明智家の勝手方7:坂本城築城
秦創金造は明智家の財務を担当する勝手方だ。
生まれは越前の国。商人であった金造の父が明智家に出入りしていた関係で、将軍上洛後の明智十兵衛光秀に仕えることと相成った。
金造の得意は、帳簿付けである。金造にとって帳簿は仕事だが、趣味でもある。細かい文字で丁寧に書き記した帳簿を、金造は暇さえあれば、ぼんやり顔で眺めている。
金造の苦手は、荒事だ。武士にはなったが、戦に出たことは一度もない。そもそも他人を殴ることを、嬉しいと思ったことがない。
金造はそれで構わないと思っている。戦において勝手方は後方にいるものだ。銭米を集め、前線へと運ぶ手配をするのが金造の仕事だ。
元亀二年(1571年)十二月。
湖畔に、地面を叩く木槌の音が響く。
冬至は過ぎたが、日は速い。
落ちていく日に急かされるように、人足たちが縄打の中を蟻がごとく、うろつきまわる。
「石が到着したぞー!」
「人足ども、運べ!」
「これからか」
「もうお天道様が落ちるぞ」
「文句を言うな! 終わるまで帰さんぞ!」
「船から上げろ! 地面に転がせ!」
比叡山に夕日がかかり、空が赤く、やがて黒くなる。
広い普請場を囲むように、篝火が燃やされる。
かろうじて見える手元と足元に注意しながら、人足たちは船から運び出した石をそこらに積み上げていく。
「終わったか! なら帰れ!」
「いわれんでも帰るわ」
「くそっ、指はさんじまった」
篝火に背を向け、人足たちが帰っていく。
人足たちの足取りは重く、背は丸い。
彼らは夫役で駆り出された地元の者たちだ。
夫役のやる気がないのは、どこも同じだが、この現場は特にそうだ。
現場の視察にきた金造の顔は、日之介の目には悄然としているように見えた。
「日之介、暗くてよく見えなかったが、あの石がそうか?」
「ああ。船で川上から運んできた」
「石材の再利用。いい手だと思ったんだが、不満も大きそうだな」
「三月前まで、自分らが拝んでた寺と社の石垣だからな」
ここは坂本の地。
焼け落ちた比叡山のお膝元である。
坂本の支配を信長から命じられた明智十兵衛光秀は、新たな拠点として海城を築き始めた。
光秀から夫役を命じられた坂本の住人は、面従腹背で可能な限り手を抜いて仕事している。
築城が始まって半月になるが、作業の進捗は芳しくない。
「夜に忍ばれたりは、しとらんか?」
「しとらん。足軽どもが見張っとる。それに坂本のヤツらも、わしらを本気で怒らせたりはせんよ」
「焼くからか」
「おう」
日之介と金造は、顔を見合わせて、ケラケラと笑った。
しばらくして金造の笑いが止まり、大きなため息がでる。
「……は~~」
「無理すんな、金造。お前はこういうの、向いてないだろ」
「だが、作業が遅れるとな、銭もよけいに出る。警備の足軽分は、こっちの持ち出しじゃ。いつ終わるかもわからん。それがしには、そっちの方が向いてない」
「金子のやりくりはずいぶんと楽になったと聞いたぞ」
「ああ」
比叡山を焼いたことで、京周辺での織田勢の評判は一気に悪くなった。
逆に、銭の回りは一気に良くなった。
明智家の蔵にも、贈物として持ち込まれた財が積まれている。
「どいつもこいつも、織田に貸しを作りたくてウズウズしとる。良いことなのだが、良いことばかりでもなくてな。殿が頭を痛めとるわ」
「なんぞあったか」
「これまで比叡山にべったりで、今さら織田様にすり寄っても相手にしてもらえんようなのが、こぞって公方様に近づいとる」
「そういや、義昭様、元は仏門じゃったな」
「興福寺一乗院の門跡よ。還俗されたが、寺社と付き合いは深い」
「たぶらかされるか」
「わからんが、心穏やかとはいくまい。殿が苦心しておられる。それがしにも、今の賄いに油断せず、きっちり躾との仰せじゃ」
「わしも、殿から言いつけられとる。足軽どもが弛むのは仕方ないが、箍まで外れんようにせえ、と」
