第二章・暗示⑦
安堵する。
助けられて良かったと、後ろを振り向いて真里華に笑みを向ける。
だが、このまま終わりというわけにはいかない。
拓海は再び前を向いて、
「――フンッ!」
――瞬間、拓海は亮の懐に潜り込んでいた。
それはもはや、縮地の域を到達っていた。
普通なら人間が出せるモノではなかった。
引き絞る拳から、風を切る音がする。
亮の懐に入り込んだ時の速度を、勢いとして一撃に乗せ、そのまま鳩尾に躊躇いなく振るった!
すれば道場周囲に、衝撃が風となって伝わる。
「もうそれは食らわないぞ」
しかしその一撃は直撃せず、亮の掌を以ってあっさり止められていた。
やはり、油断さえしなければ人間が騎士に勝てることなぞありはしないのかもしれない。
「…………どういうつもりだ?」
それを改めて実感させられても、拓海は一切怯むことなく亮を睨んだ。
何故真里華をねらった? 何故やってはいけないことをした? 何故怒らせるようなことをする? ――死にたいのか?
そう問い掛けるような獣の如き双眸は、亮に一瞬の戦慄を体感させる。
「……で。どうよ、旦那」
だがそれを表に出すことなく、亮はニヤリと今の拓海を透に見せ付けた。
「うん、確かにそれが条件みたいだね。相変わらず仲が良いようで結構。それはそれとして旦那はやめてもらえない?」
「いやだね」
……やはり、拓海にやる気を出させるためにやったようだ。
必ず助けようとする。必ず助けるという風に思ってくれているのだと解釈すれば、まぁ悪い気分ではない。
だけど、だけどだ。
「一番怒るべき人が、なんでそんな平気そうな顔しているんですか」
分からない。その神経が理解できない。
(なんだ、そのキョトンとした顔は……!)
自分の娘だろう、最愛の娘だろう!
下手をすれば怪我では済まないような事をした亮に、何故一切の咎めすらないのだ!
「……あぁ! そうだった。拓海君は知らなかったね」
「何をですか!」
「それは――真里華」
「はーい」
透の呼ぶ声に、何をするべきか理解した真里華は、ふとその場に落ちている竹刀を手に取る。
すると、亮を前に中段の構えに。
そこで、拓海は気付く。
(様になってる……?)
正確に言えば、その構えに慣れを感じる。
気配もどこか猛々しい。
こんな真里華を、拓海は見たことがない。だから――。
「――――はぁッ!」
瞬く間に亮の前に立ち、頭に直撃する寸前で止めるなんて事をするとは、思わなかった。
「お見事」
「どうも」
驚愕をあまり絶句する拓海を余所に、亮の賞賛を真里華はそっけなく受け取る。
そんな彼女が一番声を掛けて褒めてほしいだろうその人は、未だ唖然と立ち尽くしているようだ。
「……とまぁ、見た通り。あの子もここで学び始めてね。武術だけなら君より遥かに上に位置する武人となってるのさ。その意味、君なら理解できるはずだろう?」
「……えぇ」
つまり、あの程度。今の真里華なら簡単に凌ぐことができるということなのだろう。
それでも自分の娘の為に、傷付けようとするモノに怒りを覚え、罰を与えたくなるのが親なのだろうが、そこは透という人というものがある。
この人は、公私を分ける人なのだ。
それが女であれ、子供であれ、昔なじみであれ、娘であれ、容赦しない。変わらない。
(そんなこと、昔から分かっていたことだろうに)
だというのに、拓海は透に怒鳴ってしまった。この人の方針に口出しする権利なんて何処にもないのに。
「出過ぎた真似をして、すいませんでした」
「いやいや、本当なら君の言うようにボクは親として怒るべきだったのだろうから、君の反応も当然さ。しかもボクの変わりにそう怒ってくれたんだ。その感謝と詫びをいれたい気分だよ」
そう拓海は頭を下げるも、透は苦笑して頭を上げるように言う。
