結婚していると間違われたくなくて妹を演じていた幼馴染がぐいぐい迫ってくる件
突然だが、日夏新太郎には血の繋がっていない妹がいる。
親同士の結婚でできた義妹? 否。彼の両親は夫婦円満の体現者たちと言っても過言ではないほど仲が良く、離婚の二文字など二人の脳内辞書には存在しない。
ならば妄想から生まれた悲しき妹? これも否。妄想ならば、彼の腹上に伝わる重みや臀部の柔らかさ、前髪にかかる甘い吐息も感じないからである。
「おにぃおっはよ~! もう朝だぜぃ。下半身だけウェイクアップさせてんなよ~~?」
「してねぇわ。おはよう。そして重い、どきやがれください」
「あ~! おにぃが私のこと重いって言った! もう起こしてあげないよ?」
「大変申し訳ございませんでした」
「にひひ、よろしいっ!」
腹の上で満面の笑みを浮かべている彼女こそ、新太郎の妹(?)――日夏舞凪である。
艶のある銀色のウルフカットを靡かせ、紫水晶のように煌びやかな瞳で見下ろし、オーバーサイズのシャツは彼女の双丘を型取っている。
さながら仲睦まじい兄妹が繰り広げる朝の一幕に見える。しかしもう一度言うが、彼らは本当の兄妹ではない。
「相変わらずおにぃはシスコンだナ~~♪」
「毎朝律儀に起こしに来てくれるブラコンのお前には言われたくない」
「それもそうだね~。ま、私たちは偽兄妹だけどねっ」
二人は実際には幼馴染と言う関係だが、訳あって双子の兄妹を演じ続けているのだ。
この奇妙な関係が始まったのは小学生からである。クラスの悪ガキの一人が、「こいつら苗字一緒だから結婚してるんだ!」と揶揄ってきたのが始まりだ。幼い頃の舞凪は恥ずかしがり屋でその弄りを嫌がり、何とかしようと悩んだ新太郎は「双子の兄妹ってことで誤魔化そう」と提案した。
たまたま苗字が同じで、たまたま同じ日に生まれたということから、この偽双子兄妹が誕生した秘話である。
「ってか、そのシャツ俺んじゃねえか。返せ」
「えぇ~? 彼シャツならぬ兄シャツなのに……。そんなに私の一糸纏わぬ姿が見たいんなら仕方ないな~~♡」
「ん? それはどういう……――はッ⁉」
舞凪が座り直す動作をした際、たぷんっと音が鳴ったようにその二つの果実は揺れた。脳が何もつけていないという結論にたどり着くのには十分なほどだ。
しかし新太郎は辟易混じりの溜息を吐き、プチプチとボタンを外す彼女の手を握って止める。
「はぁ……あのなぁ、偽とはいえ兄妹の俺だからいいが、年頃の女の子がそんなことしちゃいけません」
「ぶーぶー。親目線の反応でつまんなーい」
「つまらんくて結構だ」
思春期男児とは似つかわしい反応であり、年不相応一見瞳の奥の脳内にピンク色のお花畑は広がっていないように見えた。
フグのように頬を膨らます舞凪の頬をつまんで萎ませ、上半身を起こす。
「そんじゃ、デイリーのおにぃ目覚ましは終わったし、私先に下行ってるからね」
「うぃー。シャツは適当に椅子とかに掛けといてくれ」
「うぃ~」
舞凪はぴょんっと軽やかな擬音が聞こえるようにベッドから飛び降り、新太郎の部屋を後にする。
二人は恋愛感情や羞恥心がない本物の兄妹に見えるだろう。
新太郎はベッドの上で、舞凪は廊下で一息吐き、そして――
((うおおぉお⁉ あ、危なかったァアアア‼))
心の中で思い切り叫んだ。
茹で蛸も「参った」と八本の腕を挙げるほど彼らの顔は真っ赤に染まており、瞳の渦も止まることを知らず、黄金回転をしている。
(なんなの舞凪! 俺んことをおっぺぇ星人にするつもりなの⁉ 思春期真っ只中男児なめんじゃあねえぜ! 危うく手ェ出すところだったぞオイ‼)
(せ、攻めすぎた~! 耳真っ赤なのバレなかったよね⁉ 流石にノーブラは恥ずっ! で、でも肌に直でおにぃの匂いを着けれて幸せだったけどさ~……。うへへ♡)
先ほどの冷静沈着な様子は皆無であり、年相応な反応を示していたが、「でもなぁ……」と新太郎は呟き、言葉を連ねる。
「結婚してるって間違われたくなくてこの関係始めたんだし、舞凪は付き合いたいとかそういう考えはないんだろうなぁ……」
幼少期から始まった偽兄妹の関係から、新太郎は「舞凪は自分に対しての恋愛感情はない」という考えがまとまっていた。
しかし当の本人は、廊下で悶えていた。
「おにぃと付き合いたいよぉ……結婚だってしたいよぉ……! 最初は本当の兄みたいに助けてくれてさ、私のこと第一に考えててくれたのがうれしかったよ。けどさぁ! そんなの十年近く続いてたら普通に好きになるでしょーが!
