元傭兵と暗殺者
アズサが集合時間に現れる、その可能性はまだあった。それでも俺は、直感から彼女が遅れる事を確信していた。
何故彼女が送れるか? それは父さんと都市で過ごす中、俺の手を離さなかった真の理由と関係している。
「とはいえ、何処に居るん……だか?」
大通りを歩く。すると屋台の隣にある、人だかりが目に入った。
何が起こっているのか? 俺はそれが気になり耳を澄ます。そして聞こえてきたのは泣き声だ。ただその泣き声、俺には普通と違う物に聞こえる。苦しいのではない、悲しいのではない。どうして良いかわからない、困惑から出た声に思える。
俺はそれに気づき、確信した。
「アズサはあそこだな」
俺は人を掻き分け、輪の中心に向かう。そして目的の人物に声を掛ける。
「よ、元気かアズサ?」
予想通り、中心に居たのはアズサだった。彼女はベンチに座り、少女に手を握られていた。
「……グラムさん?」
俯いていた彼女はこちらを向く。既に涙止まっていたが、腫れた目は今も助けを求めている。
「あんちゃん、この子の知り合いか?」
彼女と話していると、男性が声を掛けてくる。ここに集まり、彼女を心配してくれた1人だろう。
「はい。丁度探してたんですよ。すいません、色々と面倒を掛けてしまって」
男性は手を左右に振る。そして、アズサを慰めている少女を見た。
「いやいや、特に何もしてねぇよ。ともかくよかったよ。じゃ、俺達はこれで、解散だお前ら、解散解散」
男性の言葉がきっかけで、周囲の人々は散っていく。残ったのは、彼女の手を掴んでいる少女だけ。
「悪いな手間取らせて。手伝いに戻っていいよ」
隣にある屋台を指す。それに女の子は驚いた顔をする。
「どうしてわかったの?」
「状況証拠かな」
「状況証拠? まぁいいわ。お姉さん、私は行くからね」
「はい、ありがとうございました」
アズサが礼を言うと、少女は屋台の手伝いに戻っていった。そして俺は、彼女が座っているベンチ、その隣に腰を落とす。
「無様ですか?」
彼女の問いに首を横に振る。
「戸惑っただけだろ? 俺とアズサは少し似ているから、気持ちがわかるよ」
「それとこれなんですが」
アズサの手には硬貨がある。それは今朝、俺が渡したものだ。
「アズサ、これで遊んでこい。できれば派手な場所がいい」
「わかってます。誘き出すんですね?」
彼女の言葉に頷く。
「ああ、夜の襲撃、その備えをさせる」
「それにしても普通、組織を襲うなら静かにやるものなんですけどね」
アズサは苦笑している。だが本人から文句がないことから、作戦の意義には気付いてるか。
彼女が居た暗殺組織。それが危機に陥ったとしても国から援軍が送られる事はない。非合法に手を出している、それも理由であるが、発想の根底に、孤児=捨て駒、この意識があるからだ。
暗殺組織が孤児を育成する。その一番の理由はコストが低いから。子供故に食事量も少なく、常識も足りていない。洗脳を、時間と労力を使わず施せる。何よりスラム街に行けば、同意のもと無料で連れてこれる。
コスト重視を掲げている組織。それを軍が助けると思うか? それに助けるという行為を軍がすれば、少年少女を使った暗殺組織、その一番の売りである安価を自ら捨てることになる。
だから組織は集めるのだ。国内外に散った自らの手足を。育てた暗殺者達を。
「そう、俺達の目的は集まった暗殺者、彼らの枷を解き放つ事。だから」
「はい。できるだけ集めて貰わないと」
俺達は今朝、こうして別れた。
彼女の手にはまだ小銭がある。どうやら殆ど使えなかったらしい。だがそれを責めるつもりはない、むしろ俺が聞きたいのは。
「それより聞きたい。アズサ、人生初の自由な時間はどうだった?」
「駄目でした」
彼女は屋台を見る。そしてポツリと呟いた。そして一瞬だけ、吹き出す笑みを作る。だが直ぐに、魂が抜けた、呆然とした様子に戻ってしまう。
「そうか駄目だったか」
俺の言葉を聞き、彼女は自身の服、その袖を握る。
「でも、悪くなかったです。この屋台に来たのは、街の外に出る際よく通りかかっていたから。といっても、通りかかるのはいつも夜なので、行列を実際に見た訳じゃないんですけどね。でもこの場にある足跡の種類から、日中は大勢が通う人気店という事は知っていたんです。それで列に並んでみたんですが、売り子の少女に笑顔で商品を渡されたら、何故かわからないんですが涙が溢れてきて。私、本当にどうしちゃったんだろ?」
膝上のスカートを今度は握る彼女。その上からは水滴が落ち、手と服を汚す。俺はその膝上の手を取った。こちらを向いた彼女に、無言で頷く。
(ああ、わかるよ。俺にも経験がある。そしてこれが、都市で過ごす中父さんが、俺の手を離さなかった理由だ)
大丈夫だ、俺も同じだから。それを伝える為、何度も頷く。俺が目線を合わせていると、彼女の涙は引いていく。
そして、アズサが落ち着いたのを確認すると、彼女が何に泣いていたか? それを語りだす。
「他人から優しくされて嬉しかっただろ。そして苦しかった筈だ。感情が上手く出せない事が」
彼女は頷き、裾で涙を拭く。それから俺を見た。
「はい。泣くことしか出来ないって、本当なんですね」
「理由はそれだけじゃ、ないけだろうけどな。洗脳で強い脅迫観念を押し付けられてたんだ。それが影響で心が脆くなってる」
「他の理由……そうかも、しれないですね」
彼女は俺の言葉に同意する。しかし再び俯いてしまった。
(やっぱりそうだよな?)
