色彩モノクローム
思いついたので書きました。
医学の心得などは全くもってありませんので、現実的な、ただし似て非なるものとしてお考えいただけると幸いです。
全色盲の少年と、共感覚持ちの少女の話です。
2018/01/25
一部修正、改行数を増やしました。
2018/03/13
加筆修正を行いました。
視界とは、言葉の通りに『見える世界』のことだ。あくまで持論であるが。自分以外に同じ世界を見ることは叶わず、自分の感情の全てのこもった、正しく世界である。
少年は、手に持っていた本を後書きのページまでじっくりと読んだことを自分に納得させるように、一文一文を丁寧に追っていく。やがてページをなぞる指が最後の一字まで追いついたと同時に、ほぅ、と感嘆の息を漏らした。
書籍は好きだ。誰かの物語を、さも自分が主役かのように、「もしも自分だったなら」と想像せずにはいられない。自分を惹きつけてやまない魅惑のブツ。
自分が書籍を読むのには大きな、そして重大な理由があった。
季節は冬、日本海に面したこの地域ではしんしんと降り積もる雪が辺りを銀世界に変えることなど珍しいことではない。
それでも自分はこの季節が一番好きだった。正直、雪かきはキツいし、うっかり外に出るハメになれば身体の芯から冷えるような寒さに身震いをしてしまう。それでも、この季節の銀世界は、自分と他者で見ているものが同じだから、好きだった。
ところで、先ほど雪に覆われた景色のことを銀世界と形容したが、正確に言えば自分は銀世界かどうかを確かめるすべを持たない。全ては等しく白と黒の2色で構成されている。何故なら生まれついて、自分はモノクロの世界しか見ることが出来ないのだから。
自分は、全色盲と呼ばれる奇病に近い病を先天性で患っていた。
杆体1色型色覚とも呼ばれ、網膜の中にある視細胞のうちの一つ、色の識別をする錐体細胞が生まれながらに機能しないと宣告された。色覚異常自体はけして少なくない。あるデータによると、日本人男性の20人に1人にもなるとも言われるのだから、ならなければラッキー、という程度だろう。
ただ錐体細胞は三種類あり、どれか一つが欠如すると、類似の色の見分けがつきにくい程度に収まる。ところがそんな一般論を丸っと無視してしまったのが自分の錐体細胞である。無くなるのは1つでも充分、懲り懲りなのに、あろう事か三種類全ての錐体細胞が機能しないのだ! つまり、この瞳に映るものはまるで19世紀初期の写真ような、白と黒のツートンカラーの景色である。そう、自分にとって世界は白黒だった。
見慣れたツートンの景色に月日を通して大した変化はなく、そろそろ自分の視界にも飽き飽きした頃だった。検査の為に訪れた総合病院で、大人しく待合室で本の文字を追っていたのだ。
本に正面から影が落ちる。誰かがこちらを覗き込んでいるのだと理解して、せっかくの読書の時間を邪魔した憎々しい相手に一言文句を言ってやろうと顔を上げた。すると、自分と同じくらいの年の少女がこちらを真っ直ぐ見つめていた。
「……何か用?」
なんてふてぶてしい物言いなのかと思われるかもしれないが、当時の自分にとって、人生の愉しみともいえる本に触れる時間を理不尽に奪われたわけで。少しくらいトゲのある言い方になってしまったものは許してもらいたい。
はてさて覗き込んでいた少女だが、彼女は返事すら寄越さずに自分の読んでいた本の文字を追う。おおよそその行動理由が理解出来ず、小気味悪さを感じたのも無理はないと思っている。
「わぁ、凄い難しそうな本だねぇ! これ、キミが好きで読んでいるの?」
人が本を読んでいるのにそれに対してとやかく言うなんて常識のなっていない! 早く彼女から解放されないものかと、ぶっきらぼうに、そうだけど? それが何か? と答えたが、彼女は自分の質問に答える素振りもなく再び目を本に移す。本当になんなんだコイツは! 怒り心頭に発しようというところで少女は再び話しかけた。
「あ、コレ、この言葉! すごく優しい色してる!」
思わず顔を顰める。本は、自分の知っている限り白黒の世界しか見えないはずだったから。自分の色覚の問題がなくとも、本というのは白の紙に黒の字で印刷されているはずで、特殊な印刷のされていない限りはモノトーンカラーのはずなのだから。だから指さされたその熟語に色などあるはずも無く。
「善良のこと? そりゃあ、良いって意味の漢字を二つ重ねてるんだから、優しいでしょ。」
「違うよ、本は白と黒で書かれてるけどね、この言葉、ピンク色で、優しい色してるの!」
白と黒の2色なのにピンク“色”? ますます訳が分からない。納得いかない顔で悩んでいた自分に気づいた彼女は続ける。
「ミカはね、白黒の文字でも色が見えるんだよ! この文字も、この文字も、全部色がついてるの。」
