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000 プロローグ

処女作です。

よろしくどうぞ。

思えば、おれの人生はツイていた。


いや、ツキすぎていたのかもしれない。


有名製薬企業の社長を務める両親のもとに生まれた。

広くて明るい家、家族3人で囲む穏やかな食卓、休日ごとに行った旅行。


幼い頃から、両親は常に俺を見守り、支え、愛してくれた。

わがままを言った記憶すらないほど、欲しいものは望む前に与えられていた。

でも、不思議と傲慢にもならずに済んだのは、両親が与えてくれる“愛”が、ただの贅沢ではなく「信頼」や「期待」といった形で注がれていたからだと思う。



小学校に入ってからは、習い事を通じてピアノ、水泳、剣道など多彩な経験を積み、そのどれもで表彰を受けた。

努力が報われることを、早い段階で知った。


中学では生徒会に立候補し、副会長として多くの生徒たちと信頼を築いた。

勉強も運動もできて、教師にも一目置かれる存在だった。

誰もが一度は夢見る“理想の優等生像”を、俺は自然に体現していた。


高校ではバスケ部のエースとして活躍し、文化祭ではクラスの中心にいた。

周囲には常に人が集まり、友人にも恵まれていた。

学校の誰もが名前を知っていて、廊下を歩けば自然と声がかかった。




そして、そこで出会ったのが──奈々未だった。


彼女は転校してきたばかりの静かな子で、最初は物静かで近寄りがたい印象だった。

けれど、ふとした図書館でのやりとりがきっかけだった。


「その本、好きなんだ?」

「……うん。君も?」


そんな何気ない会話から始まり、気づけば、彼女は俺の隣にいることが当たり前になっていた。


一緒に歩いて、一緒に笑って、時には喧嘩もしたけど、彼女といる時間はどんな時間よりも心地よかった。




大学も同じところを選び、同じアパートで暮らし始めた。


早朝、眠そうな顔でコーヒーを入れてくれる奈々未。

夜には、ソファで彼女ともたれかかりながら観た映画。

料理を一緒にして、失敗して笑った日々。


どれもが、胸の奥に灯りをともすような幸福だった。

「これ以上、何を望む必要があるんだろう」──そう思える毎日だった。


二十歳の誕生日、なんの気なしに買った宝くじが高額当選した。


その桁数を見たとき、現実感が一気に吹き飛び、心臓が一瞬止まるかと思った。

足元がふわふわと浮いて、まるで地に足がついていないような、奇妙な浮遊感。


「……これ、本当に当たったのか……?」


通帳に打ち込まれた数字を見つめながら、俺は何度もまばたきをした。


こんな高額のお金をどうしていいのかわからずに親に相談して、助言を受けつつ始めた投資もなぜか雪だるま式に増えていき、むこう三世代は軽く遊んで暮らせる額となった。


「人生って、こうやって勝ちが確定していくんだな……」


そんな実感を噛み締めながらも、どこかで怖くもあった。


だが、奈々未は言った。


「ナギくん、遊んで暮らすなんて、あなたらしくないって思うよ。努力してるあなたが、私は好きなの」


その言葉に、俺は我に返った。目が覚めるような感覚だった。


あの時、ああ言ってくれた奈々未には、感謝してもしきれない。



大学卒業と同時に大手企業からの内定も決まり、次はプロポーズだと思っていたその矢先──


奈々未が妊娠しているとわかった。


その知らせに、俺は何も言えずに、ただ彼女を抱きしめた。

怖さと喜びが、胸の中でせめぎあった。

けれど、幸せの大きさの前に、全ての不安は霞んでいった。


──そこまでは、まさにバラ色の人生だった。





入社初日の朝、その俺の人生は音を立てて崩れた。


父が社長を務めていた製薬会社が、違法な成分を含む薬剤の製造・販売に関与していたことが発覚したのだ。


大量の薬害被害者と中毒死を出す前代未聞の事件。


業界トップだったがゆえに簡単に潰すこともできず、政府主導の半国営化となり、すべての責任を父が引き受け引責辞任。