今朝からか? 彼女は少し固い気がする。これから起こす事。そして俺と一緒にいるのだ、多少はしょうがない。
だが問題なのはその固くなり方。なにかに……怯えているようだ。
「なぁ、アズサ。何を隠している?」
「何もありませんよ」
彼女に変化はない。むしろニッコリとした笑みを俺に向ける。
(はぁ、お陰で俺は聞かねばならなくなった)
先程まで落ち込んでいた人間。それが満面の笑みを見せては、何かあると気づかれるだろう。その程度のことにも思考が向かない。これでは夜に支障が出る。
「あるだろ話せ。話さなければ、俺はこの件から手を引く」
「それはズルいですよ」
そして彼女は観念した。息を吐き出してから、アズサは前を見る。
「私の仕事には、造反者の粛清がありました。だから怖いんです。今日の夜が近付く度に、仲間を処分してきたお前が裏切るのかと、殺した仲間に後ろ指をさされている気がして」
俯き、震える彼女。
俺はベンチで身体を伸ばした。そして背もたれに全身を委ね、腕を組む。そして決めた、気軽に行こうと。
アズサは俺が真剣でなくても、勝手にそう受け取る。真面目なのは美徳だ、でも自分を卑下するのは不毛なこと。重くなり過ぎぬよう、俺だけは軽くいく。
笑い声を上げ、俺は返答をする。
「それに関しては受け止めるしかないな。アズサが他の子達を思うのなら、尚の事」
「私だから?」
「そう。他人が悩んだ、それがわかる道筋は、後を通る人間に安心感を与える。それに彼らの為を思うからこそ、耐えられるだろ?」
彼女は微笑みながらも小さく「ほんとかな?」と呟いた。
彼女の疑問も最もだ。仲間の粛清。その負い目に対する言葉を俺は持っていない。だから耐える意義を作る。まぁ、それしか出来ないのだが。
後は、彼女自身を肯定してやることだ。
「それが出来るなら、アズサは優しい人間だろ」
言葉と共に彼女の頭を撫でた。
アズサは何も返さない。俺の目をじっと見つめる。しかしその目線に俺は汗をかく。わかってしまったから、彼女は俺を見透かしていると。
「グラムさんは気にしているんですね。私に掛ける言葉が、依存心を引き起こすんじゃないかって」
誤魔化すために頭をかいたものの、図星だ。
彼女の言った事は間違っていない。否定され、空っぽになった人間に肯定を与え続ける。俺だって、互いの感情をぶつけあい、本音を晒し合う方法を選びたいさ。だけど、自分を晒せない俺にはそれが出来ない。
「よくわかったな。俺には教本通りの付き合い方しかできない。だけどーー」
「出来る限りは助けたい……ですか」
言葉を奪ったアズサ。彼女の目は優しく俺を見ている。
「ああ」
彼女の言葉に頷く。
「はい、私もです。やぱり私とグラムさんは似てますね」
「似てるな。共通点は他にもあるな。俺は戦場に戻りたくない、と思っていた筈なのに、心の底ではそれを心待ちにしている。アズサの場合は、殺しの中に安心感を覚えている所か?」
彼女の目から温かみが消える。そして俺だけにしか伝わらぬよう殺気を放った。
「そう、私は暗殺者の道に安らぎを覚えていた。他の子達は帝国に逆らう恐怖心と、仲間たちへの思いで動いているのに。私は一番適正のある事をしているという、充足感で動いている」
やっぱり全部覚えがある。父と合う前の俺もそうだった。戦場で戦う事が全て、それ以外要らないし、それしか求めない。
だから経験者として述べる。
「その沼は自分では破れない。何かきっかけが必要だ」
俺の場合は父。彼が注いでくれた心だ。
彼女は殺気を解く。そして穏やかな顔で俺を見た。
「もう、きっかけはあったんです。それをくれたのは貴方ですよグラムさん。貴方の与えた恐怖が、私の本能を抑え打ちのめした。でないと、組織を裏切り、仲間を救いたいなんて思いもしなかった。お陰で私は優しく生きられる。温かい場所に手が届く」
