返事
俺は現場に着き仕事に入った。運が良い事に、親方のトミさんはいない。遅刻を報告せずにやり過ごせるか? 期待しないでおこう。そして俺は木の伐採に入ったわけだが。
「私が来たから寂しくないよ」
言ったのはアリスだったか? 俺は我に帰る。
背後には3つの切り株がある。それとは別に、分断された木が倒れようとしていた。
「お前ら逃げろ」
「グラムの野郎、一刀両断したらな、逃げる時間が無いだろう」
走る同僚達を見ながら、俺は自身の不甲斐なさに、手で顔を覆う。
(本当に今日はおかしいな)
仕事を始めても、俺は彼女の事で頭が一杯。結果が、仲間を危険に晒した訳だ。
「いや、本当にごめんなさい」
両手を合わせ、俺は木こり達に謝罪する。
「まったく、しっかしてくれよ。それはそうとだグラムよ。好きな人でも出来たか? うん? そうでもないと、悩まないよな」
ニヤニヤとした顔で男性は肩を組んでくる。
馴れ馴れしくはあるが、問題は内容だ。
(そんな相手はいない)
否定したかった。しかし危険に晒した引けも目あり、強気な言葉は憚られる。それに想い人を吹聴する、心を明かす趣味は俺にはない。黙秘権を行使する。
「へへ、反論がないってことはだ。決まりでいいな。よし、賭けは俺の勝ちだ。いや、今月の給料でツケが払えるか、微妙だったんだよな」
背を逸らし、笑う男性。俺の背中を叩き、「助かった、助かった」と叫んでいる。
俺自身、賭けの対象にされている事は知っていた。やめろと言いたいが、酒の席で決めたことをシラフの相手に文句を言っても、とぼけられるか、忘れたと隠されるだけだ。
男性とまともに遣り合えるのは、同じく賭けをした人物だけだ。無視をすれば賭け事態が無効になりかねないのだ。彼を利用する他ない。
普通に呼びかけたとしても、賭けをしている人物は顔を出さない。誘き寄せるには策がいる。例えば、自身の勝ちを、相手に捻じ曲げられそうな状況などを作り上げれば、自ずと現れてくれる。
「そんわけあるか。グラムが、アリス以外の人間を好きになるだぁ〜〜。お前は明日、槍でも振らせたいのか? というか、負けそうだからって、脅しかよ? カッコ悪」
遠くから1人の男性が走ってくる。息を整える事もせず、俺と肩を組んでいる男性を指差す。
「うるせぇ。認めさせないとな、俺の酒代がチャラにならねんーー」
男性は地団駄を踏み、怒りを露わにした。決まった勝負にいちゃもんをツケられては、誰だって怒る。
「ようやく、ボロを出したなお前ら。この時を待っていた。」
腕を組んできた男性、彼の頭部を俺は殴った。男性は地面に叩きつけられ、意識を失う。
「ふ、ざまぁみやがれ」
気絶した彼を鼻で笑う者がいる一方で、俺はしゃがみ、彼の状態を確認する。落ち葉がクッションになっていたとはいえ、当たりどころが悪かった。容態の確認は必須である。
(大丈夫そうだな)
安堵し立ち上がると、再び肩を組まれた。組んだ男性の要件も、先程と同じだろう。賭けに勝つため、俺に認めて欲しいのだ。
「で本当は? アリスを今も好きなんだよな」
「お前、勘違いしてないか?」
俺が大人しくしていたのは、賭けをしている2人を現行犯で捕まえ、制裁を与えるためだ。仮にも反省を促すのだ、間違いがあってはいけない。俺の眼前で賭け事を暴露するなどの、証拠が欲しかった。
「さっき言ったろ? お前らって」
「悪かったって。いや、本当にやめろ。昔見たんだ。お前にデコピンされた奴が、壁にめり込んだの」
「大丈夫死にやしない」
アリスの事を諦めていない。間違った答えを選ばなかったのだ。罰は少し、軽めにしてやる。
俺は中指を折り、デコピンの予備動作をする。
「あの、えっと。すいませんでした」
彼は慌てて腕を解き、俺から数メートル離れた。その様子に溜息を吐く。
「俺もだけどさ。そんな大声だしてると怒られるよ」
直後だ。
「貴様らーー!!何をしてるかぁーー!!」
付近にいた若い木こり(30代)達は、みな顔を青ざめる。
声の人物は親方のトミさん。木こり達は昔、彼に絞られた。それがトラウマになっており、姿を見るだけで心拍が上がってしまう、らしい。
唯一の例外が、時代を知らぬ者。つまり俺だ
「トミさんこんにちは」
手を上げ、気楽に挨拶をする。
「おうグラムか、ちょっと待っとれ。ここは俺とグラムだけでいい。お前らは保管所の方に行け。わかったな」
「「はい」」
彼らは走った。蟻の行列と言ってしまえば少々横幅が広いが、一直線で。
木こり達が居なくなったのを確認すると、彼は俺に向く。
(えっと。遅刻したのがばれたか?)
