第32話 冒険者ギルド
そして歩いて数分ほどで、私達はひときわ目立つ大きな建物の前に辿り着いた。
石造りの壁に分厚い木扉、屋根には冒険者ギルドを示す紋章が掲げられている。
どうやら、ここが冒険者ギルドらしい。
だが一つ妙な点があった。
入口が二つに分かれているのだ。
左の扉には門番らしき男が二名立ち、右の扉は無人。
「えっと……僕は左の扉から入るから、君達は右の方から頼むよ」
「なんであんただけ別行動? 一緒に行けばいい」
ヴュステが即座に言葉を返す。
至極真っ当な意見に聞こえるが……
「右は冒険者専用扉、左の扉は依頼者用なんだ。君達は冒険者になりにきたんだろう? なら、まずはその扉を越えなきゃいけない」
「……その言い方だと、そう簡単には開かないように聞こえますね」
「実際、一般人じゃ開かない仕掛けだからね。まぁモノは試しだよ。僕は先に行って待ってるから、君達は一人ずつ挑戦するといい。すぐ終わるだろうからさ」
そう言い残し、テレウスは外套を深く被り直し、門番の案内を受けながら依頼者用の左扉から中へ消えていった。
残された私とヴュステは、重厚な右の扉を前に視線を交わす。
「どっちから行きます?」
「あんたから」
「はい」
……一瞬だけ、万が一に備えてヴュステを先に行かせるべきかと考えた。
だが、内側にはテレウスがいるのだ。
危険など起きるはずもない、そう判断して私が先に扉へ向かう。
両開きの扉へ手をかける。
しかし――びくともしない。
押しても引いても、まるで岩盤に触れているかのように動かない。
その瞬間、頭の奥で声が響いた。
神の声とは違う、冷ややかで均一な音。
――新規加入希望者であれば、魔力を扉に注ぎ、扉を開けて下さい――
まるで機械音のような声である。
「おぉ……」
『あらかじめ用意されていた音声といい、手に刻む特殊な紋章といい。……冒険者って組織は進んでるね』
「まさかこの世界で、地球にいた頃に近い経験をするとは……」
『そっちは科学でこっちは魔術だけど』
奇妙なものだ。
まぁいい。
私は魔力を込める。
すると一瞬白く輝いた。
私はヴュステをチラッと横に見た。
「ヴュステさん、この扉は冒険者かどうかを試す仕掛けになっているようです。貴女は一緒に入らず、私後から扉を開けて来てください」
「……分かった」
---
扉を押し開け足を踏み入れた瞬間、むっと鼻を衝くのは酒と汗と焚き火の匂いだった。
粗末な木のテーブルには男達が群れ、喉を鳴らしながら酒杯を打ち合わせている。
壁際の大きな木製ボードには羊皮紙がびっしり貼られ、数人が腕を組んで睨み込んでいた。
奥には帳簿らしきものを捌くカウンター、その後ろで忙しなく動く受付嬢たちの声が響く。
ここが――冒険者ギルド。
……そしてその中を、ゆっくりとテレウスが歩み寄ってきた。
フードを目深に被り、鎖帷子の上から布外套を雑に羽織っている。どう見ても目立つ格好だ。
「どうだい、簡単だったろ?」
「確かに簡単でしたが、それよりもなんで貴方は、そんな格好してるんですか?……目立ちますよ」
彼は片目だけ覗かせ、口の端を上げる。
「周りに顔を見せたくないのさ。僕はここの出身の冒険者で、救世主でもある。さすがに知られすぎていてね、余計な騒ぎはご免なんだ」
なるほど。
自分は有名人だから騒がれないように、というわけか。
つまり依頼者用扉から入ったのも、そういう事なんだろう。
ならば一度、救世主呼びはやめておこう。
「目立つ云々で言うなら、今いちばん目立ってるのは君だよ」
テレウスが薄く笑ったその時、重い扉が軋みを上げて開き、ヴュステが現れた。
光を受けて一瞬白くきらめいた扉の縁が、彼女の背後で静かに閉じていく。
何事もなかったかのように歩み寄り、ヴュステは私の隣へと立つ。
「……今の、見たかい? 扉が開くとき光っただろう。あれは新人を示す印さ」
「くだらない仕掛けですね。必要性があるようには思えません」
「僕もそう感じてる。でも、ここの人間にとってはちょっとした娯楽なんだよ」
娯楽。
くだらない、と思いながらもふと脳裏に浮かぶのは、小学生の頃の教室の光景だった。
教室に入った瞬間、クラス全員が拍手を浴びせてくる――担任が考えた悪ふざけ。
意味のない悪戯に、笑いながら巻き込まれた自分。
あれに似ているかもしれない。
私は改めて視線を巡らせた。
やはり周囲の空気がざわめいている。
酒を口に運びかけていた男がこちらを振り返り、掲示板の前で腕を組んでいた冒険者までもが、私を一瞥していた。
中には、あからさまに身体ごと向けてこちらを眺めている者もいる。
「おまけに――」
テレウスはわざと声を落とした。
「君とヴュステちゃん?、女の子ってだけで浮くのに、その格好は目立ちすぎる」
……テレウスがヴュステをちゃん付けするのに、一瞬迷ったのは無視するとしよう。
確かに今の私とヴュステは、酷く目立つかもしれない。
両眼と右腕を包帯で覆った私。