彼女はベンチから立ち上がる。そして振り返り俺を見た。
「もう……大丈夫です。私は歩く覚悟が出来ました。先ほどは、向けられた善意に馴れなくて、戸惑ってしまいましたけど、私は日の当たる、温かい場所に居たい。他の仲間達もそこに連れていきたい。そして貴方の側に居たい。他の人には闇であっても、私に取って貴方は光だから。貴方個人に忠誠を誓います」
頭を下げる彼女。だが俺は、中々返答しなかった。
彼女の言葉を予測していなかった。いや、予測しようとも思わなかった。なんせ、俺が一番キライな言葉だから。
戸惑う俺に、彼女は顔を近づけ。
「自分の事はわからないと、良く聞きますよね。なら、自分と似ている相手の事も、よくわからないものですよ。それとごめんなさい」
彼女の眉が垂れる。その申し訳無さそうな顔に、首を傾げた。
「何がだ?」
「だってこの言い方、グラムさん嫌いでしょ? それでも、私の思いを伝える一番適切な言葉だったから、使わせて貰いました」
「はは、そんな事か。全く一歩取られたよ」
呆気に取られた。笑うしか無いほどに。まさかここまで見透かされるとは、思ってもいなかった。
俺は立ち上がる。そして彼女の横を通り過ぎた。
「不思議だよな」
嫌いな物。例えそれが理解されても、受け入れがたい気持ちは変わらない筈。なのに。
「受けいれたいと、思っている」
それを聞いた彼女は、俺に飛びつく。
「やった。えっとグラムさん……グラム様?」
その敬称に肩を落とす。そして心底嫌そうな顔で俺は振り返り。
「敬称は嫌い。肩苦しい、背中がムズムズする」
「そうですか、ではなんて呼びましょうか?」
唇に人差し指を当て、考えるアズサ。そんな彼女に手招きをする。
「後で決めてくれ。今は夜の準備を完璧な物にしよう。1つアイディアを思いついたんだ」
「はい」
俺が歩き出すと、彼女もその横を追走する。
(傷の舐め合いと笑えばいいさ)
旗から見たらそう感じるだろう。だが、自分が父からして貰った事を相手にもする。それの何が行けない? ただ今回は、自分と似た相手だったから、少しだけ積極的になった。それでも思う。前向きな関係を彼女と結べてよかったと。
俺達は買い物を終えると、先程彼女が泣いてしまい、商品が買えなかった屋台に戻ってきた。
相変わらず長蛇の列。その最後尾から並び。そしてついに、アズサは少女の下に立つ。
「お姉さん、いい表情になりましたね」
「そうかな? ありがとう」
「うん」
少女から商品を笑顔で受取る。そして俺達はベンチに座って食べ始めた。
買った商品はワッフル。嬉しそうに食べる彼女。
「さっきは食べれなかったので、よかった」
アズサは思わず涙ぐんでいた。「そうか」と俺も何度か頷き。
「また食べような」
「はい。いろんな店のを食べてみたいです」
彼女は固くなっていない、全力の笑みを俺に見せた。それを見て俺は、あることを思い出す。
(俺もあんな風に笑ってたな)
始めてアイスクリームを食べた、その後の事だ。父さんの反応がしつこくて、食べきる前に容器を突き返した。
「やりすぎたか。そうだ。ほれ、別の味を買ってきたぞ」
彼は新しく買った方を渡す。俺はと言うと、新たに受け取った方を数口食べる。その後、先ほど押し付けた方と再び交換するよう、父さんに強請たった。
「いいのか?」
「飽きた。変えて」
それを交互に繰り返す。器を交換しているだけなのに、当時の俺はそれがひたすらに楽しかった。
多分俺はその時、今の彼女と同じ顔をしていた。それはきっと、心が満たされた際に現れる表情なのだ。
「どうしましたグラム」
敬称争いは、呼び捨てにする形で収まった。ま、俺がそう頼んだのだが。
「なんでもない、ありがとな」
彼女を見て、俺は父の気持ちを理解する。アズサは俺にとって、大切な一部となった