ってか、私って超合法ブラコン妹なのになんで手ぇ出さないわけ⁉ 本物の兄心が芽生えちゃったのかな~~‼」
俗に言う〝両片思い〟の状態であるが、偽兄妹という誰よりも近くにいることができる関係こそ、あと一歩を踏み出させまいという枷になっている。
苦虫を嚙み潰したようの顔をしている舞凪は握り拳を作り、天井にそれを突き上げた。
「その兄心を摘むために、偽妹の立場を濫用……! そしておにぃをメロメロにしてゴールイン! 時間はたっぷりあるし、じっくりやろう。えいえいお~~‼」
「あ? お前まだ下に降りてなかったの? 何してんだ」
「ほわあああああ⁉ お、おにぃいきなり出てこないでよ‼」
「え、ご、ごめん……。って、なんで俺は怒られてんだ?」
ポリポリと頭を掻きながら扉を開けた新太郎に、きゅうりを置かれた猫のような反応をする舞凪。
新太郎は頭の上に疑問符を浮かべ、首を傾げた。
そのまま下に降り、リビングに到着する。朝食の用意をする母親に、コーヒーの湯気で新聞紙に着香をする父親の姿が目に入った。
「母さんと父さんおはよ。にしても、この時間に父さんが出勤してないの珍いな」
「おはよう新太郎。今日は有給消化日だ。父さんな、今日はすろぉらいふをしようと思っているんだ。まじかるぴぃす」
「おはよう。うふふ、横文字使いこなせてるわよあなた~~♡」
「まーた母さんが変な言葉教えたのか。ま、なんだっていいけどさ」
積に座り、目の前に置かれた食パンを手に取り、齧り付く。
当たり前のように隣に座る舞凪だったが、「あっ」と思い出したかのように口を開いた。
「ふつーに兄シャツのまんまなの忘れてた。制服に着替えてくるねっ!」
「んー」
ここはお花屋さんかな? そう錯覚するように、彼女の満面の笑みの背後には大輪の花が咲き誇っているように見えた。
父親はそれを一瞥した後、待ってましたと言わんばかりに新太郎に話しかける。
「新太郎、少し話をいいか。大事な話だ」
「え、なんだよ改まって。俺なんかやっちゃったか?」
「ハッ、その言葉は昨日教えてもらった言葉! ……ではなく。コホン、実は父さん――転勤することになったんだ」
「ほーん。……は?」
食パンを食べるために開いた顎は、驚嘆するためのものと変わっていた。
その衝撃発言からパンが喉を通るとも思えず、父親に質問を投げかける。
「え、っと。じゃあ引っ越し、とかすんの……?」
「ウム、俺はそうなる。だがお前は母さんとここに残っても構わんぞ。いきなり環境が変わるのも、舞凪ちゃんと離れるのもどうかと思うしな」
「舞凪……」
舞凪のことは、昔から本当の妹のように可愛がってきた。離れるのも憚られるのは必然的だ。
だが、新太郎が出した答えはその思いと相容れないものだった。
「いや、俺も行こっかな。舞凪は……アイツには真に幸せになってほしいからさ、兄として好きな俺とじゃない誰かと幸せになるべきだと思ってる。それに、この変な関係もそろそろ終わらせないとなって思ってたし」
「とりあえず、舞凪ちゃんと話し合って決めた方がいい気がするわねー」
「ん……そう、かな。やっぱ、よく考えてから決めるわ」
「ウム。それがいい。まだ時間はあるのだしな」
今日の天気は快晴だ。窓から差し込む陽光は、冷え切った心を温めるのに適している。されども新太郎と、ドア越しに話を聞いていた人物の内心は曇り模様であった。
忘れ物を取りに戻ってきた舞凪が、この話を聞いてしまっていたのだ。その紫色の瞳は震え、顔は青く青く染まっている。
(え、おにぃが引っ越し……? やだ……いやだいやだいやだ! 何が「真に幸せになってほしいから」だよっ! おにぃと付き合えたら解決するんだっての~‼
でも、まだ引っ越すって決まったわけじゃない。こうなったら、私にベタ惚れになってもらって引き留めるしかない。今までの速度じゃダメ、もっとぐいぐい迫るんだッ‼)
