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初めての命、初めての祈り

春の風が病院の白いカーテンをやさしく揺らしていた。若き助産師エミナは、その朝、夜明けよりも早く目を覚ました。緊張で浅い眠りを繰り返した夜の終わりに、彼女は静かに制服を手に取り、まだ硬さの残る布地にそっと腕を通す。制服の冷たさが肌に触れた瞬間、彼女の鼓動が強く鳴った。


鏡の前に立ち、深く深呼吸を一つ。自分の顔を見つめながら、唇の端にほんの少しの笑みを浮かべてみる。「大丈夫」と、自分に言い聞かせる声はかすかに震えていた。


今日は、初めての出産の立ち会いの日。


分娩室へ向かう長い廊下を歩くたびに、心の中の期待と不安がせめぎあう。緊張で足取りはぎこちなく、手のひらにはじんわりと汗がにじんでいた。


廊下の向こうから、柔らかな足音が近づいてきた。ベテラン助産師のリオナだった。落ち着いた眼差しと、どこか姉のような包容力を感じさせる穏やかな笑み。


「おはよう。……緊張してるわね」


その一言に、張り詰めていたエミナの肩がふっと緩んだ。


「緊張するのは当然。でも、大丈夫。命はね、ちゃんと自分で生まれてくるのよ。私たちは、その手助けをするだけ」


それに、御方は見守ってくださっているわ。と微笑む先輩助産師にエミナは小さくうなずき、彼女の後を追って分娩室の扉を開けた。


中では、すでに陣痛が始まっていた。若い女性がベッドに横たわり、汗に濡れた額で深く息を繰り返している。その傍らには夫がいて、彼女の手をしっかりと握りしめていた。彼の顔には不安の色が浮かんでいたが、その手からは揺るがぬ決意が伝わってきた。


「初めまして、助産師のエミナと申します。今日、一緒に頑張りましょうね」


震える声を押さえつつも、彼女は精一杯の笑顔でそう告げた。緊張しながらも、リオナの指示に従い、必要な器具を用意し、記録を取り、呼吸のリズムを確認する。


時間が進むにつれて、部屋の空気は次第に張り詰めていった。助産師たちの動き、母の声、父のささやき——それらすべてが命の誕生という瞬間へと収束していく。


そして、その時が来た。


「産まれました!元気な女の子です!」


部屋に響いた最初の産声は、まるで春の大気を一気に塗り替えるかのように力強かった。緊張の糸がほどけ、喜びと安堵の空気が広がる。父は手を口元に当て、涙を堪えるようにうなずいた。母は疲れ切った顔で、それでも優しく微笑んでいた。


だが——


「もうひとりいるわ!双子よ!」


リオナの声に、エミナは思わず息を呑んだ。手が震えそうになるのを抑えながら、次の準備に取りかかった。胸の奥で新たな緊張が芽生え、それでも彼女の指先は確かだった。


そして、まもなく——


「男の子!こちらも元気よ!」


二つ目の産声が重なるようにして響いた。


父親は両手で顔を覆い、肩を震わせながら「ありがとう、ありがとう……」と繰り返していた。母親は静かに目を閉じて、小さな命の重みに心を預けていた。


エミナは、その光景を胸に深く刻んだ。


——そして三日後。


この国には、古くからのしきたりがあった。助産師が初めて命を取り上げたとき、その子の祝福の儀式に参列すること。それは、ただの儀礼ではない。命に対する責任を刻み、自らの祈りの形を見つめ直す、助産師としての本当の第一歩だった。


白い布を身にまとい、エミナは病院の裏庭に設けられた仮設の神殿へと足を運んだ。春の陽射しが柔らかく、道の両脇には淡い色の花々が咲き誇っていた。花の香りが風に乗って流れ、清められた小道を進むたびに、心が少しずつ落ち着いていくのを感じた。


双子は両親に抱かれ、眠るように静かに呼吸を繰り返していた。父はまだぎこちない手つきで娘を支え、母は息子の小さな手を指先で撫でていた。


やがて、司祭がナスレスクの聖印を高く掲げた。


その瞬間——


風が止んだ。空気がふと、静けさに包まれる。


神殿の天蓋に差し込む光が金色に変わり、淡く揺れるようにして空間全体を包み込んだ。花々が一斉にそよぎ、香りが濃くなる。空気は澄み、大気そのものが振動するような神聖さが満ちていく。


それは、ナスレスクの祝福を賜る瞬間。


「語りの御方の導きのもとに生まれし命たちに、祝福と未来の光を。名も、声も、夢も、導かれしものとして受け入れられんことを」


司祭の声は風そのもののように響き、空に溶けるように消えていった。


この神秘の現象は、すべての祝福で必ず訪れるものだった。御方が命に与える証。それは神のまなざしと、語りの種を授かる瞬間だった。


参列者たちは一斉に目を閉じ、手を組む。エミナも、そっと目を閉じた。胸に浮かぶのは、分娩室で流れた産声、涙、そして手に触れた柔らかな命の重み。


それらすべてが、今、光と共に心に満ちていた。


(この子たちが、健やかに、幸せに育ちますように……)


そして、それだけではない。


(……いつか、私にも。あんなふうに優しくて頼りがいのある人、現れてくれないかな。できれば、子ども好きで、笑った顔がちょっとくしゃっとしてる人……なんて、欲張りすぎかしら?でも……私だって、あたたかい家庭を築いてみたいな)


祝福の鐘が、澄んだ音で空へと響いた。止まっていた風が再び流れ、花びらが空を舞う。


その音の中で、エミナは確かに感じていた。自分が、今ここにいて、命の循環の中にいるのだと。


まだ頼りなく、けれど確かな第一歩。


それは、彼女にとって“祈る”ということの本当の意味を知った日だった。


エミナはそっと手を組み、最後にもう一度だけ目を閉じる。


(語りの御方、ナスレスクさま……どうかこの命たちを見守ってください。そして、私の願いも、ほんの少しでいいから、心に留めてくださいますように……)

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