そして大聖女は宣言をする
ーアリス視点ー
私は馬車に乗り、村を離れていた。何故ここにいるのか? 村を襲うと眼前の男に脅されたからだ。
「始めまして大聖女様。いえ、アリス皇女と言ったほうがよろしいですかな?」
言ったのは、対面に座る法衣を着た男性。
彼らが村にやってきたのは、私が村の広場で、収穫祭の準備をしていた時だ。
実は私と神父様は、騎士たちの到来を前もって知っていた。今朝、1人の騎士が先遣として教会に訪れている。
騎士への応対は神父様がしてくれる。終わるまで私は、部屋で待機していた。騎士が教会を去り、どんな話をしていたか? 神父様に聞きに行く。
「はぁ、一体何なんですかねあれは?」
「どうかしましたか?」
話し合いを終えた彼は、珍しく疲れた様子だった。
「いえ、今日騎士が村に訪れるので、準備をしておけと。一方的に言われてしまってね」
どうするかと、神父様は頭を抱えていた。
収穫祭なのに大変だなと。他人事のように考えていた私は、思いもしなかった。騎士の要件が私だったとは。
お昼を過ぎた頃に、数十名の騎士と馬車が村に到着。そして法衣を着た男性が、馬車の中から現れた。
「ここではなんですから、教会の中で」
村人と騎士。両者の衝突を避けるべく、神父様の提案で私達は教会に入る。そして教会の奥、講壇前まで歩いてきた。
「アリス大聖女、良いですかな?」
建物の主たる神父様。彼の言葉を待たず、法衣の男性は私に話しかけてきた。
「いえ、私はシスター見習いのアリスです」
彼の戯言を認める気はない。はっきりと口に出す。しかし男性は、しょうがない子を見るような、生暖かい目を私に送る。
「御冗談を」
(冗談じゃない)
私は息を吐き、鋭い目付きで法衣の男性を見る。
男性から読み取れてしまう。声や表情、真っ白な法衣から、大聖女の肩書を持つ人間、それを出迎える資格を得た、光栄さに酔った感情を。
(帰ってくれ。迷惑だ)
祖国に未練はない。私を守りもしなかった教会にも。
私が住んでいた国の名は、ニクス帝国。大陸最大の国家であり、法国と同盟関係を結んでいる。
私を捨てた理由は単純、邪魔だったのだ。聖女の上に立つ大聖女にして、帝国の第2皇女。その権力は、皇帝すら上回る可能性を秘めていた。
私が殺されなかったのは、利用できればさらなる権威が得られると、考えた皇帝の下心故。
待っている生活は、軟禁か、帝国に奉仕する人形。
私が頼ったのは大聖女の肩書。名を利用し、様々な人から援助を引き出す。そして帝国から逃げ延びた。
「戻って貰いましょう。本来あなたが居るべき場所に。一番、望んでいたことでしょう?」
法衣の男性は元支援者だ。
他者に対する献身。不条理に抗う皇女としての地位。誰よりも聖女であろうとした、無欲な私を目にしており、今も私が変わらぬと信じていた。
早めに、彼の勘違いを正さねばならない。
「私に名誉欲ありません。人を救いたいという慈悲も。穏やかに、この村で過ごせればそれでいい」
村にはグラムがいる。私の人生、それ以外何も要らない。だからほっといてくれ。それに今日は、一年前の自分とした、約束の日なのだ。
法衣の男性は目を大きく開く。その後笑い声を上げ、騎士に目を送った。
「ではこちらも、死人を出したいのならお好きに」
騎士は剣を抜くと、教会の外に向かって歩き出す。
(そう来ると思った)
溜息を吐き、私はせめてもの抵抗として。
「待って。10分、時間を下さい」
「どうぞ、お待ちします」
私は神父様に伝言を残し、馬車に乗った。
*
(後数時間だったのに)
私はこの可能性を予期していた。1年前の、グラムがしてくれた告白を断ったのも、これが理由。
今だから白状する。彼が告白をするとは、私は予測すらしなかった。