普通なら頭を下げるのは透の方なのだから、何時までもそうしていられると居たたまれなくなってしまうのでそろそろ顔を上げてほしい。
「ですが――」
「生真面目が過ぎるのは長所ではない。短所でもないけど、今この場においては素直にいう事を聞くべきだよ。……それにこのままだと、終いには真里華に怒られるから上げてもらえると正直助かるかな」
……そこまで言われたら顔を上げざるを得ない。
言われるがまま、ゆっくりと顔を上げると、真里華がによによと笑顔で寄ってくる。
「な、なんだよ?」
「ねー拓海。さっきの、どうだった?」
一瞬、何のことか分からなくて困惑したが、すぐにあの一撃のことだと思い出す。
「――――あぁ、うん。凄かった。驚いたよ、真里華もここで学んでたなんて。……でも、何時から?」
「えっと、一ヶ月前くらいかな」
〈夢現武闘会の参加する事になってから、ちょくちょくここで鍛錬を積んでたの〉
正確には、拓海の戦い方を見てから。
そう心話で真里華は補足し、その内容になるほどと頷く。
ただ、納得はできなかった。
「……あの寸止めは見事だった。けど、とてもたった一ヶ月で会得したものとは思えない。一年か、それとも十年か。それなりに年季の入った一撃だと思ったのだけど――」
「そこは単純な話、この娘には才能があった。それだけの事さ」
拓海の疑問に答えるのは、透だった。
そう、才能。
拓海が唯一持ち得ない武術に必要なもの。
別に、本当に才能がないわけではない。
ただ下手でもなく、上手くもなく、凡才なだけ。
そんな拓海が足りないものを、真里華が持っていたという話。
「今は全体的にみれば君の方が上だけど、将来的には君を抜くであろう人材だ。それを聞いて、君はどうする?」
――決まっている。
「なにも、変わりません」
真里華が自分の身を守れるようになったからって、自分の存在を彼女の為に費やすのは変わるものか。
強くなったからって、危ない時が来ることには間違いない。その時、ヒーローが隣にいないでどうする……!
(それに、立場が逆転することになるのは避けたい)
真里華はそれでいいとしても、拓海は男だ。好きな女を出来るだけ自分で守りたいと思うのが道理だろう。
そんな拓海の思考を察した透は、若いなぁとほっこりしつつ手を叩く。
「――よし! それなら、さっきの君の動きで方針も粗方決まったし、飯食ったら早速始めるとしよう。それで良いね?」
「はい!」
「その前に、まだ聞いてない事があるぞ」
そうして道場を出ようとする二人に、明は待ったをかける。
何か、あったっけ?
そう首を傾げる透に、一つため息を洩らしながら口を開く。
「……その暗示を掛けられる人の条件。あるだろう? それ、内容からして普通の人間には掛けられるような代物ではないだろうし」
「あー…………」
そういえば、確かに聞いていなかった。
別に聞かなくても良いことだし、だから透も忘れていたのだろうが、気になるものは気になる。
「はぁ……」
集中する視線の中、透はため息を一つ。
「……暗示を掛けられるのは、何らかの理由で歪み、そしてナニカが欠けてしまった者だけだと、アイツは言っていた」
どこか気乗りしない様子のまま、言葉を紡ぎだした。
「歪んで、欠ける……?」
「そう。加えて、それを理性が押さえつけて表に出すことができない人であることも条件だとも。それを定期的に開放しないと、いざという時に解き放てないと、その人は根本まで壊れてしまうから」
と、〝彼〟は言ったという。
歪みは分からないでもないけど、欠けるって――――?
「そら、黙ってないでさっさと行くよ」
なんだか疑問が増えたような気がして顔を顰める亮と明は、渋々催促されるがままに道場を出る透の背を追う。
同じように道場を出る拓海と真里華は、騎士達とは対に思う。
――あぁ。それは確かに、拓海の為にあるようなものだと。




