惨劇 2/2
少し前のこと。数十人の騎士に守られ、村に馬車が入ってきた。
収穫祭の当日。予定のない訪問者に不安が村を覆う。
「ここは私が対処します」
名乗り出たのは神父様。彼が言うならと、みな収穫祭の準備に戻ってく。
「来なさいアリス。覚悟を持って」
「わかりました」
馬車から出てきた男性と騎士の1人を引き連れ、4人は教会に入っていく。
その光景を建物の影から、私は見ていた。だから彼女を呼びに教会へ来たのだ。
正面は騎士が塞いでいる。侵入経路は鍵のない裏口を選ぶ。私は音を立てず、礼拝堂を覗いた。居るのは騎士と神父様の2人だけ。
(アリスさんはいないのか? ちょっとがっかり。でも、忙しいもんね)
収穫祭の運営は教会がしている。修道女の彼女も走り回っている筈だ。
入れ違いになってしまったか? しかし待ち合わせ場所に、彼女の姿はなかった。
(ふむ、何かがおかしい。特に、アリスさんの態度が)
今日の彼女は、カップルが通りかかる度に目を奪われ、赤子に近づけば、顔を赤らめ独り言。過剰反応にも程がある。
(駄目ね。陰謀論者と同じよ)
彼女が居ない以上、教会に用はない。
神父様に挨拶をしてから帰るべきか? 忍び込んでいるのだ、私が教会に居るのを神父様が知ったら怒るか。
「レイ」
突然名前を呼ばれ、私の背筋がピンと伸びる。
(何故、バレた? あ)
私の現在地は教会の入り口だ。考え込んでいる間に、障害物の影から飛び出していた。
裏口から入ったのだ、いけないことの自覚は私にもある。急ぎ頭を下げ。
「すいません神父……さま?」
違和感に気づく。私に掛けられた声は弱々しかった。絞り出した、最後の一滴のように。
私が顔を上げると、神父様と騎士が抱き合う構図。
旧友同士の再開か? 神父様の背中には出っ張りがある。あれは何かの風習か? 足元にある水溜りは? 疑問が残る。
「はぁはぁはぁ」
違う。私が現実を、直視出来ないだけだ。神父様の足元には血痕。血みどろの世界がある。
「レイ……グラムの下まで……走りなさい」
良く見ると、神父様の肩が盛り上がっている。何かを掴んでいるようだ。
「無駄な抵抗を」
騎士が腕を振り抜くと、神父様から丸い物が散らばった。その1つが、私の足元に転がってくる。拾い、確かめてみると指だった。
「や、や」
私は踏み外し、尻もちをつく。
「大人しくしていろ。騒がしく無ければ、女として生かすかもしれん。お前の見てくれは、極上だからな」
剣を持った騎士が近づいてくる。教会の外へ逃げるにしても、床にお尻が着いたままでは、移動速度はたかが知れる。
立ち上がるのも手だが、前から騎士が迫ってくる。立ち上がれば僅か一歩とはいえ、騎士と距離を詰めてしまう。勇気が無ければ出来ぬだろう。
体の向きを変え、駆け出すように立つのも手だが、危険物を所持した人物から目を逸らす、この選択も勇気が必要だ。
「動いて、動いて」
結局、私の足は動かぬのだ。策を立てても意味はなかった。
「ふ、静かだな。俺好みだ」
騎士に首を掴まれる。体が浮き、立たされた時だ。
「コイツ、まだ動けて」
「レイ、今です。逃げなさい」
背後から神父様が飛び出した。そして、騎士から剣を奪おうとする。態勢が良かったのか、剣の持ち手に手が届き、騎士と引っ張り合いになる。
私は眺める事しか出来ないが。
神父様を助けるべき、わかっている。でも体が動かないのだ。感情も、思考も。眼前の景色に浮かされる。
「行けレイ。何をしている!! 貴様死にたいのか!!」
動かぬ体は、神父様の怒声と共に弾かれた。教会の入口を駆け抜け、村の広場に到達する。助けを呼べば神父様は助かるかも。淡い期待を抱きながら。
私は学ぶ。一抹の希望は、砕かれる為に存在すると。
「何これ?」
教会を出ると、村の景色は一変していた。騎士が村人を襲い虐殺をしている。
私は戸惑いながら、神父様の言った「グラムの下に行け」に従い、村はずれに走り出す。
向かう道中の事だ。
「ライ、いいから、グラムの下に行きなさい」
「パパはどうするの?」
道具屋のおじさんは騎士と相対しつつ、背後の子供を庇っている。
俊足で有名なおじさんだ。子供を庇わなければ、騎士から逃げられた。それに問題は子供だけではない。おじさんのお腹には穴が空いており、長くは持たない。
「おじさん、その傷は」
私は居ても立ってもいられず、彼らに近づく。駆け寄った私に気づくと、おじさんは子どもの背を叩き、私に向かって弾き飛ばす。
「レイちゃん。この子を頼むよ。じゃぁなライ、元気でな」
息子に最後の笑みを送り、おじさんは騎士に突撃した。斬られようが構わない。騎士に飛びかかり、死後硬直で抑え込む。
「貴様離せ」
騎士はおじさんを振りほどこうと、剣で身体を傷つけるが、既におじさんは亡くなっている。痛みでは拘束は緩まぬだろう。
私は首を左右に振り、ライの手を引っ張る。
「行こう」
「待って。パパ、パパ」
場を離れようとしない子供を抱き上げ、村外れにあるグラムの家まで走った。
大人が敵わぬ騎士相手に「グラムの下に行け」と何故、大人達は言うのか?
