パシリを舐めんなよ!
「……なぜお前たちがここにいる」
部屋に入ると重そうな机の向こうからラウガがうめいた。
扉を閉めながら答える。
「来ているのは分かってたんじゃないですか?」
「そうじゃない。なぜここまで入ってこれたのかと訊いてるんだ」
「訊くまでもないでしょう。俺は英雄です。英雄があなたに会いたがってるとなれば進んで邪魔したがる人はいない」
「ふざけるな」
「嘘じゃないですよ?」
もちろん嘘だ。
英雄の名に恐れをなして道を空けた者もいないではなかったが、それはごく少数でそれ以外の者はしっかりと職務をまっとうしていた。
だから必要なのは入念な準備だった。
一日時間を置いたのはそのためだ。
「主は今日はどなたにもお会いになりません。お忙しいもので」
三十分ほど前、門前で龍牙たちの前に立ちはだかったのは見上げるほどの大男だった。
使用人の一人だろうか。太い腕を組み、無愛想に細めた目でこちらをじろじろと見下ろしている。
「俺はロウガといいます。騎士隊長殿にどうしても会いたくて」
「本当に申し訳ありません。お帰りください」
取り付く島もないといった声だ。
「……駄目ですか?」
「どうかご理解を」
「そうですか……仕方ありませんね」
ため息をつく。それから無造作に肩から袋を下ろして手を突っ込んだ。
男が身構えた。
脅しの凶器でも取り出すとでも思ったのかもしれない。そういった愚かな客を出迎えるのもこの使用人の役目なのだろう。
だが龍牙が取り出したのは黒いボトルだった。
何の変哲もないガラス瓶だ。
鈍器として使えないこともないがそのつもりはない。
武器ではある。しかし意味合いは少し違う。
「騎士隊長殿にこれをお渡ししようと思ってたのですが」
「そういったものはお受けいたしません。お持ち帰り、を……?」
危険なものではないと見て緊張を解いた男は、しかしその瓶のラベルに目を見開いた。
龍牙はそれに気づかぬふりをして続ける。
「まあつまらない物なんですけど。せっかくあるんだから持ってこようかと」
「そ、それをどこで……?」
「はい?」
「い、いや、それがなんだか分からない、と……?」
「お酒ですよね?」
取り乱した様子の男に内心ほくそえみながら龍牙は首を傾げる。
「なんか泊まり先の宿の人にもらったんですけど」
「あ……は……はは! そ、そうですか! なるほど!」
「もしかしていいものだったり?」
「ん、あ、いや。そんなことはない……かと」
「そうですか。しかしうーん困ったな。会えないとなると渡すことができないし……」
「それでしたらわたしがお預かりして主に届けますよ」
「本当ですか?」
「ええもちろん!」
無駄にテンションが高くなった男を龍牙はじっと見上げた。
「……本当ですよね?」
「え、ええ。まあ」
彼が若干目をそらすのを確認して。
龍牙は満面の笑みを浮かべた。
「そうですか。じゃあお願いしますね」
ボトルを手渡して彼に背を向ける。そしてその場をゆっくりと後にした。
……ふりをして死角に隠れて息を殺し数分。
龍牙たちは再び同じ門の前に立った。
「ここからどうするの?」
横のファムが怪訝そうに言う。
龍牙はにやりと笑って親指を立てた。
「まあ見てて」
門扉を叩くと先ほどの男が顔を出した。
「……まだ何か?」
明らかに不機嫌そうだ。もう手に入れるものは手に入れてこっちには用はないのだろう。早く帰れオーラがビシビシと伝わってきた。
だが龍牙はひるまずに前に出る。
「すみません、言付けをお願いするのを忘れてまして」
「言付け?」
「ええ。お約束のお酒は確かにお渡ししましたが、いったん開封すると味がすぐに落ちるのでお早めにお飲み切りください、と」
使用人の眉がピクリと動いた。
「それは……本当で?」
「はい。相当に繊細なお酒だと聞きました」
今適当に考えた。そんな事実はない。酒に詳しいこの男も当然それについては知っているだろう。
だが問題はそこではなかった。
「あ、いや。主はその、この酒のことを……?」
「ええ、お持ちするとの約束だったので。楽しみにしていましたよ。俺は詳しくないですけど、とても珍しいもののようですね」
「あ、はあ……そですか……」
マジかよ。
