ナイトメア:落ちる銀嶺は夢の中 本上如月2
周りには見せられないなと思いつつ、自分の部屋だから問題ないと口を拭い、思考を戻していく。
モンスター。
今回のイベントは、明らかな違いというものがあったのだ。
モンスター同士が殺し合っていた。盛んに。ある程度の統率を見ることさえできる動きで。
(前回は、クソゲの皆様がたはそうだったらしいが、他の難易度は少なくともモンスター同士の殺しあいというものはなかったように思う――違いはなんだ? ダンジョンでも統率する個体や集団はいても、あのように大規模なものはない。広いダンジョンでも、聞いたことはない。クソゲは除外するにしてもだ)
思い出す。
如月の記憶では、クソゲという難易度のものたちは、イベント用ダンジョンにクソゲダンジョンの各モンスターがいて、プレイヤーもイベントモンスターも見境なく殺していたという。
(いや、見境なく、ではないのか?)
クソゲのモンスターは、どうにも趣が違うところが多いと少ない情報の中でも如月は感じている。
(みつどもえだった?)
クソゲのモンスター、プレイヤー、イベントのモンスター。
各それぞれが、各々の目的を持っていたのではないか?
そう如月は想像した。
(そも、なぜモンスターが襲ってくるのかという問題があるが――ここまでの情報で、1つの推測として、そこまでの変化をすればより理解できるチャンスがあると思うが――正直、体を変異させるのはためらうな。
ゲテモノ食いも、一応そちらに偏らないように気を付けていてさえ感覚変異は免れなかったわけで。おかしな話だ、自分の生き死にに興味がそこまで持てないというのに、自分の体が今の自分からこれ以上はなれるということを、どうやら嫌だと思っているらしい)
手を伸ばす。綺麗な手だ。おおよそ、生物を一撃で水風船のようにはじけさせることができるほどの腕力を振るえるとは思えない。どこか変わらぬ手に安心している自分がいることを、如月は自覚していた。
自分とは違う生き物。
モンスター。
ノンアクティブと呼ばれている、攻撃するまでこちらを認識さえしないモンスターのことは難易度上見たこともないため決定的なことは言えないが――少なくとも、アクティブといわれるそのほかのモンスターについては、如月は確かに意思というものがあるのではないかと推測している。
(まぁ、モンスターによっては目が死んでいるというか、虚ろというか、ハイライトがオフなさっているというか、そういうのも多々見るわけだけど……確かに、主観的で感覚的なものでしかないが、マリオネット的ではない、目に意思の力を感じるものもいる。あれが所謂運営サマが用意した自動的な偽物だといわれても、信じられないと思うくらいに)
今までのダンジョンでモンスター――現在自身がいるナイトメアのダンジョンでも、少なくとも同族と思われるもの同士が殺し合っている様を如月は見たことがない。
それは、誘導もされているにしても、共食い等を禁忌とするように、同族同士で争う事をしない意識が働いているのではないか、と思える。
協調性がある。しようと試みている。目にためらいがある。同族に攻撃したくはないと目が、行動が、そういっている。それらを実際に見てきた。
人が争っているのも見てきた。それによく似ているのだ。
戦闘中にモンスターが他モンスターを巻き添えにしたり、盾にしたりといった行動はとる。それは確かだ。だが、必要なければそうはしないし、それらをほぼためらいなくするのは、マリオネット的に動くもののほうが多い。
(どこかで同じように攫われてきたのだろうか? と、考えもしたが――に、してはこちらにアドバンテージというものがありすぎて、あちら側には自由というものがなさすぎるな。
まぁ、攫われたのだとしても、待遇は同じでないことは確かか。争わない、でなく、争えないようにしている、という事かもしれないしなぁ。
いや? それとも、我々の中にもNPCはいたりするのかな? 全員とコミュニケーションなどとっていないしなぁ……ふふ)
ダンジョンのモンスターは、少なくとも如月がいる場所では、何か生活感が出るような行動をしているところを見たことがないのだ。
モンスターは、そこにいたり、あらわれたりして、襲い掛かってくるもの。運営と呼ぶ主犯が用意した玩具であり道具。運営が作って呼び出す単なる化け物。それが、大部分のプレイヤーの認識。
だから、NPCといわれることが多いのも理解できる。しかし、それでもやはりと思うのだ。
それは、そうすべしと縛られているだけなのでは? と。
それは、我々が優遇されているだけなのでは? と。
だからといって、別に如月は殺すことが悪い事だとか、モンスターの気持ちになって考えよう! という事が言いたいわけでもない。
ただ、もし被害者であるという点が同じなら、何故自分たちが優遇されているのか? ということが気になっている。
(うん。今回のイベントはその点でおかしさを感じるものだ。だって、同じような種類で争っている。こちらにも襲ってくるが、ステージのモンスター同士でも明らかにやり合っていた。
別に同じ種族で争うのがおかしいわけじゃない。
ここがダンジョンで、今までそうじゃなかったからおかしいというべきか。
きっかけはなんだろう?
イベント。イベントかぁ……何かが、誰かが、モンスターが。スイッチでも踏んでしまったか? ふふふ、考えるのは楽しいねぇ、意思がある方が、生きるのも死ぬのも見ていて楽しい。そっちであってほしいなぁ)
好奇心だ。
好みだ。
それが、全てだ。
ただそれに従っているだけだ。
考えているのは、出たいとかいう目的があるわけでもなく、モンスターに意思があるならと慮っているわけでもない。
ただただ、疑問が湧いて、それを考えることも楽しく、知らないものを自分でさえ試すのが楽しく、その答えを知れたらきっともっと楽しいと思える。
モンスターでも、人間でも、いろいろな姿を見るのが楽しいと思うのだ。思えるようになった。
ただ犯罪者でもなく、そうなろうとも思っていなく、人には親切に程度には思っていたし行動してもいたが、何事も薄っぺらいものしか感じ取れない状況に陥っていた、日常ではまぎれもなく善良側に位置していた如月という人間は、今、この上なく楽しんでいた。
一度死というものを体験することで、如月という人間はある種の解放を得たのだ。
薄い感情は、死という未知の恐怖を味わうことで濃い感情を知った。
それはとてもとても甘美なものだったのだ。
擬態しながら人形のように生きるものは、それによって人間性を得たのだ。
ただ、目覚めたそれは他人から見て、歓迎できる感性はしていなかった。
如月は思考を楽しむ。誰かにとっての幸せか、それとも不幸か。そのどちらでも、どっちでもいいと楽しむことができる。どちらも平等に好きだ。
如月は行動を楽しむ。他人が今苦しんでいようと、もしモンスターが同じように苦しんでいようと、どうでもいいと笑顔で返せるように。
このダンジョンというものに強制された人間で嘆くものは多く、それを不幸だと、理不尽だと受け止めるものだらけの中、如月は救われた気持ちだった。
今までの現実の中では無気力だった如月という人間は、その歪さが静かに生まれて、人間として静かに救われていた。