彼らが怯えるのも無理はない。トミさんが地面を踏みしめると、木々が揺れ、森が動いているように錯覚する。只人の雰囲気ではない。
緊張で唾を飲む。彼は俺の肩を掴むと雰囲気を緩めた。
「遅刻したのは知ってるが、それを責める気はない。普段から助けられているしな」
「まったく。からかわないで下さいよトミさん」
全身から力が抜け座り込む。そんな俺をトミさんは大声で笑った。
「悪いな。若いし真面目。俺の扱きに涼しい顔でついてくるお前だ。頻繁に遅刻することは、ないだろうがな。今度は気をつけろよ」
彼は丸太に触れる。俺は疾く立ち上がり、寄る。
「手伝いますよ。恩人には、こき使ってもらわないと」
子供と病人が木こりになると言っても、誰が認めるか。職につけたのは、彼の口添えがあってこそ。
「いいから。でも懐かしいな。父親は直ぐバテるのに、お前は平然としてたからな。当時、コイツら本当に親子か? って疑ったもんだ」
「はは、よく言われます。父は筋肉痛で動けないのに、俺が1人で現場に来た時は、流石のトミさんも驚いてましたね」
「はん。お前の婆さんに惚れてなかったら、村に入ってきた直後に追い出してたさ。ま、お前の父が、息子を連れて来た時は、俺も驚いてたからな。どっちにしても、追い出せないか」
「そんな事もありましたね」
考えるとだ。俺と彼の関係は、祖父と孫に近いのかもしれない。
彼に習って丸太に触れるが、腕を掴まれ、静止しされる。
「だから待て」
「えっと。何でですか?」
彼は、村のある方角に目を向けた。
「さっき、村に騎士が来た」
「そんなのいましたっけ?」
「遅刻したのに見落とすなバカタレ」
おつむに拳骨を落とされる。俺は奔る激痛を和らげるため、頭を擦っていると、下を向いたトミさんは、震えた声で語りだす。
「木が、山が、怯えている。何かが起こると山の神様が、俺に伝えている気がするんだ。母方の事情はしっている。利用するようで悪いが、子供達だけは頼む」
(それは……自分たちは守らなくて良いって、ことじゃないですよね)
俺は彼に背を向けた。そして首を上げ、目を瞑る。
やっぱり駄目だ。素直に感情を表せない。だって、村に済む子供より、俺は年寄のトミさんを守りたいんだ。言ったらトミさんは、頭にゲンコツを再び落とすのだろうか?
