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錆びた鉄の匂い


「クッソ」

「どうしたアドラ、この程度で終わるのか?」


 膝を着いたアドラに剣を向ける。彼はというと歯を食いしばり、射殺す目で俺を見ていた。


「クッソ、鬼化も出来ない落ちこぼれに追い詰められるとは」


 アドラの負け惜しみだ。なんせ奴の命は今、俺が握っている。それでも鬼化か、痛い所を突かれる。


「鬼化、鬼化ね」


 俺は不貞腐れ鼻を鳴らすと、彼は弱点を見つけたと、嬉しそうに吠える。

 

「そうだろ? 鬼化は純血でないと使えない、狂戦士の奥義にして真骨頂。それを使えぬ貴様には、なんの価値もない」


 お前は優れた狂戦士ではない。そう彼が叫ぶのは、ある事を肯定したいから。それはアドラの心。負けられない相手に意地を張るのは当たり前だが、貶すのはどうだろうか?


(そんなに認められないか? 俺がアドラ、お前より強い事を)


「だと思っていたが。認めるよ、お前は()()()()()()()()()


 アドラは隠し持っていた短剣を抜き、俺に飛びかかった。狙いは首。だがそれを通すには、姿勢が悪すぎた。


 膝をついた状況では、どれだけ洗練されていても、行動の予備動作は隠せない。何より攻撃速度が足りない。


 俺は剣を振り、彼の左腕を斬り落としす。短剣が床に落ち、アドラの無力化が済んだことで、ほんの少しだけ気が抜ける。その時、胸に衝撃が奔った。

 

 目の前では右拳を振るう、アドラの姿がある。

 

「距離を稼がれたか」


 アドラは左腕を捨て、距離を作る判断をした。普通なら腕を捨てるなど、戦闘や今後の日常生活の面でも取り返しのつかない行為。だがアドラ達、帝国7武人の切り札を知っていれば、理解できない訳じゃない。


 そしてアドラは、床に落ちた短剣を拾い、その刃先を自らに向ける。


「先程の言葉、あれは嘘だ。お前は鬼化を使わないという条件を満たせば、狂戦士としては最高だ。だから俺も全力を出す、竜血聖魔」


 アドラは短剣を自らの胸に刺す。その直後、彼の全身が輝き始めた。

 

 光が収まると、アドラの容姿には様々な変化が生まれていた。肌には鱗が混じり、両目には紋章が浮かんでいる。何より、切り落とされた左腕が生えていた。さらに全身から溢れ出る青色のオーラ。それと同じ色になった剣の刀身も見過ごせない。


「竜化か」

「よく知ってるな狂戦士」


 アドラの変化、それを俺は知っていた。


 ニクス帝国を支えるのは人ではない。人知を超えた2匹の龍。黒と白の夫婦龍だ。


 帝国7武人になると、龍から力を貸し出される。故に竜化。神すら超える頂点の一角、それから力を授かれるのだ、光栄と言えるだろう……馬鹿か? 


(他人から与えられた力。それで俺に勝てるか)


 アドラの目に焦りはない。あるのは驕り。そして先程俺がアドラに与えた傷。今は塞がり消えてしまったが、彼はそれを撫でていた。


「アドラ、お前は腹いせでもしたいのか?」

「ああ俺は剣士だ。近距離で負けた恥は雪がねばならない」


 そしてアドラは、剣先をこちらに向ける。また剣を伸ばして来るのではないか? と俺は一瞬警戒したが、そんな事はなかった。


 奴は宣言通り、剣士として俺に接近戦を挑むつもりか? もし、それが本当であるならば。

 

 俺はアドラに聞こえないよう呟く。


「まったくコイツは、戦いを舐めてやがる」


 アドラは突っ込んでくる。そして上段から剣を振るった。


 上段を初撃に選んだのは、一番力を乗せられるのが唐竹割りだから。そして竜化によって増した力で、俺を脅かしたいから、そんな魂胆が透けて見える。


「そして勝ちを確信したニヤけた笑み、気に入らないな。フィアー70%」


 そんな彼の斬撃を、俺は先程と変わらぬ剣の片手振りで弾いた


「くっそ、なんでだ」


 一度距離を取り地団駄を踏むアドラ。彼に向かって俺は、剣先を床にこすりながら、歩いて近づく。


 ギギという金属音。それを背景にアドラが俺に勝てない、その理由を伝える。


「アドラ、お前は恐怖を知らぬのだろう。恵まれた才、恵まれた生まれ、恵まれた師。だが今までの幸運は、今日訪れる不運の前借りなだけだ。お前は知っているか? 命を掛ける恐ろしさを。眼の前の人間、彼らが見せる鬼気迫った感情を」

