第四章・娘⑤
「……そうか」
思った通りだった。
小学校卒業までのナタリアと、高校で再会したナタリア。
その変わりようは、内側だけでも一目瞭然で、拓海と真里華とは別に親の意向――というか、お嬢様という地位――により、姫凰学園の中等部で中学時代を過ごした間が原因だとは自ずと理解できた。
「あぁ、勘違いしないでいただきたいのは、この生活が悪かったというわけではありません。ある意味では、かつてのわたくしにとってお上品な生活も冒険のようなものでしたから、姫凰の中等部も、楽しかったといえば楽しかった。……けれど」
――貴方達の傍に、いられなかった。
それだけが、ナタリアにとって苦しみだった。
「貴方が苦しんでいる時、赤羽さんが傍にいられなかった時、一緒にいてあげられなかった。
貴方達が悩んでいる時、引っ張ってあげる事が出来なかった。
わたくしが辛かった時、気を紛らせてくれる貴方達がいなかった。
なにか楽しい事があった時、一緒に笑い合う事が出来なかった。
――なにより、昔みたいに何も考えないで無邪気に遊ぶことが出来なくなってしまった」
そしてその最たる元凶は、やはり四葉という地位。
なんとか高校は我が儘を言って拓海達が行きそうな学園に入学して、また一緒になったけど、それでもお嬢様という地位が邪魔をして、助けることが出来なかった。
その結果が、吸値櫂の所業である。
「だから、こんな家のあれこれなんて捨ててしまって、貴方達と一緒に居たい。小さな時のように、固い口調とか、堅苦しいドレスとか諸々脱ぎ去ってはしゃぎたい。――姉として、貴方達の役に立ちたい」
これはどうしようもない、自分の欲求。
姉なのに、貴方達の為に何もしてやれなかった役立たずであるのが、我慢ならないという意地汚いプライド。
「そんな時に、オーディンと出会い、夢現武闘会の存在を知った。ならば、有無を言わずに参加するのも至極当然というものでしょう?」
そう言って、ナタリアは口を閉じた。
やっぱり、根本的な部分は何も変わっていなかったと、拓海は確信する。
辛かっただろう。歯がゆかっただろう。
全部擲ってしまいたいけど、彼女のプライドがそれすら許されない。
変なところでプライドを持っているのは、幼少期から何も変わっちゃいない。
だからこそ、拓海は言いたい。
ぶっちゃけお前が言うなと、真里華辺りから言われそうだが、それでも、弟として言わなければならない。
どうして――――、
「どうして、言ってくれなかったんだ」
「どうして、って…………」
至極当然の質問に、ナタリアは戸惑う。
いや、分かっている。色々理由はあるだろうが、それもプライドが主に邪魔したのだと。
だが、それでも拓海はこの思いをぶちまけたくて仕方なかった。
「言えばよかったんだ。寂しいって、辛いって、言ってくれればよかったんだ。そうすれば、なんとかしたのに……!」
「それだけは出来ません。父はわたくしの願いをなんでも叶えようとする生粋の親馬鹿です。言ってしまえば、本当に何もかも捨てて――!」
イラッ。
「誰がおじさんに言うなんて言った相変わらずの早とちりめ! 俺が! なんとかするって言ってるんだ!」
短所まで変わらなかったようで、苛立ってしまった拓海は思わず小声ながら怒鳴ってしまった。
同じように、ナタリアも思ったようでしかめ面を拓海に向け怒鳴る。
「そちらも相変わらずではありませんか! 貴方一人でどうにかなるようなことではありませんのよ⁉ 勇敢と無謀ははき違えるなとよく言うでしょう!」
「だからなんでそう飛躍するんだ! 俺だって早々無謀なチャレンジをするつもりはない!」
「いつもそう言って無茶ばっかやってるではありませんか!」
確かに、と内心同意する。が、表には出さないで反論する。
「いつもそうだとは限らないだろ! 休日にどこか遊びに行くのに付き合ったり、それが出来なくても、話くらいは聞けた! たとえ会えなくても電話越しにでも話せた! 愚痴だっていくらでも聞いてやった!」
立場云々はどうにもできないかもしれないけど、素を出したり、息抜きをさせることくらい、いくらでも思いつく。
中学時代は忙しかったと言えば忙しかったが、それでも姉の為に予定を無理矢理詰める事くらいやれたのだ。
「だけど言ってくれなきゃ、お互いの近況を言い合う事すらしなきゃ、何も分からない。何も知れない。
なのに俺達の事を助けたかったなんて、無茶言ってんじゃねぇよ!」