両脚に焼けただれた痕を残すヴュステ。
どちらも、群衆に溶け込むにはあまりに異質すぎる。
「……服を買えば済む話です。冒険者登録を終えたら、考えましょう」
私はヴュステの手を軽く引き、周囲の視線を振り払うようにして奥のカウンターへ向かう。
「冒険者という職業に就きたくて、ここへ来ました。私とこの子も一緒に、二人分の手続きをお願いします」
受付に座る女は、書類から顔を上げ、私達を頭のてっぺんから足の先まで無遠慮に舐めるように眺めた。
数秒ほど沈黙した後、やがて眉根を寄せ、声を潜める。
「……その、大丈夫? 二人とも……ひどい格好してるけど。誰かに脅されてここに来たりしてない?」
「問題ありません。私は自分の意思でここにいます」
「……大丈夫」
ヴュステも短く頷いた。
受付嬢はなおも訝しげに首を傾げる。
「でもね、今の冒険者稼業って本当に危ないのよ。魔物の数も依頼も荒れてるし……それに、あなた――両目が見えていないんでしょう?」
突き放すような言葉だ。
彼女の視線はあくまで憐れみ混じりではあるが、だがその優しさが逆に、私を苛立たせる。
……どうやら今の私達は、本当に冒険者になるに相応しい容姿ではなかったらしい。
まさかこの水際で、申請手続きを止められると思わなかった。
これが筋肉ムキムキの好青年であれば、話がスムーズに済んだのだろう。
もしくはギルドの来る前に、もう少し身なりを整えてくるべきだったかもしれない。
社会人経験がないので、そういうところの気を使い方が分からなかったのは痛い。
ん〜……
どうしたものか。
唇を噛んだ瞬間、横合いから酒臭い吐息が近づいた。
「おいおい、なんだぁ?」
奥の席にいた中年の冒険者が、ジョッキを片手にふらつきながら、私の隣に立った。
乱雑な髭面、煤で黒ずんだ革鎧。
粗野な笑いを浮かべながら、こちらを見下ろしている。
「そんな糞みてぇな格好で冒険者だと? やめとけやめとけ。見た目相応に掃除婦か飯炊きでも探すんだな」
吐き捨てるような嘲笑。
私は一切そちらを見ず、受付嬢と会話を続ける。
「質問です。冒険者登録を拒否される基準、具体的にあるんですか?」
女は困ったように指先を絡め、口を開いた。
「……ええ。私達が“仕事を全うできない”と判断した場合、拒否する権限があるの。だから……」
言外に「一度帰って身なりを整えろ」と告げている。
くだらない。時間の浪費だ。
本来の予定ではここで冒険者登録を済ませ、すぐに依頼を受けて資金を作り、その足でエメア捜索の依頼をギルドに提出するつもりだった。
依頼金を払うには金が要る。
そのための冒険者登録だ。
「テメェ……ゴラァッ! 女の分際で俺の話を無視すんのか!」
酔った男が背後から肩へ手を伸ばしてきた。
酒と汗の臭いが近づく。
「うるさいです」
私は振り返らず、触れられる直前に裏拳を、彼の腹に向かって突き出した。
重い鈍音。
次の瞬間、男の身体は宙を舞い、壁へ叩きつけられた。
壁板が軋む音が響く。
幸い穴は空かなかった。
修繕費を出さずに済む程度の加減はできた。
だが、酒場のように賑わっていたギルドは、瞬く間に凍りついた。
椅子を引く音すら消え、全員の視線が私に突き刺さる。
「私は両眼を失っていますが、全方位の物体を知覚できます。魔術も多少は使えます。そして、ヴュステと共にこの扉を開けた。……それでもまだ、私に不安要素があると?」
受付嬢は口を開きかけ、言葉を詰まらせた。
「その……あの…………」
苛立ちが胸の奥で音を立てて膨らむ。
もう話にならない。
――その時、静かな声が背後から響いた。
「盟友、分かりやすいくらい気が立っているね」
「そう思うなら、貴方が全部どうにかしてくれませんか?」
「分かった。そうさせてもらうよ」
テレウスは音もなく受付へと歩み寄り、外套の影に沈む横顔から澄んだ声を落とした。
「すまない、二人は僕の恩人達なんだ」
柔らかな響きに、受付嬢は一瞬たじろいだが、すぐに眉を寄せる。
「……その、深く外套を被っていて顔が分からないのだけれど、君は?」
問いかけに彼はゆるやかに片手を上げ、革のグローブをわずかにずらした。
白い肌に浮かぶ紋章が、複雑に、燦めくように光を受けて覗く。
「良ければ――僕の盟友の話を聞いてあげてほしい」
刹那、受付嬢の表情が凍りつき、次には蒼ざめた顔で背筋を伸ばした。
額に汗が浮かんでいるのが分かる。
「こ、これは……っ! ご、ごめんなさい! すぐに冒険者登録の手続きをさせていただきます!!」
豹変ぶりに、私は目を瞬かせる。
……なんだ、最初からテレウスを頼れば良かった。
そうすれば、無駄に揉める必要もなかったというのに。
「もう問題は無さそうだし、僕は一旦外で散歩している事にするよ」
「あっ、はい」
彼はそう言って、かなり足早でギルドから出て行った。
まるで何かから逃げるような速度だったが、まぁいい。
そして私達の登録手続きが始まった。




