予言書には無い未来
三話くらいに分けてもよかったかもしれない・・・長めの短編になりました。
※誤字報告本当に本当にありがとうございます。漢字とひらがなについて、三点リーダーと・・・の使用については活動報告にてご説明しております。読みづらく申し訳ございません。
21/07/10、07/11誤字報告修正いたしました。本当にありがとうございます。
私、シャミアは浮かれていました。
だって、好きだったザックス様と漸く婚約出来たんだから、浮かれないはずがなかったの。
学園の同じ貴族科に通う同級生の私たちは、婚約してからずっと登下校を共にしています。それが楽しみで楽しみで、今日も授業が終わるのが楽しみで・・・。授業はもちろん真面目に受けていますれど、はやる気持ちを完全に抑えるのはちょっと難しいですね。
伯爵家のザックス様と公爵家の私は少しだけ家の爵位に差があって、学校内で親しくしていると例え婚約者同士でもよく思われないことがあります。他にも色々、言われやすい立場でもあるのも、わかっては、います。
そんなの全て無視してしまいたい、でもザックス様が不快な思いをして欲しくなくて、私は学園内ではあまりザックス様と親しくしないようにしています。すごく辛いけど、我慢我慢。
その代わり、登下校の馬車の中ではたくさんお喋りしたり、時々手を繋いだりして過ごしています。
私はその時間が本当に大好き。幸せで、嬉しくて、毎日明日が楽しみで・・・。
だから週末はちょっと寂しい。
お休みの日のほうが元気がない理由はお父様にもお母様にも、お兄様にもバレてしまっているから、時々からかわれるのはちょっと恥ずかしい。たまに侍女も参加してくるの。でもみんな私が幸せそうで嬉しいって言ってくれるから、恥ずかしいけど私も嬉しい。
そのうちここにザックス様が加わるんだと思うと、すごく楽しみ。
あと少しで今日最後の外国語の授業が終わる、そしたら楽しみな下校時間だ・・・というその時でした。
(あら、これ何かしら・・・?)
机の中に見覚えのないノートが入っているのに気が付きました。
(どなたか間違えてしまったのかしら・・・名前は書いていないわね。どうしましょう)
迷った私は、誰のものかわかるかもしれないとノートの一ページ目だけ確認することにしました。もし怒られてしまった時は素直に謝ろうと決めて、恐る恐るめくってみるとそこには・・・
『シャミア・アフトン様へ』
そう書かれていました。
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「シャミア様?何かあったんですか?」
「い、いいえ・・・少し疲れてしまったみたいですわ」
ザックス様と一緒の帰りの馬車の中、私はいつものように楽しめなくてザックス様に心配をかけてしまいました。
(どうして・・・あんなこと・・・)
「シャミア様、顔色がすごく悪いですよ。・・・もしかしてまた何か言われたのですか?」
ザックス様はすごく心配してくれ、両手を握って、大丈夫です、俺がついていますから、と強く励ましてくれて、私は嬉しい・・・嬉しい、はずです。
「いいえ、本当に大丈夫ですわ。もう誰にも・・・何も言われていませんもの。ザックス様のおかげですわ」
私は声が震えないように慎重にそう言いました。
風邪をひいたのだと考えたザックス様は、春先の今は朝晩ひどく冷えるから暖かくしてください、無理しないでください、と何度も何度も強く言ってくれました。
まだ婚約から三ヶ月なのと、私たちが学生ということもあって、家の中までエスコートするのは私の両親があまりよく思いません。だからいつもは馬車を降りるところまでエスコートしてくれて、そのあと私を侍女に任せたザックス様は馬車に戻り、私はそれをお見送りする。いつもその流れなのに今日は心配だからと屋敷の玄関ホールまでついてきてくれました。
「本当に無理をしないでくださいね」
「ありがとう・・・ございます」
こんなことがあればいつもならうるさいくらいはしゃいで喜んでしまう私が、大人しくお礼を言うだけで手を離そうとしたのを見たお母様が「何か良くない病気なのかも!」と慌て出し、それを聞いて慌ててやってきたお兄様に部屋まで横抱きで運ばれてしまった。
「ザックスくん、ありがとう」
「いえ・・・シャミア様、お大事に」
心から心配してくれているその様子を見て、ザックス様との婚約に反対していたお兄様の態度は明らかに軟化した、と私は抱き上げられながら思いました。まるで人ごとみたいに、遠い世界の話みたいな感じに・・・。
---
「こんな・・・こんなことって・・・」
大慌てのお母様に呼ばれた我が家の主治医の診察を受けると「疲れが溜まっているのでしょう、明日は休むように」と言われてしまいました。思った以上に、ショックを受けていたみたい。気のせいかと思ったけれど、微熱があり食欲もありません。
私は明日お休みすることを伝えるために短い手紙を書いてザックス様へ届けてもらうと、あとは部屋で寝ると言って一人になって。
そしてあのノートを開いて、もう一度しっかり読んでいます・・・泣きながら。