「は、知るかよ。ふざけんな」

「だろうな。だからお前には、他者への敬意がないのだ」


 ふぅと息を吐く。アドラの返答でようやく、俺につけられていた枷が1つ外せる。


 俺は元来、平和な世で生きるのには向いていない。村で生活出来ていたのは、親父やアリスから、人としての生き方を教えて貰ったからだ。


 だが学んだのではない。体に刻みつけ、狂戦士(俺を)忘れたのだ。しかし帝国に勝つには、その忘れた部分を取り戻さなければ行けない。だから俺は、優しさという枷を外していくのだ。


「さて、そろそろ恐怖に溺れようか」


 俺は真っ直ぐアドラを見た。それだけだ、だが彼は喉を鳴らし、完全に気圧された。それを認めたくなかったのだろう。アドラはこちらに飛びかかり、がむしゃらに剣を振るった。

 

 彼は未だ気付かない。その捨てられぬ誇りが、お前が俺に勝てない、一番大きな理由であり、俺がお前を生かさない、絶対的な理由なのだ。

 

 そして俺はアドラと打ち合う。帝国7武人とはこれからも戦うだろう。そういう意味でも、竜化の強化幅を把握しておくのは大切な事だ。それらを加味した上で、今のアドラなら。


(これなら、レイに任せて良かったな)

 

 今のアドラは、レイと戦っていた時より体のキレが悪い。パワーとスピードが上がった所で、大振り相手なら一撃の完成前に崩してやれば、さしたる力を必要とせず弾ける。


「いい加減しつこいんだよ、狂戦士。さっさと倒れろ」

「甘い」 


 俺はアドラの、右上段からの剣を打ち払う。その際、彼の身体が浮く。腕も大きく開かれており、その隙を狙い俺は袈裟斬りを放つ。


 先程とは逆。今度は右肩から左腹に掛けて深々と切り裂く。


「今度は浅く無ぇぞ」


 アドラは傷口を右手で触る。手の平にはベッタリと血がついており、それを見た彼は目に涙を貯める。


「貴様卑怯だぞ」


 そして人差し指を俺に向けながら言った。


「卑怯?」


 所詮敗者の戯言。そう受け流せばいいのに、普段の俺なら間違いなくいそうしていた。なのに、何故かその言葉が心に響いた。


 俺は構えを解き、アドラの後方にある女性の死体に目を吸い寄せられる。白骨化どころか、綺麗な肌を保った女性の遺体。服装はニクス帝国の軍服、濃い緑色の服を着ている。問題なのは顔だ。安らかな物ではない。口は苦しそうに閉じられ、目は睨みつけるよう強張っていた。そして俺はこの女性と面識があった。


「わかりました、その取引に応じます」


 今のニクス帝国は腐っている。ノルマを果たせなかった部隊を処罰する、そんものは当たり前。さらには彼らの家族までも罪人として牢にいれる。


 勘違いしないでくれ。彼らに同情し、取引をした訳では無い。

 

 女性が率いている大隊は、シルバード王国の民に、申し訳ない気持ちを持っていた。それで、上からの指示を無視しては軍人としては失格だ。だが俺は、彼らが間違っているとは思っていない。

 

 その誇らしい優しさに応えたくて、俺は取引をしただけなのだ。

 

 アリスの献身さに当たられたのか? 昔の俺ならこんな事は考えない。


 そしてそんな優しい女性が、この場で殺された。

 

 まだ軍部に連れられ、そこで裁判に掛けれれる。これなら俺も怒りに燃える事はなかっただろう。だが現場で殺している以上、それは個人の裁量だ。


 そして彼女を殺した相手は、恐らく……アドラだろう。


(また、生かす理由が消えたな)


 もう1つ、許せない事がある。何故アドラは、彼女の目を閉じてやらない。何故死者を労らない。借りにも同じ陣営の仲間だろう。


 アドラに果たして人の心はあるのだろうか? 上に立つ資格があるのだろうか? そして正々堂々、戦う価値があるのだろうか?

