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今夜は肌寒い。
空の上では風が強いのであろうか、欠け始めた月を雲がせわしなく覆っては流れてゆく。
ミミズクか、はたまたフクロウか、森の奥で夜行性の鳥が嗤うように鳴いた。
私は、うつほの中で落葉に埋もれて眠る少女の口元にそっと手をかざし、呼吸が穏やかなことを確かめる。
長い睫毛が落ちるふっくらとした頬は、焚き火を受けて先刻より血色がよく見え、腰まであるウェーブがかった褐色の髪も、煉瓦色に照り映えている。
出会い頭の印象的な藍色の瞳といい、天然の艶を持つこの髪や、どこか日本人離れした顔立ちといい、異国の血をひいているのだろうか。
少女の服装をまじまじと見返す。
素朴な色合いの長いワンピースは、柔らかそうな厚手の布地で仕立てられており、袖口や襟ぐりには蔓草や花のような刺繍が施されている。
ワンピースの上から室町時代の打掛腰巻姿のように纏われていた毛織のストールは、精緻な刺繍が施された布のベルトにより締められていたが、今は私の手により外されて、横たわる少女を覆っている。
……私は詳しくないのでわからないが、この格好は何かのコスプレなのだろうか。それとも森に居るということは、今流行の森ガールとやらか?
いずれにせよ、少女を迎えたことで私の聖域は破られた。
このまま惰性で冬を向かえ、彼女を道連れにすることはできない。
何があったのかはともかく、傷ついた少女に追い討ちをかけたのは私だし、例えそうでなくとも、こんな子供を見殺しにできるはずなどないのだ。
膝を抱えて目を閉じると、瞼の裏に幼い子供たちの笑顔が浮かぶ。
満面の笑み。心に傷を抱えながらも屈託なさそうに笑う顔。不器用ながらやっと浮かべた微笑。
そして、守れなかった笑顔。
この少女の傷が癒えたら、何としてでも森を抜けよう。この子を待つ家族が居る家へ、必ず送り届ける。
こんな女の子がひとりで迷い込むぐらいなら、さほど人里は離れていないのだろう。正確な道は無理にしてもせめて方角なりともわかれば随分違う。
串刺しにして火に翳された魚の脂が、焼けた石の上に落ちる。
炎がひときわ明るく燃え立ち、薪を舐めてパチパチと鳴らす音。
それに混じる落葉が触れ合う音を耳にして、私は素早く目を向けた。
「ん……」
横たわった少女が顔を顰め、身じろぎをしている。
動悸が早くなる。
何しろ久々の会話だ。なんと声をかけよう。「大丈夫?」は白々しいな。
やはり最初に謝るべきだろうか。
もしフランス語やドイツ語しか通じなかったらお手上げだ。「愛してる」とか「よい旅を」とか、そうそう使わない単語しか知らない。
願わくば、日本語、せめて英語が通じますように!
目を覚ました少女は、呻きながら身を起こそうとする。
慌てて彼女を支え、うつほの入り口で頭を打たないように抱きかかえながら外へ導き、木の根に寄りかからせた。
私の顔を見て驚いたように目を見開いて咳き込む彼女の背中をさすり、水が入った木の椀を差し出す。
少女は手を伸ばしかけ、躊躇った。無理もない。
椀に自ら口をつけ、一口含んで飲み下した。目線を同じ高さして、私はおずおずと精一杯の笑みを浮かべる。
上手く笑えているだろうか。
そっと差し出した椀を、少女はもう拒まなかった。
喉が乾いていたのだろう、息つく間もなく飲み干して、はにかむように目を伏せる。
そんな少女に向かい、わたしは深々と頭を下げた。
「さっきは吃驚させてごめんなさい」
返事はなかなか返ってはこなかった。
ゆっくりと少女の様子を窺うと、戸惑った様子をしている。
言葉が通じないのだろうか。
念のため英語で謝っても同様だった。私の発音が悪くて通じていないということはないはずだ……たぶん。
それでも私が謝っているということは伝わったのだろう、温かさを取り戻した両手で私の手を包むと、柔らかな笑みを向けてくれた。
「A…… mi re……ta.」
少女の語る言葉は、恥ずかしながら何処の国の言語かさえわからなかったけれども。
やっと登場人物が増えたら、言葉が通じませんでした。どうやってスムーズな会話に持っていくか……