舞凪は自分の両頬をぺちんと叩き、決意の焔を瞳に宿した。
# # #
「「行ってきまーす」」
朝食を食べ終え、制服に着替えた新太郎と舞凪は家を後にして高校へと歩みを進める。
心のなかで暴れまわる情報を抱えながらも、二人は涼しい顔をして談笑をしていた。
だが一つ、相違点が生じる。
「それでさぁ〜? ――っとと。……おにぃ?」
「……なんだ?」
「なんで腕組もうとしたら避けたの?」
「……いや、暑いだろ?」
腕を組んでの登校がデフォルトなのだが、舞凪が腕に抱きつこうと手を伸ばすと新太郎は軽やかに避けた。
フグのように膨らんだ彼女の頬には知らぬが仏。触らぬ偽妹に面倒事なし。
それを貫こうとしたのだが、舞凪も新太郎の事情など壊してなんぼ。彼の背中に飛び乗り、コアラのようにしがみついて離れようとしない。
「ちょ、おまッ……! お弁当が潰れちゃうでしょうがァァァ‼」
「おにぃの怒るとこそこなんだねぇ……。じゃあリュックを前にしてよ。さもなくば貴様の弁当を圧死させてやる!」
「くっ、人質とは卑怯なやつめ。はぁ、わかったよ。今日だけだかんな」
「にっひひ~。おにぃ大好きだぜ!」
「はいはい。いつもの大好き宣言助かるゥ~~」
うわべだけの言葉を吐き、舞凪を背負って足を動かす。
(やれやれ、私の「好き」は安売りじゃないんだけどなぁ……。察しろって言っても無駄なのかもしんないけど、気づいてよ、ばーか)
下がった眉に上がる湿度。舞凪はそのまま、新太郎に抱き着く力を強めた。
どれだけ「好き」を伝えたとて、それは「妹として」に変換されてしまう。さらに、兄好きからの脱却のため、引っ越しする意思が強まる可能性もある。
舞凪の内心は曇るばかりであった。
そのままおんぶの登校を済まし、教室まで到着する。クラスメイトは嫉妬や怨嗟の視線を飛ばすことなく、孫でも見ているかのような暖かい視線が二人に集中していた。
その後、授業中は席が離れているため舞凪のぐいぐい作戦が欠航されることなく、昼休憩まで時間が進む。
「……おい舞凪」
「ん~? どしたのおにぃ」
「食べずらいんだが」
昼下がり、各々がグループを形成して集まり、弁当を囲んで雑談に花を咲かせる時間帯。
窓側の最後尾の席、俗に言う主人公席で二人はゼロ距離で会話をしている。
「可愛い可愛い妹ちゃんのデデンデンデ臀部を堪能しているくせに、贅沢なやっちゃのう!」
「ケツよりメシを堪能させてくれ」
兄妹二人で弁当を食べるのはいつものことだが、新太郎の膝の上に鎮座して彼の弁当を邪魔していた。
平静を装っている二人であるが、胸がはちきれんばかりに心臓のビートが刻んでいる。特に、新太郎は下半身に集まろうとする血を別の場所に移すのに意識を集中させていて汗が噴き出ていた。
「私はもう弁当食べ終わってるし、なんなら食べさせてあげよっか!」
「いらん、マジにどけ」
「も~、おにぃったらそんなに怒んないでよ~。ほら、お菓子あげるから。んー、ふぉいおーぞ」
棒状のお菓子を口に咥えながら新太郎の肩にもたれ掛かり、彼の顔にその先端を向けて待機する。
新太郎は一瞬瞠目したが、すぐに目線を逸らして宥めるように舞凪に語りかけた。
「あのなぁ、こんなん仲の良い兄妹でもしねぇんじゃねぇの? 揶揄って反応を楽しむのも大概にしてくれ。大体人目もあるし――」
「うっしゃい。んっ」
「は――」
ガシッと新太郎の後頭部を掴み、引き寄せる。
唇同士が接触……することはなかったが、一つの菓子を二人で咥えるという状況になっていた。
液体にリトマス紙を浸したように、一瞬にして新太郎の顔は赤く染まる。パキッと菓子を噛んで折り、顔を離した。
「ばっ……何してんだお前! いきなりこんなこと……!」
「大丈夫、誰も見てなかったよ」
「そういう問題じゃあねぇ。はぁ、俺はこんな危険なお遊びを平然とするお前が怖いぞ……」
「お遊びに……平然と、ねぇ。ふ〜〜ん」