どうやら彼女の名前はミカと言うらしい。それよりも彼女の話した内容に、酷く興味をそそられた。色の見えない自分に対して、彼女は普通に色が見える上に白黒の世界が色づいて見えるのか、と。
それはもしかしたら、白黒以外にわからない自分の分まで神様から間違ってもらってしまったのかもしれない。そう考えると憤りを覚えずにはいられないが、彼女にとっては八つ当たりもいいところだ。自分はけして、同年代でありながら赤ん坊のように幼稚なクラスメイトの男連中とは違って、一線を画した大人の仲間なのだ。ここはぐっと堪えて、彼女の話を聞いてみたいと思った。
「……ねぇ、ピンク色ってどんな色?」
「えぇ!? ピンク色、しらないの? 今のミカのスカートもピンク色だよ?」
相手は自分の色覚のことは知らないだろうから、悪気はないのだろう。それでも自分と、色覚が正常な人とを比べ、そのコンプレックスをむざむざと指摘された気がしていい気はしない。でも、やっぱり自分は大人なんだから、と精一杯自分を抑えて、声も落ち着かせて、「俺には色は見えないもん、白と黒しかわからないよ。」と、そう答えた。
そうすれば彼女は、目を瞬かせた後、バツが悪そうにして小さく「ごめん」と謝った。謝られると、返って自分が気遣われているようで嫌だ。謝らなくていいから、色のことを教えて欲しい。するとパァっと顔を輝かせて、得意げに話しだした。
「まずねぇ、ピンク色は……うーん、優しい色。それ以外に思いつかないな〜。あ、そうだ! 桜っていう木があって、その花びらと色が似てるよ。あと果物の桃の色にも似てるから、桜色とか、桃色とか言ったりするかな! あ、じゃあ次は赤色? 赤色は血の色だし、夕日の色。薔薇っていう花が、真っ赤な色の花があってね。情熱の色って感じがするよ!」
彼女の言葉を元に、目を閉じてまぶたの裏に話す色を勝手に想像してみた。それでもやっぱり、上手く納得のいくものなんか何一つなくて、答えのない迷路をさ迷っているようなものだから、仕方がないかとため息をついた。やはり世界は白黒だった。
ちょうどその時、検診に自分の名前が呼ばれたので、受付の人の元へと歩いていく。何となく友達になれた気がして、「じゃあね」と声をかけてから。
検診が終わってから、待合室を覗いてはみたけれど、やっぱりミカはいなかった。少しだけ期待していた分、ショックもあり、とぼとぼと家への帰路を母と歩いた。
数週間後、再び検診に訪れた日のこと。あっさりとミカと出くわしたのである。予想外すぎて、キョトンとしたが、嬉しそうにブンブンと腕を振って自分を呼ぶ彼女の姿に悪い気はしなかった。青について、水色について、また聞かせてもらったところで検診の順番になり、その日はお開きとなった。それでもまだ、世界は白黒だった。
その次に自分が訪れた時も、次の次に自分が訪れた時も、さらに次に訪れた時にもミカはいた。その都度色の話を聞かせてもらい、まだ見ぬ色についての妄想を膨らましていたものである。そのまた次も、さらにその次にもミカはいた。疑ったのは、ミカは、どこかをこれ程病院に通い詰めなくてはいけないほどに悪くしているのではないかということだった。
しかし、それを聞いてしまえば、今まで通りに話しかけるのがはばかられる予感がして、次は、次こそは、と思えば思うほど聞けなくなって、大きなしこりのように、心の奥に引っかかるようになった。
それと同時に、彼女に与えられた色の知識はどんどんと増えていき、彼女自身も自分の為に勉強しているのだろう、和名にまで及んだ知識を披露してくるようになった。教えられた色は100近くに及んだが、まだ世界は白と黒だった。
そんな、もはや習慣にもなっていた彼女との交流が、パタリと途絶えたのは奇しくも彼女と出会ったその時分だった。
雪は止むことを知らず、かなりの寒さに対する対価としては、真っ白な一面に広がる景色は些か安価すぎるように思えた。待合室で、備え付けのソファに座りながら、本を読むふりをしてミカを探す。普段なら本を読んでいると彼女から声をかけてくるので、声がかからないことに違和感を覚え、あたりを見渡す。が、見つからない。たまたまいないのか、それとも悪くしていたどこかはすっかり良くなってしまったのか。
次の検診、その次の検診も、訪れる都度彼女の姿を露骨に探してはみた。しかし、とうとうミカを見つけることは出来なかった。看護師に聞いてみようかとも考えたが、名前しか知らず、漢字もわからない。必然的に、彼女との繋がりは絶たれることとなったのだ。「色のこと、教えてあげる」だなんて、とんだ嘘っぱちだった。これからもずっと世界は白黒なのだろう。
さて、長々と話してしまったが、今の話は遡ること実に十数年前の昔話に過ぎない。
こうしてぼんやりと思い出したのは、今の時期が彼女と出会い、そして繋がりが掻き消えたあの冬の半ばであったからだ。
