決闘
茶色の髪が額にかかるその下に、生き生きと光る双眸がある。
鏡面に映るまだまだ幼い頬の輪郭。自分ではそれが気に入らないが、仲間の皆はそこがかわいいとついてきてくれている節はある。だから文句ばかり言うこともできない。
まあままならないことはこれに始まったわけではない。それにいつかは自分も大人になる。きっと解決する問題だろう。そう願う。
「うん!」
元気にうなずいて少女は手鏡から顔を上げた。
「お、嬢ちゃんようやく買うことに決めたのかい?」
雑貨屋の主が嬉しそうに問いかけてくるが、彼女は無視して通りの人ごみを指さした。
「ねえおじさん、あれ一体なんの騒ぎ?」
「さあ、詳しいことは知らねえが……英雄がよみがえったとかなんとか。で、買うのかい?」
「英雄かあ……」
やはり無視して少女は興味の目を通りの向こうに飛ばした。
例の二人を思い出す。
あの人ごみを抜けた向こうにいるのだ。偽英雄とひよっ子巫女が。
「なあお嬢ちゃん、いい加減買うのか買わないのか――」
「ごめんおじさん、あたし見に行かなきゃ!」
だっと駆け出すその腕を店主の太い腕が捕まえた。
「なあ嬢ちゃん、だったらそれは置いていこうや。泥棒じゃねえんだからさ」
「ん? あ、これ?」
言われて初めて気づいた体で手鏡を掲げる。
凄みのある視線に睨まれ取り繕うように笑って見せた。
「ごめーん忘れてた。買うよ、買う買う。ハイお金!」
ポンと出された額に店主は驚いたようだった。
「ちょっと待て、それはこんなにするもんじゃねえよ」
「いいんだって、迷惑料。冷やかし未遂に窃盗未遂。その分込みっていうことでさ。もらっといて!」
「いや、でも」
店主が何か言うより前に彼女はさっさと走り出した。
早くしないとあのヘッポコたちを見そこなう。店主が気がつく前にその場を離れる必要もあった。あの金はそもそも店から盗んだ金だ。バレれば怒り狂うだろう。
「まあ仕方ないよね許してね」
今は町娘の恰好をしているが、自分は正真正銘盗っ人なのだから。
◆◇◆
剣を向けられて、龍牙とファムは固まった。
「い……一体どういうことなの?」
ファムの震える声にラウガはそっけなく答えた。
「力を試す。そう言った」
「何でよ!」
「必要だからだ」
「ないでしょ! 必要なんて! あんた見たじゃない、こいつ……じゃなくてロウガ様がドラゴンを倒したところ!」
「見ていない――いや、正確ではないな。死んでいるドラゴンは見たがロウガ殿がドラゴンを倒すところは見ていない」
「なんでそんな細かいのよ……胃でもキリキリしてんのあんた?」
ファムは首を振る。
「とにかく、こんなの認めないわ。さっさと剣を納めて消えなさい」
「それはできない。わたしにも事情がある」
「どんな事情よ?」
「まあとある方たっての願いとでも言おうか」
「あのハゲデブが!」
一瞬で悟ったらしい。ファムが毒づいた。
皮肉げにラウガが笑う。
「まあそうでなくても私事としても確かめてみたいんだよ。英雄というものをな」
「……?」
怪訝に思っているとラウガは一歩こちらとの距離を詰めた。
「さあ、始めようじゃないか。逃げるなんてことはしないで欲しい。こんなにたくさんの群衆が見てくれているんだ。英雄ならば、逃げないだろう?」
逃げればお前の偽りが明るみに出るぞ。相手はそう言っている。
もしかしてバレてるんじゃないか。
龍牙の心が不穏に囁いた。
思わずファムの方を見る。
彼女は黙って首を振った。
「やるしかないわ」
力強い言葉。
「為せば成る、よ」
「なんでそんな無茶言うの」
顔をしかめたその時だった。猛烈な風が顔を撫でた。
飛びすさった勢いを殺せないまま龍牙は転がる。
なんとか踏ん張って起き上がると、先ほどまで龍牙がいた場所にラウガが立っているのが見えた。
十数歩の距離を一瞬で詰めたらしい。その横にファムが尻餅をついている。
「避けたか。一応殺す気でやったんだがな」
隙なく剣を構え直しながら彼はつぶやく。
「まあ、何度でも繰り返す。それだけだ」
同時に一閃、二閃、三閃。敵の剣が俊敏に襲い掛かってくる。
それらをギリギリでかわしながら龍牙は無言の悲鳴を上げた。
(し、死ぬッ!)