「そうか」
「敵は焼けても、味方するもんは焼けん」
「そうだな。焼くのは餅だけにしとこう……あちゃっ、あちゃちゃ」
「焼きすぎじゃ」
周囲はすぐに真っ暗となった。
金造と日之介が立つ篝火に、若い男が一人、子供が一人、近づいてきた。
日之介が半歩、踏む。誰何する。
「誰じゃ」
「わしじゃ、日之介。可児の吉長じゃ」
「おう、槍の吉長か」
十代後半。金造と日之介と同年代の若者が、髪を逆立てて傾いた格好で篝火の中に入ってきた。笹の葉を柄に縛った槍を担いでいる。
吉長の後ろから、こちらは七か八かの子供がついてくる。汚れ、痩せ、ギラギラした目で金造と日之介を──ではなく。二人が持つ竹串に刺した餅を睨んでいる。
「なんや、その子は」
「咎人やな。このガキ、昼間に足軽どもに混じって一天地六しとったわ」
一天地六。骰子の出目が一だと反対が六であることからつけられた異名だ。さらに翻って、賭博の隠語でもある。
「はあっ? 吉長。その足軽ども、どうした」
「暇そうなんで、槍で稽古つけたったわ。安心せえ。骨までは砕いとらん。今はびっこひいて篝火の番しとるはずよ」
「くそ。城番中に骰子転がす阿呆がおったか。明智の殿の言う通りじゃ。箍が外れかけとる」
子供が、吉長に続いて篝火の灯りの中に入った。
体中が痣だらけだ。血もこびりついている。金造が顔をしかめる。
「吉長というたな。ちぃたあ手加減せんか」
「いや、そのガキをやったんはわしじゃない。骰子転がしとった足軽どもよ。そのガキが一人勝ちしとったんじゃ」
吉長が賭博に気がついたのも、子供が足軽たちに殴られ蹴られ、ちょっとした騒ぎになったからだ。
「銭はもっとらんようじゃな。こいつが足軽から巻き上げた銭はどうなった?」
「賭けはなかったことになったんで、銭も足軽に戻ったわ。ガキは外に放り出そうとしたが、儲けた分を返せ、返すまでは帰らんと」
金造が、子供に問いかける。
「……おい、子供。名は」
「重太」
「家はどこじゃ」
「下坂本」
「親はおるんか」
「母ちゃんがおる。父ちゃんはお役目から帰ってこん」
「父ちゃんは、何のお役目や」
「日吉のお社の神人やった」
子供と話す金造を挟んで、日之介と吉長が視線をかわす。
日吉神人は、日吉神社に仕える身分だ。祭祀を行う一方、商いもする。戦となれば、武装して神社を守るのも日吉神人の役目である。
──父ちゃんがお役目から帰ってこない。
吉長の槍に突かれて殺されたか。日之介が足軽に命じた火付けで焼けて死んだか。
よくある話だ。日之介も吉長も、息子と妻を残して死んだ「父ちゃん」を気の毒には思っても、悪いとは思わない。
いつでも他人を切り捨てられるし、自分を棚にあげられるのが武辺者だ。
金造はそうはいくまい、と日之介は友の胸中を思いやる。
「なんぼ、勝った」
「甲から二十三文、乙から十一文、丙から十文、丁から七文、戊からは三文、己とは勝ち負けなし。合わせて五十四文の勝ちじゃ。寄こせ」
「甲乙丙丁戊己というのは足軽のことか」
「名は知らん。勝ちの大きい順じゃ」
金造は、吉長を見た。
吉長が指を折って数える。
賭博をしていた足軽の人数は合っている。
「六人全員に負けなしか。イカサマか」
「必要ない。あいつらバカじゃ」
「そうか。それで勝った分の銭を寄越せと」
無言で、頷く。
無言で、睨む。
決意と怯えが、黒い瞳に浮かぶ。
「ふむ。銭をやってもええ」
「ほんまか!」
「金造!」「おいおい」
喜びと驚きの混じった重太の声と、懸念と驚きの混じった日之介と吉長の声を、金造は手をあげて遮る。
「銭が欲しいなら、足軽が書いたもんを出せ」
「書いたもん?」
「日吉神人の子なら、父ちゃんが紙に書いたもんを大事にしているのを知っておろう」
「うん」
「銭の貸し借りはな。書いたもんがあるかどうかで決まる。書いたもんがないのに、銭を返せと言っても、誰も返さん。これが決まりじゃ」