(鈍感だし、だらしない妹程度に思われているかと。私の方が年上だけど)
村に住む誰よりも、私は彼の事を理解している。自負もしていた。だからこそ、彼からの告白は無いと結論を出している。
結ばれるには、私から思いを伝えるしかない。
(ありえない)
彼の事は好きだ。だからこそ、巻き込めない。私の命にこびり付く、厄介事には。
(告白をされた時は嬉しかった。だからこそ、思いが抑えられなくなった)
それがきっかけで、私は生き方を変える決心をした。ただし条件付きで。
1年間、教会のシスターとして働く。さらに、グラムとの接触を最小限にする。これらの条件を全う出来た場合のみ、彼と生涯を共にしよう。
不思議な事だが、決断をするのに殆ど悩まなかった。翌日には教会に出向き、神父様に頭を下げる。
「お願いします。1年で良いので、私を見習いとして置いて下さい」
「理由を聞いても?」
神父様の返答に、最初は抵抗をした。
「えっと。言い難いので、できれば聞かないで貰えると」
「駄目です」
「え?」
神父様は優しい人だ。村人の認識も変わらないだろう。そんな彼が、断るとは。
「どうしても?」
「どうしてもです」
「う〜〜。わかりましたここだけの話という事で」
話し終えると、私は放心していた。天井を眺め、シミのを数えている。意識を取り戻したのは、神父様に肩を叩かれたから。
「わかりましたアリス。一年間だけ手伝って貰いましょうか。厳しくいきますので、ご覚悟を」
彼は笑顔で言っていた。「お手柔らかに」と口にしたが、返答が返ってくる事はなかった。
私がここまでしないと、自分の生き方を変えられない理由。性格と言えばそれまでだが。
(この命は、多くに助けられここまで紡げた。そう思ったから、私は責務から逃げられない)
さきほど条件といったが、正しくは儀式だ。私の背負った重荷を下ろすための。
そして今日の収穫祭が終われば、私はただのアリスになる筈だった。後数時間。しかし神様は許してくれない。
「すぐれない顔色ですね大聖女様」
聞きたくもない声で、現実に連れ戻される。私は声の主、対面の男に目を向けた。
教会で脅してきた男、名はドイルだったか? 彼は白いローブを着ていた。重要度の高い、祭典に着る服で私を出迎えた。
彼からしたら最高のもてなしなのだろうが。されても嬉しくない。むしろ。
「ええ、私の幸せを奪ったんですから。憎らしいですよあなた達が」
私は男性を睨みつける。彼は笑みを崩さず、首を横に振った。
「私達も、隠れ住んでいる貴方に戻って欲しくはなかった。貴方が表舞台に上がる行為は、大陸中に火種をばら撒くと同義だ。だが、その最終手段を使わねばならないほど、事態は切迫している」
ドイルは顎下で手を組み、真剣な顔で言う。聞いた私の感想は。
(だからさ、興味ないんだってば)
私は窓の外に目を向け、夕日を眺める。来るはずだった彼との明日に、思いを馳せながら。
「はぁ」
何度目かの溜息。まったく、今日は感情の浮き沈みが激しい日だ。
午前中は、グラムが私を受け入れてくれるか、不安から出た溜息だった。
お昼過ぎは、彼が私を受け入れてくれた、喜びを身体に収めるため、何度も行った深呼吸。
今は……あと数時間の期待を台無しにした、神への憎しみ。どうにもならない現状への諦めか。
こんな性格なのだ。無理だとわかっている。
「こんな事なら、1年前の告白、受けとけばよかった」
「それはよかった」
独り言だ。男性の存在は、私にとって壁以下でしかない。黙っていてくれと、男性に無言の圧力を掛ける。彼は両手を上げ口を塞ぐ。その時、男性がしていたニヤケ顔。気になりはしたが、私は夕日を再び眺め、心の中で願った。
(待ってくれるかな、グラムは?)
