002 神話
この日は、年に一度の感謝祭。
民が神に祈り、恵みに感謝し、命の循環を祝う聖なる日である。
街では早朝から鐘が鳴り響き、各家庭では供物が並べられ、広場には子どもたちの笑い声と、商人たちの活気が満ちていた。
教会の扉は朝から開かれ、訪れる者たちの頬には祈りと祝福の笑みが浮かび、
祭壇の周囲には白百合の花が飾られ、信徒たちの手によって磨かれた聖具が整然と並び、祭壇前には信仰の象徴として黄金の灯火台が輝いている。
神官たちは準備に奔走し、少年聖歌隊は聖歌の旋律を繰り返し練習し、聖堂全体が敬虔な空気に包まれていた。
夕暮れ時、信徒たちは厳かな面持ちで、シュトラーの大聖堂に集った。
大理石の床は蝋燭の明かりを反射し、天井に描かれた天球図が淡く浮かび上がっていた。
鐘の音が四方に響き渡り、街の喧騒が静寂へと沈んでいく。
灯火が揺れる中、石畳を踏みしめて歩む足音がひとつ、荘厳な静寂を割いた。
人々は息をひそめ、祈りの姿勢を整える。
信仰の灯火が胸に宿り、心に静寂と光をもたらす時が訪れたのだった。
やがて、白銀の装束をまとった老司教トゥルパンが講壇へと歩み出る。
その歩みには威厳があり、だが背筋の曲がり方には長年の歳月の重みがあった。
その手には古びた経巻が握られ、開かれるたび、紙の擦れる音が聖域を包み込む。
壁にかかる金糸のタペストリーが風もないのに揺れたようにさえ見えた。
講壇の背後には、ナスレスクの聖印を象った巨大なステンドグラスがあり、夕陽を受けて七色に輝いていた。
司教は顔を上げ、集った者たちを見渡し、静かに、しかし明確に語り始めた。
「──聴け、信徒たちよ。
今日は感謝の祈りを捧げる日。
だがその祈りがどこへ届くのか、なぜ我らが主ナスレスクを讃えるのか。
その意味を、今一度噛み締める時である。
これは、はじまりの物語。
いまだ形なき時代に紡がれし、聖なる記録」
その言葉に、人々は頭を垂れ、子どもたちは母の背に隠れながらも耳を傾けた。
空気が変わったように感じた。
まるで語られる物語が今まさに始まる真実のように。
蝋燭の灯が一層強く揺らぎ、聖堂の空間が深く静まる。
幼子たちですら泣くのを忘れ、言葉に心を委ねていた。
司教の声が堂内にこだまし、神話の物語が重くも荘厳な空気のなかで語られていく。
「はじめに、三柱の神、天の祝福より降りし者あり。
一柱は火を鍛えし御方、名をヴァーンテク
一柱は水と森を司る御方、名をシャーレヌス
一柱は風と空の支配者、名をクラザル
彼らはそれぞれの道を歩みながら、世界を築き給うた。
火は鉄を鍛え、水は命を養い、風は流れを繋ぎ、
世界はやがて、芽吹きを見せ始めたり。
ヴァーンテクは石の肉体を持つ民──石人族を生み給うた。
シャーレヌスは樹より生まれし者──樹人族を育み給うた。
クラザルは空を翔ける鱗の者──竜人族を創造し給うた。
だが……」
司教は一拍置き、悲しげに言葉を続けた。
「世界が乱れ、祈りが忘れられ、三柱の神々は人々に背を向けた。
人は忘れたり。
感謝の祈りを、誓いの言葉を、祖の掟を。」
されば神は退き給う。
火と石の神は嘆きて語り給う。
『鉄を鍛えし我が技、今や争いの刃と化せり』
水と森の神は悲しみて述べ給う。
『森は裂け、泉は穢れ、命の調和は崩れたり』
風と空の神は憐れみて囁き給う。
『風はささやけども、人は耳を閉ざせり』
そして三柱は去り給う。
空の彼方へ、帰らぬ旅路へ。
