓に歩み寄りカーテンを開けると陽光が差し込んできた。内開きのガラス窓を開放して身を乗り出すと涼しい秋風が頬を撫でる。大きなトンボが青空に舞っているのを見つけ思わず手を伸ばしたが、ついっと風に乗り遠くへ行ってしまった。

「あーあ」

 トンボの行方を目で追っていると下の方からくつくつと笑い声がした。目線を落とした先は向かいの建物を挟んで中庭になっており、おじさんが地面についた鍬にもたれて立っていた。彼は私と目が合うと被っていた帽子を脱いで会釈する。

 こちらも愛想笑いを浮かべて会釈を返した。どうも、いい年してとんだところをお目にかけまして。


『ナギ?』

 振り向くとエリカが立っていた。隣には先程の大柄な女性がいる。女性は顔をしかめてつかつかとこちらに近づいてくると私の腕をそっと掴んで窓辺から退け、窓の向こうを睨んでからカーテンをしゃっとひいた。目を白黒させている私にエリカは苦笑している。

『ナギ、服を着てないでしょう。これに着替えて』

 今までのサバイバル生活でそんな乙女心すっかり失ってました。羞恥心、大事だよね。

『……ありがとう』

 年下の子にこんな注意されるってどうなんだと思いながら、木のたらいに注がれた水で顔を洗う。


 受け取った服はエリカのものと同様の形式だった。ちょうちんブルマ一歩手前の下着と生成りの長いスリップの上から、葡萄色をした厚地の長袖ワンピースを着込む。上身ごろは編み上げになっているが、紐をきつく締めてもまだぶかぶかしていた。それを見た女性がまたも早口でまくし立てる。助けを求めてエリカを見ると、女性の言葉に同意しながら、

『マギーが、しっかり食べてもっと太らないとだめだって言っているわ』

 と通訳してくれた。その表情は自分も賛成だと言わんばかりだ。

 マギーさん。痩せたのは確かにそうだけど、胸がないのはもともとなのですが。

 次に渡された大判のショールと布帯は、エリカが身につけるのを観察していたのでどうするのか知っている。

 ベッドの上に布帯を伸ばして垂直方向にショールを広げ、ワンピースの裾よりちょっと短めになるよう調節しながら仰向けに寝転がる。ショールの下の布帯を脇から手繰り寄せ、浴衣を打ち合わせるように腰周りを締めてやや脇よりに前で結ぶ。慎重に起き上がって帯の形を整え、裾が広がるように開けば完成だ。帯より上の部分は頭から被ったり肩にかけたり、そのまま垂らしたりと応用が利く。ショールは落ち着いた臙脂色、帯は黒地に緑色で蔦を模した刺繍が施されていた。

 私がショールを後ろに垂らしたままにしていると、マギーさんが背後からそれで肩を包むように掛けてくれる。

『熱が下ったばかりなのに、体を冷やしてはいけません』

 ゆっくり話してくれれば聞き取れる。

『ありがとうございます』

 振り返ってマギーさんにお礼を言っているとエリカに呼ばれた。


『少し屈んで?』

 言われたとおりにすると、私の胸元に手を伸ばしショールを留めてくれる。うつむいてしげしげと見ると、葡萄の房と葉を象ったカメオのブローチだ。葉の部分には雫を表現しているのだろう、透明な宝石の粒が嵌められている。金で縁取られた細工は素人目にも精緻で、値の張るものであることは明らかだった。

『きれいだけど、こんなに……いいもの、借りられない』

 宝飾品の類は身につけたことがない。傷つけでもしたら大変だ。思わず外そうとしたがエリカはその手を押し留める。

『ナギに持っていてほしいの。その服にも似合うわ。おねがい、貰ってちょうだい』

 エリカの目は真剣だ。本当に貰っていい物なのかわからないが、後で親御さんにでも訊こう。だめだったらこっそり返してもらえばいい。

『ありがとう』

 エリカは花が咲くように笑った。



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