『シャミア・アフトン様へ』
これは予言書です。あなたの未来に起こることを書いています。
これを読んでどうするかはあなた次第です。
二学年生の◯月×日、転入生がやってきます。
名前はキャシー・リアジュ。リアジュ男爵家の養女として引き取られたばかりの元平民です。
見た目は、色がはっきりと濃いピンクブロンドにエメラルドのような愛らしい丸い目。背は低めで体つきは女性らしく豊満なそのキャシーの世話係に、あなたの婚約者であるザックス・エリントンが任命されるでしょう。
・・・
あなたはザックスとキャシーとの仲が親密になることで嫉妬して、彼女を虐めようと画策するでしょう。ですがそれは全てキャシーの口からザックス様や生徒会のメンバーたちに伝わり、あなたは監視されるようになっていきます。
・・・
三学年へ上がる前の進級パーティーで、あなたはザックスから婚約破棄を言い渡されます。あなたが嫉妬から行った行為は全て咎められ、罪を償うために幽閉刑を言い渡されるでしょう。
・・・
「そんなバカなこと・・・あり得ないわ・・・」
そう、あり得ない・・・あり得ないはずです。
---
「シャミア様、体調が戻ってよかったです」
「ザックス様、ありがとうございます、ご心配をおかけしましたわ」
「いいえ、婚約者の心配をするのは当たり前です。それよりも今朝はご一緒出来ずに申し訳ない。週末を挟んでしまったから久しぶりの登校だったのに」
ザックス様はしゅんとして、まるで叱られた子犬のような目をしています。
「仕方ありませんわ、生徒会の役員に選ばれたんですもの。二学年生からは殿下とザックス様のお二人だけが選ばれたんでしょう?素晴らしいですわ」
「ありがとうございます。未熟者ですが、頑張っていこうと思います」
私が休んだ日、ザックス様は急に生徒会の役員に任命されていました。これは予言書にも書いてあって、私はその連絡を受けてあのノートを信じる気になりました。なってしまったんです。
あの日、読み始めた時はショックだったけれど、一晩寝て起きてからもう一度考えてみると、誰かの嫌がらせだと思う方がしっくりきて。
ですから忘れてしまおうと思っていたその時に連絡が来たものだから私は戦慄して・・・
それから週末休みになり合計三日間、ノートを隅から隅まで読み込みました。
(こんなに優しいザックス様の態度が、全部嘘だなんて、信じたくないけれど・・・いえ、決めるのはまだ早いわ)
今日はノートに書かれていたキャシーという女性が転入生としてやってくる日です。
その時彼女がまず正門付近で殿下と会話をするらしく、私とザックス様もそれに立ち会うことになると書いてありました。
「生徒会の仕事でこんな風に朝早く来たり、帰りが遅くなる日が増えると思います。一緒に馬車に乗るのは楽しみでしたがこれからはーーー」
「きゃ!」
ザックス様がこれからは都合の合う時だけ、と言ったその言葉にちょうど被さるようにして女性の小さな悲鳴が聞こえてきた。
(はじまってしまったわ・・・)
「今の何でしょうか・・・校舎脇のほうから聞こえましたね。見てきます」
「わたくしも行きますわ」
「いえ、危険かもしれませんから」
「聞こえたのは女性の声でしたもの、女性の助けが必要な可能性もありますわ」
私の言葉にザックス様はたしかに、と納得されて
「絶対に俺のそばから離れないようにお願いします。行きましょう」
と言って私の手を取って早足でその場所に向かい出しました。
その手の温もりが本物かどうかは・・・この後の会話を聞けば、きっとわかる。わかってしまうでしょう。
そう思うと胸がじくじくと痛みはじめました。
向かった先にはピンクブロンドの少女が、あろうことか第二王子殿下の上に乗っかっていました。その手には小さな猫が大事そうに抱えられています。
(状況は・・・完全に一致していますわ、次はたしかーー)
『ご、ごめんなさい!』
「ご、ごめんなさい!」
『いや、怪我はないか?』
「いや、怪我はないか?」
『はい!猫ちゃんは無事です!』
「はい!猫ちゃんは無事です!」
『いや、そうじゃない。抱きとめたお前に怪我はなかったのかと聞いているんだ』
「いや、そうじゃない。抱きとめたお前に怪我はなかったのかと聞いているんだ」
(会話も全て、一致・・・)
『殿下!お怪我は?!』
「殿下!お怪我は?!」
殿下とキャシーだけでなく、ザックス様がかけた言葉も、声をかけるタイミングも、予言書というノートの通り。
さらにキャシーが顔を赤らめることや、ネコにシロという名前をつけること、慌てて殿下の側近でもある生徒会メンバーたちが集まってくることも、その順番さえも全て、寸分違わず一致していました。
(私は、これから、どうするべきなのかしら・・・)
まるでお芝居を観ているような気分で、彼らをただ見続けるしか、出来ませんでした・・・。
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あれから二ヶ月が経過しました。
私にとっては困惑の二ヶ月でした。
全て予言書通り。もう、私は疑っていません。このノートは本当に予言書なのだと信じています。
