踏ん張る
破壊的な衝撃と風に包まれて、その時は死んだと思った。
五感がすべて吹き飛ぶ感覚。
恐怖はなかったがファムを守れなかったなという無力感があった。
だがもう何もできることはない。
死の静けさが体を包む。
もうここには何もない。
英雄なのに……
「ポエム読むのはいいけどよ」
ふと声を聞いて龍牙は顔を上げた。
「あんまり恥ずかしいのは勘弁だぜ?」
長身の青年がそこにいた。
ぼさぼさに伸びた長い髪。
こちらに背を向けているのでよくは分からないが、身にまとっている服はボロボロだ。
むき出しの腕も脛も泥に汚れて汚らしい。
だが、しなやかで強靭な筋肉がついているのが分かる。
「下がってな。こいつは俺が片付けるからよ」
そういうと、剣で受け止めていた敵を押し離して距離を取る。
その剣には見覚えがあった。
英雄の剣。
先ほどまでは自分が持っていた……
「え……?」
はっとして見下ろすと手の中はからっぽだった。
「行くぞ相棒。久しぶりに暴れようぜえ……」
剣に光がともる。
刀身のあちこちに点として。それからそれらが線で結ばれ、全体が光に包まれる。
天使が一歩、わずかにだが後ずさった。
「逃がすか馬鹿野郎! ここで死んでけ!」
猛烈な踏み込み。
地面が抜けるかと思うほどの轟音。
通りの端から端までを光が引き裂いた。
眩しくて思わず目を閉じてしまった。
恐る恐る目を開けると、そこには青年の姿しかなかった。
「あ……」
敵の姿は跡形もない。
龍牙は尻餅をついた。
「あーらら。偽とはいえ英雄どんが情けないね。少しは根性見せろや」
「あ、あなたは……?」
「俺? ロウガ」
軽く言われたので一瞬理解が遅れた。
だがゆっくりと言葉が染み渡ってきて頭に届く。
「英雄……? 本物の?」
「ああそうだ。墓場からよみがえってやったよ」
剣の英雄はにやりと満足そうに笑った。
「しかし逃がしちまったな」
「逃がした?」
「ああ。あの蛇天使、すんでのところでかわしやがった。今夜あたりまた来るぞ」
「な……」
龍牙は愕然とした。
慌てて起き上がる。
「また来るって……それじゃあどうすれば!」
「俺が斬る。というか俺にしか斬れない」
それだけ言って龍牙のわきを通り過ぎていく。
「お前らは下がってな。もう用なしだ。つーか邪魔だ。終わるまで隠れてるがいいさ」
そんな。
龍牙はその背中を見送りながら思った。
じゃあ、俺が今までにしてきたことって、今まで手に入れたものって……なんだったんだ。
◆◇◆
その日のうちにロウガは騎士隊と接触した。
彼は数日前に発見されたあの白骨死体で泥神の中に封じられ続けていたが、その封印を解かれ、天使の目覚めに呼応して蘇ったらしい。
また襲い来るであろう天使に対抗するため、騎士隊との打ち合わせに入ったようだ。
ようだ、というのは、つまりもう龍牙たちは蚊帳の外だからだった。
「……」
英雄の墓所の脇にうずくまって龍牙はもう半日以上動けずにいた。
「はあ……」
剣は取り上げられた。
自分が英雄を騙っていたことが明るみに出て、ようやく好意的になってきていた街の人々の視線は今や冷たい。
非常事態で石を投げられるようなことになっていないのが幸なのか不幸なのか。
龍牙には分からない。
中央街にはいる気になれなかった。
だからこんなところでしゃがみ込んでいる。
「なんでこんなことになったんだろ……」
英雄に成りすましたのは成り行き上そうせざるを得なかったからだ。
本物の英雄が返ってこなければバレずに終わったかもしれない。
だがその場合自分は今頃死んでいただろう。
「俺……これからどうしよう」
空を見上げると日が傾き始めている。
まだ日暮れには早いが、夜はそう遠くはない。
話によれば敵はその夜に襲い掛かってくるらしい。
「……」
だが自分にできることはもうなくなった。
ここでこうしているよりほかにない。
「リュウガ」
声が聞こえたのはそんな時だった。
顔を上げるとナナがいた。
「ちわ」
「……もう大丈夫なの?」
ナナが目を覚ましたのは今朝方のことだ。
まだ体調は万全ではないはずだが。
彼女は手をひらひらさせて近寄ってきた。
「だーいじょうびだいじょうび。今もうこんなに元気」
「そっか……よかった」
沈黙。
「どした?」
「うん……」
龍牙は首を振った。
「いや。俺にはもうできることはないんだなって」
「そんなことないでしょ。やろうと思えば何でもやれるよ。っていうかやってきたじゃん」
「今までとは状況が全然違うよ。俺は用済みだ」
「だからそういうときでも諦めずに頑張ってきたんじゃんって言ってるんじゃん」
怒ったようにナナは言った。
腰に手を当ててこちらを覗き込んでくる。
「あたしたちはそんなあんただから教えを請おうと思ったんだよ?」
それは慰めだったのかもしれない。
だが受け入れるには疲れすぎていた。
何も答えない龍牙を放って、ナナは立ち去って行った。
「あたしたちは行くよ。この街を守るんだ」
その言葉だけを残して。
◆◇◆
日が落ちた。
夜の闇がやってくる。
同時に西の空に光が瞬いた。
遅れて爆音が聞こえる。
やってきたらしい。
「……」
だがそれでもやはり龍牙は動けなかった。
ぼうっと空を見上げる。
何も考えない。
何も思わない。
そのうち目も閉じたので視界もなくなる。
結局、自分は何のためにこの世界に来たんだろう。
ふとそんなことが頭に浮かんだ。
「なんでここじゃなきゃいけなかったんだろう」
問いは静寂に吸い込まれて消える。
返事はない。
はずだった。
「そんな問いに意味はないわ」
はっと目を開けると目の前にファムが立っていた。
「選べやしないんだもの。なら四の五の言わずにそこで踏ん張るしかないのよ」
「ファム……」
「立ちなさい」
彼女は手を差し伸べてきた。
「でもファム。もう俺にできることなんてないよ」
「選べないって言ったでしょ。あなたはやるしかないの」
「でも……」
「大丈夫」
不意に抱きすくめられて龍牙は言葉を失った。
「わたしがついてる」
そんなの何の慰めにもならない。
そう言おうと思った。
なのに、なぜか泣いている。
目から涙があふれて止まらない。
「ファム……俺、俺は……」
「いいの。何も言わないで」
ファムはこちらの目を真っ直ぐ見た。
「言葉はいらない。ただやるだけよ」
彼女の目の澄んだ光を見ていると不思議と心が落ち着く。
「立ちなさい。目にもの見せてやりましょう」