故郷の村
暫く頭の中が真っ白になり、呆然として動きが止まった。
ずっと、思い出さない様に心の奥に封印していた場所だった。幼い頃から、度重なる嫌がらせ行為をじっと耐え続けた。
──親無しと蔑まれ、かと思うとやたらと親し気に寄って来ては、厭らしい目で顔を眺め回し、躰を触られ、口吻されて……長老等一部の者以外には気が許せない日々──とても生まれ故郷として懐かしむ事は無い村だ。
あの夜も当然、警戒して家に引き籠もっていた。保護者である長老が亡くなり、独りきりの夜。村の男共が代わる代わる呼び出しに訪れても、頑として無視し扉を閉ざす。が、乱暴者の一撃で、扉は呆気なく壊された。
家から引き摺り出され、村の共同納屋に連れ込まれた。掴まれた腕の痛み、取り囲む男共の視線、伸し掛かる男の重みや汗臭い匂い、其れ等が恐怖や嫌悪感と相俟って、つい昨日の事の様に思い出される。
未だにどうやって逃れ得たのか分からない。只管、奴等を拒絶し抵抗を続け、隙をみて反撃に転じた。思えば、無自覚に結界を張ったのだろう。追う男共の手を掻い潜り、窓を破って外へ飛び出した。そのまま、走って走って村の門を過ぎても走り続けて……
其処が、壊滅──
「ヴィル、行ける? 少し休む?」
ステフの声で我に返る。一体何をしているんだ。動揺している場合じゃない。今は仕事に集中するべき時だ。
「いや、直ぐ行こう。早く現場を見たい」
「了解」
隣で別の職員と話していたライが振り返り、問い掛ける。
「この辺りに詳しいなら、ヴィルが先導するか?」
「任せろ。遅れるなよ」
「翼犬と大山猫の体格差を考えてくれ」
軽口を叩きながら宿屋を出て、ヒューイを呼び乗り込む。厩舎スタッフから手綱を受け取ったライも同様に、セスの背に収まった。
町の外門を潜り、南東方向へと進路をとり騎獣達を走らせた。今回はヒューイが先に立ち、セスが追随する。先行し過ぎない様にスピードを抑え、飛翔も避けた。ルーイが二頭の間を行ったり来たりしながら、ふよふよと飛んでいる。
「あ、湖だ」
「湖って程には大きくないよ。殆どが池とか沼さ」
「ふうん……あ、あっちにも」
ステフは周りの景色を物珍しそうに眺めている。街の周辺は草原か岩場の多い荒れ地かなので、水場の多い湖沼地帯は目新しいのだろう。植生も違い、湿地帯に多い草や羊歯類が多く見られる。
森を抜け、幾つかの池や沼を通り過ぎ、騎獣達は直走る。徒歩では休み休み丸一日かけて辿り着く距離を、あっという間に駆け抜けた。
「大きな沼……彼処が前線の村かな」
ステフの指差す方に、村が見えて来た。僅かに残された外柵や門等、当時の面影を感じる処もある。
「そうだよ。あの印の付いていた場所さ」
外柵の大半は無惨に崩れ落ち、建物も形の残っている物は僅かだ。比較的頑丈に造られていたと見える村長の家は、まだしっかりと建っていた。
その村長の家が前線基地の拠点になっているらしく、開けっ放しの戸口から人の出入りが見られた。協会幹部がこちらに気付き、手を振っている。
門を潜って村の広場に入ると、各々騎獣から降りた。ヒューイがそそくさと狩りに行こうとする後ろから声を掛ける。
「ヒューイ、後で偵察に行くから、呼んだら来て」
ヒューイは短く了承の声を上げると、村の外に飛び出して行った。
「早かったな、『紅刃』『翠聖』ステフ、現状報告するから、こっちに集まってくれ」
協会幹部に言われてぞろぞろと歩を進める。村長宅は、幾分古びてはいるが、ほぼ当時のままだ。ふと昔住んでいた長老の家のあった辺りに視線を遣ると、村の外れにあった為か、倒壊を免れているのが見えた。
あの日壊された扉は直してあったが、建物自体はかなり傷んでいる。出て行った後、空き家になっていたのだろう。
「……まだあったんだ……」
「え、何? ヴィル」
つい独り言ちてしまった声をステフが聞き咎め、問い質された。知らず足も止まっていたのを、再び歩きながら答える。
「昔住んでた長老の家、まだ残ってたんだ」
「わぁ、後で見に行こうよ」
こんな非常事態に不謹慎かも知れないが、ステフの言葉に少し心が和んだ。
「そうだな。後で見に「何、二人の世界やってるんだよ!」」
先に行っていた筈のライが舞い戻って来て、ステフとの会話に割り込んだ。
「悪かった、直ぐ行く」
「俺にも後で教えろよ」
「ああ」
ライにそのままぐいっと前に押し出され、村長宅の戸口を潜った。