第5話アイドルとしての片鱗
アイドルオーディションが本格的に始まってから4か月後。
とうとう、審査結果が出た。
結果は言わずもがなで――
葵は合格した。
そして、葵はすぐにアイドル候補生となり、デビューするための本格的なレッスンが始まった。
内容は多岐にわたり、ボイストレーニング、ダンスレッスン、マナー研修、肌のお手入れの仕方、などなど。
葵の生活は少し前とは比べ物にならないほど忙しくなった。
レッスン終わり、俺の部屋に学校で出された宿題を写しに来た葵の目は……。
死んだ魚のように濁っていた。
「無理、もう死んじゃう……」
睡眠時間はちゃんと取っているが、私生活の変化には疲れがつきものだ。
慣れない生活に四苦八苦している葵。
ちょっと可哀そうだなと思いつつ、アイドルになれと背中を押したことへの責任を感じていることもあってか、俺は葵に言う。
「なんか手伝えることがあったら、何でも言っていいからな」
「だから、こうして学校で出された宿題を写しに来てるんじゃん」
「わりと柔軟に学校を休みやすい芸能コースのある高校に推薦で入学できるんだろ? 別に宿題なんてしなくてもいいんじゃ……」
などというと、葵はうんざりとした顔で説明してくれた。
「アイドルになるとはいえ、学業も大事にしろって言われた。なんか、アイドルに夢中で学校のことをないがしろにさせてるってのがバレたら色々と面倒なんだって」
「確かに中学3年生にアイドル活動ばっかさせて、普段の生活をないがしろにさせてるのが世間にバレようものなら……総スカンを食らうか」
そういうこと、と言わんばかりに葵はうなずき、少しもじもじとしながら俺にあることを聞いてくる。
「私はもう色々と決まっちゃってるけど颯太は高校どうするの?」
「あー、俺も色々と悩んでる」
「そっか。じゃあ、決まったら教えて」
「知ってどうするんだよ」
「普通に幼馴染の進路が気になっちゃわるいわけ?」
それもそうか。
なんて思いつつ、俺は今日出された宿題の答えを写す葵を見守るのであった。
※
時間は容赦なく過ぎていく。気が付けば冬になっていた。
受験シーズン真っ只中の今、葵はというとデビューに向けてレッスンを頑張っているのだが……。
デビューしていないというのに、すでに有名になりつつあった。
それもそのはずで、葵を含めたアイドル候補生になった子達の密着ドキュメンタリーがテレビで放映されているからだ。
デビューするために四苦八苦している姿が放送され、SNSなどでその姿が話題となっているのである。
特に葵の人気はすさまじい。
オーディションの中で最年少の合格者。
それなのに、レッスンでは歌も踊りも1~3歳くらい年上の同じアイドル候補生と比べてもそん色のないパフォーマンスを披露できるのは、色んな人の目に魅力的に映るのは言うまでもない。
さらに……。
葵にもちゃんと欠点があるのがより一層と人気を加熱させた。
そう、それはちょっとコミュニケーションが苦手なところだ。
中学3年生とは思えない才覚を発揮しているが、他のメンバーよりも圧倒的に愛嬌がないというかあざとさが足りないのだ。
本来のアイドルであれば、重大過ぎる欠点でしかないのだが……。
テレビで放映された際の編集がとてもうまくて、才能は一番あるのにアイドルで一番求められることの多い愛嬌を上手く振りまくことが苦手なところを見て、誰もが葵を応援したくなっちゃうのだ。
とまあ、デビュー前からかなりファンを獲得した葵。
そんな彼女はというと、物凄く色々とストレスをため込んでいる。
現に今日も俺に色々と愚痴を言いに来ているくらいにはな。
「私の人気にあやかろうと、他のアイドル候補生が媚び売って仲良くなろうとしてくるのが本当に嫌なんだけど」
「女の世界って怖いな」
「颯太は今私が言ったみたいな経験はないの?」
「ないない。そんな世界に俺は生きてないから。てか、そういや風邪でもないのになんでマスクをして俺の部屋に来たんだ?」
先程まで葵が身に着けていた机の上に置かれた黒マスクを見ながら言った。
すると、葵は嫌そうな顔で机の上に置いてあったマスクをして話しかけてきた。
「この前、もしかしてアイドル候補生の葵ちゃんですか? って声を掛けられた。で、マネージャーからそろそろ普段からマスクしといてね~って」
「……まじで有名人じゃん」
「そうじゃないって言いたいけど、そうなんだろうね」
自己肯定感低めな葵は今自分の置かれている状況を否定しかけるも、否定できないのが葵としては心底複雑なようだ。
そんな彼女を励ますべく、気さくな感じで冗談を投げかける
「俺も普段からマスクとかした方がいいかな?」
「……なんのために?」
「厄介なファン対策だ」
「ふーん。……ま、しとけば?」
せっかく俺がふざけてるのに、ずいぶんと投げやりなことで。
面白くないやつめ、だから愛嬌がないと周りから色々と言われるんだぞ?
