第一章・魔術①
――夏。
蝉が鳴き、蒸されるような熱気を放つ季節。
視線の先には陽炎が揺らめき、その暑さからいろんなものが開放的になる、この季節。
いつもの朝訓練を終え、学園に登校してきた黒の創喚者・紫苑拓海と白の創喚者・赤羽真里華も、ブレザーと長袖シャツからチェックの半袖カッターシャツに変えている。
「ふぅ~、今日も暑いわねぇ~」
「そ、そうだな……」
汗で肌が僅かに濡れ、薄着によってシャツの下から白い下着が見え隠れしていて、思わず拓海も目線が泳ぐ。しかしチラチラと目線がそこに何度も向いているのを察知した真里華は、少し頬を赤く染めながらも、カッターシャツの胸元をぱたつかせてみる。
周りを気にする真里華がこういった大胆な行為が出来る理由はというと……。
「……夏休みだというのに、どうして私は学園に来ているのか。どうしてこんな暑い中、遊ばないでこうしているのか。まるで意味がわからない」
などとぶつぶつ文句言ってるのは、拓海の対面に座って書類を片付けている楓だ。色々言いたいところであるが、同意したい気分なので、黙っておく。
――そう。つい先日、終業式を終えて今は夏休み。拓海達以外の生徒は、思い思いに休みを満喫している頃だろう。それなのに拓海達はいつも通り学園に来ていて、書類の処理をしているのは、これも拓海達が生徒会だからなのである。会議らしい事は、既に終えている。
「ぶさくさ言ってないでちゃっちゃと手を動かしなさい。ノルマさえ達成すれば帰れるのですから。たっくんも赤羽さんも、イチャついてないで」
「……言われなくても分かってるっての」
「あーいよ」
「は、はい!」
ささっと仕事をこなしながら、そんな愚痴をばっさりとぶった切るナタリア。その言葉に従って、拓海と真里華も止めていた手を動かす。
あれから少しずつだがため込んでいたストレスがなくなって後腐れがなくなったせいか、今や遠慮がなくなって思った事をズバッと言って即行動する以前の――いや、元のナタリアに戻ったのは嬉しいといえば嬉しいが、少し融通が利かなくなっているような気がする。
そのかわり前の名残りがあるのか、相手の都合を考えるようになってはいるが。
(まっ、常識の範囲内だし。これも俺の理想の学園生活の一部ってことで)
「拓海、あれ取って。それから、これお願い」
「ほい。じゃあ真里華もそれ、やっといてくれ。あとこれ――」
「さらっと宿題渡そうとしない」
「ちっ」
なんて思いつつ、ちょっと冗談を交えながら、真里華を協力して書類を片付けていく。
「しっつれーしまーす! 暇だったからきたよー」
そんな時、ノックがしたと思ったら扉が開き、葵時亜が元気よく入ってくる。拓海達とは違い、その服装は男物の私服だ。
「おう、トキ。悪いが構ってる暇はないぞ」
「あら、さっきまで赤羽さんとイチャついてた人がなにを言ってるのでしょう?」
「それは言わないでよリア姉……」
などと突っ込まれて拓海は肩を落とし、真里華は申し訳なさげに縮こまりながら見えないようにニヤニヤする。そこまでの流れをみて、時亜は楽しそうに笑う。
「まぁ、一人でいるのもつまらないから来ただけだし、気にしないで仕事しててよ。見ているだけでも楽しいから」
――その合間に行われるやり取りが、だが。
そう言って時亜は使われてない椅子を持って邪魔にならない場所で座り寛ぎ始めた。
「……葵さんがそう言ってらっしゃるわけですし、気にせず進めていきましょう。ノルマまでもう少しですから、そこまで待たせたないで済みますし」
ナタリアの言葉と、時亜の様子を見て、拓海達は次第に仕事を再開し出す。
次第に拓海達の聴覚は、ペンを走らせる音、紙を捲る時のような音の他に軋む音を聞き取る。四人の様子をチラチラ見ながら、時亜が椅子に座って揺れているせいだ。
それは少なくとも拓海にとって心地よいBGMのようなもので、集中して書記としてペンを走らせる。
「あっ、そうそう兄貴。前言ってた借りだけどさ」
その時ふと、時亜がいきなり保留にしていた話を持ち出し……。