最初のひと月、私はただ狼狽えていました。書かれた通りザックス様はキャシーさんの世話係になり、甲斐甲斐しく世話を焼いていて・・・。
もともと学園内では私とザックス様はあまり接点を持たないようにしていたこともあって、目に見える影響はありませんけれど、最初のうちは何度か視界にとらえてしまいました。
ですが少しずつノートに書かれている彼らの行動範囲を避ける方法がわかってきましたので、見ないで済むようになりました。
ただ、言われていた通り、そしてノートの通り、殆ど一緒に登下校出来なくて、寂しくて。ザックス様の姿が目に映ると、思わず目で追ってしまうこともたくさんありました。
そして毎回、見るのです。
いつも彼の横に、あのピンクブロンドが揺れてるのを。
(嫉妬から虐め・・・そうね、してもおかしくないわね。事前に心の準備をしたのにこんな辛いんだもの)
でも私は絶対にそんなことしない、と決めて、お友達やクラスの方々といつも通り過ごしていました。
そんな生活がひと月を過ぎた時、ふと違和感に気がつきました。
ノートを読むのは日課になっていたのだけれど、現実味が帯びてきてやっとこの時初めて、気が付きました。
ノートに書かれている中でザックス様とキャシーさんの仲が進展する時はいつも、私が何かした後だ、ということに。
(私が障害になるから二人が燃え上がっていくの?私はただの踏み台になりたくてザックス様を好きになったわけじゃないのに・・・!)
あまりにショックで涙が止まらなくなり、落ち込んで、また家族にたくさん心配をかけてしまいましたが、どうしても無理で。学園も休みがちになり、辛くて辛くて苦しくて、泣いてばかりでした。
お兄様はお父様の後を継ぐための勉強をされていらっしゃって、家の執務室で仕事をしている日が多いせいで私の異変に最初に気付いて、その原因がザックス様ではないかと疑い始めてしまいました。
「あいつが何かしたんじゃないのか?」
そう言うお兄様の目は、酷く怒っていらっしゃいました。学園の事、ご存知なのかもしれません。
これ以上お兄様を心配させて疑惑を深めてはいけない、そう思って学園に行くようになったのだけれど・・・それは予言書の中で私がキャシーさんに虐めをし始めるタイミングと同じでした。
それに気づいた時は、怖くて震えました。
(でも私は虐めたりしないわ、二人の恋を燃え上がらせて最後には幽閉なんて嫌だもの。例えザックス様と結婚出来なくなったとしても、私が幽閉されればお父様もお母様も、お兄様も傷つくわ。少し伏せっただけで心配してお父様までお仕事を休んで家にいてくださった。みんな傍にいてくれた。そんな風に大事にしてくれているのに、私が私を諦めてはいけないわ)
私は恋と家族を天秤にかけ、私を愛してくれる家族を選びました。
予言書の通りなら、ザックス様は最初から私との婚約に反対で、私のことを家の力で自分を買った恥知らずな性悪女と心の中で罵っておられます。
ザックス様は次男だからお家を継ぐことは出来ない。だから私に婿入りし、お父様の持っている爵位の中から伯爵位をいただいて、その領地を二人で治めて行く予定でした。
ザックス様には事前に打診し、条件をすり合わせた上でお互い合意の上で婚約した・・・そのはずでしたのに。
『ザックスくん、無理をしてるんじゃない?嫌なら、嫌だって言っていいんだよっ』
『俺は・・・そんなこと、言えない』
『ダメだよ!我慢なんてしたら幸せになれないよ!』
『我慢なんて、貴族なんだから当たり前だ』
『貴族でも、人間なんだよ?無理矢理決められた道を嫌いな人と生きてくなんて、ザックスくんはへーきなの?私だったら絶対嫌だよ、自分の人生は自分で決めたいもん!それに私は、ザックスくんが笑っててくれなきゃ、嫌だよ・・・』
『俺だって本当は・・・本当は・・・』
予言書通りなら夕暮れの教室でこんなことを二人きりで話した後にそっと抱きしめ合う、らしいですわ。
本当がどうかは、わかりません、私は見ていませんし聞いていません。
だけど、それが本当だとしたら、二人とも最低です。
私はザックス様との婚約を希望した時、何度もお父様に相談した上で決めたことを、エリントン伯爵様とその奥様だけでなく、ザックス様本人にもきちんとお話しいたしました。
家の爵位の差はあるけれど、考えないで欲しいと。それが難しいことは分かっています。けれど私はお父様が大事に守ってこられた領地を分けて頂いて継ぐのなら、私との婚姻と領地経営に前向きな気持ちを持っていて欲しい、それが無理なら断ってほしいと、何度も。
そう言っても私は公爵家の人間で、ザックス様は伯爵家。圧力をかけられたと感じても仕方ありません。ですが今回の婚約の打診を断られてもこのことは他言しませんし、今後の付き合い方を変えることもないと、そう宣言した書類を王家にも提出した上で申し込みいたしました。
ザックス様のことが大好きだから、だから・・・私の気持ちを押し付けてザックス様を困らせたくなかったのです。
それなのに・・・どうしてそんな風に言われなくてはいけないのでしょう。
私が、悪いのでしょうか?
