取引
沈黙が落ちた。
誰も微動だにしない中ナナだけがにやにやと笑っている。
ファムが険しい目でにらんでいるが、できることは何もないようだった。
それでも今にも飛び出していきそうに思えて、龍牙は一抹の不安を覚えた。
ナナの武器は相変わらずこちらの目を捉えているのだが……忘れられてはいないだろうか。
「俺たちに何かさせたいの?」
訊ねるとナナが面白そうに眉を上げた。
「あたしのいうこと聞くんだ?」
「聞かないわ」
即座にファムが口を挟む。
「あんたみたいな怪しくて物騒な奴の頼みなんて絶対に聞かない」
「でも拒否権ないよ」
「知らないわよそんなこと」
「ふーん。じゃあこの人のおめめはバイバイだね」
「お好きにどうぞ」
その言葉にぎょっと肩を震わせる。……がファムの目くばせに気づいて黙る。
一段階声を低くして、彼女は言った。
「でもそいつの目を潰すならそれなりの覚悟をしてもらうわよ。必ず償いはさせる。撃った隙は見逃さない。後悔させてやる」
「ひゃー怖い」
「本気よ」
ナナは一度たりとも龍牙から目を離さなかったが、それでも殺人的な視線が刺さってくるのは感じたのだろう。降参の印か、肩をすくめて武器を下ろした。
「まーそうだね。取引するのにいちいち目ぇ潰す必要はないよね」
龍牙はほっとして肩から力を抜いた。
それからふと気づいて訊ねた。
「取引?」
「うん。取引。そのために呼んだんだ」
ファムと顔を見合わせる。
「……どんな?」
訊ねると同時に痛みが走って龍牙は身をひきつらせた。
こちらの脇腹をつねったままファムが一歩前に出る。
「悪いけどあんたみたいな怪しくて物騒な奴の頼みは聞けないの。さっきも言った通りよ。他を当たってくれるかしら」
「それは無理だよ。あなたたちにしか無理なことだし取引だから頼みじゃないし」
「それは脅しということ?」
「まーね。あたしはあなたたちが偽物の英雄だってことを知ってる。皆にバラされるのは嫌でしょ?」
「誰があんたの言うことなんて信じるの」
「例えば往来であたしがこの人に決闘を挑んだとする」
「……?」
「で、こんな怪しくてよわっちそうな女の子に、今みたいに負けたとしたら誰がこの人を英雄って信じてくれるかな」
ファムが黙った。
とんとん、とつま先で地面を叩いてナナは苦笑した。
「あはは。まあそんなに深刻にならないでよ。あなたたちにとっても悪くはない話だから」
「それを信じろって?」
「本当だって。もし取引に応じてくれるならあたしがあなたたちの泥神討伐作戦を完璧な計画にしてあげるし」
「え……?」
屈託のない笑顔を浮かべる少女を前に、龍牙とファムはしばしの間何を言うべきかを見失った。
◇◆◇
「足元にご注意ください。結構滑りますので……」
看守の陰気な声と共に、重そうな音を立てて扉が開いた。
背後から奥へと吹き込む風が龍牙たちの髪をかすかに揺らした。
辺りを照らすのは看守の持つランタンの明かりだけだ。
「しかし英雄殿が一体こんなところに何のご用で?」
「えーと……」
「あなたが知る必要はないわ」
口ごもる龍牙の代わりにファムが答えた。
「まあそうかもしれませんが……急な訪問は避けていただきたいというか」
ずんぐりとしたその看守はちらりと龍牙の隣を一瞥する。
「その子は?」
「わー、さーむいね!」
その視線の先ではナナが、龍牙とつないだ手を振っていた。
「すっごい。ここめっちゃ音響くよ! ロウガも聞こえる? ヤッホー!」
「……」
「ん? なに、おじさん。一緒にヤッホーする?」
「いえ……」
「しようよー楽しいよー」
「……」
看守はため息とともに首を振って監獄の奥を指さした。
「では戻ったら声をかけてください」
重い音を立てて扉が閉じる。
龍牙たちはゆっくりと歩き出した。
ランタンの明かりの中空気がひんやりと首元を冷やす。
囚人たちのうめき声が聞こえるわけではないが、それに似た気配は腹に響くようにして伝わってくるのを感じた。
「なんていうか、重苦しいなあ……」
この国で最も大きい地下監獄だそうだ。収容人数自体はそう多くはないというが、獄中死はよくあることらしい。亡者に背筋を撫でられているような錯覚を覚えて龍牙は顔をしかめた。
「さて、じゃあ行こうか」
こちらの手を放してナナが駆けていく。
迷いのない足取りだ。
なじみの場所のということはないはずだが。
その背中を眺めながらファムがつぶやいた。
「……どう思う?」
「どう思えばいいか分からないって思うのが正直なところかなあ」
「わたしも正直なところを言わせてもらうなら、あんなやつこのままここに閉じ込めてさっさと外に出たいわね」
「それはさすがに……」
「ああいうのは早めに対処するのがいいのよ」
「泥神退治の有力情報を持ってるかもしれないのに?」
「信じるの?」
「それは……」
信じる理由がない。
「……それでもあんな小さな子がそんな大した悪さできるわけないよ」
目を潰されかけたことを思い出して、「まあ多分」と言葉を足した。
「あらまお優しい英雄様だこと」
ファムは肩をすくめるだけだったが、それでもそれ以上は反対してこなかった。
「リュウガー! ファムー! こっちこっちー」
ずっと奥の暗闇からナナの声がする。
ろくに光も届いていないだろうにと少女の夜目の強さに驚きながら近づいていくと、彼女は牢のひとつの前でこちらを待っていた。
「どうしてそんなに足が遅いかなあ!」
「あんたほど頭が軽くないのよ」
「ファムは重い上に硬いもんね」
「どういう意味よ」
「べっつにー」
ちくちくとやり合う二人の脇を抜けて龍牙は牢に近づいた。
「ここに何かあるの?」
光を掲げると奥の方にうずくまる何者かの影が見える。
ナナが大きくうなずいた。
「うん。この人が泥神についてすごく詳しい人だよ」
ちゃりり……と金属が擦れる音がした。
うめくような声。
足枷の鎖を引きずって男がこちらに近づいてくる。
右目をえぐる深い傷。
ぎょっとするこちらを残った目で見据えて、男はゆっくりと口を開いた。
「誰だ……お前は」




