クソゲ:修羅求道鬼ヶ島 雨宮啓一郎
短く息を吐く。
大げさとも呼べるほど遠く動く。
今だ見切れぬ拳が、しかし予測通りの軌道を描いたことを頬を浅く切り裂く風で確信する。
(これでも切れるか)
拳自体を一寸の見切りで回避しようとしても、いかな物理法則か巻き込まれる。
多少離れただけでは周りに起きているらしいカマイタチのような何かの群れに切り刻まれてしまう。
かすってもそうなのだ、直撃すれば――文字通り、霧にされる。吹き飛ぶでもない、粉々にされる。
死ぬのが嬉しいわけではない。
しかし、離れたはずの命を賭けた闘争は冷やしたはずの啓一郎の血をどうしても熱くする。
「……」
(笑いたくなるな)
水のように。
流体を意識して滑るように。
敵の姿はまさに鬼。
あり得ないほどぎっしりと詰まった筋肉。
大きな体。
その巨体からは想像できない、速さ。
重さ。今まで啓一郎が見たこともない、特殊な力までプラスされる。
周りではやし立てるような声がする。
鬼に囲まれているのだ。
囲まれている、しかして相手は一対一を好む。こちらが多数に攻撃を仕掛けない限り、鬼たちは一対一にこだわる。
まるで、闘技場のように円を描いている。戦いを楽し気に見て酒を飲み、笑い、何かを食らっている。お互い同士で時折殴り合いすらしている。
そこに、啓一郎は人格性をどうしても見てしまう。
こいつらは、無機質なコンピューターではない、と。
意思をもって動く生物である、と。
だからといって、その拳を下ろす力が弱まるという事はない。
むしろ、逆だ。
(いいね。ゲームを画面越しにやるなら、意思を感じられなくともいいが、殺し合うなら意思ってもんがないとな。意思なき人形相手に命の奪い合いを強制されるなど、さすがに御免蒙る)
今は遠い弟子がゲームが好きだったことを思い出す。
機械が苦手という訳でもないが、特に触れようとも思っていなかった啓一郎はそれを進められてそれを楽しむようにもなった。
文章を読むのも嫌いではなかったが、あまり触れることのなかったネットで公開されている小説等を読むようにもなった。
だから、自分に今訪れている状況がそれに似通っているという事も頭には入っている。
しかし、ポイントというポイントは今だ使っていず、スキル等の外的強化を率先しては一切行っていない。
慢心だろうか?
痛みが好きな性癖だろうか?
自分の力でなければ納得できない?
どれも違う。
死ぬならばそこまで、とばかりに初めての時点では『なんとかなる』という漠然とした慢心のような思考も介在した。
しかし、今それはもうない。
もとより、啓一郎は『殺し合い』を楽しめる傾向にはあっても、『殺し合い方』にこだわる傾向はない。
相手が銃器を用いても卑怯等とは言い出しはしないし、自分が素手以外を使わないというこだわりをもっているわけでもない。
今素手を使っているのは、周りに通用しそうなそれらがない事と、そんな隙もないからだ。
だから、これは確認である。
何もない素の体でどこまでできるのか、すでにいじられているとしたらそれがどう影響しているのか。
強化するには、啓一郎にとっては事前情報が必要だったのだ。
衝撃はあるし、正直何度も経験したくはないとはいえ、折れなければ何度でもチャレンジできることを知った。
何度もチャレンジできることを知ったから、むやみに急ぐということを止めたのだ。
不幸というか幸いというか、他の人間がいないこともその選択を取った理由でもある。
進められてやっているゲームからも、読んできた小説等からも、今殺し合っている鬼等が恐らくここでは一番弱いものであろうことは推測できる。
せっかく一対一でやってくれるのだからと、検証に真っ先に走ったのだ。
「ぐっ……」
癖と勘で、安全圏には離れられぬ直撃コースの見えないそれに手を円を描く動きで払おうとした。
他のものがもし見ていればあり得ぬ現象。