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半年経ちました。私はキャシーさんを虐めてはおりませんが、私が虐めているという噂だけは予言書通りに広まっております。
どうして、でしょうね・・・わかりません。
私はキャシーさんがザックス様と腕を絡めて歩く場所を予言書で知っていますから、当然避けています。二人が抱き合う場所も、同じく。
それだけでなく、キャシーさんは殿下をはじめとした生徒会のメンバーの、男性の先輩方とも同じように絡み合うことがあると書かれていましたので、全て避けました。
そして私は出来る限り我が公爵家と繋がりのないご令嬢を含めたお二人以上と一緒に行動することを徹底しております。
さらに人の多く通る場所を選び、物陰や暗がりに行く事が無いように気をつけています。
虐める時間の猶予どころか、彼らの逢瀬も見ておりませんし、そもそもキャシーさんとは転入して来られた日にちらりと会釈した程度の関係です。名前を聞いても教えてもいません。
その証人は学園中にいらっしゃいます。
ここまで状況を揃えられましたので、私と同じクラスの方々は噂が根も葉もない嘘だと知ってくれています。いえ、私のいるクラスだけでなく貴族科の多くの方に加え、最近は騎士科の方々も知ってくれているようです。
私が彼女を虐めたという騎士科の模擬戦に、私が観戦に行かなかったことを知っているからでしょう。
騎士科の三学年生にいる私と顔見知りの方が、クラスの皆様に声をかけて、模擬戦の観客席を手分けして見回りしてくださいました。
キャシーさんが女生徒と話していたのを誰一人見ていないのに、観客席で水をかけられて詰られたとキャシーさんが泣いていたと噂が流れていましたから、おかしいと気付いてくれました。
私はそれでも、そうやって信じてくれること、事実をきちんと目にして理解してくれることを当たり前とは思いません。
同じ情報を全て共有されているはずの生徒会の男性方には、私は予言書通りの嫉妬にかられ虐めを繰り返す、貴族の力を笠に着た性悪女に見えているのですから。
そう、ザックス様にも。
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予言書通りの不穏な空気が生徒会をはじめとした一部を色濃く包み始めた頃、お友達の方々と一緒に昼食をとりにカフェテラスに向かおうとしたとき、ザックス様に話しかけられました。不機嫌なその表情は、ここ最近毎日のように私を睨みつけていました。そろそろ忠告されると書いてあった予言書通りに行動されるだろうと思っていましたが、それが今日でしたのね。
『シャミア様、キャシーを虐めるのはおやめください』
「シャミア様、キャシーを虐めるのはおやめください」
『わたくしはそんなことしていませんわ』
「わたくしはそんなことしていませんわ」
『・・・あなたは嘘ばかりだ。身分が低い彼女のことを嘲笑うあなたは、きっとそうやって俺の事も笑っているんでしょう』
「・・・あなたは嘘ばかりだ。身分が低い彼女のことを嘲笑うあなたは、きっとそうやって俺の事も笑っているんでしょう」
(どうか・・・ザックス様が気づいてくださいますように)
『わたくしは一度もそんなこと、しておりませんわ』
「わたくしはザックス様のことを、一度たりとも笑ったことなどございません。ザックス様に隠している事も、知られてはまずいと思う事も、ございません。あなたのことを馬鹿にも、侮ったりも、一度もしておりません!」
『そうやってまた嘘を重ねる。あなたのした事はいずれ全て詳らかになりますよ』
「そうやってまた嘘を重ねる。あなたのした事はいずれ全て詳らかになりますよ」
(お願い・・・ザックス様)
『嘘などついていませんわよ?もう少し冷静になってくださいな。あなたにとって今のその言葉が本当に正しいのかどうか』
「・・・わたくしは二つだけあなたに嘘をつきましたわ。だいぶ前ですけれど」
(何かが変わりますように)
「ほら!やはりあなたは!」
「婚約した後すぐ、嫌がらせをされたと言いましたわね。ほんの一度だけ、あなたとの婚約を解消するようにと言われたと。それは嘘でした。本当は一度だけではなく、学園に入ってから一年以上、最近までほぼ毎日のように言われ続けておりましたわ」
「俺たちの婚約は、学園に入ってから随分経ってから決まったことだ、嘘をつくな!」
「いいえ、嘘ではございません。ザックス様への婚約の打診をしたその日からずっと、続いておりました。ザックス様の騎士としての腕を見込んだ騎士科の先輩方に」