「書いたもんは……ない」
「そうだな。賭博は貸し借りとは違う。賭場で銭を握れんかったら、後からは絶対に握ることはできん。これが決まりじゃ」
「ぐ……わかった……」
金造の言葉に、重太が悔しそうに顔を歪めて俯く。
さんざん銭を返せとわめく重太に手を焼かされた吉長が、「これで納得するんか」と驚いた顔で日之介を見る。日之介は顎をしゃくって得意げだ。吉長が「けっ」と笑う。
重太が踵を返そうとする。
金造の言葉が続く。
「重太。算術はできるな」
「得意じゃ。父ちゃんも褒めてくれたぞ」
「読み書きは」
「かなと数字だけやったらできる。他は手本があったら書ける」
「それがしは秦創金造。明智家の勝手方を任されておる。日吉神人の息子、下坂本の重太。おぬしを京屋敷の下人として雇おう」
「明智……織田の家臣か」
「明日の朝、それがしは京に戻る。銭と仕事が欲しいなら、朝までにここに来い。それまで、家で母ちゃんともよく相談せい」
「……わかった」
「可児の吉長。外まで重太を送ってやってくれ」
「あいよ」
「待て。持ってけ」
日之介が、二人を止め、餅が刺さった竹串を重太に突き出す。
重太の指が素早く竹串を掴む。日之介の大きな手は竹串を握ったまま。
重太は日之介を見、ゆっくり頭を下げた。日之介が手を離す。
篝火の灯りの向こうに、吉長と重太が遠ざかる。
金造と日之介は、互いにそっぽを向く。
「……」
「……」
篝火の薪が、チリチリと煙をあげる音だけが響く。
金造が、そっぽを向いたまま、ため息をつく。
「……何か言え、日之介」
「お前が聞きたい言葉が、わしの中にはないんで黙る」
「それでもいい」
「ようやった、金造。お前は偉い」
金造が、驚いて日之介を見る。
日之介が、そっぽを向いたままニヤッ、と笑う。
「銭貸しや賭博に決まりがあるように、武士にも決まりはある。坊主にもあるし、公家にもあるやろ。わしにもあるし、お前にもある。わしは、金造を偉いと思うぞ。金造が自分のやったことを情に負けた、バカなことをしたと後悔しても、わしの考えは変わらん」
「……」
金造は坂本城の縄張の片隅にポツンと立つ物見櫓を見た。
櫓の高さ大きさに比して、縄を打った面積は広い。
「あそこは、でかい櫓を建てる。殿は天守にすると意気込んでおる」
「てんしゅ? ああ、公方様の御城の天主と同じやつか。豪気じゃな」
「たいそうな銭がかかる」
「そりゃあそうだな」
「なので、今は見張り櫓だけだ。作事は来年からだな」
「仕方なかろう。比叡山周りはわしらが焼いたばかりの土地ぞ。今はおとなしくしとっても、いつ一揆が起きるかわかりゃせんし、朝倉、浅井も攻めてこよう。わしとしては、今からでもアホ山(青山)に引っ越したいわ」
「それもいいが坂本を海城にし、淡海を通う舟運を制する利点も大きい。兵を山にあげたままではできんことじゃ。双方の得失を並べ、どちらを選ぶか。殿は今日の損ではなく、明日の得を選んだ。それがしも同じよ」
「それで、手を増やしたんか」
「うん。重太が育てば、それがしにできることは、格段に広がる。それにな。重太を見て、思うたこともある」
「なんや」
「腹を空かせた人は、米に逆らうことはできん。目の前の米を食うためならば、心を切り離して動くことができる」
「まあな。できんかったら、そいつはそこで死ぬからな」
「とすればだ。憎い相手でも。相手の米を食い続ければ、心も変わるんじゃないか。そうやって坂本の町を比叡山の門前から、明智の町にできんかと、それがしは思うておる」
「相変わらず、奇天烈なことを思いつくな、金造は」
「おかしいか?」
「いや、それでこそだ。やってみろよ。荒事はわしに任せろ」
日之介は太い腕を曲げて、力こぶを作った。
「銭と米は、それがしがなんとかしよう」
金造は、竹串に刺した餅を日之介の口元に差し出した。
日之介が餅にかぶりつき、舌を火傷して悶絶した。