020 一体
前の話はとんでもない量の誤字脱字ありました。ごめんなさい。書いてる時は脳汁ドバドバで気づかなかったです。今後も気づいたら直します。
エルフの黒い巨体が、感情のままに揺れている。
「来るッ――!」
イェラの警告が響くよりも早く、エルフが怒りに満ちた突進を始めた。
六脚が土を抉り、踏み潰しながら地を蹴る。蜘蛛のような脚は、不規則に、しかし尋常ならざる速度で草地を駆ける。巨大な身体が、怒声とともに前方へと跳ねた。
「わぁああああっ!!」
エルフの突撃には、戦術も狙いもない。ただ、怒りと悲しみ――むき出しの感情が全身を駆動させている。それはまるで駄々をこねる幼児の“かんしゃく”のようでありながら、その質量と力は、技巧や構えなどあっけなく吹き飛ばす。
「下がれっ! 俺が出る!」
グライスが前に出て、大盾を前に構えた。次の瞬間――
轟音。
地が跳ね、土が爆ぜ、盾が軋んだ。
エルフの体当たりを真正面から受け止めた大盾が、きしみをあげながら数歩後退する。グライスの足がめり込み、地面が裂ける。
「くっ……なんて……力だ……っ」
吹き飛ばされるほどではない。だが、確実に一撃ごとに“守り”が削られていく。
しかも――
スリグの目が見開かれる。
エルフの体から漏れ出している黒い“もや”――それが、大地をじわじわと侵蝕し始めていた。草が黒ずみ、土がぬかるみ、空気がねばつくように濁る。
「ただの怒りじゃない……これは、“瘴気”か……?」
「この場に長く留まるのは危険だ!」
イェラが叫ぶ。
「尚更ここで斃さなければ街が危ない!」
グレズが鉄槌を掲げながら返す。
しかしそのグレズに――“タテナガ”が襲いかかってきた。
「グレズさん、下がって――ッ!」
ベランの警告も虚しく、二足歩行の異形が糸を解くように滑る動作で接近する。ねじれた細い手足が、まるで鞭のようにうねりながら、グレズの側頭を狙って襲いかかった。
「チッ……こっちに来るか!」
グレズは間一髪で体をひねり、大槌でその攻撃を受け止めた。
だが、“タテナガ”は怯まない。腹部が脈動し、明らかに怒りを孕んだ動作で、ベランとグレズ――“トゲ”を殺した二人を明確に狙っていた。
「執念……か!」
ベランも剣を構え、後方からカバーに入る。
「挟みます! 一撃でも脚を止められれば……!」
「任せろ!」
グレズが叫び返し、再び接近戦に持ち込む。
だが、その背後からも――再びエルフの巨体が突進してくる。
「まただッ! こっちはまだ詠唱が終わってない!」
スリグの叫びが戦場を切り裂く。
「いじわる! いじわる! いじわるぅぅぅッ!!」
涙声のまま叫び続けながら、エルフはまた六脚を地に叩きつけ、すさまじい速度で突進する。
技などない。ただの質量の暴走であった
グライスが思わずうめき声を漏らす。
それはあまりにも幼く、破滅的で、純粋な怒り。
けれど、その怒りには理屈も計算もなかった。
――ただただ、大切なものを壊された、幼い心の爆発だった。
そしてそれは、どんな策や兵法よりも、今は恐ろしかった。
◆
グライスの大盾が金属音を立てて軋んだ。
再びエルフの怒りの突撃が襲いかかり、その質量を伴った暴力が大盾を真正面から叩きつけたのだ。重厚な金属が悲鳴を上げるようにへこみ、グライスの足は地面に深くめり込み、土が抉れて飛び散る。膝が沈み込み、彼の身体が揺れる。
「っ、持ちこたえろ……!」
彼は自らにそう言い聞かせるように歯を食いしばる。
背後からイェラが接近し、盾の死角から剣を振り下ろす。剣は、エルフの巨大な脚の一本に浅く切り込んだ。だが、その感触はあまりにも異様だった。
「硬すぎる……!」
斬撃は衝撃を吸収され、鮮血も流れない。ただ、肉のようなものがざらりと揺れただけだった。
「イェラ、下がれ! ここは俺が止める!」
グライスの怒声が響く。
だが、その足元では、黒い“もや”がじわじわと地表を侵食していた。
瘴気――そうとしか形容できない禍々しい空気が、草を黒ずませ、野花を萎れさせる。
「空気が……重い……!」
スリグが導術の紋を維持しながら呻く。
「この瘴気……意識を鈍らせる……まるで、思考そのものを曇らせるような……!」
「今、下がったら一気に飲まれるぞ!」
ルディアが鋭く叫ぶ。「動けるうちに攻める!」
その声に応じて、グレズが雄叫びをあげた。
「ここで止める……!」
彼の大槌が炎のように振り下ろされる。
標的は、“タテナガ”の無貌魔。
