4つの点がそこにある。出来上がるのは三角形4
家族とは何だろうか。
それはアベルにとって、どんな問題よりも難しく答えが出ないものだった。
同時に、答えがわからないまま欲しがり続けているモノでもあった。
温かい繋がりが欲しい。
凍えるような、毎日が薄暗い中にいるような気分でいることがとても嫌で。
日が差すような場所に、居場所が欲しかった。
時折陰るとしても、やがて晴れて日が差すような。
憧れ。
子供が欲しがる玩具のように、確かな形は想像できない。
それでもガラスに張り付くように求め続ける何か。
親がいて、子がいる。
同じ家に住んでいる。
幸せなものは、それに対して疑問すら抱かない。
何が家族が、何が繋がりかなど、いちいち眠れぬほど悩んだりそれに縛られたりはしない。
少し問題があるならば、家族とは何かという疑問は持つだろう。
アベルにとっては、どれもこれも知識では知っていても理解が及べぬものである。
父とは、血のつながらない男である。
母とは、女であり優しくはしてくれても、中途半端に離れる者である。
弟とは、父と母とつながりを持って、自分とつながりはまるで持たず、恨みだけを向けられるものであった。
共通して、どれも――一方通行。
きっと、家がないものやもっと貧困に陥ったり、孤児であるものなどは無数にいる。
そんなことはわかっているのだ。
言われれば激高するだろう事でありながら、アベルは『こうであるなら最初からない方がよかった、そっちの方がずっと良かった』と考え、それに罪悪感を抱く負のサイクルをずっと続けている。
誰しも自分の不幸が最高なのだ。
自分より不幸なものがいるよと知ったところで、少なくともアベルにとっては何の慰めにもならなかった。
「……どうしたの?」
いや、と首を振る。どうにも事後にまどろんでいたら、夢と現実のはざまに迷い込んでしまったらしい。
アベルはインベントリからミネラルウォーターを取り出して、飲む。
もう1本取りだして『飲むかい?』と問いながら同じベッドに寝そべっている由紀子に、手渡した。
「少し、昔のことを思い出しただけだよ」
「昔のこと?」
「……うん。昔の事さ、昔の」
その集まりはぴりぴりと肌が痛くなるような緊張感をあたりにばらまいていた。
中心にいるのは、まだら模様のスケイルメイルと呼ばれる鱗が折り重なったようなデザインのものを着ているのが特徴の――掲示板ではオールドラゴン使いと名乗っているキールという男だ。細く見えるが、その雰囲気は反して力強い。
その傍には、苛立たし気な表情を隠しもしない年若い男――掲示板では最近悪意くんなどという本人は認めていない愛称で呼ばれることも多くなった、悪意はありまぁす! と名乗っている譲司が顔をしかめて立っている。こちらは魔法使いといった風体でローブのようなものを纏っている。
彼らがいた日常ではどちらもコスプレといって指をさされたり無断でマナー無用な無許可の写真連射が襲い掛かっただろうが、ここではむしろそうでなくては頭がおかしいといわれるありきたりな格好である。それでも、今までの常識という思考から、誰しもどこか、ある種の滑稽さを覚えてしまう。
ぴりぴりとし過ぎていて、少し触りがたいのか、他の人間とは空間が空いている。
その中で唯一、2人の近くには柔和そうな顔をした女が発言はせずに苦笑したような困り顔で立っていた。
「おい、ドラゴンフェチ」
「わかってる……あと、いい加減キールと呼べ。このやりとりも何回目だ?」
「うるせぇ、爬虫類に興奮してる変態野郎なんざドラゴンフェチで十分だろうが」
「ドラゴンはいいぞ」
「うるせぇ、マジでうるせぇ」
「仲良しですか?」
「うるせぇ糞女」
「君、本当に口悪いよ……」
「あらまぁ」
そんな中心の2人と寄り添う1人に、近づく影があった。
ガタイのいい、仮面をかぶった男だ。正直怪しさ満点であるように思えるが、ダンジョンでは顔を隠す、隠したがる人間もいるのでそれ自体はさほど珍しいものではない。
2人も、周りにいる人間も、警戒した様子はない。知っている人物であるからだ。そして、目的も予測がつく。そして、その人間がクセはあってもどちらかといえば善性であることも。
「どけ女ぁ……よぉ、腐れリビドー野郎。どうした? ここにゃ、今てめぇの相手をしてくれるやつはいねぇぞ? ハッスルしてぇなら別んところで漁ってろや」
「あらあら」
「おい」
背が低く見えないのもあってか、方向的に被っている女を押しのけるようにして挑発的に譲司は発言する。
その言葉とやりように、キールが注意するように声を出すが、譲司は鬱陶し気に舌打ちをした。
「だぁってろよ、ドラゴンフェチ。てめぇだってわかってんだろ? 仲良しゴッコで済ませる気か?」
「……言い方というものがある。君は、いちいち煽りが入りすぎるんだよ。あと、女性を無視するのはよくないな、押しのけるようにするのもだが」