(それは嫌だなぁ〜〜)
なら、彼を納得させる言い方をしなければ。
「わかりましたよ。出来る限りは救ってみます。こんな風にね」
俺は手に持った斧を投げる。それは木の隙間を抜け、先程からこちらを伺っている、3メートル近い猪型の魔獣を仕留めた。
「だからトミさんも、生き延びきる事だけ考えて下さい。俺は1人しかいない。だから守るには時間が必要だ」
ドシンという、魔獣の倒れる音を背景に彼を見る。
「ガキが。俺達は自分の身は自分で守れるって話よ」
トミさんは、俺を鼻で笑った。
*
村で行われる収穫祭の説明をしよう。
村の立地だが、森に囲まれている。平地は少なく、畑の数も限られているので、収穫祭と言っても、お供え物の大部分が狩猟で得た肉となる。
そして村で祀られている神様だが、少々俗っぽい。
崇められるより、村人と共に笑いたい。だから、多くの人と食卓を囲む事を、何より重視している。
収穫祭の内容だが、お供え物を使い鍋を作る。そして村人を集め、皆で食事をするのだ。
祭りの内容は神様が決めることだ、俺から言える文句はない。ただ価値観が近しい神様だと、身近に感じられ、祭りのモチベーションになる。動機のもっぱらは食い意地だが。
俺が今している事は、鍋を作る際に必要な薪の準備。
木材を背負子に積んでいると、トミさんが声を掛けてきた。
「グラム、お前は独り身だろ? 祭りの準備もしないとけない、今日は木材を村に届けたら、上がりでいいぞ」
「独り身って。そういうのはですね、結婚適齢期の人に言って下さい。俺、まだ13才」
俺は背負子に腕を通す。立ち上がった当初はふらつき、積み上がった薪が揺れるが。
「よっこいしょ」
踏ん張り、俺は垂直に立つ。トミさんは首を上げ。
「おいおい随分と積んだな。3〜4メートルって所か? とにかく上には気をつけろよ」
「わかりました。では」
彼に手を振り、俺は現場を離れる。
木の葉や石、道の凸凹。林道を通り過ぎ、村を一望出来る場所から下っていく。ふと嗅ぎ取ったのは鹿肉の香り。俺の腹が思わず鳴る。
「祭りの準備も順調だな」
時間が立てば、空腹を煽る良い匂いがさらに増し、より流れてくるだろう。楽しみであり、空きっ腹には辛い所だ。
俺も純粋に祭りを楽しみたい。しかしトミさんから聞いた、余所者の件がある。
「油断は出来ないな」
思わず背負子の紐を握った。
*
俺は村の広場に行き、男性に薪を手渡す。
「叔父さん、これで足りるかな」
「多すぎだ。たっく、今年は2、3日ぶっ続けで、祭りをやらせる気か? ま、余った分は、配るから良いけどよ」
「じゃ、俺はこれで」
「ああ、気を付けて帰れよ」
俺の仕事は終わりだ。祭りの準備もあるし帰路につく。
村から自宅に戻ろうとする。その時だ、右側から叱り声が響く。
「レイちゃんに謝りなさい。でないと鍋の材料にされちゃうわよ」
食い気が理由で、足を止めたのでは無い。声だ。俺がずっと、待ち望んだ声が聞こえたのだ。
急ぎ俺は、声のした方角に走る。
「アリス」
金髪の少女と黒髪の男児、2人を叱る彼女の姿があった。
捕まえられそうな距離だが動けなかった。今度は恐怖からではなく、背が伸び、成長という美しさを纏った彼女に、見惚れてしまったから。
俺の声に気づいたのだろう。彼女は振り返る。
「待ってて」
目を細め、彼女は冷たく言い放つと、2人のお説教に戻っていった。
(はぁ? 何を今更)
ぞんざいに扱われても、一年前ならしょうがないと、俺は流していただろう。しかし告白の返事も貰えず、放置さていたのだ。知り合いだから大丈夫では通用しない。
(なんだけど、俺の負けかな)
俺は律儀に待っていた。
心情としては嬉しくてたまらない。声を掛けられただけなのに、心が跳ねる。惚れた弱みと言うなら、喜んで待とう。所詮は数分、年単位の放置に比べれば、俺は楽しむことも出来るのだ。
「ごめんレイちゃん」
「ううん。私もごめん」
2人は頭を下げる。そして恐る恐る、アリスの方を見た。
「じゃ、仲直りでいいね」
言葉を聞き、2人は小さく息を吐く。彼らは、まったく同じ行動をしていたのに気付くと、顔を合わせて笑い合う。そして仲直りの証として、2人は握手をした。
そんな彼らの様子を、物陰から見ていた者達が居た。
「アリスさん、喧嘩は終わった?」