家族の財産も、俺の個人資産も、賠償で一瞬のうちに吹き飛んだ。



そしてそれだけでは終わらなかった。


「人殺し」と叫ぶ遺族やメディアが自宅に押しかけ、自宅には嫌がらせの電話やいたずら書きが絶えなかった。

インターホンは壊され、玄関には赤いスプレーで“死ね”と落書きされていた。


それを母が震える手で雑巾で拭き取っていた姿が、今でも焼き付いて離れない。


警察に相談しても、「警備を強化する」と言いながらも、まるで“当然の報い”だとでも言いたげな冷ややかな視線を投げかけてくるばかりだった。


そして両親は、ある日ふたり並んでリビングで首を吊っていた。


「奈々未ちゃんと生きろ」「ごめんね」と、父と母の字で遺書に書き残されていた。


俺は声も出せず、ただ遺書を抱きしめて、朝まで泣いた。




──そして、会社。


入社式で紹介されたときにはまだ“あの事件の息子”だと知られていなかったが、ニュースで両親の顔が報道されるようになると、空気は一変した。


朝の挨拶に返事を返してくれる者はおらず、書類の共有も忘れられるようになった。


「……悪気はないんだけどさ、ちょっと触れたくないっていうか……」と、陰でヒソヒソと囁く声が耳に刺さる。


配属先の上司は、あからさまに俺の存在を無視するようになり、業務はおざなりな雑用ばかり。


「おまえみたいな奴を雇ってやってるだけ、ありがたいと思えよ」


そう言われた日の帰り道、手帳を開く指が震えた。


──居場所なんて、もう奈々未の隣以外どこにもなかった。





──そして、あの日がやってきた。


まだ予定日にはほど遠いある夜。


奈々未が急にお腹を押さえて、「痛い……」と小さく呟いた。

最初は軽い張りかと思った。けれど、その表情がどんどん青ざめていく。


「大丈夫か? おい、奈々未……っ!」


慌ててタクシーを呼び、かかりつけの病院へ向かった。

車中、奈々未は何度も「ナギくん、ごめんね……」と繰り返した。


何が“ごめん”なのか、わからなかった。

ただ、必死に彼女の手を握り、無事であれと祈ることしかできなかった。



──だが、医師の診断はあまりにも非情だった。


「お子さんは……残念ですが……」


奈々未はベッドの上で、ぽろぽろと涙をこぼしながら呟いた。

「ごめんね……ごめんね……」


その目には、もはや以前の光はなかった。


彼女はそれから、少しずつ壊れていった。


あれほどしっかり者で、強くて、俺を励ましてくれた彼女が──

まるで空っぽになったかのように、日々を生きるだけの存在になった。


目の焦点は合わず、声はか細く、何度も同じ言葉を呟いた。


「ごめんね、ごめんね……ナギくんの赤ちゃん……産んであげられなくて……」


奈々未の部屋には、小さい仏壇が置かれるようになった。

そこには小さな水子地蔵が飾られていて、毎朝、花と線香が供えられていた。


彼女の日課は、水子供養のために近くの寺に通うことになった。

その背中は、あまりにも小さく、寂しげだった。




──そして、ある日。


その日はいつも通りの朝だった。

「行ってくるね」と、かすかな声で呟く奈々未。

俺はうなずくだけで、玄関まで見送らなかった。


……まさか、それが最期になるとは思いもしなかった。


昼過ぎ、一本の電話が鳴った。

病院からだった。


「……奥様が交通事故で……」


病院に駆けつけた俺の目に映ったのは、

白布をかけられた奈々未の亡骸だった。


遺体安置所の薄暗い空間。

カーテンが引かれる音とともに現れたその顔は──

あまりにも穏やかで、美しかった。


今朝は生きる気力が感じられなかったというのに。

まるで、すべてをやり遂げた人のような、満足げな表情。



「あの……奥様の最期の言葉を、お伝えします」


声をかけてきたのは、病室で見たことのない若い女性だった。

彼女は一歳ほどの赤子を抱えていて、傍らにはがっしりしたスーツの男性が付き添っていた。


