ドラン砦にて
俺は腕を枕代わりに、目を瞑る。
石材で作られた床。正直、体が冷えてしんどい。良い所もある、それは隙間風がないこと。まぁ、地下故に、冷えた空気が充満しているのだが。
ここはドラン砦の監房。俺はその牢屋に入っていた。
「あのクソども、何が命令違反だ。俺がしたのは上司への暴行だっての。それに隊を危機に陥らせただ?」
牢屋に入れられ一週間。昔、寒さは馴れる、と言った奴がいた。しかしあれは嘘だ。だって俺、寒いもん。
(それにても暇だな。……だが明日か)
俺は胡座になり、肩を回す。体を解していると腹が鳴る。
(そろそろ昼だが。まともに食えればいいが)
働かざるもの食うべからずというが、ここのはちょっと陰湿だ。料理がというよりは、運び方が。
丁度そのタイミングだ。監房と外を繋ぐ扉、そこについている錆びた丁番(扉にある金具)が、ぎぃーという音を鳴らす。
(さて今日は何かな? 楽しみだ)
カツカツという革靴の音。
足音からして3人か? 不協和音が近づいてくる。
「これがお前の飯だ。おっとすまない、手が滑った」
汚れやシワもない軍服。それを着こなす男性は、俺の眼前で食事を落とした。
落とされたのはサラダにパン、それとスープだ。俺は散らばった食事を素手でかき集め、口に掻っ込む。
「うわ、まじかよ。コイツ床に溢れたスープを舐めてるぜ」
「ああ、人間こうはなりたくないな、あんなみすぼらしい飯を食べるのも、それに縋って生きるのも」
「さて、今日の飯はなにかな?」
「決まっている、牛肉のステーキだ」
「ああ、軍人らしく鍛えないと」
男性は腕を曲げ、力瘤を誇示するが、腕は平坦のまま。そして彼らは去る。監房から出たかは、扉が教えてくれる。
「わかっていないのはお前らだ」
散らばった食器を見て、俺は1人呟く。
俺は食事係の、人となりを知っている。
「ここの食事メニューは日ごとに固定なんだ。ドラン砦の予算は、基本階級の低い者には降りてこない。そんな状況でも、先輩たちが頑張ってくれた。厳しい鍛錬、明日来るかも知れない敵に、精神を擦り減らす俺達。少ない予算の中で、栄養バランスと量を、確保するため様々な工夫してくれた。だから俺達は、これを誇りに思う」
それは母の愛と違う。だが、他人を思いやれる素晴らしい愛情だ。だから、無駄にするわけにはいかない。例え床に零され、舐めるしか無くても。
「まぁ、シェフを連れてきているお前たちには、わからないだろうがな」
先ほどの奴らは元貴族。階級を買って軍人になった人間だ。そういう意味でも俺達と、何もかも違う。
「ごちそうさまでした。美味かったけど、普通に食べたいな」
俺は食事に、比重を置かぬ人間だ。だから耐えられる。とはいえ、怒りも覚えるわけで。
「あと少し。命で払ってもらおうか?」
日も届かぬ独房で、俺はほくそ笑む。
そして眠りにつこうとした時、再び扉が鳴る。
「誰だ?」
独房唯一のイベント、食事を俺は終えた。
この場所への来訪者、そのパターンは主に2つ。朝、昼、晩の食事配給。そして夜、食器を回収しに来る者だけ。
今終わったのが昼食だ。間近に訪問者の予定にない。
再びなる足音。だが今回の足音は、とても綺麗だ。木琴と勘違いしてしまう程、聞いていたくなる音。
階段から見えた金髪。艷やかな髪がロウソクの光を反射する。そこで、訪問者の正体がわかってしまう。
「げ」
「これが望んだ未来ですか? グラム」
そこには軍服を着こなす、レイの姿があった。肩で切り揃えた髪に、伸びた身長。孫に衣装とはこの事だ。まぁ、その衣装を俺は、着て欲しくはなかったが。
「なんでお前がドラン砦にいる? それはそうと、間が悪いなお前。」