私は教会を出る前、神父様に彼への伝言を残してきた。
「帰ってきたら私を、お嫁さんにしてくれますか?」
顔が熱くなったが託した。私の頭を、神父様は撫でながら。
「本当は自分で伝えなさい、と言いたいところですが。わかりました、伝えておきますよ。私も楽しみにしています。娘のように思っている貴方と、息子のように思っているグラム。貴方達の式を、この手で上げるのを」
お世話になった神父様は、神の信徒とは違う、彼個人の笑みを浮かべていた。
そんな未来にたどり着けたら、私はどれほど幸せだろうか。私は神父様の言葉に何度も頷いていた。
切り替えよう、現実的な話しだ。
(何年掛ければ、その未来にたどり着けるか?)
教会が私を呼び寄せたのだ。短期間で戻れる程、甘くはないだろう。
(タイミングが悪いよ。なんで昨日じゃ駄目だったの?)
昨日なら苦しくなかった。興奮から、眠れず過ごした昨晩。願いが叶う、確信した今日に責務が割り込んできた。
流石に悪趣味だと、神を呪いたくなる。これは神への風評被害か。偶然、神も干渉してはこないだろう。
私は、服の胸元を掴み、目を瞑る。そして何度も自分に言い聞かせた。
(帰るのはグラムの所)
己を納得させるため。グラムとの別離を寂しがる心を、落ち着かせる為に。
(やろう。そしてこれが終われば)
明るい未来の為に私は覚悟を固める。だがそれは、ドイルの発言で打ち消された。
「そうだ、貴方が振り返る事がないよう、あの村を地図から消しておきますので」
男の言葉に私は目を見開く。
村を消す? ありえない。しかし心の中では真実だと受け止めていた。この男なら、罪悪感を抱かずやるだろう。嫌な確信を私は持っていた。だが一応だ、彼に聞き直してみる。
「ねぇドイル、今なんて言った? 村を滅ぼしたって?」
背中に嫌な汗が流れる。
私の焦る顔を見て、男性は笑みを深めた。そして声高らかに肯定する。
「ええ、貴方の帰る場所は我らニクス帝国のみです。第2皇女にして、神から聖女の上に立つ御方として認定された、アリス大聖女様」
目を輝かせる男性とは真逆、私は神父様の生存を祈った。親しい人間だから、生存を祈る面は確かにある。だが、今は神父様に頼んでいた、グラムへの伝言が重要だ。
村を襲われ私が攫われた。なら彼がすることは1つ。
帝国と法国、両国を滅ぼす為に動き出すだろう。時期を考えれば、人類滅亡すら引き起こし兼ねない最悪の事態を生み出す。
私の危機感とは裏腹に、彼はこれから起こる偉業に、酔ったかの如く話を進める。
「アリス大聖女様、貴方はこれからニクス帝国を二分し、最小限の損耗で帝国のガンを吐き出さなければいけない。そうしなければ此度の魔王との戦い、絶対に勝てませんぞ」
「はぁ」
「な、なにか?」
私は大きな溜息を吐く。男性は戸惑った。
(お前、自分が何をしたか、わかっているのか?)