舞凪は体を90度回転させ、窓へと顔を合わせる。
そのまま新太郎の左腕をつかんで――自分の胸を手のひらで掴ませた。
「なぁッ⁉」
「ね、ねぇ、おにぃ聞こえる? 私の心臓の音。まったくもって平然としてないし、これはお遊びじゃない。本気、なんだよ」
「ど、どういうことかわけわかんねぇって!」
全身に血を巡らせるだけとは到底思えない、激しい鼓動が胸越しの手のひらから伝わってきている。
舞凪は俯いていて顔がよく見えないが、真っ赤な耳と消え入りそうな声が彼女の心情を物語っていた。
「兄に自分のおっぱいを触らせる妹とか、普通にライン超えだし度が過ぎてる。でも、さ。私がそうまでしてなりたい関係、本当にわかんない……?」
「ぐッ……!」
舞凪の潤んだ瞳による上目遣いの破壊力は、効果抜群である。
(な、なんなんだ舞凪のやつ! 今日ヘンだぞ⁉ いつにもましてぐいぐい迫ってきやがる……!
「わかんないか」って言われても……変な勘違いしちまうぞオイ‼)
幸いにも舞凪が窓に体を向けているため、新太郎が彼女の胸を鷲掴みにしている光景は目撃されていない。
だが、新太郎の慌てふためく反応と、教室に集まりだすクラスメイトらによって見つかるのも時間の問題である。
「おにぃ、私たちは血が繋がってないし、義理でもなんでもないからさ、な~んにも気にせずにイロイロなことできるよ。その……えっちなことも……?」
「ゔッ、た、確かに……?」
「にひっ、しかも今ならおにぃ好き好きブラコンぷれぇだってできちゃうね。超合法ブラコン妹(偽)なんてもう一生涯現れないかもよ~? お・に・ぃ♡」
「う、うぅ……。お、おれは……っ!」
その左手が触れているモノを今すぐに揉みしだきたい。ハリガネムシに寄生されたカマキリのように、新太郎の脳内は胸の海にダイブして溺れたいという欲求一色であった。
彼は最後の理性を振り絞り、スポーンと舞凪を宙に投げて危機を脱する。
「ちくしょう! おぼえてろよーーっ‼」
「んなっ⁉ おにぃが雑魚敵みたいな捨て台詞吐いて逃げた!」
若干前屈みになりつつ、新太郎は脱兎のごとくこの教室を後にした。
「むぅ、せっかく触らせてあげたのに。……でもやりすぎたかもナ~~! いや、おにぃのコレクションはこーゆーの多かった気がするし大丈夫、なはず……」
舞凪はつい数秒前まで異性に触れられていた自分の左胸に手を添え、バクバクと鳴りやまない鼓動を鎮めようとする。
息を整えて落ち着いてきた頃には、もうすぐに授業が始まる時間帯であった。そんな時、新太郎ではない人物に話しかけられる。
「舞凪ちゃん、ちょっといいかな」
「ん? え~っと……ごめん、君誰だっけ」
「あはは、C組のクラスの五十嵐だよ」
キラキラとしたエフェクトを纏う美少年こと五十嵐という生徒。
歩けば黄色い声援があがりそうなほど煌めいている。舞凪からしたら「天気いい時に舞うハウスダストか?」と内心思っているが、口にしない。
「放課後、大事な話がある。少し僕に時間をくれないかな」
「え~? めんどっちーなー。ここじゃダメ?」
「ああ、二人っきりがいい」
「はぁあ。手短ならいいよ。私、今おにぃのことで忙しーの」
「……そう」
五十嵐の瞳が一瞬陰るが、キーンコーンカーンコーンというチャイムでその瞳に光が帰る。
「じゃ、授業後にね」と言い残し、彼はこの教室から立ち去った。新太郎とは正反対の落ち着いた言動である。舞凪は仮面を被ってにこやかに手を振ったが、瞳の奥では道端の小石を見ているようだった。
カツカツと廊下を歩く五十嵐は、トイレから出てくる新太郎を前にギロリと睨みを利かせる。
(日夏新太郎……。――苗字が同じだけの偽の兄が。僕が今日、確実に彼女を取り返して見せる)
# # #
授業が全て終わり、陽も傾き始めて世界が朱色に染まり始める刻。
