海屋さんは海を売る
どのお話からでも読める一話完結掌編です。
令和日本に似た箱庭世界、幻想怪異発生特別区──通称「特区」。そこに出現するモンスターや怪異、怪人たちと、そこに住む住人たちとの奇妙な交流、共存──。
箱庭で起こる不思議なできごと、物騒で理不尽な事件、振り回される人間みたいなものの生活を書いています。
ファンタジーに近い少し不思議な表現があります。
R18に至らない成人向け表現、ゴア表現、欠損描写、グロテスクな内容を時折含みます。(成人向けではない商業小説程度の内容です)
創作家さんに100のお題よりお借りしています。
004.imitation
特区南地区の住宅街に屋台が現れた。大きな棚の上に大小さまざまの青い球体。屋台の動きに合わせながら、青が太陽の光を反射させていた。たなびかせているのは白地に青い波が描かれた旗。
「海だよー。青くて冷たい。海だよー」
サンダル姿の男がどこからともなく表れて、特区に夏を運んできた。
特区の住人は海を見たことがない。この街には海がない。街だけではなく、郊外の向こう、離れても海に辿り着くことはない。もちろん、特区外に出れば海に行くことは可能だが、そこまでして海に行こうという住人もいなかった。多くの住人にとって、海はフィクションや図鑑に記された言葉と風景でしかない。
いつからか、夏に海屋が海を売りに来始めた。住人が海を身近に感じ始めたのはその時分からである。暑さのなかの行水は人気が出て、海屋から海を買うことはすっかり夏の風物詩になっていた。
海一つ頂戴。大きいの。
のろのろと歩く海屋を引き留めて、子供二人連れの女が海を買った。脇に連れ添った子供たちは期待の眼差しで屋台を見つめ、抱えるくらいの球体に目を奪われていた。これから海遊びをするのだろう。今日は絶好の海日和だった。
海を渡しながら男が小さな紙を付け足す。
「はい。じゃあ、注意書き付けておくからね」
その注意書きも目に入らないくらいの速さで、家族は近くの家に戻っていった。その背中を見ながら、海屋がやれやれと首を振る。
『一、十分に広い場所を確保して海を割ること。二、海に入った後は必ず塩を洗い流すこと。三、あまり深くまで潜らないこと。四、あまり遠くまで泳がないこと。五、海に住む怪物には気を付けること。六、海で発生したあらゆる事象について、海屋は責任を持たないことに了承すること』
海屋の男はしばらくその場で呼び込みをしていたが、それ以上の客を得られないとわかると、屋台を引きながら次の場所へと移っていった。
子供たちに服を引かれてせがまれる。片づけた庭先で球体を投げ割ると、そこには海が広がった。円形に広がった塩水の中央から寄せては返す白い波。太陽に反射する白い砂浜。潮風が遠くから吹き、ざばざばと音が響いて、その庭は海になった。
海屋からは毎年、海を買っている。大きな海を購入するようになったのは一昨年からだ。
大きなものほど長い間、海を楽しめることがわかった。加えて、遠くに泳ぐことも、深く潜ることもできる。波も高くてスリリングだった。小さな海は浅瀬で、せいぜい足を浸したり、波打ち際の貝を集めて楽しむことしかできない。年々、精力的にはしゃぎまわるようになった子供の興味を引くのにも、大きい海の方が都合がいいのもあった。
子供たちは浮き輪を使って海に浮いていた。この大きさの海ならば明日の夕方までは持つに違いない。海の近くで夕飯を食べたり、商店で花火でも買ってこようか。子供たちに夏の思い出を作ることができるはずだ。夏限定という事もあり、子供たちは海を心待ちにしているようだった。来年、また海屋が来ることがあれば二つくらい買ってもいいかもしれない……。
「お母さん!」
物思いにふけっていると、子供の高い声が響いた。我に返る。どうしたのかと見渡すと、海の真ん中で子供が手を挙げて藻掻いていた。
――溺れている!
危ない! と悲鳴が出て、すぐさま海に入った。浅瀬のはずなのに海は足にずるずると絡んだ。
子供が浮き沈みしているのはすぐ近くだが、一向に距離が縮まらない。自分の身体も波に絡まれ、だんだんと身動きが取れなくなる。呼吸が苦しい。足をつりながらも、子供のいる場所へと藻掻く。
子供が視界から消えた。どちらの子供ともわからない悲鳴が響く。思わず腕が伸び、空を掴んで、水面を叩いた。
背後でも悲鳴が聞こえた。振り返ると、もう一人の子がドーム状の塊に飲まれている。半透明のゲルは子供の身体を締め上げ、身体をあり得ない方向に曲げていた。呑まれた顔はどんどん青くなり、目玉を飛びださせて動かなくなった。滑るようにして、ずるりとモンスターは海の中に消えた。
一度に起こったことに女はパニックになった。子供が海の中に消えて、モンスターに襲われた。次にするべき行動がわからない。このまま海を探すべきか、モンスターを追うべきか。頭から波をかぶり、塩からい水が口と鼻に入り、むせこんだ。
とにかく、誰かに助けを求めないと。
警備署に連絡。いや、夫に。浅瀬に戻り、身の安全を確保する。一人では対処できない。動く水に身体を拘束されながら、女は砂浜を目指して泳いだ。
足をばたつかせる女のふくらはぎを何かが撫でた。
「えっ?」
思わず身体の動きが止まった。波に揺られている身体の脚からゆっくりと腰に上がってくる何かがいる。その何かに支えられ、女の上半身が水面から浮いた。
視線を落とすと、女の身体に無数の手が絡みついていた。
「ひっ」
女が悲鳴を上げると同時に、手達がゆっくりと海に沈む。
さざなみが響く。明日の夕方には、海は自然と消える。
読んでいただきありがとうございます☺
読者の皆様に少し不思議な出来事が降り注ぎますように……!
もしよければ評価を頂けるととても嬉しいです。
各種リアルイベント、WEBイベントに参加しています。参加情報については、活動報告に掲載中です☺




