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ユーカリュオンの戴冠者  作者: おやゆび男爵
断章:語られざる記
31/38

胎内の語り アシェメルの司祭

エグいのができました。苦手な方はご注意を。

- 1―《語りの訪れ》



語りとは、誰かに伝えるものではない。

それは、誰かに訪れるものだ。

――語りの御方ナスレスクの残したとされる断章より


* * *




アシェメル神聖国。

白壁と祈りに満ちたその都市の外れに、ひとつの診療所があった。


司祭にして医師――セシル・ヴェラストが営む、清潔で簡素な場所だった。

彼は長らく、祈りと医学のあいだに身を置いてきた。

病とは神の試練であり、癒しとは語りの一節。

そう信じ、患者を診ながら、日々祈りを重ねていた。


そんなある日のことだった。

診療所の扉が、小さな音を立てて開いた。

誰かが来た――そう思って目を向けたセシルは、すぐに声を失った。

そこに立っていたのは、ひとりの子どもだった。


年のころは八つか九つ。

だが、何かがおかしかった。

――汚れていない。

――まるで風のように静か。

――瞳が、あまりに深すぎる。


「こんにちは、先生。ぼく、すこしだけ喉が痛くて」

そう言って笑った少年は、どこか芝居がかった無邪気さをまとっていた。

セシルは、数秒遅れて返事をした。

「……ようこそ。診療は、無料ではありませんよ」


少年はうれしそうに笑った。

「うん、知ってる。でも、ぼくは何も払えないんだ」

「ならば、何を求めて?」


「先生と、話がしたいのさ」


その瞬間、セシルは直感した。

この子は“患者”ではない。

そして、人でもない。



「……お名前を伺っても?」


少年は、指先で鼻の下をこすった。

「……だめだよ。それを言っちゃうと、みんな信じてくれなくなるから。

でも、先生になら少しだけヒントをあげるのさ」

セシルは、冷たい汗を背に感じながら、静かにうなずいた。


「どうぞ」


少年は囁くように言った。

「”語り”とは、どこから来て、どこへ行くのか、考えたことあるかい?」

「人は、なぜ語るんだと思う?」

その声には、確かに“響き”があった。


それはどんな聖句よりも深く、

どんな医術書よりも真っ直ぐに、

セシルの胸を貫いていた。


「……あなた様は……」

言いかけた言葉を、少年は手で制した。


「黙ってて。

僕がここに来てるってことは、誰にも話してはいけないのさ。

先生だけが覚えてれば、それでいいのさ」


そう言って、木の実のような笑顔を浮かべた。

その日の診療時間、セシルは一人も患者を受けなかった。


その代わり、少年と――

語りの御方ナスレスクと、夜まで話をしていた。






- 2―《語り遊ぶ七日》



語りは答えを与えない。

語りは、問いの形をして訪れる。


――語りの御方ナスレスクの残したとされる断章より


* * *




ナスレスクの訪れは、あの日だけではなかった。

翌日も、その次の日も、

あの子どもの姿で、静かに扉を開けてやってきた。


「こんにちは、先生

今日の話題は、“ことば”にしようよ」


セシルは、そのひとつひとつを宝石のように受け取った。

ノートを取り、思索し、時には反論し、時には沈黙で応えた。

一介の医師であり、司祭でもある自分に、