入学当初、ザックス様は騎士科の生徒だったこと、私との婚約を機に貴族科へと転科されたことは多くの人が知っているので、周りは私の言葉に納得したような表情を浮かべています。
「シャミア様は何を言ってるんですか?妄想甚だしい。騎士科の方々を侮辱するおつもりで?」
「違いますわ、事実です。わたくしは騎士科の先輩方にザックス様を騎士科に戻してやれ、婚約を取り下げろ、解消をしろ、と言われるたびにその方達に婚約を申し込んだ時の内容をお話しさせて頂きました。ですが信じてもらえるまでに時間がかかり、一度だけ弱音を吐いてしまいました。
私のついた嘘は、一度だけ言われたわけではなかったこと、そして騎士科の方々からのあなたを思いやる言葉を嫌がらせと言ってしまったこと。その二つだけですわ」
模擬戦の見回りも、はじめは私のいじめの噂の証拠を掴むためのものでした。私に何度もザックス様のことで忠告しに来ていらした顔見知りの方々が発端になりました。騎士科にいたころのザックス様を可愛がってらした先輩方が私の悪行の証拠をザックス様の代わりに掴んで、婚約解消できるようにと。
ですがいくら調べても何もでません。それどころか私は模擬戦を観戦する以前にその日学園を休んでおります。父と兄と領地に新設された教会と孤児院へ足を運んでおりました。証人はたくさんおります。先輩方はそれをきちんとお調べになり、私の無実を証明してくださいました。
「先輩方が意地悪で言ったわけではないことくらいわかっております。ザックス様が騎士として身を立てたいと・・・そう言っていたことを覚えてらした。それを諦めてしまったのではと心配してのことだと分かっておりましたわ。わたくしは決して侮辱したかったから嘘をついたわけでも、隠したわけでもありません。ただ・・・ザックス様の本心がわからず、迷って疲れて弱音を吐いてしまいましたわ」
婚約の時、領地経営をしながら騎士として働ける道を探す事も提案いたしました。難しいことは分かっております。それでも一人ではなく二人で一緒に経営していけば、騎士としての時間も捻出出来るのではと。
ザックス様の夢を閉ざす申し出であることは、分かっておりました。だからもし受けていただけるのなら、歩み寄りましょうと。
それを不要だとして、騎士科から転科すると決めたのはザックス様でした。
私はそれを、無様にも喜んでしまいました。私との婚約を夢よりも大切にしてくださったのだと。私もそれに応えねばならないと。
だから先輩方にもそれを一人一人にお伝えしておりました。最初はやはり理解されず・・・皮肉なことに今回のキャシーさんの虚言が証明されたことにより、私の言い分を信じていただけるようになりました。
私の言葉を不機嫌そうに馬鹿にして、見下しているザックス様は・・・私の記憶の中のザックス様とは違う人のように見えます。
元々、私の見ていたザックス様は作られたものだったのでしょうか・・・そうでないと、思いたいのに、思えない私は・・・ザックス様への恋心を、もう失っているのでしょう。大事にされている幻想の中で幸せだと思い込もうとしていただけなのかもしれません。
(始めからあなたには、何も届いていなかったのですね・・・キャシーさんがいたからそれが浮き彫りになっただけ、なのですね)
その後、騒ぎを聞いて駆けつけた騎士科の先輩方が私の言葉に嘘はないと剣に誓って証言すると言ってくださったけれど、ザックス様は納得されずに憤慨なさったお顔のままキャシーさんの元へと歩いて行かれました。
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「シャミア、本当にいいの?」
「お父様、お母様、ご心配をおかけしました。わたくし、恋に恋していただけでしたわ。わがままを言ってごめんなさい」
「・・・いいんだよ、シャミア。お前は悪くない、私たちはわかってる」
私は予言書よりも早いタイミングで、ザックス様からではなく私から婚約解消を申し出ました。
理由は私の都合により、として、こちらから慰謝料を払うと申し出ましたが、学園での騒ぎをご存知だったエリントン伯爵夫妻、つまりザックス様のご両親からは慰謝料の受け取りを丁重にお断りされてしまいました。
迷惑料のつもりでしたが、いらないと言われて押し付けられるものでもありません。
むしろあちらから慰謝料の支払いを、と言われてしまい、話し合いの結果ただ婚約を白紙にして、最初から無かったことにすることで合意となりました。
「あんな屑だと知っていたら、シャミアの希望でも絶対止めていたのに・・・調べが甘くてごめんなシャミア」
「お兄様は騎士科の先輩方に話をしてくださっていたでしょう?それだけで充分ですわ」
「・・・知っていたのか」