「別に気になさらなくてもいいですけど……あら? キールさん、ペット騒動の時は平等に焼いていらっしゃったような……?」
「口だけ野郎だからな糞ドラゴンフェチは」
「……いや、それとこれとは別だろう」
三角形が中心に描かれた仮面は、彼のトレードマークだ。
掲示板でも早いころからいじられ系ネタキャラとして認知された人間である。
掲示板ではΔΘΔと名乗る、下半身野郎、下から生まれたネタ太郎、ちょっとリビドーに素直過ぎる人など多数の愛称を持つ男――アベルである。
「すまないな、アベル。譲司だって悪気があるわけじゃあないんだ。しかし――」
「おぅ、わかってんのかテメェ。フル装備で風切ってこっちくんのは結構だけどよ、なぁ、おい。俺らがてめぇらの関係も知らねぇほど節穴にでも見えたか、つーか、テメェはあれでまさか目立ってねぇとか思うほどに脳みそに性欲が詰まってんのか? ここにいるやつなら大体が知ってんだよ、てめぇが執着していることなんざなぁ」
フォローするようなキールを遮るようにした譲司の発言は、明らかな挑発であり不満のものだ。
「――心配性だねぇ、譲司。わかっているさ、だから、来たんだ」
それに対するいつもは冗談から入る少しくぐもったような声は、焦りも怒りもなく聞いたところ冷静に思える響きを伴っていた。
挑発めいた言動も、軽く受け流している。余裕のない様であるようには見えない。
何が気に入らないのか、譲司の顔はそれでも更に顰められた。
「わかってて、来て、どうすんだ? あぁ!? できんのかてめぇに! お人好しが、あの女かもしれねぇやつに、攻撃ができんのか! 邪魔になるってんだよ! 様子見っつって、助けにっつって、それですむと思ってんのか!? 迷ってきて邪魔になんなら俺が殺すぞ! 俺らは決してあの女を助けにってんじゃねぇ、それをわかってんのかっつってんだよ!」
感情だけの声だ。
排斥しようとする声だ。
それでも、キールにも、当の言われているアベルにも、それは思いやりの言葉でもあることは理解していた。翻訳すれば『自分たちで十分であるから、万が一にでも深く関係している相手にわざわざお前が行く必要はないでしょ?』である。
1人、女は困ったような顔で頬に手を添えている。
「その不器用さは、損だね譲司。そういう所をかわいいっていってくれる女の子をみつけないとね」
「ざけんな、誤魔化してんじゃねぇ、今はてめぇの話をっ――!」
さらりと、温度を合わせず返された言葉に激高した様子で譲司が詰め寄ろうとする。
それを、キールが無理やり抑えた。これが逆なら無意味だが、ペットが主な火力のプレイヤーではあっても近接が得意なものと、後衛遠距離特化のプレイヤーでは力の差というものがある。抑えられれば、動けない。
それに対してリアクションもなく、ただ首をかしげるように傾けたそのさまに、譲司もキールもどこか気圧される。
「そうだね。僕の話だ。僕の話だから、来たんだよ。攻撃できるか? 迷っているか? ――僕は、彼女がいる可能性があるからこそ、なんなら1人でもいったさ。でも、いくなら一緒のほうが効率がいい。そうだろ? ――答えは、それでいいかな? 一緒にいかないってんなら、別にそれでもいいけど?」
仮面で表情は見えない。
しかし、どこかぎらつくような目が、譲司には見えた気がした。
話は終わったと判断したか、アベルの顔が譲司から横にスライドする。
「あとさ――君、誰かな? ナチュラルに混ざってるけど、見たこと――いや、少し見たか? どこかで……」
キールとアベルは面識がある。
譲司とアベルも面識がある。たまにダンジョン内で出会った時や、トラブルが起きた場合はなんども協力したことがある関係だ。
アベルは、その性格もあって多くのプレイヤーと接してきている。特に、ダンジョンの攻略の中トップを走るような人たちや、同じくお人好し周りの人たちなどは多くが顔見知りである。
その中で、見たことがなかった。トラブルに関わるのは、いつもある程度以上の実力者であることが暗黙の了解だ。
だから、彼女以外はアベルは話したことがないというレベルの人もいるが、顔は知っているのだ。
そのなかで、実力者であるのは見ただけでわかるのに見たことがない。
「ふふ、知らなくても無理はありませんよ。私、割と最近ここに転移してきたんですよ。前のところが物騒になってしまったので」
「……」
「あぁ? 見た目のわりに実力あるっぽいのに見た記憶がそうねぇと思えば、どっかからの逃亡組かよ……逃げ癖でもついてんじゃねーだろうな?」
「だから譲司……はぁ、戦力が大いに越したことはないだろ? それに、回復やデバフが得意らしいから、連携が効きにくくても頼りになるさ。ね、如月さん」
柔和そうな表情が、花を小さく咲かすような笑みの形に彩られる。
「本条如月と申します。どうぞ呼びやすい名前で呼んでくださいね?」
大層楽しそうな表情で、小さく声を漏らしながら、笑った。




