身元不明
奇跡的に死者は出なかった。
まだ意識は取り戻していないが、ナナをはじめとして呑み込まれていた者は四名、みな命を取り留めている。
道の途中で倒れていた者も同様だ。それぞれに打ち身擦り傷骨折などの傷は負っているものの、みな命に別状はなかった。
人数は確認した。全員そろっている。間違いはない。
だというのに……
「この死体は一体誰だ?」
ラウガのつぶやきが不気味に響いた。
彼の見下ろす先には何者かの骸があった。
『いないはずの誰かの死体』だ。
損傷具合はひどく白骨化もしていて顔は分からない。
想像するにだいぶ昔に死んだ者だろうと思われた。
「過去に泥神に呑まれた者か? だがそれならなぜ一人分だけ残っている?」
他に死体は出ていない。この一体だけなのは確かに奇妙だった。
だがあまり長く気にかけてもいられない。
ナナがまだ意識を取り戻していないのが心配だった。
「ラウガさん、不思議なのは分かりますが……」
「……ああ、そうだな」
彼は見回して指示を出す。
「撤収だ! 街に戻るぞ。怪我人は慎重に運べ!」
死体は後に残された。
龍牙が振り返ると、その暗い眼窩が虚空をにらんでいた。
◆◇◆
騎士隊本部に戻るともう夜だった。
あてがわれた部屋のベッドに倒れ込むと深夜まで眠った。
疲れていて眠りは深かった。が、目が覚めた。物音が聞こえたからだ。
目を開けると、ドアからそうっと顔をのぞかせたファムと目が合った。
「……起こした?」
「ああ、いや……」
ベッドに起き上がって目をこする。
「何か用?」
「ナナが目を覚ましたから起きてたら一応言っとこうかと思って」
「そうか……よかった」
安堵のため息を漏らして、それからふと気づいて訊ねた。
「もしかしてつきっきりで?」
「別に。あのチビ、放っておいたら死にそうだったし。それじゃ夢見が悪いでしょ」
「優しいんだね」
「馬鹿言わないで。嫌いよあんな奴」
「今は?」
「しばらく話した後また寝ちゃったわ。仲間のこと気にしてた。体力はあるから明日には元気になってると思う」
嫌ってる割には面倒見のいいことだ。
なんだかんだで馬が合うのかもしれない。
龍牙はなんだかおかしくて笑ってしまった。
「何よ?」
「いや。それよりもありがとう。いろいろと助かったよ」
今回のことはファムの的確なアシストがなければ成らなかっただろう。
「ファムにはいつも助けられてばっかだね」
そう言うと彼女は苦笑した。
「あんたが頼りないからよ。早いとこ本物の英雄になりなさいよね」
それからゆっくりと近寄ってきて、ベッドの端に腰を下ろす。
「初仕事完遂ね」
「ああ」
龍牙はうなずいた。
大変だったがようやく英雄らしいことができてよかった。
「気分は?」
「悪くはないかな」
「よく言うわよ。得意がってるのが見え見え」
「そういうファムはどうなのさ?」
「まあ、悪くはないかしら?」
「そっちこそよく言うよ」
まあ、悪くはない気分だ。
小さく笑い合って、それからふとファムが真面目な顔になる。
「なんであんな無茶ができたの?」
言われて少し考えた。
「選んだから、かな」
「選んだ?」
ベッドの上に胡坐をかいてから、龍牙は続けた。
「ファムはお父さんに会って、守ってやると言われた。でも自分の力で戦うことを選んだ。ナナは今まで通りこの国の陰で生きていくことも選べた。でも日なたに出て生き延びていくことを選んだ」
「あの子そんなことを?」
「うん。それを見ていて思ったんだ。人は選り好みできないことばかりに囲まれて生きてるけど、選べることも結構あるんだなって。だったら俺も選べるんじゃないかって」
「ふうん……」
「変かな?」
「さあね」
そっけない言葉だったが、窓から差し込む月明かりの中、彼女が微笑んでいるのは分かった。
「でもそれなら今後も心配ないわね」
「うん?」
「英雄になるためなら何でもするって決めたってことでしょ? ならきりきり働いてもらうわよ」
「うげ。まあほどほどに頼むよ」
ファムは立ち上がってドアへと向かった。
「おやすみ」
そう言って出ていく……かと思ったが、不意に立ち止まってこちらを振り向いた。
「こっちこそありがとう。あなたのおかげで助かってる。これからもよろしくね」
今度こそ部屋を出て行った。
龍牙はぽかんとしたまま取り残された。
ファムらしくない言葉だったな。
ぼんやりとそんなことを思った。
温かいものが胸に広がるのを感じながら横になる。
「……頑張りますか」
静かにつぶやいて目を閉じた。
眠気がゆっくりと忍び寄ってくる。
夢に落ちる前にまぶたの裏になぜか浮かんだのは、空の眼窩でこちらをにらむ白骨死体だった。




