鎖縛
はじめて変身したとき、いちばん先に感じたのは重さだった。
服が、重い。
両腕は錆びた手錠で繋がれていて、肩から下が鈍く引っ張られている。
スカートの裾から伸びる鎖は、生き物みたいにうねるくせに、こちらの思う通りには動いてくれない。
何度か小型の魔災獣を倒すことには成功したけれど、戦う事に対する恐怖が薄れることはない。
それでも、目の前で少しずつ消耗していく少女を、見ているだけなんてできなかった。
本来の世界の記憶では、魔法少女も、魔災獣なんてものも、物語の中にしか存在しなかったはずだ。
ホームレスになった今では調べる術もないけれど——いくら仕事が忙しくても、そんなものが現実に出現していたなら、ニュースのひとつくらい耳に入っているだろう。
……けれど、それよりも先に頭を占めたのは、別の疑問だった。
「……なんで、ドレス……?」
自分の身体を見下ろすと、鎖に縛られたボロボロのドレス姿があった。
ボタンは途中でちぎれ、レースはところどころ焼け焦げている。
それでも、どこか“姫”を模した意匠が残っていた。
けれど、それは優雅な舞踏会のための衣装ではなく——
囚われた花嫁か、脱出に失敗したお姫様か、そんなふうな印象だった。
「なんで、こんな衣装になるの……」
ドレスの裾をつまんで、ぺたんと座り込む。
たしかに、作業服は自腹だったから、ボロボロになるまで着倒した。
だけど、ドレスなんて、自分の人生に一度も関わったことがない。
——この世界の魔法少女は、本人の“理想”もしくは“人生”が変身に強く影響する。
そんな噂を、彼女はずっと後になってから知ることになる。
そして自分は——。
「たしかに、会社に縛られてたかもだけど……」
囚人みたいな手錠。
足元にぶらさがる、ちぎれた足枷。
ボロボロのドレスと、どこまでも続いていきそうな鎖。
まるで、物理的に『縛られている』みたいな姿だ。
魔法少女らしさも薄いし、正直、すごく動きづらい。
「それでも……戦えないよりは、まし、かな」
街を守るために体を張って戦っている少女たちを、黙って見ていられるほど、
大人をやめたわけじゃない。
……今はこんな身体だけど。
ちょっと前までは、ちゃんと大人だったんだ。
そんなことを考えながら、彼女は路地裏の影から空が少しずつ明るい色になっていくのを眺めていた。
使われなくなってから長い時間が経っているのが感じられる室外機の横に、ダンボールを広げて寝転がる。
ビルの隙間から、人通りの少ない時間帯の街を眺めるのも思ったより落ち着く。
鎖が引き戻され、裾へと吸い込まれていく。
それをぼんやりと見つめながら、ドレス姿はほどけるように消えていく。
いつものくたびれたパーカー姿に戻った彼女は、小さくため息をこぼした。
「……働かなくていいって、すてき……」
自分でも驚くくらい、その声は少しだけ、嬉しそうに聞こえた。
――――――
結局、空腹のまま朝を迎えた。
でも——眠れた。それだけで、悪くない。
人通りの少ない川沿いのベンチに、彼女はゆっくりと腰掛ける。
白んだ空。遠くを走る電車の音。コンビニに荷物を運び込むトラック。
なんてことない生活音だけど、その全てが穏やかで心地よい、“都市のゆりかご”みたいに思えた。
「……あ、カラスさん……今日もはやいね……」
向こうから、黒い影が一羽、とことこと歩いてくる。
朝日が昇ると、路地裏はカラスさんのナワバリだ。
いつもならコンビニの廃棄のおにぎりを取り合うライバル(?)だけど、
今日はその場を譲ることにした。
「ん、今日はあげる」
カラスさんは鳴きもせず、首をかしげてから、
器用におにぎりの包装の隙間へくちばしを差し込む。
そういうやりとりも、最近はちょっとだけ楽しい。
昼は物陰に身を潜め、夜になれば街へ出る。
変身は、本当はあまりしたくない。
人目につくことはしたくないし、鎖を操作するのもかなり疲れる。
けれど、誰かが傷ついているかもしれないと思うと、勝手に足がそちらへ向かってしまう。
魔法少女たちと出会ったのは、ほんの一瞬だけ。
名乗るタイミングも、かけるべき言葉も見つからないまま、
いつも逃げるようにその場を去ってしまう。
「……本当は、話してもいいのかもしれないけど……」
でも、せっかく自由になったのだ。
このささやかな生活が、どこから崩れてしまうのか分からない。
だから、人と関わりを持つことが、怖い。
何も知られないまま。
何も知らないまま。
きっとその方が、都合がいい。
――でも。
「……ちょっとくらいは、話してみたいかも」
ぽつりと零れた言葉に、自分自身がいちばん驚いた。
口に出してみるまで、そんな感情が自分の中にあることに、気づいていなかった。
いつも通りの、少し湿ったダンボール布団に身を沈めて昼をやり過ごすと、
いつの間にか、空はまた夕焼けから夜へと変わっていた。
そして、その夜も、空に警報が鳴る。
新たな魔災獣の接近を知らせる、無機質なアナウンス。
彼女は、そっと立ち上がった。
錆びた鎖が、音もなくスカートの裾から滑り出していく。
点滅する街灯の下、触手のように蠢く鎖を纏うその影は、ゆらりと不気味に揺れた。
「——いかなきゃ」
誰にも聞かれない声で、彼女はそう言った。
それは義務ではなく、もう、ほんの少しだけ自分の意志に近いものだった。