目を細め、男性を見下す。彼は柔和な表情を崩さない。だが膝に置かれた拳は、固く握られる。
「なるほど、他人の機微を察する事は出来るか」
「大聖女さまと言えど、私を馬鹿にする発言は」
「馬鹿にしているんだよお前を」
「は? 何を分けのわからぬ事を。馬鹿にされる要素が、私にあるとでも?」
プライドを傷つけられ震える男性。辛うじて理性は保っているようだ。ご立派だが、現実がわかりませんという、立証となる。
「先程お前は言ったな? 馬鹿にされる要素が私にあるとでも? と。わからないか? もし、私がお前の願いを叶えたとしても、その時既に、帝国という屋台船は沈没寸前だ」
私は目を瞑る。思い出すのは大切な1人の男性。
普段は温厚、というより無愛想な彼だが、戦いの場に出れば屍の山を積み上げる。
グラムと初めて会った日、私は理解した。この子は化け物だ。人を殺すことに馴れすぎている、絶対強者だと。
当時私は、魔族に追われていた。そのどれもが、国に指名手配されるほどの名有りの存在。
数は20。こちらの戦力は私1人。絶対絶命の瞬間、グラムが現れた。
「明日、現場に親父が来るんだ。空気を汚すなよ。クソ魔族」
気付けば魔族は、グラムによって全滅させられていた。積み上げられた山の頂上で、彼は見下ろす。
正直怖かった。彼は白目である部分が黒く変色し、赤黒い髪を靡かせる。何より、彼が宿す呪いの総量は、人が肉体に納めるれる限界を幾重も飛び越えていた。
生まれて唯一、聖女の力が私の思考に命令をした。
魔王などはどうでもいい。彼を封じなさい。あれは、世界を害する化け物だと。
「で、あんた誰? もしかして迷子? 夜だし俺が住んでいる村に来るか?」
彼は死体の山から降りる頃には、放っていた恐ろしいまでの圧迫感は消えていた。彼は、しゃがみ込んでいた私に手を伸ばす。
月明かりに照らされた彼の姿を、私は生涯忘れない。初めての体験だった。一切、利害関係の無い手を掴んだのは。
目を開きドイルを見つめる。じっと、私の心に宿る、魔族と戦うグラムの姿を伝えるために。
男性は体を震わせた。無意識だったのだろう。馬車の揺れとは違う得体の知れない、拒絶から来る怯えを理解し、男性は身体を押さえた。
良かった伝わった。笑みを隠しながら、ドイルに話しかける。
「ねぇドイル。今代の大聖女、その役目は魔王の討伐でも聖女を纏める事でもない。ましてや、信徒の意思を1つにする事ではない」
「といいますと?」
汗をハンカチで拭く、取り繕う男性を見て確信した。
ああこいつは、結局何も理解していない。男性と騎士達が起こした、浅はかな行動の結果、帝国は滅亡の危機に陥る。
私は胸元で手を組む。そして祈るように願望を言った。
「ある男を骨抜きにし、その男と、平和の中で骨を埋める」
「その男は魔王より強いと?」
男性の「まさか」という心の声が漏れて聞こえる。証拠に彼の顔は笑っていない。それどころか、私に対して、奇人を見るかの目を向けていた。
私は自身が作り出せる、最高の笑みを浮かべ、力強い声を出す。
「強いよ。その刃はニクス帝国の、喉元にも届く」
ここでの強いに、他の意味は込めていない。
好き故の贔屓が入っているのは事実。それを差し引いても、聖女の勘がこう述べる。
彼を解き放ってはいけない。この身を賭けて封じなくては。
私一番の幸運は、彼を愛せた事。心の底から愛した人が、彼だったこと。
男性の怪しむ顔。理解させるには、言葉を尽くす他ない。今思い出したが、帝国はグラムの一族と協力関係だったか。その名を使えば、少しは理解出来るだろう。
「だってグラムは、最高の狂戦士だから」
「何を馬鹿な」
右手を左右に振り、ドイルは付き合っていられないと、椅子に腰を落とす。
「まぁ、ドイルの好きに解釈すればいい。だからまず、私が予言する。騎士全員帰ってこない。そして私が愛した男。彼が帝国を滅ぼす」
この状況を楽しんではいけない。
村に被害は出るだろう。仲良くしてくれた人、お世話になった人。神父様は万が一が起こらぬ限り、亡くなってしまう。
教会を出る際、神父様を騎士と2人きりにしてしまった。神父様は戦闘の素人。訓練を受け、鎧で身を守る騎士には絶対に勝てない。
そうなると、グラムの伝言どころではない。神父様は彼に会うことすら叶わない。
つまり大戦が起きる。これから亡くなる大勢の人には申し訳なく思う。
胸が張り裂けそうな悲しみが、私の半分を占めていた。もう半分は、私を手に入れる為なら、帝国に喧嘩を売ることも厭わない。彼にそこまで思われている事実が嬉しい、薄汚い女の本性だ。
「大丈夫、戻って来るから」
だけど、私は期待しない。権力要らないの。あのちっぽけな家で貴方と生涯を過ごす。それだけが私の、最初で最後の我儘。
「だから、待っててね」
届かぬ願いを、私は込めた。