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かざなぎの記  作者: 藤原ゆかり
異文化見聞録
16/29

 花冷えとはいえ風のやんだ午後の陽だまりは暖かく、待ちわびた季節が巡ってきたことを告げていた。

 見飽きた冬空とは違った柔らかな光に自然と心が浮き立つ。

 それは園庭をところせましと駆け回っている他のこども達も同様で、そこここではしゃぎ声が聞えてくる。

 

 窓越しにその歓声を聞きながら私は絵本を読み聞かせていた。

「さて、えものはおらんかな……」

 ページをめくろうとして相手の様子を伺い、苦笑して手を止める。

 いつもなら熱心に聞き入る目の前の少女は気もそぞろだ。楽しげな外の光景が気にかかるのだろう、風邪をひいて先生から外遊びを止められている彼女はこども達を羨ましそうに目で追っている。

 私が声をかけようとしたとき、

「みほちゃん!」

 滑り戸を開けて小柄な少女が駆け込んできた。満面の笑みを浮かべ頬は上気している。

「どうしたの、かなちゃん」

 窓際のベッドに腰掛けたパジャマ姿の美穂は細い首を傾げる。そんな彼女に向かって加奈子は大切そうに握りしめていた右手をそっと開いてみせた。

 ぷっくりとした手のひらには桜の花弁がひとひら。

「きれい……」

「わあ、桜だね」

 私達の反応に加奈子は嬉しそうだ。

「あのね、ひらひらってお空からふってきたの。みほちゃんにあげるね」

「もらっていいの?ありがとう!」

 にこにこと笑っている幼い少女達の愛らしさに私も笑みを誘われた。

「ねえ、なぎねえちゃん」

「なあに?」

「これ、どこからきたのかな」

 この近くでは今年まだ桜を見ていない。私達の通う小学校の校庭に植わっているソメイヨシノも、昨日の時点では開花までもうしばらくかかりそうな様子だった。

「たぶんお山のほうから来たんじゃないかな」

 指差した窓のむこう、こんもりとしたお椀型の山並みには植林されたスギやヒノキの緑に混じり、ところどころ水をたっぷり含ませた筆で刷いたように山桜特有の淡い色がぼやぼや滲んでいる。

「あのピンクのがぜんぶさくらなの?」

 美穂が目を丸くして尋ねる。

「うん、そうだよ。このあたりに咲くのとはちょっと違った種類だけどね」

「ちかくで見てみたいなあ」

 窓に手のひらをつけて山のほうを眺めている美穂に対して、加奈子は珍しく静かだ。

「加奈ちゃん?」

 私はいぶかしく思って顔を覗きこむ。彼女はくすくすと笑い、

「なんでもないよ!」

 と言って部屋から去っていった。

 残された美穂と私は顔を見合わせる。

「なんだろうね」

 

 台所から水を入れた小さなガラスの器を持ってきて、桜の花弁を浮かべ窓辺に置いてやる。光を通して美しいそれを美穂は飽きることなく眺めているようだった。

 

 この季節の門限である五時半に近づいても加奈子が帰ってこない。

 多少日が長くなったとはいえもう太陽は山の向こうに隠れつつあり、山里の空気は冷たい。心配する私に園長先生が苦笑する。

「よく山で迷子になって散々気を揉ませた凪ちゃんと同じ子とは思えないわね」

 私は黙ってごまかし笑いをするしかなかった。言われるとおりなので反論のしようがない。

 しかし、彼女以外のこどもが全てそろってもまだ帰ってこない加奈子に先生達も不安を隠せない様子だ。六時になり数名の先生が探しに出かけた。

 残った先生達も他のこどもに心当たりを訊いている。

「わかんない、でも明るいうちに外に出ていったよ」

「どこいくのって聞いたらひみつだっていって教えてくれなかった」

「いいもの採りにいくんだって」

 

 いいもの……

 

 桜の花弁を大切そうに握りしめていた加奈子の姿が浮かぶ。

 もしかして。

 

「先生、私ちょっと探してきます!」

 止められるのも聞かず門を飛び出した。

 夕暮れのあぜ道を走って走って山裾へ辿りつき、脇腹が痛むのを堪えながら丸木で足場が組まれた遊歩道を駆け上がる。時折立ち止まって声を限りに加奈子の名を叫んでは耳を澄ませ、また次の角まで。数回目に叫んだとき、横手の草地から声がした。

「加奈ちゃん!」

 べそをかいた加奈子が飛びついてくる。手には折り取った山桜の枝を掴んでいた。白いタイツをはいた膝に泥がつき少し血が滲んでいるが大きな怪我はないようだ。

「ばか、心配したでしょ」

 無事でよかった。

 足から力が抜け、私はぜいぜいする息をもてあまし加奈子の肩を持ってしゃがみこんだ。

 

 山道を下り、夕闇のなか園へと帰る道すがら加奈子は私の背中で、

「みほちゃんにみせてあげようと思ったの」

 としゃくりあげながら繰り返す。桜の枝をとったはいいが、暗くなって足元がよく見えず転んでしまったらしい。

 私は高学年、加奈子は昨年小学校にあがったばかりとはいえ、やはり長距離を負ぶって歩くと重みがこたえ、それは自然と足どりにもあらわれる。

「なぎねえちゃんごめんね、おこってる?」

 と涙声の加奈子に、息が上がるのを抑えつつ怒ってないよと答えようとしたとき、背後から低いうなり声がした。

 

 恐る恐る振り返ると、ぽつんと一つある街灯の光のもと、薄汚れた毛並みの大型犬が牙をむいてこちらを睨みつけているのが見えた。食い込むほどきつく絞まった首輪に繋がった鎖は引きちぎられて地面を這っている。

 じりじりと後ずさりする私達をなぶるように野良犬はうなりながら近づいてくる。

 

 足が竦む。

 ああ、早く逃げないと。

 私のせいで加奈子が。

 

 野良犬が跳躍する。

 

 はやく、はやくにげないと……

 


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