クソ巫女
宿に戻って早々、龍牙はベッドに倒れ込んだ。
「だはっ」
真っ白いシーツに顔をうずめる。
緊張から解放された体が、鉛のように重かった。
「ああ、生きてる。……生きてるよな? 多分だけど……」
いまいち実感が追いつかなかったのは、心を広場に置き忘れたままだったからだ。
振り上げられた刃の輝きがまだまぶたの裏にしっかり焼き付いている。耳には鋭く鳴る風の音が聞こえる。
間違いなく死んだと思った。死んでいない方がおかしかった。
「うう……」
舌の上の嫌な味に顔をしかめる。
窓の方を見ると傾いた日差しが見えた。飛び去る鳥の群れも。
龍牙は仰向けに姿勢を入れ替えた。
(……これからどうしよ)
思わずため息が出る。
今、異世界に一人。英雄のなりすましとして一人だった。
敵はたくさん。味方はいない。
元の世界に帰る方法も分からない。
どうしていいかなど決めようもないが、一つ確かなことがある。
このまま何もしないでいれば遠からず死ぬということ。
「何でこんなことに……」
頭を抱えるが無論都合よく打開策は浮かびはしない。
思い悩むのに疲れてぼんやり天井を眺めた。
「……英雄か」
ふと元いた世界の自室の押入れ、段ボール箱に押し込められたヒーローたちを思い出した。
「……」
特撮ものが好きだった。いろいろなヒーローたちに熱狂した。
テレビの前では自分も同じくヒーローで。
あの頃の世界は今よりずっと輝いていた。
そして今は異世界で人々に英雄と呼ばれている。
だがそう呼ばれる分だけ英雄から遠いことを思い知らされ、どうしようもないほどいたたまれなくなるのだ。
「……寝よう」
夕食の時間まではまだ間がある。
毛布にくるまると睡魔はすぐにやってきた。それだけ体は疲れていたようだ。
静かなのも眠るのにはよかった。程よく涼しくもある。脇腹の違和感を無視すれば特に嫌なものもない……
脇腹?
「いでででで!?」
思い切りつねられて龍牙は悲鳴を上げた。
飛び起きるとベッドの脇にファムがいた。
なぜだか驚く気はしなかったが。
「……今度は何?」
ぶすっと訊ねると彼女はにやりと笑った。
「ハゲデブから呼び出しがかかったわ」
「王様の呼び出し? 何の」
「確かなところは。でも大事な用に違いないはず」
「行くの? 俺も?」
「当たり前でしょ。準備して。きっと謝罪も聞けるしご馳走にもありつけるんだから。敵の土下座を肴に食事って最高じゃない」
「……」
それでも動かない龍牙を見てファムは訝しく思ったようだった。
「なに? あんたまさか行きたくないっての? 別にいいけどその場合脇腹の無事は諦めなさいよ」
「あのさあ」
龍牙は彼女の言葉を遮って言った。
「俺思うんだけど、そろそろいいんじゃないかな」
「いいって?」
ファムは訊き返してくるが全く見当がつかないわけでもないのだろう、若干こちらから目をそらしたようだった。
「いやだから、もうそろそろ英雄のフリは終わりにしてもって。満足したでしょ?」
「……」
「ねえ」
「駄目よ!」
いきなり上がった大声に龍牙は思わず身を引いた。
「あんた何言ってんの? ここからが重要なところじゃない。っていうかここからがようやく始まりじゃない。ここでやめてなんになるっていうのよ。わたしの将来かかってんのよ!?」
「ぐええ……っ! 放せってば!」
絞め殺さんばかりに首を掴む手を振り払って、龍牙はファムから距離を取った。
「なんでそんなに必死なんだよ!」
「わたしの命がかかってんだから当たり前でしょ!」
「俺の命はどうでもいいってのかよ!」
「大丈夫でしょ英雄なら!」
「英雄じゃないから問題なんだろ!」
自分で言いながらチクリと胸が痛んだ。
「そんなに見栄が大事かよ!?」
ファムがびくりと足を止めた。
「……なんの話?」
「将来がかかってるってさっき言った」
「それはあれよ。……言葉のアヤよ」
彼女が勢いを失った隙に龍牙はベッドから立ち上がった。
「綾なもんか。俺が偽英雄でいれば確かに君は英雄の召喚に成功した巫女様でいられるもんな」
「わたしはそんな――」
「違わないだろ。君は見栄が大事なんだ。で、君はそれでいいかもしれないよ。でも俺の無事はどうなるんだよ、本当に」
「それは……」
彼女は言葉に詰まったが、意外にもそれは一瞬だけだった。
「わたしが責任とるわよ! それでいいんでしょ!」
「え?」
今度は龍牙が言葉を失った。
「ええはいどうせわたしは見栄が大事なクソ巫女ですよ。でもね、わたしだってそうなまっちょろい覚悟でやってるわけじゃないの。事情があんの。だから譲るわけには絶対いかないの! とはいえあんたの命に危険が及ぶときは必ずわたしが何とかするわよ。それでいい!?」
「……」
絶句したままのこちらを睨みつけ、ファムは部屋のドアを乱暴に引き開けた。
「分かったらさっさと身支度なさい。じゃないと脇腹引きちぎるわよ!」
ドアノブを掴むその指の関節が、痛そうなほど白くなっているのが見えた。
龍牙は結局何も言うことができなかった。