手記
暫くは大掛かりな依頼も舞い込まず、穏やかな日が続いた。そんな中、子連れでも出来そうな単発の依頼をポツポツと請ける傍ら、ランディに借りた手記を紐解いていく。
居間のテーブルで手記を広げて読んでいると、隣からステフが覗き込み聞いた。
「ヴィル、何読んでるの?」
「ランディから借りた、フェルの爺さんの伴侶って人が書いた日記だよ。ランディもフェルも読めないんだって」
「読めない? 獣人族の文字で書いてるの?」
「伴侶の人は人族だよ。ただ単にランディ達が字を読むのが苦手なだけ」
「…………」
その手記は、フェルマーの祖父が伴侶とした人族の男性が認めたもので、彼の妊娠発覚を期に書き始めたらしい。
書かれた内容は、主に出産前後の自身の体調変化についてや、生まれた子供の成長記録だ。淡々と書き綴られた日常風景の中、獣人族の伴侶との馴れ初め話とか、男性妊娠や出産といった未知なる体験ヘの不安などが織り交ぜられている。
「コレ書いた人、随分と苦労したみたいだ」
「苦労?」
「獣人族は惚れた相手ヘの執着が激しいらしい。どんなに断っても拒んでも諦めないんで、相当辟易したって」
手記を読み進めるうちに、段々と書き手の人物像が浮かび上がる。彼は、今のランディとよく似た立場だったようだ。成人したての若さで、歳の離れた獣人族の男から猛烈な求愛を受け、戸惑いながらも最後には受け入れたのだった。
「なんだか聞いた事あるような話だよね。ランディも似たような事言ってなかったっけ」
「フェルも相当しつこくランディに迫ったらしいな。獣人族ってそうなのか……」
違う点は、ランディが冒険者であるのに対し、その彼は商人見習いだった事だろう。そのお陰で読み書きが出来、こうして手記を残している。
「へぇ、獣人族の妊娠期間は人族より短いんだ」
「そうなの?」
「およそ人族の半分かそれ以下なんだって。羨ましい」
手記から拾った情報を呟くと、ステフが思い出した様に言う。
「ランディを見てると、あんまりお腹出てきて無いし悪阻も無さそうだし、この分だとヴィルよりもお産も軽いかもな」
「益々羨ましい限りだ……何、本当に軽いみたいだぞ。生まれる赤ん坊も人族より小さいんだってさ」
「小さく産んで大きく育てる、ってか」
少し離れた所で、ウルリヒの相手をしながら話を聞いていたライが口を挟む。
「ヴィルのはそんなに重かったのか?」
「ああ、長かったし重かったぞ」
「想像もつかん」
それから暫くは、手記から拾った情報を話の種にして過ごした。すると、ライが急に話題を変え尋ねてきた。
「そう言えば、ヴィルはその手記がスラスラ読めるんだな」
「あー言われてみれば……オレ、自分の名前と簡単な言葉以外は読めないもんな」
「俺は育ちだけはいいからな。学校も出てるし」
「いいなーライは。……んじゃ、ヴィルは?」
ステフも言われて初めて気が付いたという表情でこちらを見る。ライから重ねて問われた。
「何処で読み書きを習ったんだよ、ヴィル」
「育ての親から」
「育ての?」
「生みの親は俺が生まれてすぐ亡くなったらしい。それで、村の長老が俺を育ててくれた。偶々その人に学があっただけさ」
なるべくあっさりと返答する。あまり突っ込まれたくない。そう思う側から、ライが食い下がる。
「確か、ヴィルの出身地って神殿も教会も無い田舎の村だったって言ってなかったか? そんな所で、しっかり読み書きを教えられる人が居たなんて、奇跡的だ」
「偶々だ」
「そもそも、聖女ヴィルヘルミナは何故身重な身でそんな辺境まで行ったんだろうな。その学があるって人を頼って行ったんじゃないのか?」
「そんなの知る訳無いだろう‼」
つい声を荒げて反応してしまう。すると、ウルリヒが火の点いた様に泣き出した。慌ててステフが飛んで行きウルリヒを宥める。居た堪れなくなり、椅子を蹴って立ち上がると家を飛び出した。
「ヴィル、何処行く気だ!」
ライの声を背に聞きながら、振り返らずに駆けて行く。宛ては無い。足の向くままに走った。