「わたくしの悪事の証拠を集めるためだけに、あんなに大人数の方々が見回りに参加するなんて、おかしいですもの」
お兄様はふにゃりと笑って、寂しそうに私の頭を撫でた。
「そんなに察しよく、色んなことを一人でやろうとしなくていいよ。みんないるんだから」
貴族科に通いながら剣の腕を磨きたいと騎士科の実技も受けていたお兄様は、ザックス様が騎士の夢を自分で諦めたのに私を逆恨みしていたことに、非常にお怒りでした。
切り捨てに行くと言い出した時は全力で止めましたわ。使用人も総出で大慌てして・・・ふふ、思い出しても面白かったですわ。
「シャミアが笑ってくれて、嬉しいよ」
「はい、私この家に生まれて、本当に幸せですわ」
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私はもう一つの心残りを片付けるため、夕暮れの教室でその人を待っていました。
「・・・シャミア・アフトン?どうしてここに」
その人は教室で待つ私を見て、酷く驚いた顔をしています。
「お待ちしておりましたわロードリー先生。いえ、予言者様、とお呼びした方がよろしいかしら?」
ロードリー先生ーーーあの予言書を見つけたその時、授業を行なっていた外国語担当の先生ですわ。
あの日、最後の授業である外国語の前は、家庭科室で紅茶の品質や味比べ、淹れ方の実践授業でした。
生徒が皆移動していて空っぽの教室に、次の時間の授業を担当する教師がいてもそれほど目立ちはしないはず。何か聞かれても早めに来て準備していたと言えば納得しない人はいないでしょうし。
あの授業は貴族科の全クラスが参加した合同授業。生徒のほぼ全員が参加していたと調べることが出来ました。
その前まで私の机の中にはあのノートはありませんでしたから、私の机に入れられたのは、ロードリー先生だけでしょう。
「驚いた・・・わからないように書いたつもりだけど。ばれてしまったのか。それでどうしてここに?」
「当てずっぽうではありましたけれど、予想通りでしたと申し上げますわ。この“殿下とキャシーさんの初めての口付けの場所”を確認するなら、この教室が一番ですものね」
私は手に持っていた読み込みすぎて草臥れた予言書の、かなり後半部分に書かれた文字を指差した。
「ははは、僕がそれをデバガメするとよくわかったね」
ロードリー先生は情け無く見えるようにわざと大袈裟に落ち込んだフリをされました。
でも私はもう、そうそう騙されません。ロードリー先生のことは観察して調べましたけれど、これがフリだということは分かります。この国で殆ど知られていないような遠い国の言語も把握されている大変有能な方であるだけでなく、生徒ひとりひとりの個性だけでなく背景も把握して指導されています。情けない不真面目な方が出来ることではありません。
「デバガメではなく、確認、ですわよね。キャシーさんがどう振る舞い、誰を選び、どんな影響が出てしまうのかを、ご自身の目で見ていらっしゃる。違いますか?」
「・・・あなたは予想より聡明だったようだ。あの彼との婚約も驚く程考えられて心を尽くしていた。まだ学生のお嬢様にこれ程のことが出来るのかと驚きましたよ」
「だから、予言書をくださったのです?」
ロードリー先生は今度は本当に、素の表情を見せてくれた。ぽかんと開いた口に瓶底のような厚いメガネの奥の見開いた目。取り繕っていない先生はなんだかすごく幼く見えた・・・いえ、もっさりとした髪型に分厚いメガネ、センスのない服選びをやめれば、お若い方だとはっきりわかるでしょう。あえてそれがわからないように老けて見せていらっしゃるだろうことも、先生を観察していて気が付きました。
未だに顔立ちをはっきり確認できていませんけれど、年齢は首や手に出ますものね。
「・・・窓の近くに寄りましょうか。そろそろです」
そう先生が仰ったので、私たちは離れた場所から外を確認しました。
キャシーさんが猫を抱えて落ちたあの場所にやって来たキャシーさんと殿下は、人目を憚る様子もなく抱き合い、はっきり見えないけれどお互いの唇を貪りあっているように見えました。
周りには少ないとはいえまだ学生たちがいましたから、その様子を驚きの表情で見ているのも、確認できました。
(はぁ・・・これが王子殿下のされることとは思いたくないですわね。まだ王太子殿下ではなく、第二王子だからギリギリ許されると思ってらっしゃるのかしら。だとしたら最悪ね)
「・・・僕が予言書なんてノートを渡したのはね」
この国の未来を勝手に憂いてしまっていると、ロードリー先生がぽつりぽつりと呟くように話を始めてくれました。
「シャミア嬢に幸せになってもらいたかったんですよ。あれを読んだことで元婚約者の彼との間の蟠りが溶けるかもしれないし、そうでなくてもより良い人と出会うきっかけにはなるかなと思って」
