開錠
あんな生活にはもう戻りたくない。
その一心で、気付いたら僕は近くの廃鉱山の前に居た。
ドールだった頃に聞いた話だと、ここはガス漏れ事故で閉山したらしい。なんでも、吸うと眠る様に死んでしまうんだとか。
完璧。
このまま此処に入れば、僕は…
「おい。死ぬくれーならうちで働かねえか?」
後ろから声がしてきた。
振り返ってみると、人が居た。
50代半ばくらいの男だ。
長くぱさついた茶髪。無精ひげに、よれた革製の服。
一見すると浮浪者にも見えるけれど、よく見ると服も靴も綺麗で、そして良い匂いがする。
「貴方は…?」
「城下町…て言っていいのかは知らねえが、とりあえずそこの下町で酒場をやってる。此処に入って来る奴が店から見えたんで来た。」
「そうですか。でも僕はもう…人間ですら…」
後頭部から尾てい骨までかけて、背骨に沿う様に埋め込まれた機械を軽く触る。
「…生き物ですら無いんです…だからどうか…」
「その背中の奴が気になるなら取ってやるぞ」
「…え?」
「確かドールとか言うんだよな。俺の知り合いに、お前みたいな奴を診た外科医が居るんだ。それに安心しな。ドールはもう過去の産物だ。今更お前を捕まえた所で、"帝国の黒い悪魔"なんざ作り直せねえよ。」
「………」
身元はもうバレている。
にもかかわらず僕はまだ自由だ。
この人を、信用しても良いのだろうか。
「…仕事って…?」
「踊り子だ」
………
「これはひどいですねぇ…もう元の人間の部位の方が少ないんじゃないんですか?」
「で、治せそうなのか?」
「とりあえず脳と脊髄にくっついてる通信系は丸ごと取れますが、それ以上となると小汚ないバーのバックヤードでできる仕事じゃなくなりますね。」
おじさんが紹介してくれたのはエルフの医師だった。
エルフと帝国は犬猿の仲で知られるので、そこは安心。
だけど…
「…ねえ、脊髄と脳ってすごく大事な場所じゃ…」
「だからこそですよ。下手に弄ったらダメなのは向こうも理解してるので、丸ごと取り換えられたりしてる他とは違って、この辺は基本軽くっついてるだけなんです。さて、話も済みましたし始めましょう。」
「え…本当にやるんだ…」
此処はおじさんのバーのワインセラー。
普通にお酒とか造っている場所だ。こんなところで外科手術をしても大丈夫なのだろうか。菌とか…
「そうそう。床に座って。猫背気味にして、そのまま動かないでください。一応麻酔はかけますが、何分手作りな物なので、効果はあまり期待しないで下さいよ。」
湿った綿が、背中と首筋の上を滑る。
最初は冷たかったけど、だんだんぽわぽわ暖かくなって、次第に何も感じなくなっていく。
「終わるまで暇だろ。とりあえず自己紹介でもしようぜ」
僕の目の前におじさんが座る。
「あの…」
「あ?」
「今…上何もないので…あんまり見ないでほしい…です…」
「あ…?のぁ!?」
今頃気付いたのか、おじさんは凄い勢いでそっぽを向いた。
「わ…悪い…なんかこう…なんだ。慣れと言うかなんというか…」
「ふ。冗談ですよ。最初から気にしてなんていません」
「んだよお前。大人しそうに見えて結構言うじゃねえか。」
おじさんがくるっと向き直る。
何というか、意地の様な物を感じる眼差しだ。
「おほん。んじゃ改めて。俺の名前はジッド。元は放浪の傭兵だったが、40過ぎた辺りで衰えを感じてな。今は此処で酒場をやってる。これでも、この下町じゃ有名人で情報通でもあるんだぜ?情報を拾う事もできれば、隠す事も出来るんだ。」
「僕の素性がバレると、お酒どころじゃなくなっちゃうからですか?」
「まそうだな。んじゃ次はお前の番だ。死の剣翼、機鎧の機兵、冷酷の黒騎士、その正体を教えてくれよ。」
二つ名が付くのは名誉の証って聞いたけど、こんな事で付いてもちっとも嬉しく無いな。
「僕の名前はジルって言います。その、宜しくお願いします?」
「それだけか?もっと他にないのか?」