「っ…………! そんなの――そんなのたっくんから電話してくれば良かったじゃん! わたくしからなんて出来っこないよ! 第一、そういうことすらできないかもしれなかった環境で、一体どうすればよかったって言うのさ!」
動揺してか、ナタリアのお嬢様口調が崩れる。
一人称だけは癖になったのか抜けきってないが、それは普通の女子高生と同じ、昔から変わらないナタリアの素だ。
「あぁ確かに、俺から歩み寄ってればよかったのかもな。リア姉の性格を知っていたはずなのに、大丈夫だろうと高を括ってた自分に腹が立つ。
――けれど、これだけは言える。電話一つしてくれれば、その時の俺でもきっとどうにかしていた」
「――――――」
これは、絶対だ。
臆病風に吹かれてようが成り行きだろうが、紫苑拓海は四葉ナタリアの悲しみを吹き飛ばしていただろう。
その先でどんな困難が待ち受けていたとしても、傷付いたとしても。
自覚できていなかったけど、ヒーローという夢を全く諦めていなかったのだから。
「――勝手。
勝手だよ…………! いつもいつも! どうにかってなにさ! 結局無茶するってことじゃん! そんなの、わたくしも赤羽さんも望んじゃいない!」
確かにそうだ。
寂しさの中にうずくまるナタリアを引きずり出したところで、ナタリアどころか真里華さえ悲しませてしまう。拓海とて、そんな結末は望んじゃいない。
それに、そうするべき時期はもう過ぎてしまった。だから、今拓海に出来る事は一つ。
「あぁ。だから、今聞かせてくれ。ぶちまけてくれ。溜まりに溜まった鬱憤を、俺にぶつけると良い」
それが、今まで放置していた自分への罰にもなる。
その意味が伝わったかは定かではないが、ナタリア数秒沈黙。
そして、
「……辛かった」
「うん」
「寂しかった」
「うん」
「マナーとかめんどくさかった。ドレスとか堅苦しくて嫌だった」
「うん」
「ご飯もそんなに好みじゃなかったし、行事とかつまらないのばっかだった」
「リア姉って全体的に庶民派だもんな。大体うちのせいだろうけど」
始まりは小声で、次第に大きくなっていく。
同じように口調がドンドン汚くなっていく。
「同級生との会話もつまらなかった。やれうちの会社は、やれうちの家はとかそんなんばっかだった。特に嫌だったのは群がってくる男ども。何が可憐だ、何が流石四葉家のお令嬢だ、何が貴女と一生添い遂げたいだ! そんなの願い下げだっつうのこちとら飯食いに来ただけだし一応婚約者いるって言ってんだろうがーーー‼‼」
ぜいぜいと、乱れた息を整える。
どれだけため込んでいたのかが良く分かった拓海は、その愚痴を黙って受け止める。
ところで改めて思ったがナタリアの素はどう考えてもお嬢様向きじゃない。というかどうして自分と関わった人たちは大体こんな感じにキャラ崩壊するのか。
〈あー…………拓海?〉
脳裏にそんな疑問を浮かべていると、亮から心話を受信する。
〈なんだ?〉
〈お話しの途中悪いんだが、その、なんだ。ちょっと離れてるオレ達にも聞こえてきてるんだけど〉
〈あっ、やっぱり?〉
途中から熱くなりすぎて声でかくなってきた頃には気づいてた。まぁ、その時点でもう遅かったわけだが。
ナタリアも沙良の心話を受け取ってようやく周りの視線に気づいたのか、真っ赤になって黙り縮こまってしまっている。
そんな彼女に苦笑しつつ、一つ問う。
「で、少しは楽になったか?」
「…………」
ムスッとふて腐れるナタリアはゆっくりと頷く。
全部は吐き出せなかっただろうが、それでも顔色は、先ほどより幾分良くなっていて。
「溜まったストレスは叫ぶとスッキリするって、どっかで聞いたからな。一応言っておくけど、勿論、全部本音だったから」
「それは良いけど、こんなところでしなくても良いじゃん……」
「ごもっとも」
またしても苦笑する拓海に、一切の後悔も、恥ずかしさもないと理解したナタリアは問う。
「お節介。わたくしが余計なお世話だと思う事とか、考えなかったの?」
確かに考えたが……今の拓海にとっては、この言葉に尽きる。
「知るか、そんなこと」
「……驚くほど自分勝手の返答にびっくり」
拓海自身そう思う。だけど、
「ヒーローって、そんなもんだろう?」
そういうと、ナタリアは口を開けて一瞬呆然とするも、すぐににやけながら拓海に額にデコピンして、
「弟のくせに、生意気」
「うっせ」
そう言い合って、クスクスと笑い合った。
 