「先生は予言の能力がいつ頃からあったんですの?」
「・・・本当はね、予言でもなくただ知っていただけですよ。この先起こるだろうことが書かれた本を、読んだことがあった。でも読んだその時すでに本の通りではない部分がありましたから、その通りになるかどうかは確実ではないことも知っていました。だから、あなたがこれからのことを知れば変化が起こるかなと思ったんですよ」
私はほんの少しだけ先生に近づきました。なぜだか寂しそうに見える先生に近づかなければならないと、そう思って。
その私の動きに気づいてこちらを見たロードリー先生の薄茶の髪が、夕陽に照らされて燃えるような赤に見えました。
それは国王陛下の髪色にそっくりで、そしてロードリー先生の顔立ちは十年ほど前に儚くなられた王弟殿下にとてもよく似ている気が・・・ああ、そうでしたの。
(生きて、らしたのですね・・・)
「ご自身のことも書かれていたのです?」
「ははは、あなたは本当に頭がいいんだね。そう。死ぬことがわかっていたから、死んだことにして表舞台から退場したんです」
「先生がご自身の運命を変えられたから、わたくしにも出来ると?」
「・・・そうあればいいなと。何もしてあげられず悲しませてしまった可愛いお嬢さんに、せめてもの償いをしたかったのかもしれません」
王弟殿下が亡くなる前まで、私は彼の婚約者の有力候補でした。ザックス様と同じような形で父の爵位をもらって二人で継ぐ予定でした。私はそれが楽しみで楽しみで・・・本当にとてもとても楽しみでしたわ。エドワード様の事、大好きでしたもの。
「私が悲しんだことをご存知でしたの?」
「もちろん。あんまり大きな声では言えませんが、僕のことをあなたの家族はみんな知っていますよ。あなたが泣きすぎてまぶたの皮膚がめくれてしまったこととか、僕のことがきっかけで婚約に対して慎重になりすぎるくらい慎重に考えていたこととか教えてもらいましたね」
「あぁ・・・本当にご存知なのね。でしたらもっと早く教えてくださればよかったのに」
王弟殿下が亡くなったと、もう二度と会えないのだと聞いてエド様エド様と名前を呼びながら何日も泣きじゃくった私は、目を擦りすぎてまぶたを擦り剥いたような状態にしてしまい、自分の涙が滲みてさらに大泣きする、という恥ずかしいことを・・・まだ六歳ごろでしたから、仕方ありませんけれど。
(絶対誰にも秘密にしておいてと言ったのに!!)
夕陽で教室が赤いので、顔がまっかになったことは気づかれていないでしょう。それが少し救いですわ。
「もっと早く知っていたら、彼と婚約しなかったんですか?」
「いえ・・・わかりません。優しい方でしたから恋をしたとは思いますけれど、あんな風に追い詰めてしまうことはしなかったかなと思います」
私は結局重たかったのだ、と今はよくわかっています。
相手を気遣いすぎて、ある意味押し付けがましかった。逃げ道を塞がれたように感じさせてしまったのことでしょう。ザックス様が息苦しく感じたのも無理はないことです。
「重たいくらい必死なあなたも可愛らしかったですけどね、昔のようで」
「・・・口説いてらっしゃるんです?」
「それは・・・今は違います、とだけ」
「学生でなくなれば、変わります?」
「ははは、どうでしょう。あなたには敵いませんね。それはまたその時に・・・暗くなりますから、早く帰ってくださいね」
「はい、ロードリー先生」
私は礼をして、教室を後にしました。
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ザックス様は騎士科に戻り、先輩方だけでなく教師陣からかなり厳しく指導され、三学年には進級できず二学年目をやり直すことになったそうです。もう関わりはないのですけれど、あの一件から騎士科の方々にはしょっちゅう話しかけられて逐一報告を受けるような状態です。勿論、騎士科の方が来ても男性と二人きりにはならずにみんなでお話ししておりますわ。
そのせいでザックス様の不評が広まった気はしなくもないですが・・・。
ザックス様とキャシーさんとの恋は実らず・・・と言いますか、キャシーさんは生徒会以外の男性方とも親しくされていたようで、それが進級パーティで明らかになり学園を去られました。
あんなに激しいキスを校内で、しかもあの一度だけでなく至る所で繰り広げていた第二王子殿下は、その事が陛下の耳に入ってしまい(当たり前ですわよね)、謹慎し王太子殿下の仕事を手伝っているそうです。
決まりかけていた婚約もなくなり、王家の皆様はピリピリしているとか。謹慎のため休学してしまったので学園を三年で卒業できなくなり、そんな王族は初めてらしくその辺りもピリピリする要因でしょう。