と思いつつも、葵がしてる黒いマスクが気になった。
「そのマスク貸してくれ」
「なんで?」
「いや、なんか俺もしてみたくなった」
病人が使うような白いマスクはしたことがあるが、デザイン性重視な黒いマスクはしたことないな~と興味がわいてしまった俺。
ちょっと葵から借りようとするも、葵は眉間にしわを寄せて俺に言った。
「女の子の使用済みマスクを狙ってくるとか変態じゃん」
「……うん、そういうとこだぞ」
「なにが?」
「愛嬌ないって言われちゃうところ」
葵はむすっとした顔になる。
そんな彼女に俺はプロデューサーっぽくアドバイスをする。
「いいか、今のは、えー、間接キスになるのでちょっとごめんなさい! って感じで媚びた方が男受けは最高だぞ」
「……うざ」
「ったく、アイドルになるんだからもっと可愛くだな……」
別に私は可愛くなくて結構です~と不貞腐れる葵。
だがしかし、すぐに葵はしょんぼりと自信なさげに肩を落として弱音を吐いた。
「やっぱり、私なんかアイドルになれるわけないよね……」
自己肯定感低めな葵はうじうじし出した。
葵はメンタルケアのために俺に愚痴を言いに来ているわけだし、さらにメンタルを悪化させちゃ可哀そうだ。
俺はうじうじし出した葵の頭をうざい男みたいな感じでポンポンと撫でていう。
「別に無理して愛嬌をふりまかなくても、すでにお前はアイドル候補生の中で一番人気なんだ。きっと、なんとかなるって」
「ねえ、颯太の口ぶりじゃ私が愛嬌を手に入れるのは無理そうに聞こえるんだけど」
「いや、そ、そんな風には……」
実際、葵がアイドルに求められる愛嬌を手に入れるのは相当厳しいだろう。
だがしかし、それを言ったらさらに拗ねそうなので俺は言えない。
でも、愛嬌を手に入れるのが厳しそうでも……。
俺は葵がアイドルになれないとは思っていない。
だからこそ、俺はムスッとした顔で俺に不満そうな顔をしている葵に言ってやる。
「愛嬌なんてなくても、お前は世界一可愛くて最強なアイドルになれる」
励ますつもりで言ったが、葵はさらにムスッとした顔になった。
あれ? 予定では俺に励まされた葵が自信に満ちた顔つきで『ありがと、頑張る』ってなるはずじゃ……。
「ウソでも良いから、お前ならきっと愛嬌を身に着けられるって言って欲しかった」
うん、乙女心ってものは難しい。
俺はそう思いながら、笑顔で葵に言ってあげる。
「きっと、お前ならだれよりも最強な愛嬌を身に着けられる!」
お望みどおりにと言ってやったが、葵はやっぱり不満なようだ。
「いまさら言っても遅いんだけど?」
「ははっ、悪いな」
「さてと、そろそろ帰ろっと」
心なしか俺の部屋に来たときよりも、表情が明るくなった葵はそう言って立つ。
で、去り際に男の子が恋しちゃうようなアイドルとしての片鱗を見せつけてくる。
葵は――
身バレ対策のためにしていた黒マスクを外して俺の方に投げてくる。
そして、意地悪気に笑いながら俺にこう告げるのだ。
「私の黒マスク欲しがってたでしょ? だから、今日のお礼にそれあげる」
不覚にも俺は葵にドキっとしてしまった。
可愛い女の子が意地悪気に振舞う姿に胸が高鳴ってしょうがない。
俺の気持ちはどんどん高ぶっていき、もしかしたら葵はアイドルに向いていないんじゃと……という俺の疑念は綺麗さっぱりに晴れた。
ああ、うん。俺の目にやっぱり狂いはなかった。
俺の幼馴染である《渡良瀬葵》は――
絶対にアイドルとして大成する。