それは半年前。
体長、4メートルを超える魔物、グリズリーボアが現れた。
「どうする、村長?」
「狩人の力を総動員すればあるいは……いや、それでも勝率は低いか」
村存亡の危機。討伐したのが彼だ。
策もなく、通りかかっただけというあり得ない理由で。
その時からだ。命の危機に陥ったらグラムの下に行け。大人達が、口酸っぱく言い始めたのは。
私はグラムの自宅前にある、急坂を登っていた。
体が重い。男児を背負い、坂を登っているとはいえ、前に進んでいる気がしない。
私は両手を地に着き、四つん這いになる。汗が額から流れ、目や口に入るのを右袖で拭く。1度、心と身体を落ち着かせるため、私は父の言葉である「焦る時ほど冷静に」を心の中で繰り返し、息を整えた。
立ち上がった私は、再度坂を登り始める。
太ももがはち切れそうだ。足先に力が入らず、足首を何度も捻る。それでも歯を食いしばり、坂道を登りきった。しかし私達に待っていたのは、さらなる絶望だ。
「嘘、グラム」
玄関前の光景だ。騎士の剣に胸を貫かれる、グラムの姿があった。
剣を引き抜くと、騎士がこちらにやってくる。グラムの家から村を繋ぐ、唯一の道で私達は佇んでいた。騎士が村に戻ろうとすれば、見つかるのは必然。
「なんだガキか。まぁいい、目標は村人全員の抹殺だ」
姿を認識すると、騎士は舌なめずりをした。剣の血を払い、ステップしながら向かってくる。
(ここで死ぬんだ)
最後の希望が目の前で奪われた。限界だった心は折れ、私は死を受け入れ立ち尽くす。
(きっとこれは夢だ。目を瞑れば、いつも通りの日常が戻って来る。幸せな収穫祭が始まっているはず)
夢なら覚めて欲しい。夢なら夢で浸りたい。なのに腕が引っ張られ、現実に連れ戻される。
うるさいな。私は余計な事をする誰かを見る。
「お姉ちゃん逃げようよ」
(そうだここには)
はっ、と目が覚める。ここには連れてきた男の子がいる。
気付いた時には遅かった。騎士の剣は既に頭上。出来たのは、男の子を腹に抱え背中を盾とする事。
無意味なのはわかっている。でも助けたかった。ライを守りたい。思いで体は動くのに、気づくのが遅すぎた。
抱えた子供が、私の服をぎゅと掴む。
「ごめんね」
私は穏やかな気持ちで諦めを口にする。死を受け入れ、目を閉じた。後は痛みを待つだけだ。
願うのはやはり、ライの安全だけ。
「こひゅ、こひゅ」
妙な声が上から聞こえる。髪を伝い、落ちてきたのは血の水滴。私は気になり顔を上げると、騎士の首に剣が刺さっていた。
騎士が自殺した? ありえない。騎士は横に倒れていき、ある人物が目に入る。先ほど胸を刺された筈の、グラムが立っていた。
彼は無言で、私の手を掴み引っ張っていく。
「痛い、やめて」
手首を捕まれ、骨が悲鳴を上げる。痛みを訴えるが彼は取り合わない。玄関を開け、私達は家の中に放り込まれた。
男の子は私と手を繋いでいた為、共に投げられてしまう。幸い、私がクッションとなり、男の子が怪我をすることはなかった。だが危険な行動だ。乱暴な彼の態度に腹が立つ。
「もっと優しく。怪我したらどうするんですか」
私の反論どころか文句も聞かず、彼は外に出る。数秒後玄関が開き、彼は顔だけ突っ込み、中を覗いてきた。
「大人しくしてろ、それと他の奴がここに来たら、入れてやれ」
「え、はい」
彼は音を立て扉を締める。突然の衝撃に少年は跳ねた。私は宥めつつ彼が身に纏う、違和感の正体を探し始める。
グラムには傷がなかった。だが確かに見たのだ。胸に剣が突き刺さる瞬間を。
残ていたのは、破れ跡と服についた血の汚れ。
「さて、何人生き残っているか。だいぶ出遅れたな」
ドア越しの声。私は安心感を覚え、緊張の糸が切れる。瞼は落ち、意識は暗闇に消えていった。