ちなみに私にも第二王子殿下との婚約が打診されましたが、キャシーさんが私とザックス様の婚約解消の一因であったと言えますので、それを理由にきっちりとお断りいたしました。
さすがに陛下もキャシーさんの影響を受けて婚約者がいなくなった私に、そのキャシーさんとキス以上のこともしていたと目撃されていた第二王子殿下を婚姻させられはしない、と思ってくださったようです。
それならばそもそも打診するな、という話ですけれどね。あのような方との婚姻を考えるよう言われただけでかなり腹が立ちましたわ。今もまだ次の婚約者を探されているようですが、決まるかどうかは今後の第二王子殿下の働き次第かと思われます。
そんな風に時間と共にいろいろなことが片付き、キャシーさんの影響が少しずつ消えていって、ようやくすべてが過去のものになったころ。
私は無事に学園を卒業することが出来ました。
「シャミア、卒業おめでとう」
「三年間よく頑張ったわね」
「・・・もう一年くらい学んでもいいんだぞ?」
「お父様、お母様、ありがとうございます。お兄様はちょっと落ち着いてほしいですわ・・・」
今日は卒業パーティです。家族も婚約者も参加できる大きなパーティ。
もしあの予言書通りだったら、私はここにはいられませんでした。幽閉され、心折れて、死んでいたかもしれません。家族もバラバラになっていたかもしれません。
この日を幸せに迎えられて、本当に良かったですわ。
それに私はなんと貴族科で最優秀賞をいただいて卒業する事ができました。二学年目の終わりで学園を去ったロードリー先生に『それくらい出来ますよね?』と謎のプレッシャーをかけられましたので、頑張りました。
「卒業したらシャミアをエスコートしてあちこち夜会に行くつもりだったんだぞ。一年くらい猶予が欲しい!」
「ダメですよ義兄上?明日にはもう僕の妻なのですから」
「まだ今日は違うだろ!あにうえ、なんて呼ぶな!せめて明日にしてくれ!」
お兄様とロードリー先生、いえ、そろそろお名前で呼ぶのに慣れないといけませんね。先生はもう廃業されましたから。
生徒と先生の関係性では、婚約できないですからと言ってくださった時は・・・ふふ、また浮かれそうになりましたわ。
明日私の旦那様になるエドは元々お兄様と仲良しでしたので、今も変わらず友情が育まれていて見ていてとても和みます。私の知らないところで、ずっと交流があったようですしね。
「音楽が始まったね・・・私の唯一のお嬢様、一曲お相手願えますか?」
エドが恭しく手を差し出してくれました。
「あら・・・一曲だけですの?」
「ははは、やっぱり君には敵わない。何曲でもお望みのまま」
私は嬉しくなってエドの手を勢いよくとって、ホールへ向かいます。
「最低三曲は踊りますわよ」
「ええ、勿論。僕はあなたのものですから」
「私もあなたのものよ?欲しがってくれる?」
エドの手が腰に回って、普段のダンスよりもずっとずっと近くに抱き寄せられました。
瓶底メガネも、もっさり頭もやめて本来のかっこよさを取り戻したエドは、それでも髪の色だけは染め変えて薄茶のまま。あの夕陽のような赤い髪、好きでしたけれどね。どんなエドでも大好きな事には変わりありません。
そんな大好きなエドの顔が、目の前に迫ってきます。
真っ赤な髪のエドと子どもの頃に踊った時も・・・いえ、先月練習として二人で踊った時だって、こんなに近くありませんでした。
ドキドキしても、仕方ないですわね。
「死んだはずの僕が君のそばにいられるのは君が望んでくれたからだけど、僕はずっとずっと君が欲しかったよ。死にたくない、シャミアと結婚したいんだって・・・叶えてくれてありがとう」
エドの瞳にはほんの少し涙が浮かんでいるみたいで、震える熱のこもった声に私もつられてしまいそう。
「もう死んだふりはだめよ?私のまぶたを守って頂戴ね」
「もちろん。それについては予言者の僕が大丈夫って保証するよ」
予言書には書かれていなかったこんな幸せな未来を作り出せたのは、たしかに予言者様のおかげね。
「ありがとう、私の予言者様」
ターンで躓くフリをして、彼の頬にそっと唇を寄せました。誰にも内緒で、こっそりとしたキスは子どもの時以来です。
・・・お兄様にはばれていて、後でこっぴどく(エドが)叱られましたけれどね。
一曲目のダンスは気になる相手。
続けて二曲は恋人同士。
三曲続けて踊ったなら、一生私はあなただけ。
私はこれからずっと、あなただけ。
お読みいただきありがとうございました⸜( •⌄• )⸝
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