「他に…て言っても、村で暮らしていたら略奪にあって、その時に誘拐されてドールにされただけですから…特に何も…」
そうこうしているうちに、ガチャリと言う音と共に、僕に埋まっていた中で一番大きな機械が取れた。
「まだ動かないでください。今傷を縫い合わせますので」
「ジッドさん。彼は無償なんですか?」
「まさか。俺が持ってるぜ。勿論お前の給料の前払いでな。」
「そう言う事ですか…」
でもまあ、人殺しよりは遥かにましだ。
「分かりました。ここで働きます。」
そこでちょうど、背中に感じる違和感が無くなった。
「ふう。終わりましたよ。暫くすると痛みが出てくるかもしれませんので、暫しは安静にしていてください。糸は自然に消えますし、その頃には傷跡も殆ど消えると思います。」
「ありがとうございます。もしかして、僕以外にもドールの人を治したんですか?」
「ええ。ですが貴女の様に一度完全にドールになってしまった方は初めてですね。今まで私の元までやってこれたのは、運よく自力で逃げ出せた者だけでしたで。」
逃げ出す…
まだ自由だった頃は何回も試したっけ。
そのたびに身体改造を進められて、最後は動けなくなってしまったんだけど。
「そうだ。これを」
「?」
医者は僕にハンマーを差し出し、床に転がっている機械を指さす。
「見て下さい。幾つもの細かい部品が蜘蛛足の様に伸びていて、まるで飴細工みたいでしょう。」
「ええ、そうですね、」
彼の意図している事が分かった。
僕は思い切りハンマーを振り上げると、忌々しい枷に向かって振り下ろした。
ガラスの割れるような音と共に、それは木っ端微塵に粉砕される。
凄く、気持ちが良かった。
◇◇◇
「きゅ…923、機体反応消失しました。」
帝都からの帰りの飛空艇の中。
そんな知らせが、中央船内にこだました。
「おのれぇ…おのれええええええ!!!」
「将軍殿、お気を確かに!」
「黙れ!黙れ黙れ黙れ!クソ…畜生!何故彼女を置き去りにしたのだ!帝府は一体何を考えているのだ!!!」
我々の所属する第七駐屯城は、923の威力に縋ってばかりの停滞した戦力しか持たなかった。
故に、時間稼ぎの名目で勇者に923を処分させるのが狙いだったのだろう。
将軍以外は皆そう察していたが、誰もそれを口にはしなかった。
「見えてきました。第七駐屯城です。…案の定ドワーフの旗が靡いていますね。」
「構わん…彼女を奪ったつけは必ず払わせる!」
相手が勇者であるならば、こちらも同等の戦力をぶつけるまでだ。
◇◇◇
同じく中央飛空艇。
ひときわ大きな接待室に、七人の男女が控えていた。
「…でーそろそろ突っ込んで良いかな?」
茶髪の軽薄そうな男が、最初に口を開いた。
「なんで七聖帝剣全員が集められてるんだっけ。」
その問いに応答したのは、髪を後ろで縛った赤髪の女。
「第七駐屯城の後始末よ。勇者が出たとあれば、帝府も見て見ぬふりはできなかったみたいね。」
緑髪の、山の様に大きな男も口を開く。
「だとしてもだ。たかが勇者一人にこりゃ過剰戦力じゃねえのか?」
「それでいいのよ。勇者は諸国群の主要戦力だし、量産も効かない。此処で潰しておくことに意味があるのよ。」
「つってもなぁ…」
「それだけ帝国の通常兵器が発展した証なのだ。俺達が全員留守でも十分防衛できるくらいにはな。」
割って入ってきたのは、今まで黙っていた青髪の男だった。
「強力だが慢性的に枯渇する魔法資源の時代は終わりを迎え、帝国は既に火薬と電気の時代に足を踏み入れた。かつては未開の神秘として扱われていた鋼の勇者の機構にさえ、我らが帝国の文明レベルは届こうとしているのだ。自然との調和とやらを謡い、いつまでも剣と魔法、そして勇者に頼る旧時代の文明とはわけが違う。」
やがて、彼らの部屋からでも窓の外に目的地が見え始める。
「行くぞ。石器時代から何も変わろうとしないドワーフ共に、文明と言う物を叩き付けに行こうか」