部活に行きたいがため、いち早く家に帰りたいがため。各々が目的のため、授業後の掃除に勤しんでいた。
しかし一人、その掃除に集中できていない人物もいる。
(はぁーー……。今日はいろんなことあって疲れた。父さんが転勤するって言うわ、舞凪もめっちゃぐいぐい迫ってくるわ……。そうだな、今日の帰りは舞凪の猛攻も怖いし、一人で帰っか)
心ここにあらずとはまさにこのことで、一向に床の埃どもは新太郎が持つホウキの餌食になることはなかった。
掃除が終わったらバッグを瞬時に手に取り、生徒の間をするすると通り抜けて下駄箱に到着する。
「――ねぇねぇ聞いた? 舞凪ちゃんのこと」
いつもなら反応しない場面でビクッと肩を揺らし、近くで談笑をしていた女子生徒の話が嫌にでも新太郎の耳に入り込んできた。
「C組の五十嵐くんが告白するんでしょ⁉ はあ、日夏さんって可愛いし仕方ないよねー。私も五十嵐くんと付き合いたいよー」
「でも舞凪ちゃんってブラコンだけど、そこんとこどうなんだろ?」
「別に兄が好きでも付き合うでしょ。兄は兄で好き、好きピは好きピで好きって」
「そうかもね~。でもあのシスコン兄のことだから面倒くさくなりそ~」
「あはっ! わかるかも。告白してるとこ見たいけど、みんな見つけられてないみたいだから残念」
時間でも止められたように、新太郎は手をかけた靴を掴んでピクリとも動いていなかった。
一寸先も見られないような、そんな靄が心中で彼は揺蕩っている。
そして、靴に履き替えることなく踵を返し、元来た道を歩み始めた。
「いや、いやいやいや……。ただ忘れもん取りに戻るだけだし。大体、ここで舞凪に彼氏できたら何の悔いもなく引っ越せるじゃん? 焦る必要なんかないだろ。いや、焦ってねぇし。……焦ってねぇし!(二回目)」
誰も聞いていないのにつらつらと言い訳を唱える。
焦ってない人とは思えない冷や汗と早歩きで、校舎内を移動していた。
(五十嵐ってやつが告白する噂が流れてんのに誰も見つけられていないのなら、それは普通は入れない場所にいる可能性が高い。となると……)
〝開かずの空き教室〟。そう呼ばれている教室が一つあるが、実際には職員室で良さげな建前を語ればそのカギがもらえる場だ。
その事実に気が付いていない生徒が大多数のため、その教室に寄る生徒は限りなく少ない。
「――ビンゴ」
その空き教室前までやってきた新太郎は一言、そう呟いた。
中には舞凪と五十嵐が立っており、神妙な雰囲気が漂っている。そして、ベストタイミングで五十嵐が口を開いた。
「舞凪ちゃん、ずっと前から君のことが好きだったんだ。僕と付き合ってほしい」
「ッ……」
人知れず、新太郎は下唇を噛んだ。しかし、次の瞬間には下唇が解放された。
「ごめんね。君とは付き合えない。私、好きな人がいるから」
「……好きな人、か。それはお兄さんである日夏新太郎のことだったりするのかな。でも僕は知っているよ。君たちが本当の兄妹じゃあないってことをさ。こんな恥ずかしいこと言いふらされたくないよね? だから――」
「だから、何? 『言いふらされたくなかったら大人しく付き合え』ってんならどんまい。ふつーにノーダメだし。
ってかさぁ、君……いや、お前――小学校の頃私たちに『結婚結婚』言ってた悪ガキだよね。苗字とか変わってて今気づいたよ。今更私に何の用かと思ったら……」
「ッ⁉」
飄々とした面に焦りが見え、拳に力が入り始めている。
そのまま立ち去ろうとする舞凪の手首を掴み、振られたものか、プライドが傷つけられたからか、怒りの表情で彼女に迫る。
「わざわざ他に誰もいない二人っきりで、機会を伺っていたのはなぜだと思う。君を必ず、誰にも邪魔されずに僕の物にするためだ……‼ あの新太郎とかいうやつにブラコンにされた君を救い出すためにだ‼」
「……勘違いも甚だしいな~。けど、失敗だよ。――うちのおにぃは、ドが付くほどのシスコンだぜぃ」
