サイル=フォイランの章
語りは眠りに降るものか。
語りは目覚めとともに立ち上がるものか。
それを見極めることこそ、石人の試練なり。
***
サイル=フォイランが最後に夢を見たのは、いつの夜だったろうか。
彼は、もう数ヶ月というもの、眠りに落ちていなかった。
眠れなかったのではない。眠らなかったのだ。
祈るように、怯えるように、彼は意識を保ち続けていた。
夢が現実になるようになったのは、四年前のこと。
最初は些細な兆しだった。見知らぬ場所で珍しい鉱脈を見つける夢。
そして翌朝、夢の通りにつるはしを振るえば、そこにあったのだ。伝説の鉱石――クラザルの鱗が。
「これは……ナスレスク様の語りだ……」
サイルは深く祈った。
その夜、彼は幸福な夢を見た。息子が健康に育ち、妻が笑っていた。
目覚めれば、それもまた現実になっていた。
夢は、語りだった。
彼の眠りは、神の語りを受ける器だったのだ。
だが、その語りは、やがて別のものへと変わった。
***
ある夜、彼は鉱山が崩落する夢を見た。
そして翌日、それは現実になった。
次の夜は、長老の死。
その次は、義母。
誰もが「仕方ない」と口にする形で、夢は死を運んだ。
しかも、それは順番だった。近しい者から、ゆっくりと。
サイルは震えた。
なぜ、自分は彼らの死を夢に見てしまうのか。
なぜ、それが避けられないのか。
彼は眠るのをやめた。
妻に頼み、目を覚まし続けるよう言った。
「頼む、どうか、わたしを起こしてくれ。何をしてでも」
だが、どうしても眠ってしまう夜が来る。
その晩、彼は実の弟が死ぬ夢を見た。
彼は、家を出た。
妻と子を、愛していた。
だからこそ、彼らに自分の語りが届かぬよう、遠くへと逃れた。
焚き火の前で、サイルはひとり目を凝らしていた。
目を開き、耳を澄まし、呼吸を刻みながら、必死に意識を繋いでいた。
どうしても眠ってはならない。そう思い続けてきた。
けれど、炎のゆらめきが視界を撫でるたびに、心の底に泥のような考えが滲み出す。
――もし父と母がまだ生きていたら、あと二晩、眠ることができた。
その考えが浮かんだ瞬間、サイルは動きを止めた。
妻と子を守るために旅に出たはずだった。
なのに、そんな恐ろしいことを。
もしまだ父と母が生きていたとして、彼らの夢を見て、彼らが死んでしまえば――
その二晩は、少なくとも、妻と息子の夢を見ずに済む……。
「……ッ」
喉が、石のように鳴った。
その音は、かつて響き手だった父の声に似ていた。
サイルは両手で顔を覆った。
己の中の「語り」が、いつの間にか自分の意志を凌駕していた。
それは信仰の衣をまとった絶望。祈りに混じる毒だった。
そしてその夜、サイルは、ほんのわずかにまぶたを閉じた。
***
夢の中で、妻と息子が現れた。
ふたりとも、笑っていた。
そして、その間に、幼い頃のサイル自身が立っていた。
その子どもが、にこりと笑って言った。
「奥さんと息子さん、君はどちらかを選ばなければならないのさ。
きみは、どっちを選ぶのかな?」
あまりに無邪気で、あまりに残酷な問いだった。
サイルは、幼い自分に問うた。
「あなた様は……語りの御方――ナスレスク様ですか?」
「そうだよ。よく気づいたね! ぼくは嬉しいのさ」
子どもの姿の神は、鼻の下をこすりながら、満足げに笑った。
サイルは頭を垂れた。
唯一神、語りの御方と、ついに夢の中で出会ったのだ。
言葉では尽くせぬ感謝を胸に、「御心のままに」と口にした。
「すべての命が、ナスレスクの語りに包まれんことを」と、祈りを結んだ。
夢の中の子どもは、しばらく無言で彼を見下ろしていた。
やがて、どこか退屈そうに――それでいて、期待していた玩具が思ったほど面白くなかったかのような声で、こう言った。
「……なんだ、君ってば、まだそういうコト言うんだね。
君には、幸せになってもらいたいのさ。……ほんとうにね」
言葉の終わりに、乾いた風が吹いた。
まるで、誰もいなくなった遊戯の庭のように。
***
翌朝、サイルは何の夢も見なかった。
どんなに深く眠っても、夢は訪れなくなった。
彼は村へ戻った。
けれど、そこには誰もいなかった。
自宅に人気はなく、近隣の者が重い口を開いた。
「……奥さんと息子さんは、ある朝、お互いを殺していたような形で……」
「お前が家にいれば、止められたかもしれないのに」
サイルは何も言わなかった。
ただ、首を垂れて、「ナスレスク様のお与えになられた試練だ」と言った。
その頬には、黒い石の表皮の上を伝う、血のように濃い涙があった。
祈りは途絶えなかった。
語りは、なおも続いていた。
たとえ自分がもう語れずとも――。