そんな心の声が聞こえた気がした。
まあそうだろう。せっかく懐に収めた逸品が取り上げられてしまうとなれば。
いや、それどころかもう既に味見に入っていたかもしれない。
そうなれば横領できずに残念どころの騒ぎではなく、主人への贈呈品に手を付けた不心得者として処罰を免れないだろう。
次第に青くなっていく彼の顔色を見るに味見の可能性は低くなさそうだった。
どうしよう。大男の頭の中はその言葉でいっぱいになったはずだ。
そう簡単には手に入らない高級品を選んで手に入れた甲斐があったというものだ。過度のプレッシャーがかかれば人の判断力は容易に鈍る。
龍牙は頃合いを見て脂汗まみれの大男に話しかけた。
「あの。大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ。別に何とも」
心ここにあらずと言った返事だったが。
龍牙はそれに構わずタイミングを計った。
「それならいいんですけど……あっ!」
背負い袋から中身がこぼれた。
地面に向かって落ちるがすんでのところでつかみとる。
先ほどのものと同じ酒瓶。色も大きさもラベルの柄も。
「それは……!」
大男の声がした。
彼の目に入るのは計算済みだった。
「ふーっ、よかった割れなくて」
「お前、それは」
「え、これですか? 別の人のところに持っていく物で……っておっと」
詰め寄ってきた使用人から距離を取る。
「一体何ですか?」
「それをよこせ!」
「それは無理です。先約がいますから」
「なら力ずくでも……!」
パン! と目の前で衝撃が弾けた。
男が顔をのけぞらせて後ずさる。
龍牙の横でファムが手を掲げていた。
例の不可思議な力で小さな衝撃を発生させたらしい。
「く! 何しやがる!」
拳を振り上げた男はしかしそこで動きを止めた。
「動かない方がいいですよ。手加減は慣れてないんで」
彼の首筋に英雄の剣を突きつけながら龍牙はつぶやいた。
「お前たち……こんなことをしてただで済むと」
「思ってません。だから黙っていて欲しいですねあなたには」
「そんなわけに行くか! これはきっちり報告し、ラウガ様に厳しい対応を……ひっ!」
大男の頬を剣の腹でペタペタ叩いてから龍牙は続けた。
「状況を整理しましょう。あなたはこのお酒が欲しい。俺たちは騎士隊長殿に面会したい。思うにこの二つって相反するものではないのでは?」
「なに……?」
「お酒はあげます。一本目を味見したことも黙ってます。だからそちらも黙って俺たちを通してください」
「な……ば、馬鹿を言うな!」
「そんなに馬鹿げたことでしょうか。この状況だってあなたが一本目に手を出さなければ起きなかったことですよ? 騎士隊長殿にはなんて説明するんです? 俺たちが急に襲い掛かってきたとでも? そして見つかるわけですか、封の切られた酒瓶が」
「ぐ……ぐぐ……!」
大男は嵌められたと気づいたかもしれない。
だがもう遅い。うめき声を上げるだけになり――
数分後、龍牙とファムは屋敷の敷地に足を踏み入れていた。
「結局、どういうことなの?」
ファムは不可解そうにこちらに訊ねてきた。
あの酒の入手方法や大男が大の酒好きなのがどうして分かったのかということについて訊いているのだろう。
確かに価値ある珍しい物を二つも揃えるのは大変だった。だが、逆に言えば大変というだけでしかなかった。
まず酒の入手に使ったのは足と耳だ。
街をただひたすら歩き回り地図を頭に入れ、聞き込みや雑踏の喧噪から情報をかき集めた。後はあたりを付けて店を回る。高く珍しい酒を簡単に手放す店主はいなかったが、それなら手放したくなるようにすればいいだけだった。
欲しがっている物をただちらつかせてやればいいのだ。あの大男に酒をちらつかせたように。
問題はどうやって欲しがっているものを知るかだろうが、これはなぜか分かるとしかいいようがない。
天性の使い走りの勘というところだろうか。あまり自慢もできないが。
それでも役に立ったのには違いなかった。
だから龍牙はこう答えた。
「まあ、パシリを舐めんなよ! ってところかな」
「……何よ偉そうに。わたしがフォローしなきゃ危なかったじゃない」
「あ」
言われるまで忘れていた。