火と石は、争いを愛する人に無貌の魔を造り給う。
水と森は、魔に繁栄を約束し終わりなき争いを給う。
風と空は、牙と鱗を魔に授け、決して滅ぼしつくせぬ力を与え給う。
このとき、幼き御方、ただ一柱のみ、地に残り給う。
名をナスレスクと讃えよ。
我らが主は、怒らず、嘆かず、沈黙の中に誓いを立て給う。
『兄姉、去りしとも、我は残らん。
命に寄り添い、声を聴き、争いに希望を与えん。
この地を守る、それが我が務めなり』
かくて主は知を授け、秩序を示し、恐れに光を灯し給う。
剣には慈悲を、言葉には真理を、心には希望を。
そして語り給う。
『──我は語りの神なれば』
──かくして唯一神は、我らと共に在り給う。
三柱は「帰らざる神々」と呼ばれ、
その名も姿も、時代の中に消えたり。
彼らの像は崩れ、書は封じられ、声なきものと化した。
いまや神はただひとり、
知恵と慈愛と秩序を司り給う御方──
我らが主ナスレスクを讃えよ。
我らが主ナスレスクに仕えよ。
我らが主ナスレスクの御名を、未来へと受け継ぐべし。
アーメ=レスク。
──説法を終えた司教は、目を伏せた。
そしてそっと言葉を重ねる。
「信徒たちよ──この物語が語るは、神の怒りではなく、残された者の覚悟である。
兄姉を失い、世界が混沌に沈もうとする中で、我らが主ナスレスクは我らを見捨てなかった。
この世の不安と争いのさなかにおいても、主は目をそらさず、声をかけ、道を示して下さる。
その御業は日々の暮らしに現れ、祈りの中に息づいている。
この地に生を受けし赤子は教会へと連れられ、祝福の儀を受ける。
その儀は、命への導きであり、主の御名を耳元で囁かれることで魂と結ばれる大いなる契約なのだ。
かの祝福により、赤子は主の加護を受け、この世界に確かな居場所を得るのだと我らは信じて疑わぬ。
祝福の儀の朝、教会には新たな命を抱えた家族たちが集い、神父が清めの水を額に注ぎ、御名をささやき、祝詞を唱える。
聖歌が響き渡る中、赤子は微笑み、あるいは泣き声を上げながら、初めての祈りに包まれる。
それは神と命との最初の出会いであり、この世界に存在するすべての者が受け入れられ、慈しみをもって迎えられる証となるのだ。
この儀式のあと、家族たちは祭壇の前でろうそくに火を灯し、祈りを捧げる。
その火は家に持ち帰られ、小さな祭壇で燃え、赤子の成長と守護を象徴する光として大切にされる。
だからこそ、我らもまた、見捨ててはならぬ。
隣人を──それはナスレスクという唯一の御方を共に戴く、かけがえなき同胞であるがゆえに──
家族を、街を、自然を。
そして、この恩寵を。
すべての命は主の下に平等であり、慈しみは境界を越えて注がれる。
我らが手を差し伸べるとき、それは主が手を差し伸べているのと等しいのだ。
この感謝祭の日、与えられし命を振り返り、今ある幸福に心から礼を捧げよう。
感謝の灯火を胸に、今日一日を穏やかに過ごすがよい。
すべての命が、我らが主ナスレスクの語りに包まれんことを──」
その言葉が終わると、堂内には沈黙が満ち、ひとつの祈りが胸の奥に灯された。
信徒たちは静かに立ち上がり、互いに目を合わせ、小さく頷いた。
再び鐘が鳴り響き、祭の灯が夜の街を優しく包んでいった。
祈りとともに、新たな一年が始まるのだった。
まだ中学生だった作者はドラッグオンドラグーンのBエンドで完全に性癖がゆがみました。ヨコオタロウめ。