彼女は無表情であるが、どこか呆れた雰囲気だ。いや、眉が少し上がった。
(ありゃ、怒ったな)
咳払いをしたのち、彼女は胸を張る。
「貴方を追ってきました。グラムがラカンを出て5ヶ月、私は貴方の後を追うため、必死に努力をしたので」
「ルカ様は良いのかよ」
彼女は、ルカ様の近くにいる為、ラカンで生活すると思っていた。それこそが、俺の後を追ってこない、唯一の根拠だった。
(其の為にフォローもしたのに。全く、村での関係はどこ行った)
俺達の関係は、ラカンで終わる筈だった。だがまさか……この砦まで続くとは。
「ルーちゃんとは文通してるので大丈夫ですよ」
「そ、そうか」
内心、使えないと俺は毒づく。
「それにしても、どうしてこんな事に」
汚れた俺の姿。それを見て、彼女は心配そうに顔を歪める。
手渡されるハンカチ。俺はそれを突き返し、溜息を吐いた。
「さっきも言ったが。間が、ほんと〜〜に悪いな」
「は!?」
彼女は数度の瞬き後、目を吊り上げる。檻の外で地団駄を踏んでいるが、事実だからしょうがない。
(だけど和んだわ)
俺は緩んだ顔を引き締め、そして彼女に警告する。
「レイ、これは忠告だ。今すぐドラン砦から離れろ」
俺の変化に彼女も怒りを抑える……なのだが完全ではない。
「どうしてですか?」
不完全な冷静。彼女の右眉は、ピクついている。そんな様子を見れば、ある期待をしてしまう。
(きっとレイは、面白い顔をしてくれる)
独房生活は退屈だ。刑務所などとは違い、長期捕縛を考えられていない、砦なのも理由だろう。なので娯楽に飢えた俺は、意地悪だ。
「明後日、ニクス帝国がこの砦に攻めてくるからだ」
「へ?」
口を開け驚く彼女。それを見て俺は、腹を抱えて笑い回った。
*
ーレイ視点ー
グラムと再開した翌日。砦近くにある村の酒場、そこのカウンターに私は座っていた。
「相変わらず意味のわからない男」
この言葉が当てはまるのは、ただ1人、そうグラムだ。
彼は檻の中にいながら笑みを絶やさない。それだけではない、言葉だけで遊ばれてしまった。
「牢屋に入れられながら、何を笑っているんだか?」
逆境だろうと常に前を向いている。そこに期待が出来る、魅力的だと思うのは私にも理解出来る。 だが、逆境こそが俺の生き方という、捻くれた彼のスタイルは、好きじゃない。私は、ゲテモノ好きではじゃないのだから。
ただ、彼には彼なりの気遣いがある。それを嫌という程感じるから、恩を返したいという思いが、私の胸の中にあるのだ。
「まったく。助けてくれと言ってくれれば、今すぐにでも出して上げるのに」
私は振り切るように首を振るう。
いや、それも無駄な行動だ。そもそも恩返しをしたい、そう考えていなければ、この砦には来ていないのだから。
話は少し遡る。彼が砦に向かって1週間もしない内に、祖母の教育が始まった。
「スザンヌ、レイはまだ心の傷があるのだ。もう少し後でも」
「貴方、レイは既に立ち上がっています。だからこそ力を求めている」
躊躇う祖父の背中を叩き、私を尊重してくれるのは、憧れである祖母。
確かに私は、己の無力を知った。そして自らの手で、今度はその悲劇を防ぎたいと思っている。だから、止まっている時間など無い。
(そうだ、今度は私が)
グラムの背中を思い出す。
助けられた当初、私はグラ厶に強い反感を持っていた。だが今思い返すと、その背中には安心感を覚えている。
「む」
「貴方、臍を曲げないの」
何故か祖父の顔が強張る。それを宥める祖母。私は頭を傾げながらも、まずは鍛錬だ。
木剣を握りしめ頭を下げる。
「お祖母ちゃん、よろしくお願いします」