 

 戦場じゃないが故に、俺には個人が見えてしまう。駄目だ。このアドラとは価値観が違いすぎる。


「もういい、お前がその気なら」


 アドラは叫ぶと走り出す。俺は構え、攻撃に備える。しかし彼は俺の横を抜け、レイとロイ、彼らの方に向かった。

 

「ちょ」

「くっ」


 2人は、アドラの予想外の行動に対応が遅れた。剣すら構えられていない。


 俺は急ぎアドラを追う。


 アドラの純粋な身体能力は俺より上だ。このままでは、2人は死んでしまう。なのに、頭の中はその事に集中出来ないでいた。


 理由はアドラの表情。


 彼の表情は、昔戦場で見た、部下を死地に追いやり手柄は独り占めする。俺が嫌いな指揮官の笑みと瓜二つだった。


「口を開ければ出る、卑劣卑劣卑劣という他者を侮辱する言葉。そんな男のする行為が不意打ちか?」


 そして元々溜まっていた不満が、無意識に言葉となる。


 もう限界だった。怒りを抑えるのが。


 だがこの戦いはレイに、感情的になることの危険性を教える為の物だ。だから、狂戦士は感情のまま戦った方が強いという、例外を見せたくなかった。

 

 そんな理性も、真っ赤に染まった視界が吹き飛ばす。


 体に力が漲り、俺はアドラを追い越す。そして誰よりも先に二人の前に滑り込んだ。


「っく」


 驚愕したアドラの表情。乱れた一振り。それを俺は剣諸共、打ち砕く。


「そんな」


 一振りの下、砕かれたアドラの剣。しかし彼の身体に傷をつける事は出来なかった。それは偶然、アドラの腰が落ち、座り込んだから。


「嘘だ、スピカは確かに、ハーフは鬼化出来ないって」


 アドラは剣を砕かれた事より、俺の変化に怯えているようだ。


 自身の容姿、その変化はわかっている。髪は赤黒く、鉄分が多く混じった血の色だ。髪質は手入れもなされていないボサボサな物。そして目の動向は赤く発光。白目の部分は黒く染まっているだろう。


「錆びた鉄の匂い」


 それを言ったのは背後に居るレイだ。


 彼女の声で俺は我に返った。すると赤く染まっていた視界が薄れ、変化していた容姿も戻った事だろう。


「クッソ。想定外だ、鬼化を使うなんて。これ、他の狂戦士と髪の色が違うから嫌いなんだよな」

 

 そう、他の狂戦士の鬼化は、髪色が白髪なのだ。俺も元々は白髪だったが、気付いたら赤黒い色の髪色になっていた。


 これがコンプレクスになっているわけで。アドラに突かれた時、言い淀んだ理由だ。


 そしてアドラはというと、呆然と俺を見ている。彼の股を濡らすお漏らしにも、気付いていない。


 いい加減、勝負をつけようと俺が近づいた時だ、アドラは意識を取り戻し頭を抱える。そして「嘘だ嘘だ」と呟いた後、そのまま姿勢で。


「俺が悪かった。お前に絶対服従を誓う。ニクス帝国のスパイをやればいいんだろう、な、な」


 アドラは、少々頭の高い命乞いをした。それはかつて、別大陸で名を馳せた俺が嫌と言うほど聞いたもの。


 それはつまり、アリスと親父、彼らと出会う前の自分に近づいている。それを教えられているようで、俺は不快だった。


 だが昔に戻るのはしょうがない。覚悟していたものだ。それより聞き捨てならないのは、アドラの命乞いの内容。

 

「スパイだって? お前が?」

 

 俺はアドラの顎を蹴り飛ばす。そして彼の胸を踏み、鼻で笑った。


 だってよ、こいつにスパイが出来るわけがない。

 

「なぁ、スパイだからこそ信用第一だ。ただでさえ、他国の人間は簡単に信じられない。それを信じさせる事が出来るのは、実績と動機。だが俺にとってそれらは、全て恐怖で代替えできる。そして恐怖は優しさと同じ、受け取る側の度量がいる。だが俺が考えるに、お前にはその度量が全く足りてないらしい」

「やめろ」


 足をどけ、俺はアドラのに跨る。そして彼の胸目掛け、剣を突き刺した。


「そんな俺はこんな所で。帝国一の剣士になる夢が。あと少しだ、せっかく帝国で2番目の剣士に馴れたのに、イヤだ…いや」


 そして数十秒後、アドラの目から光が消えた。俺は彼の顔に右手を近づかせ、そっと瞼を閉じさせる。

 

「お疲れ様。今度は生まれ変わったら、人の生き死に関わらない平穏な生活を送るんだな」


 俺はアドラから剣を抜く。そして血を払い、同時に宣言をする。


「俺は戦場に返ってきた」


 帰ってきてしまったと言う虚無感。久しぶりの故郷への帰還、その哀愁が宿っている事に気づく。

 

 心情としてはただ悲しい。慈しみという外装を1つ、手放したのだから。


 ただ、この場にいるのは俺だけではない。


「終わったぞ」


 振り返り皮肉げな笑みをレイに向けた。


 

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