「明日、デートしてくれたら一つチャラで良いよ」
「おっ、りょうかーい」
「「……………………⁉⁉⁉⁉」」
真里華どころかナタリアさえも手が止まり、驚愕の表情のまま片や手を動かし、片や椅子にどっかりと座りながら会話する二人へ目を向ける。
「待ち合わせ場所はどうする? 時間は?」
「んー、まぁいつもの場所で良いでしょ――」
「「待って」」
続いて出た言葉に、真里華とナタリアは思わず口を挟んでしまう。自分達が注目されていた事にようやく気付いた拓海は、キョトンとした顔で二人を見る。
「い、いつも? いつもって言った、今?」
「え? まぁ言ったけど……あれ、言ってなかったっけ」
「いぃ、いつから⁉」
「えっと……中学の時からだから……三、四年くらい前からだな」
(そ、そんな前から……。私はまだ拓海とデートらしいデートなんてしたことないのに……)
ガーン! と漫画のように落ち込む真里華に、ナタリアは労わるような目線を送り、さらに拓海へ厳しい眼差しを向ける。
「たっくん……たっくんはそういう女性にだらしない真似はしないと思っていたのに……失望したよ」
そんな二人に、拓海は首を捻り、「なーんか勘違いしてね?」と呟く。
「デートと言っといて勘違いとはなにさ!」
「あぁ、まぁリア姉は勘違いしてても仕方ないか。でも真里華、お前は知ってるだろうが」
拓海の発言にナタリアは眉を顰めるも、対して真里華は俯かせていた顔を上げていた。
「え? もしかしてあの話に関する事?」
「そっ。その息抜きだよ」
「なーんだ、ちょっと心配になっちゃった」
「悪い悪い、言い方が悪かったな」
「ほんとよ。罰としていつか、その。で、デートに誘ってよね」
「お、おう」
急にいつも通りイチャつきだす二人に、ナタリアは思わず困惑し、そんなナタリアに時亜は苦笑する。
そんな中、ずっと手を止めてなかった楓は漸く手を止め、背伸びをすると、冷めた目でこちらをみてきて……。
「……なんで私が真面目に仕事してる中、君たちはライトノベルにありそうな修羅場っぽい会話してるのかねぇ?」
『……すいません』
そんな辛辣かつ当然な言葉に、三人は慌てて仕事を再開する。
〈――同志〉
途端、楓の声が脳髄に響き渡るような感覚。創喚書を通して、心と心に回線を繋いで会話する心話が、拓海の心に届く。
〈悪いけど、今日も頼むよ〉
……こちらも借りに関する話らしい。ちょっと前から楓の用事に付き合っていたからこそ、すぐに察する。
〈……いいけど、今日ばかりは亮だけじゃなくて真里華も連れて行くぞ。どうも不安にさせてるみたいだから〉
だからこそ、拓海の事情を察するのが得意な真里華がああも時亜の件で取り乱した。
それも仕方ないと言える。なんせ時々楓の家に行っては数時間出てこなくなるのだから、傍からみれば浮気とかそういう類いにみられて当然だろう。
〈……まぁ、良いだろう。赤羽氏になら、バラしても私の手で始末する羽目になるような事態にはならないだろうし。なったとしても〉
〈楓との約束があろうが、その時ばかりは止める。どんな手段を使ってでも〉
〈妬けるねぇ。まっ、大丈夫だろうけど事前に教えておくように。特に〝騒ぐな、騒いだら気が散って、下手したら同志が死ぬ〟ということをね〉
〈分かってるよ〉
そうして、どちらからともなく心話を切り、それと同時に書記としての仕事を終え、確認の為にナタリアへ書類を渡した。
(にしても……)
ふと、思った。
(俺達があれこれ騒いでる時に、あの楓が黙って仕事するなんて……)
固まった身体をほぐしつつ、ため息を一つ。
さて、今月は拓海に何かできるような余地があるのか。特に楓の件は、彼女の秘密だけで拓海が許容できる範囲を越えている。
「……まっ、とりあえず自分なりに立ちまわってみるか」
「なにが?」
「なんでもねぇよ」
そう思いつつ、拓海は広げていた筆記用具を片付け始めるのだった。
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