「レイは才能あるから、5ヶ月でグラム君の後を追えるようにして上げるわ、ただし」
「はい。剣だけじゃない、色々な勉強もしっかりやること」
「厳しくいくから覚悟して」
私は気持ちの籠もった目を送る。祖母は頬に手をやり、嬉しそうに笑った。
おかしかったのは祖父だ。俯き小さな声で。
「レイが小僧の後を追う?」
歯を食いしばり泣いていた。そんな祖父も、祖母に尻を蹴られると、慌てて動き出したが。
そして4ヶ月半。
祖母にお墨付きを貰い、私は、父と祖父の権力を使って、軍人になった。しかも階級の高い、少佐という地位で。
何度か衆人環視の下、戦わされ信頼は得たと思う。でも、自信はつかなかった。なんせあの日見た、祖父とグラムの戦いには、遠く及ばないから。
「私、実力足りるかな?」
「大丈夫だ。レイの才能はピカ一。それにレイの階級である、少佐相当の実力はすでにある。必要なのは戦場の心構えだろう」
「ありがとうお祖父ちゃん。でも階級と実力って関係あるの?」
上の階級に行く度、戦いの場に出なくなる。討ち取られた際、味方の士気を下げる、その原因になるからだ。それに、部下を動かすという仕事も増える。
「……ワシはあった。世の中、道理を動かすのが得意な奴と、自分頼りに全てを切り開く奴がいる。どっちにしても基準の話しだ。周りが認める要素があれば、階級など勝手に上がっていく。自分の実力など関係なしに。後は奢るなだな。地位という役目があるだけで、命に差など無い。レイも顔を上げなさい」
そこには、敬礼をする兵士達がいた。1人2人どころではない。
私は驚いた。軍服を着てもいない、退役した軍人。それに気づき、ここまでの敬意を、表された事。
祖父が英雄と呼ばれる所以、それを見た気がする。そして、尊敬を集める祖父だからこそ、聞きたい事がある。
「ねぇお祖父ちゃん。私とグラムに、どれくらいの差があるの?」
実はもう目と鼻の先にある、そんな期待を極小に持っていた。
「わからん」
だが祖父は言い切った。悩んで欲しかったと、私は肩を落とす。祖父はそれに気付かず、言葉を続ける。
「そもそも俺とグラムは、全力で戦ってすらいない。だから力の差やあいつの実力など、はっきりしたことは言えない。わかる範囲なら、最低でも武功で名を挙げた、少将クラスの実力が奴にはある」
「少将、一回りグラムと実力差があるのか」
祖父が先程言った、階級が上がる要素。私にとってそれは、英雄ガイルの孫、という肩書が最も大きいだろう。
そして私には、確信出来てしまう。グラムなら一兵卒からでも、佐官を超えていくだろう。戦争の気配もある、彼にとっては上がる要素しかない。
(そう思うと、差が大きすぎる)
階級が全てではない、。そして比べる物ではない。それもわかっている。だがコネがあっても、私は彼に勝てない。
「落ち込むなレイ、お前の器は将軍クラスだ。きっちり鍛えていけば大物になれる。才能は間違いなく、グラムよりあるからな」
才能があると言って貰えた。でも、私と彼の年齢は同じ。祖父の言葉を、素直に受け入れられない、納得出来ない自分がいた。
その日からしばらく、私は、落ち込んだまま日々を過ごす。
私の心が晴れたのは、お婆ちゃんのおかげだ。食事の時に投げ掛けられた言葉。
「レイ、納得出来ない部分もあるでしょう。でも、それを確かめる為に、グラム君に会いに行くんでしょ」
祖母の言った通り、全てが私の推測。彼との実力差。手伝える事がないという思い込み。実力不足を嘆くにしても、どれだけ足りないか? それがわからぬ限りは、何も出来ない。
「うん、ありがとうお祖母ちゃん。行ってくる」
それが一週間前の出来事。私は意気揚々と、ラカンから出てきた筈なのだが。