この神が――語りの御方が、なぜこのような時間をくれるのか。

その理由は、まったくわからなかった。


けれど、幸せだった。

確かな“語りの中心”に触れているという実感があった。



五日目、少年の姿をしたナスレスクは、診療台の上に寝転びながら言った。

「語りはね、未来にもなるんだよ。

でも未来が先にあると、語れないのさ。不思議でしょ」


「……つまり、未来は語れないのではなく、“語られたものしか未来にならない”と?」

「うん、そう。そういう考え方も、まあ……悪くないよ」

「それが“預言”の正体ですか?」


「ううん、預言はもっとつまんない。

だって、起きることを言うだけさ。

語りは、起きる前に起きて、終わった後にも残るんだよ」


セシルは、息を呑んだ。

語りとは、ただの記録ではない。

それは、世界のあり方を変える、神の余白なのだ。



七日目。


ナスレスクは、いつもより遅くに現れた。

小雨の降る黄昏、濡れた足で扉をくぐり、微笑んだ。

「ねえ、先生。今日は最後の話なんだ」

「最後……?」


「うん。ぼくは、もう来ないよ。

でも、先生には宿題をあげるのさ。ちゃんと、答えてね?」


セシルは戸惑いながら、ナスレスクの言葉を待った。

その声は、確かに語りの始まりを告げる響きを持っていた。



「人は、いつから人であるのか」

「そして、いつから語り始めるのか」



セシルは、口を開きかけたが、声が出なかった。

ナスレスクは、首を傾げて笑った。


「じゃあね。先生。

また“語りのなか”で会えるかもね」

そして、そのまま扉の外へ出ていき――

次の日から、本当に二度と現れなかった。


セシルは、その夜、机に手帳を開いた。

そして、ゆっくりと問いを写した。


「人はいつから人であるのか」

「いつから語り始めるのか」


灯火の揺れる部屋の中で、司祭は静かに息をついた。

それは、信仰を深める祈りではなかった。

それは、神を呼び戻すための、研究の始まりだった。


ナスレスクの問いを追いかけ、医師は神学と医学の狭間を踏み越えて

静かな狂気と、それを支える確信――“語り”への献身が、いよいよ始まる。





- 3―《神秘への渇望》



人は、語る前にまず“観る”。

そして、語るために“裂く”。

神は裂かれぬが、語られる者は裂かれ続ける。


 ――語りの御方 ナスレスクの言葉(とされる断章)


* * *




ナスレスクが診療所に姿を見せなくなってから、十日が過ぎた。

セシル・ヴェラストは、変わらぬ祈りと診療の毎日を過ごしていた。


外から見れば、変化はなかった。

だが、内側は焦げついていた。

あの問いが、祈りのたびに浮かぶ。


「人は、いつから人であるのか」

「いつから語り始めるのか」


思索では届かない。

神学書も、経典も、聖句も、すべてが観念でしかなかった。

“いつから”――それは時の問題だ。

“語る”――それは意志と構造の問題だ。


セシルは気づいてしまっていた。


それを知るには、“見る”しかないのだと。



最初は偶然だった。

ある日、若い妊婦が診療所を訪れた。

つわりが重く、貧血もあるという。

臨月にはまだ早い。


セシルは、彼女の肚に手を置き、目を閉じた。

その瞬間、なぜか、内側を“見たい”という衝動が湧き上がった。


人は、胎内にあるとき、まだ語らない。

では、語りを始めるのは、どの段階か?