鍵はご丁寧に閉まっている。ので、新太郎は廊下側の窓ガラスをぶち破って中に入った。
「なッ、なんでここに⁉」
「遅いよ、おにぃ」
(あー……最ッッ低な野郎だよ。五十嵐はもちろん、俺も)
バキッと音を立てて、五十嵐の頬に拳を炸裂させる。
たまらず舞凪の手首を掴んでいる手を離し、床に倒れた。
「新太郎……お、お前ぇ! 昔も、今も! 重要なところで邪魔しやがって‼」
「動画もちゃんと撮ったぜ。これで俺が一方的に殴ったって事態にはできないぞ」
新太郎に抱き着く舞凪を一瞥した後、「クソッ!」と言い放ってこの空き教室を立ち去る。
一息吐き、痛めた拳をもう片方の手でさする。すると、抱き着いていた舞凪がその力をさらに強めてきた。言葉には発していないが、逃がさんと言っているに等しいほどに。
「おにぃ、先に帰ろうとしたよね?」
「んッ⁉ な、ナンノコトダカ……」
「にひひ、嘘。助けてくれありがと、大好きだよおにぃ」
「……いや、俺は、そんな褒められた人間じゃねぇよ。さっきだって、『五十嵐が糞野郎で良かった』って思っちゃったし……」
「えっ?」
舞凪は目をパチパチとさせ、自然と吊り上がった口角を見せつけながら一言。
「それって、私が取られたくなかったから……ってこと?」
「そ、それは……」
今、無理やり逃げることはできない。のなら、今全てを話してしまおう。
新太郎は「ふぅ」と一息吐いて、重い口を開ける。
「父さんの転勤が決まってさ、俺も引っ越すかもしれないんだわ」
「……うん」
「舞凪、お前のことは一番大事に思ってる。偽の妹として一緒に育ってきたが、ブラコンのままだとよくないと思った。だから、俺もお前から離れるために引っ越そっかなって……」
「そっか」
新太郎の告白に全く動揺した様子はなく、声も震えていない。ただ、彼に抱きつく力が強まっていて、納得はしていないのが明らかだ。
最後までこの感情隠し通せるとも思えない。そう悟った新太郎は、心の奥底に沈殿していた気持ちを吐露する。
「お前は俺のことを兄として慕ってくれているが、俺は最低なんだ。そんな気持ちを利用して、お前の隣をキープし続けてたんだから。
舞凪、俺はお前のことを一人の女性として好きになっちまったんだ。だからもうこの関係は――」
「ちょ、ちょっと待って。えっ、おにぃも兄妹としてじゃなくって好きなの⁉」
「ハイ? おにぃもって、どういうことだ……?」
一世一代の告白だと思われたが、その緊張した雰囲気は一瞬にして霧散した。
「いや、私もおにぃのこと兄としてじゃなくてもふつーに好きだけど」
「……あれぇ? でも昔に結婚してるって間違われたくなくて妹演じてたよな?」
「それは昔の話でしょーが! 兄としてだけじゃなくても好きになるにきまってるでしょーが~~‼」
今まで必死に頭を抱えて悩んでいたのは何だったのだろうか。互いに素直になっていたらこんなこじれることはなかったのでは?
そんな考えが過る二人。
「えーっと。じゃあ、その付き合、う……?」
「な~んで疑問形なのさ。……付き合うけどさぁ!」
「こんなあっさりと……。まぁ付き合うんだったら離れる必要もないわな」
ムードのムの字もない告白が成功した二人は、斜陽が差し込む教室内で笑い合う。
そして、舞凪が制服のネクタイを掴み、今度は唇同士をくっつけての接吻をした。
「あ、あのなぁ! いきなりはびっくりしちゃうでしょーが‼」
「にひひっ! これから偽兄妹でありながらのカップルなんだし慣れろよナ~♡ インモラル兄妹カップル爆誕だぜぃ‼」
「俺たちは超合法兄妹だろがい」
「そだよね~~」
曇っていた二人に心は晴れて、恋仲となった舞凪は一言。満面の笑みに目尻にうれし涙を浮かべながら言い放った。
「大好きだよ、おにぃ」
「……俺も、好きだぞ。舞凪」
その「大好き」は、偽の兄としてではなく一人の異性としての大好きとして、ようやく彼のもとへと届いた。