強化のない人間が、一撃でかすっても殺しせしめる一撃を、その軌道を、わずかとはいえ確かにそらす。そらせたのである。大砲の玉に幼子が手を触れたところでどうしようもないはずが、曲がった。そういう衝撃的な事象。
しかし、代償はもらうとばかりに腕はバラバラに弾けとんでしまった。
さすがにこらえきれるような痛みではない。呻きはどうしても洩れる。
それでもにぃと笑って見せる。
それを見て、鬼たちはげらげらと笑った。
さぁ、続きをやろうと自ら踏み込み――
『ぱんぽーん。運営様でーす。室内爆散君が通算500回死亡を初到達したから、【祝☆初500死亡】の称号をゲットだ! わーいみんなほめろほめろーぱちぱちー』
「……ぅえい?」
間抜けな声で一瞬目の前の鬼も動きを止める。
しかし、そのできた隙というものはどうしようもなかった。
唐突に、そして強制的に落ちてきたアナウンスの声はどうしようもなく。知っている名前が含まれて、なおかつそのアナウンス自体が今までにそうそうないものだったから予測もできておらず。
間抜けにも反応してしまい、再起動した鬼のちょっと困惑気味の終わりが頭に降ってきて、今回のチャレンジも一体も倒せず死亡にて終了した。
視界が黒く染まり、死の体験が訪れる。
上か下かもわからぬ浮遊感と落下感で、自分が部屋に戻っていることがわかった。
そうして、何度経験しても慣れがない死の衝撃を耐えて、時間間隔もなくなってきたころにいつものように立ち直る。毎度のことながら、時計もないこの部屋では自分がどのくらいそうしていたのかを知ることはできない。
「……ふぅぅぅぅぅ」
それでも呼吸を整えれば、いつもの自分に啓一郎は戻る。怪我や動揺と死という違いはあるが、ルーティーンは有効のようだという事実は啓一郎にはありがたいことだった。
「……はぁ。爆散君、運営からもそう呼ばれてるのか……ん? つまり俺も運営からは『おっさん』って言われるのかな? 微妙だなぁ、そんなおっさん扱いは……しかし、500回かぁ。――発見する必要のない才能だったろうになぁ」
啓一郎は自身が爆散君と呼ぶ少年だろう人物の事を思う。
おそらく、彼は戦闘に対する天性の才などない。
閃きに対しても。
よくいるような、平和的で善良な学生の一人だったのだろうという事が、掲示板だけのコミュニケーションでも伝わってくる。
啓一郎が主にコミュニケーションをとっている相手には、悪人と呼ばれるものだったりそっちに属していたりというものはいなさそうに思えていた。
500。数字。
死の数字。死を体感した数字。
殺し合いを楽しめるような人間でも、1度で十分、2度目は拷問を受けても断りたいほどの苦痛。
それを、500。
尋常な精神ではない。
掲示板で変わった様子をみせていない。公開記録でもテンションも性格も別段変わった様子はない。
自分がこんな短期間に500もあの苦痛を耐えることができるか? と問いかけても――無理だ、と瞬時に判断できる。
戦闘狂だの、才能があるだのと言われても来た啓一郎であったが――その点、明らかに自分よりもその少年のほうが勝っているのだと確信できた。
だからこそ、胸は痛む。
苦痛を耐え、自分を保つ才などといえばいいのだろうか?
殺し合いが嫌いでなくとも、何もかもをそうしたいわけではない。
そういうのは好きなモノ同士でやればいい――少なくとも、そう思い込める同士でやればいいと、心の底から思っているのだ。
だから、そういうことを好まないものにはそういうものから離れて生きてほしかった。
交流してしまえば、知ってしまえば、それはなおさらに。
「平和に生きれただろうにねぇ。こういうのは、いつだって無関係の奴だの若い奴だのが巻き込まれ、含まれる。爆散君じゃないけど、クソだね、クソ」
ふぅ、とため息をついて、気分をなんとか変えたくて、全然増えもしないポイントから水を久しぶりにポイント使って購入する。
ごくり、と飲んだその味はどこか泥染みたものだった。