それは、脳か、声帯か、心か。


神の問いに答えるため、彼は――解剖を行った。


* * *


自身でも、その行為が何を意味するか、理解していた。

だが止められなかった。


肉を開き、血を受け止め、子を取り出した。

未熟だった。指も顔も形を成しきっていなかった。

小さなかたまりが、冷たい空気にさらされた。


「……まだ、“人”ではない」


そう呟き、彼は記録帳に書きつけた。

・胎児、八十二日目。

・発声構造未形成。

・語りの徴候なし。

・反応なし。

→観察不能。死亡。


そして、次が始まった。


二度、三度――


妊婦は“診察”中に容体を崩し、いずれも命を落とした。

だがセシルの手帳は増え続けた。

彼にとって、それは神と再び語るための捧げものだった。


* * *


聖堂内では、彼の噂が流れ始めていた。


「診療所で子が死ぬ」「母体も助からない」「あの医師は何かしている」


だが、セシルは堂々と語った。

「私は信仰の名のもとに、語りの真理を探っております。

我が行いは、ナスレスク様の御名を汚すものではありません」


それは嘘ではなかった。

彼の中では、ナスレスクへの愛と信仰が、すべてを正当化していた。

彼は神の語りの続きを求めていた。

あの声を、もう一度聞くために。

そして、その声を取り戻す手段は、次第に限られたものとなっていった。


「人族の身体では弱すぎる。

神の問いに応えられるのは……もっと、強い種族でなければ」


信頼、裏切り、そして信仰の名のもとに踏み越える最後の一線。

ナスレスクの問いに囚われた医師が、その手を伸ばした先に待っていたものは――






- 4―《診察》



語りは、血の中に宿るものではない。

けれど、血の果てにしか現れない語りもある。


――語りの御方 ナスレスクの言葉(とされる断章)


* * *




その妊婦が診療所を訪れたのは、偶然ではなかった。

彼女の夫――ジェラン・アラヴェスは、セシルと同じアシェメルの司祭であり、竜人族だった。


信仰深く、誠実な男だった。

そして、竜人族としては珍しく、学術的な教養にも秀でていた。


「……妻が初めての子を授かりました」

「身体の構造が人族と少し異なるので、もしやと思い……」

「セシル司祭の腕を、お借りできればと」


セシルは微笑んだ。

それは、柔らかく、どこまでも丁寧な微笑だった。

「もちろんです。

ナスレスク様の御手に導かれるよう、お手伝いさせていただきます」


嘘は、ひとつもなかった。

ただその信仰が、神のものではなく、自分だけの語りに向いていただけだった。



妊婦の名はメリア。

竜人族にしては小柄で、穏やかな気質の女性だった。


診察は、祈りから始まった。

語りの御方の聖句を唱え、祝福の言葉をかけ、静かに肚に手を置く。


「……これは、神の語りを観察するための行為です」

「何も恐れることはありません。語りは、すでに貴女の内にあるのですから」

その言葉に、メリアは安心したように目を閉じた。


診察は、数度に分けて行われた。

セシルは丁寧に記録を取り、呼吸、体温、脈動、そして“語りの徴候”を探った。


「語りはまだ起きていない」

「この胎の内で、語りが生まれる瞬間を、私は見たい」

「見届けなければならない。これは――試練なのだ」


やがて、“その時”が来た。

セシルは、何の前触れもなく、解剖を行った。

出血とともに、メリアの悲鳴が響いた。


* * *


その頃、ジェラン・アラヴェスは聖堂の小仕事を終え、束の間の昼休みに入っていた。

普段はひとりで静かに過ごす時間だが、その日は違った。


「たまには、メリアと一緒に昼を食べるのも悪くないな」

そう思い立ち、彼は歩を診療所の方へ向けた。

陽は高く、白壁の影がゆらゆらと足元に伸びていた。


診療所が見えてきたそのときだった。


――「やめて……!」――

耳を裂くような悲鳴が、扉の向こうから響いた。

まぎれもなく、メリアの声だった。


「メリア……?」

ジェランの表情が凍りついた。

そして、――彼は剣も持たずに走り出し、

診療所の扉を蹴り破るように押し開けた。






- 5―《胎内の沈黙》



語りは、必ずしも書き記されるものではない。

語られず、忘れられたものにこそ、語りの骨格は宿る。


 ――語りの御方 ナスレスクの言葉(とされる断章)