現れた3人の少年少女。確か喧嘩をしていた2人も、彼らのグループだったはず。
「はい、仲直りもできましたよ」
「じゃ、行こうよ、2人共」
アリスの了承を聞いた少年たちは、喧嘩をしていた2人を引っ張り、村の中央へ向かって歩き出す。
そしてこの場は、俺とアリスの2人きりになった。ようやく彼女と相対出来る……のだが、俺は怖気付き、目を逸らした。
首を動かすと、目に入ったのは金髪の少女。先ほど、喧嘩をしていた1人であり、仲間達と歩いている筈が振り返っていた。
俺達は目が合い、互いを認知する。最初に目を外したのは俺だ。気まずく下を見る。
「レイちゃん行くよ」
金髪の少女、レイは仲間達に呼ばれ、遅れた足を取り戻すべく走っていった。
(いやまぁ……ごめん)
俺が金髪の少女を注視していたのには理由がある。昔、少し前か。彼女には申し訳ないことをした。所謂負い目ってやつだ。
そして一瞬、アリスから目を離した。気付けば彼女は接近しており、俺の顔へと手を伸ばす。
「にゃんのまねだ」
「私の声を聞いても、一瞬気付かなかったでしょ? ねぇ、ねぇ」
彼女は顔を膨らませ、俺の頬を揉む。満足した後は、脇腹を肘で突き始めた。
無遠慮な態度に腹が立ち、俺は彼女の腕を掴む。
「お前さ、俺を一年以上無視してただろ? そんな奴がよくできるよな?」
彼女は俺を一年放置した。結果、どれほど辛い思いをしたか。目を見つめ、伝えるよう睨む。
だが、長くは続けられない。封じようとした思い出なのだ。こじ開ければ平静を保てず俯いてしまう。
そんな俺を、彼女は抱きしめた。
「うん、ごめんね。私はグラムに甘えてたんだ。だってグラムは、私の事を嫌いにならないでしょ? 私が君の事を好きなよう」
単純なものだが、俺は報われた気になってしまう。抱き返し、思いを伝えようとする。しかし腕は空振り、彼女は離れてしまった。「なんで?」と鼻の奥が詰まる。
「でも、もう少しだけ待って。といっても、このままじゃ無理か。後数時間、収穫祭が終わったら、貴方の家に言っていい? 私、今日で教会を出るから。それじゃ」
彼女は顔を真赤にし、去ってしまう。俺はまたしても動けなかったが、今度はネガティブな気持ちからではない。
彼女からの返答を、震えて受け止める。
「つまり、つまりだ……」
俺の告白は、上手くいったということか?
数分、その場で立ち尽くす。緩んだ頬が、自然と笑みを作り出した。
「やった。やったぞ」
俺は何度もガッツポーズをし、自宅に向かって走り出す。
自宅前には急坂が存在する。何度も息継ぎをした難所であるが問題ない。一度で駆け上がる。
そして告白をした玄関前で、俺は頭を下げ、家に入った。
「えっと、何をするんだっけ? はぁ、まずは掃除か」
目に入るのは溜まった埃。普段から掃除はしている。しかし見落としていたようだ。荒んだ心では、目の届かぬ場所も出てくるだろう。
俺は右手の指を順に折り、時間とやるべきことを計算する。
「日が沈む頃に祭りが始まるから、時間との勝負か、おもしれぇ」
俺は頭巾を被り、雑巾を絞った。家の中であっても、駆け出すように掃除を始める。
「ん? 誰だ?」
残りは寝室。掃除の終わりが見えた頃だ。誰かが自宅の戸を叩く。
「おかしいな」
村の住人は距離が近い。扉を開けるまでもなく、喋り声がなだれ込む。玄関の戸を叩くという、奥ゆかしい人間は村に居ない。疑問には思いつつ、警戒心なく扉を開いた。
浮かれていた。トミさんから忠告されていた筈なのに、来訪者の件は頭の中には残っていなかった。
「どちらさま……え」
開けた直後、銀の突起が俺の腹を貫く。
痛みに耐え前を見る。そこには甲冑を来た騎士が立っていた。
「不浄なものよ。あの方に淫欲を向けたこと、万死に値する」
騎士は兜はつけていない。だから顔がよく見える。自分に否はないと信じ込んでいる、男の目が。怒りを宿した眉が。
剣や鎧は一級品。態度からしても、典型的な狂信者のそれだった。
「が」
俺から剣を引き抜くと騎士は去っていく。
俺の体には穴が空き、中軸から血が溢れる。しかし体を扉で支え、倒れるのは拒絶。遠ざかる騎士に俺は手を伸ばす。
「ま……なんだ?」
そこで気付いた。香っていた鹿肉の匂いが、焼けた木材の匂いに変わっていることに。
正面の村がある方角では、大量の煙が天に登っている。そう、俺が住んでいた村は滅んだ。