◆◇◆
偽英雄が相手の一撃を剣で防ぐ。が、威力を殺しきれずにモロに吹き飛んだ。
ゴロゴロと転がって広場の石台に頭をぶつけている。
その光景を家屋の屋根から見下ろしながら。
「あー……見てられないなあ」
盗っ人少女は呆れた声でつぶやいた。
あんな無様な戦い方ではじきに死ぬ。
そう思っている間にもまた死にそうになった。いつ死んでもおかしくない。
「本当はそのつもりはなかったけど……仕方ないか」
指で小石を宙に弾き、もう片方の手でキャッチする。
素早く懐から取り出したのはスリングショット。いわゆるパチンコ。さらに先ほど手に入れた手鏡も一緒に構える。
屋根に腹ばいになって、彼女は目を鋭く細めた。
◆◇◆
もう何度三途の川を見たか分からない。
避け続けるにもそろそろ体力が危ない。足がすでにフラフラだった。
「器用なものだな」
ラウガの感嘆の声が聞こえる。どうやら本心からのもののようだ。
「わたしの剣をここまでかわし続けられるものは部下にもそうはいない。お前は確かに英雄だ……と言えればお互いに幸せなのだろうが」
剣の切っ先が再びこちらを捉える。
「王からの命だ。不穏分子ならば早くに排除しろと」
まだ避けられる。後二、三撃くらいならば。
パシリでつちかった脚力と、何よりも相手の表情からその感情や思考を読み取る力が意外にも役に立っている。
が、避けられたところでこちらには決め手がない。攻められないのならばいずれ殺される。それは避けられない。
(くそ……)
身構える。そしてファムの言葉を思い出す。
選り好みはできない。あるもので勝負しろ。
あるもの。なんだ? 考えろ。自分に念じる。
なきゃ探せ、見つけ出せ。でなければこの場を切り抜けられない!
「終わりだ」
皮肉にも、頭を働かせていたために反応が遅れた。斬りかかってくるラウガが視界いっぱいに迫る。
避けられないことを悟った。
死ぬ。
その時。
「っ……!?」
ほんの一瞬、ラウガの動きによどみが生じた。
そして甲高い音。
彼の剣が弾け飛んだ。
龍牙は反射的にその軌跡を目で追っていた。
パシリに必要な最大の資質は、『必要な時に必要なものを必ず手に入れること』――彼はその才を存分に発揮した。
ガッ、と足下に転がった剣を踏みつけて、龍牙は騎士隊長に向き直った。
「……」
突き付けられた英雄の剣を前にラウガが動きを止める。
油断なく睨みつけたまま、龍牙は口を開いた。
「……こちらからは仕掛けるわけにはいかぬ故、少々無様を晒し申した……でござる」
「は?」
ファムの呆気にとられた声が聞こえるが、彼は無視して続けた。
「拙者の力は自分でも制御がきかぬこともあるほど強大なため剣を抜くことができずにいた。でござる」
「……」
「お主を殺すのは忍びない。剣を納め、手を引いてくれると助かるのだが」
「手加減をしていたと?」
その声は静かだったが、どこか剣呑な響きがこもっていた。
「それにしては素人の演技が上手かったようだが」
「だが負けた。そうであろう? 武士の負けはすなわち死。結果がすべて……でござる」
「ふざけるな、ならば殺せ」
「出来ぬ」
「なぜだ」
虫も殺せないからでござるマジで。とは白状できず。
龍牙は適当にごまかした。
「……何はともあれお主は負けた。一度死んだ。ならばその命は拙者が預かる。どのように扱おうと文句は言わせぬ」
「まだ負けてはいない」
「笑止ッ!」
動こうとしたところを一喝する。
声が裏返らないかが心配だったがなんとかうまく安定した。
「事実お主は先ほどの拙者の攻撃、見切ることすらできなかったではないか」
「っ……!」
口からのでまかせで、ようやくラウガが動じるのが分かった。
単に手の力が抜けて剣を取り落としただけかもしれないが、そこは大きく賭けることにした。
「勝ち目もないのにほざくな。お主はただの馬鹿ではあるまい。ならばその頭を賢く使え。降参なされよ」
「この……!」
「黙れ痴れ者が! 見苦しいわ!」
しん――と広場が静かになった。
後は。と龍牙は願った。後はこの男が負けを認めてくれれば。
額に汗が流れるのが分かる。それが悟られればひっくり返されることも。
だが、後は空気を維持したまま願うことしかできない。
ラウガは体の力をふっ、と抜き――
「舐めるなよガキが……!」
「……!」
彼が飛び出したその瞬間。
……というより飛び出そうとしたその瞬間。
わっ、と広場のあちこちから歓声が上がった。
「英雄!」
「本当に英雄だ!」
「わたしたちを救ってくれる!」
「英雄ロウガ様! 万歳!」
固唾をのんで様子を見ていた観衆たちの声だった。
ほっとして肩の力を抜く。
ラウガの方を見ると、彼も出るタイミングを完全に失ってしまったようだった。
さすがにこの期に及んで仕掛けるようなことはしないだろう。
「はあ……やれやれ」
思わずへたり込みそうになったところにファムが飛びついてくる。
「ナイスっ!」
「はは……」
もはや力なく笑うことしかできないが。
「あんたやるじゃない! あんなハッタリ決められるなんて。もしかしてそういうの得意なの?」
「まあパシリで値切るときに必要だったこともあったかも」
「? まあとにかくよくやったわよ! これで一段落ってところね! ……でも」
ふと思い出したように首をかしげる。
「なんでござる口調?」
「いや、威厳のある口調って他に思いつかなくて」
ぽりぽりと、龍牙は頬をかいた。