異様な縦長の体を持つその怪物は、関節を捻じ曲げながら、鞭のように滑る動作で回避しようとする。だが、その軌道をベランが読み切っていた。
「今だ!」
剣が閃き、“タテナガ”の進路に斬撃が走る。咄嗟に動きを変えた無貌魔の脚に、三度目の鉄槌が叩き込まれた。
ずしん、という鈍い音とともに、脚の一本が粉砕される。地面にめり込み、骨のような突起がばらばらと地に落ちる。
だが、“タテナガ”は痛みの反応を見せず、むしろその怒りを加速させるかのように蠢いた。
「なんて化け物だ……!」
「動きを止めろ、まだだ……!」
グライスの声が飛ぶ中、空気が変わった。
エルフが再び、叫んだ。
「いじわる、いじわるぅ……εζδραさまが、いないのにぃ……!」
空洞の顔から漏れるその声は、もはや“叫び”というよりも“魂の咆哮”だった。
言葉の輪郭が歪み、感情そのものが音となって森を満たす。
六脚が地を叩く。
次に狙われたのは――スリグ。
「っ……来るかッ!」
詠唱は、まだ終わっていなかった。術式が半ばだった。
だが、そこに滑り込んだ影があった。
「させないッ!」
風のように舞ったのはルディア。
その細身の身体がエルフの巨体の死角から飛び込み、短剣が鋭く突き刺さる。
ざくっ、と乾いた音。
エルフの動きが、一瞬止まった。
「……いたいの、やぁ……っ……」
舌っ足らずな、その声。
だが、それは確かに“傷ついた幼子”の声だった。
ルディアの表情が、刹那、揺らぐ。
――が。
「情けを捨てろ! 今のうちに叩き込めッ!!」
グライスの声が、鋭く戦場を裂く。
その叫びに全員が反応する。
ベランが斬撃に備え、グレズが鉄槌を振り上げ、イェラが刃を構えて駆け出す。
スリグの術式がようやく輝き始める。
導術の紋が完成の光を帯び、空間に魔力が波打つように膨張する。
◆
それは、まさに決着の一撃のはずだった。
グレズの大槌が高く掲げられ、空を裂いて振り下ろされようとしていた。標的は、いまだ呻くことさえ幼い異形のエルフ。
「……これで、終わりだ……!」
重さと覚悟を帯びた一撃が、幼い命を断とうとする、その瞬間。
風が裂けた。
「ッ……が、は……っ!?」
グレズの胸部が、音もなく赤黒く弾けた。目に見えない“何か”が、複数――否、五発以上――一瞬のうちに彼の背後から射抜いたのだ。
装甲を貫き、肉を裂き、骨を砕く鋭利な貫通。息を呑む暇もなく、グレズの身体がのけぞる。
「グレズさん!!」
ベランの絶叫が響く。全員が、空気の震えを感じ取った。
「どこからッ!?」
ルディアが素早く目を走らせる。だが矢は、風の音ひとつ立てることもなく、ただ確実に急所を射抜いていた。
そしてその刹那――
風が揺れる。
そこに、立っていた。
もう一体のエルフ。
その姿は、先の幼いエルフとはまったく異なっていた。
黒く煤けた肌、光る赤い筋、体躯はすらりとしながらも威圧的で、滑らかで黒い肢体には幾重にも赤黒い筋が刻まれている。そして蜘蛛のような短く太い四脚、背中には破れた皮膜の退化した翼がありかすかに震えていた。
幼いエルフよりもはるかに大きく、しなやかに、静かに立つ異形。
その目のない顔――いや、顔のはずの場所に、かすかな闇のくぼみを持つだけの空洞。
そしてその身体からは、微細な風の粒子が舞うように“矢”が浮かび、また消えていく。
「……アッシドの風を滅ぼしたエルフ……」
グライスの声が低く絞り出される。敵意と警戒に満ちた瞳。
そのエルフは、崩れかけた“タテナガ”と幼いエルフの前に立ちはだかった。
まるで、盾のように。
「ま、まま……?」
幼いエルフが、かすれた声で呟く。震える舌足らずの呼びかけ。
異形の“ママ”は、無表情のまま幼いエルフの前に立ち、
「ええ、“ママ”が守ってあげますよ。私のかわいい”ノーラ”」
その声は、柔らかく、深く、まるで慈母の祈りのようだった。
その響きだけで、ノーラの六脚がふるりと震え、彼女の体が少しだけ前へ傾く。
「だいじょうぶ……? こわくない……?」
「ええ、大丈夫。もう、だいじょうぶです。ママがいますからね」
その一言に、ノーラと呼ばれた幼いエルフは、空洞の顔をわずかにうなだれさせ、ぴたりと“母”の背後に寄り添った。
戦場は、いまだ敵味方の境界に立ちながらも、別の“線”が引かれた。
血と怒声に満ちた戦の只中に、いまひとつの――“家族”の気配が、確かに芽生えていた。
だが、その絆は、語りでは癒せぬ“深み”へと沈んでいく兆しでもあった。