* * *




診療所の扉が破られる音が、壁の薬瓶を震わせた。

「メリア……!」

声とともに飛び込んできたのは、竜人族の司祭――ジェランだった。


目に飛び込んだのは、血まみれの床、裂かれた寝台、

そして――

床には血が流れ、まだ浅く呼吸するメリアがくずおれていた。

その腹部には、あまりに無慈悲な裂傷。

声も出せず、ただ涙が頬を伝っていた。


傍らには、何事かを呟きながら手記に文字を走らせるセシルの姿があった。

「……まだ、語りの徴候は……」


「セシル――!!」

怒号とともに、ジェランの拳が振り下ろされた。

その瞬間、彼の視界は真紅に染まり――


「……これが……お前の……語りか」

セシルは地に膝をついていた。

殴られ、吐血し、顔は腫れ上がっていた。


だが、瞳だけはどこか晴れやかだった。


「語りとは……血と命の……余白に……」


言いかけた言葉に、ジェランの怒声が重なる。

「黙れ!」

再び拳が振り下ろされ、骨が砕ける音が診療所に響く。

セシルの身体が、崩れるように倒れた。

それでも、まだ息があった。

息が、あったはずだった。



執刀用の鋭利な刃物が刺さったのは、その直後だった。

血に濡れた寝台から、震える腕を伸ばしたのは――メリアだった。


その目は涙に曇り、顔は青ざめていた。

それでも、手は確かだった。


彼女は、夫のかわりに――

わが子を奪った者の命を、その手で終わらせた。

セシルの体が、音もなく崩れた。


「……これで……終わった……の?」


メリアは微かに呟き、そのまま意識を手放した。


その場にいたのは、ふたりきりのはずだった。

だが、すべてを見ていた者がいた。

騎士見習いの少年。

異変に気づき、報告のために駆けつけた若き従士だった。


彼が見たのは――

血に染まった妊婦と、

拳を握ったまま震える竜人族の司祭と、

床に倒れたまま動かぬ医師の姿。


言葉を失いながら、彼は駆け戻っていった。

そして、その夜から、事件は語られ始めた。






- 6―《火に焚べられた記録》



語られた者は裁かれ、

語らなかった者は忘れられる。

だが、語るために殺された者は、

沈黙の中に語りを遺す。


――語りの御方 ナスレスクの言葉(とされる断章)


* * *




診療所に、聖堂からの調査団が訪れたのは、メリアの容態が落ち着いた頃だった。


セシルの部屋からは、十数冊に及ぶ手帳が見つかった。

そこには――


「対象胎児、五十八日」「人の語り、未確認」「声帯、未発達」「死亡」

「語り兆候、なし」「なし」「なし」……

……無数の“なし”が、記されていた。


神の問いに名を借りた冒涜。

祈りの仮面を被った選別と支配の思想。

そして何よりも、語りそのものへの侮辱。


セシルの手記はすべて押収され、調査ののちに焚処の間で焼かれた。

しかしその罪状は、灰にならなかった。


禁忌の診療、信徒の命を弄んだ神への冒涜。

それらは、すべての証言と記録とともに、教会に刻まれた。


そして、語りの果てに問われたのは――殺した者の名だった。

メリアは、すべてを認めた。

「私が殺しました」と。

法に照らせば、司祭殺しは極刑に値する。


その宣告を受けたとき、ジェランは、ゆっくりと立ち上がった。

「待ってくれ。

私も、あいつを殺そうとした。

メリアの行いは、私の怒りがさせたこと。

罪の半分は、私のものだ」


その言葉が、裁定を変えた。

ふたりの罪は“背律”と認定され、

彼らは“背律奴隷”として、教会の監督下に置かれることとなった。


祈りの場を掃き、語りの石を運び、

かつて語ることを奪われた者たちの、遺された物語を墓標に刻む日々。

その名は、記録に残ることはない。


ただ、“かつて沈黙を選ばなかった者たち”として語られるのみ。


* * *


そして、誰もいなくなった焚処の間に、

一本の足跡が残されていた。


子どもの姿をした神が、

燃え尽きた灰を見下ろして、こう呟いた。


「君たちってさ、ほんと……

なんで、最後に僕に祈るんだろうね。」


拾い上げた灰をぱらぱらと落としながら、


ナスレスクは悲しそうに小さく笑った。


その声は誰にも届かず、


灰の中に静かに沈んでいった。

今後も、こういう感じの話をちょくちょく入れますんで。

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