「……赤ちゃん、無事でよかった……って、言ってくれたんです」


奈々未は、水子供養からの帰り、道路で赤子を抱えた母子が車に気づかず横断しようとしていたのを見て、

身を挺して彼らを庇ったのだという。


……それが、彼女の最期だった。


俺は一体どんな顔をしていただろうか。

勇気のように青白い顔か、一どおりをぶつける場のないやるせない顔か。

それとも、全てを諦めた人間の顔だったかもしれない。


──そして、葬儀の日。


雨が降っていた。

彼女がいなくなってから、ずっと晴れ間を見ていなかった気がする。


両親のときには誰も来なかった葬儀だったが、

奈々未の葬儀には多くの人が訪れてくれた。


かつての友人たち、大学の同期たち、彼女を慕っていた人たち。


俺の周囲はどんどん空になっていったのに、

奈々未はこんなにも多くの人に愛されていた。


それがなぜだか嬉しくて、

奈々未から友人を遠ざけてしまっていたのが悔しくて、

奈々未がもういなくて寂しくて、

どうしようもなく胸が詰まった。


最後に棺に花を手向ける瞬間、

俺は声が出せなかった。


涙だけが、頬を流れていった。





そのすべてが終わったあと、俺の中には何も残らなかった。


怒りも、悲しみも、虚しさも──まるで他人の感情のようだった。


ある夜、ひとり酒に溺れ、空き瓶が床一面に転がるリビングの中で、ぼんやりと窓ガラスに映る自分を見つめていた。


髪はぼさぼさで、肌はやつれ、目の下には深い隈ができていた。

口元は乾き、ひび割れ、眼差しはどこにも焦点が合っていなかった。


──俺って、こんな顔してたっけ。


無気力にそう思いながら、もう一度、酒瓶を煽る。


「ふざけんな……なんで、なんで俺なんだよ……」


誰にも届かない独白。

誰かを責めたいのに、その“誰か”がどこにもいない理不尽な現実。


そのときだった。


……窓に映った“俺”が、にやりと笑った。


ゾクリと背筋を何かが走る。


……まさか、こんなことが偶然で済むはずがない。


両親も、生まれてくるはずだった子も、奈々未の死も、そして何もかもが壊れていったこの一年。


不運と呼ぶには、あまりにも整いすぎていた。


考えたくはなかったが、俺の人生をどこかで“操作している”存在がいるのではないか──そんな直感が頭をよぎった。


「……神、か?」


でも、あんなにも無惨で、理不尽で、残酷な仕打ちをするような存在が、ただの神であるはずがない。


「違う。違う……そうだ……」


俺はゆっくりと立ち上がり、窓ガラスに映る自分をじっと見据えた。


指を伸ばして、映った自分の胸元を突きながら、声を震わせた。


「いるんだろ、クソみてぇな神が……俺の人生、壊したのはおまえだろ……」


「邪神か……そうだ、邪神だ」


「神がいるなら、善なんかじゃねぇ……ぜってぇ許さねぇ……ッ!」


『よく気づいたね、タカハラナギくん』


声が、確かに聞こえた。

耳ではなく、頭の奥に直接響くような、ぞわりとした感触。


「──誰だ……おまえ……」


思わず呟いたその声に、映った“俺”が笑いながら応えた。


『君のすべてを見ていたのさ。君の幸せも、絶望も。全部、僕の──贈り物だったのさ』


意味が分からない。

けれど、怒りが沸き上がるには充分すぎた。


「おまえがッ……おまえがあああぁああああ!!」


俺は立ち上がり、ふらつきながらも力いっぱい窓に拳を叩きつけた。


ガラスが砕け、割れる音とともに、身体が前へと投げ出された。


──あっ。


一瞬だけ、世界が静止する。


風の音も、重力も、なにもかもが止まったような、奇妙な静けさ。


窓枠の向こう、五階建ての高さから見下ろす夜の街並みが、ゆっくりと逆さに回転していく。


思考が追いつく前に、

俺の身体は──ただ、落ちていった。


こんなん頭おかしなるて。

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