そして私は近々、網膜の移植手術を行う。色盲は理論上、網膜の内の視細胞が正常に機能しないが故に引き起こされる。つまり、網膜を移植すれば、私は二十数年見ることの出来なかったカラーの世界を見ることが出来る。ただ、決断するに至るにはあまりにも多くの懸念が残った。唯一残った視界すらも奪われてしまう可能性、術後に手術痕から引き起こされる病気、費用、その他生命身体へのリスク。けして安いとは言えない代償を請け負う可能性を心にしたうえで私は、カラーの世界を見てみたいと思ったのだ。
そして私は、手術の日を迎えることとなった。麻酔を打たれ、数時間に及ぶ手術が行われる。私はただ、結果をぼんやりとした意識下で待つ他ない。ゆっくりと、目を閉じた。最後になるかもしれない視界に映ったのは、凛とした執刀医の姿と、代わり映えのない白黒の世界だった。
男は、瞼が開くと同時に訪れる情報の洪水に一瞬にして呑まれた。思わず目を瞬かせて目頭を押さえる。もう一度、意を決したように時間をかけて瞼を持ち上げてみた。窓から見えるのは、文字通り白銀に輝き、一面に広がる雪景色。
ベッドまでも今までの無機質さとは違う、柔らかな乳白色のベッド。部屋の片隅に置かれた、鮮やかな色で彩られた数々の花。
まるで満天の星が降り注いだかのような、眩い世界。
息を圧倒するほどの、色の洪水に押されながらも、彼は初めて見る「世界」をじっくりと堪能した。甘美な形、色艶、全てがまるで生まれ変わったようで──。
これはなんとも、定義を定められたありふれた言葉では形容しがたい美しさだった。
男はただ、雪の降る窓の外の景色、白で統一された部屋の中で異質を放つほどに明るい花の色、柔らかな布団とベッド、木製の窓枠。視界に入るそれら全てをじっくりと、時間をかけて、咀嚼するようにすべてのものに見入った。
やがて男は特にこれといった後遺症、その他病なども見つからず、早々に退院を迎えた。今までと違う視界を楽しむ男は、もう一度生まれ直したような心持ちで、今まで見ていた、けれど全く違う世界を好奇心旺盛な子供のように楽しんだ。手術から半年ほど経とうかという頃、かつての数少ない楽しみの一つであった本に手を伸ばした。しばらく手を触れていなかったせいで軽く埃をかぶってしまったそれらを手で拭い、その重さを、質感を楽しむようにページを捲る。途端、視界に入るカラフルな世界。本の世界とは不思議なもので、読み手の想像によってどんな場所にでも行けるし、どんなことでもできてしまうのだ。
しかしそこで男は違和感を覚えた。今まで、本の世界の中で色に囲まれることはあれど、本自身の中で色に囲まれたことなどあっただろうか。男は首を傾げる。まるで、白黒の文字に色がついているようだ。そんな中、ただ1点のみ他のカラフルに紛れて、暖かい色を映す言葉に気がついた。
それと同時に、男は本を持つ手に加えていた力の抜けてしまったかのように、本を取り落とした。
対象を失った手は、力を抜いたようにダランと重力に従って垂れる。
背面に置いてあったソファに倒れ込むように座った男は、そのまま咽び泣き始めた。恥も外聞もなく、ただただ大声で泣いた。まるで赤子に戻ったかのように、なにかとても大切な何かを思い出したかのように。
その言葉を目にした瞬間、男は気づいた。気づいてしまったのだ。
自分が目にする世界が彼女と酷似していたのではない。正しくこれは「彼女が見ていた世界そのもの」なのだと。
その事実に気づいた瞬間、男は弾かれたかのように、自分の名前をパソコンに打ち込み、印刷する。この視界が、網膜が、彼女のものなら、彼女の目に映る自分の名の色は、どんな色なのだろう。──彼女はどんな感情を持ってして私の名前を見ていたのだろうか。
印刷機を起動させる。ガタン、カタカタ、と音を立てて準備をしているその時間すらが長い、一日千秋とはよく言ったものである。まるで数十分にも感じた長い長い体感時間を経て、印刷機が起動したのを確認して、その字を印刷した。出てきた文字を、色を見て、一度は収まりかけた嗚咽を再び洩らし、涙を流した。
──彼女の視界で見る自分の名前は、幼い彼女に教えて貰った、情熱の色を宿していた。
あぁ、彼女はこんなにも懸命に色を教えてくれた。世界には決して、白と黒なんて色はなかった
普段は短めに、なるべく端的に、自己満足のように書きたい部分のみを書いていることが多いのですが、タイトルや設定など、それなりに愛着が湧いてしまい、気がつけば5500字ほどの文章になってしまいました。
処女作で、色々と思う節はありますが、私自身楽しく創作していたので、満足のいくものになっています。
本編がタダでさえ長かったのに、後書きも長々と綴ってしまいそうなのでここらで終とさせていただきます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。