第一章・従姉弟②
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ガラガラガラ。
そんな音を立てながら、拓海は教室のドアを右にスライドする。
「おはよー、紫苑。いつもよりちょい遅めだな」
そうすれば、クラスメイトがにこやかに挨拶をしてくれる。
「……おはよう。まぁ、ちょっと用事で」
もう一ヶ月近く経つのに慣れないこの挨拶に少し照れながら返した。
一か月前。
つまり、拓海が仲介くんでなくなったあの日以降、クラスメイトや同級生、後輩、先輩から度々挨拶されるようになった。
一番率先して挨拶してくれるのは元クラスメイトも含めた、少しでも接点があった人達。
嬉しくはあるが、こんなのは小学生以来だから未だに照れくさい。
とは言っても……
「………」
『……っ』
教室を見渡すと、数人気まずそうに視線を逸らす。
全員が挨拶をしてくれるわけもなく、吸値を最後まで信じようとした人達にはまだ挨拶してもらったことはない。
ただ気まずそうな目線を送ってくるだけ。
別にあの男を最後まで擁護したからって、この人だけが悪いわけじゃないが、かと言ってこちらから手を差し伸べたりするのも何か違う気がする。
(何か……そう、なにかイベントでもあれば打ち解けられそうなのだが………)
こればっかりはないものねだり。
今は時間が解決してくれることを祈るのみだ。
「用事、ねぇ……? それって、副会長とイチャイチャしてただけなんじゃねぇの~?」
「は、はぁ⁉」
ふと、拓海が少し暗い顔をしたのを悟ってかは知らないが、クラスメイトである彼――村井はそんな事を言い出す。
ニヤニヤと向けるその視線の先には、身体強化のせいで筋肉痛に似た苦痛からうまく歩けなくなった拓海を支える為にと、まるで恋人のように真里華と腕を組む光景があって……
「おっ――ととととっ」
思わずバッと真里華の腕を解いてしまい、バランスを崩すも壁に手を当てて身体を支える事が出来た。
「拓海っ⁉ ――村井くん!」
「……悪い。また筋肉痛だったのか」
「あ、うん。でもまぁ、すぐに治るから大丈夫。だから真里華も、な?」
本当の事だ。実際、あと二時間ほどすれば治っている。
それはここ一ヶ月の間に実証済みだ。
「……拓海がそういうなら」
「しっかし良くやるねぇ。そんなにきつい修行、俺ならすぐやめてる」
「まぁ、俺も単なる義務とか興味本位とか、自分を変えるためとかだったらやめてるよ」
村井と言った、それなりに親しくなった人たちには、誤魔化しが効くようにそれとなくこの痛みの理由を聞かせてある。
最低、週五でこうなっているから、理由を話さないと奇妙に思われるからこその処置だ。
それに夢現武闘会の事とかは話せないが、修行しているという事実を伝えるだけの理由も持っているわけで。
「でも、ヒーローとして真里華や皆を暴漢とかから守るためならやめられないし、苦でもないよ」
間違いなんて一つもない。ただ主な標的を伝えてないだけ。
「ひゅー、かっこいいねぇ……でも、そこで『皆』は別に付けなくてもいいんだぜ?」
そう村井は拓海と肩を組み、拓海を拓海の椅子に座らせながら小声で言う。
その言葉に拓海はただ「う、うるさい」と顔を赤らめる。
当然というかなんというか、あの一件以来拓海の真里華に対する気持ちは周りに――多分、全生徒にバレていた。
あの映像を見られたせいだろうが、真里華といると妙に生温かな目線ばかり送られるようになったり、茶化されるのもしばしば。
ただ意外だったのは、村井含んだ男子クラスメイトから拓海の恋を協力してくれるようになったこと。
元々は根暗として通してきたわけだから、少しでも反感とか起こるものだと思っていただけに驚きが隠せないでいる。
「まっ、お前のペースで良いけど、アプローチはしておけよ? 特に周りに赤羽真里華は俺のもんだー! ってアピールしておくくらいはさ」
「わ、わかってるよ」
村井達が協力してくれてるようになったとしても、依然真里華の競争率は極めて高い。
時々告白される場面を目撃して事だって何度もある。
力づくでどうこうしようとした者だっていたし、気が抜けない。
……まぁ、襲おうとした者はこれからもこの手でぶちのめさせてもらうのだが。
「二人して何話してるの? ……なにか拓海に妙な事吹き込んでるんじゃ」
前にも思ったがお前は俺の母親か。
「別にそんなじゃねぇよ。ただの男同士でしかできない会話だ。な? 紫苑」
「そ、そうそう」
「ふぅ~ん……」
「皆さん、おはようございまーす」
真里華の疑うような目線が突き刺さる中、女性――倉沼の挨拶が教室に響き渡る。
あの時、吸値に加担したあの教師の代わりに、このクラスの担任を務めることになっている先生だ。
新米感満載のにこやかな挨拶はなんだか気が抜けてしまう。
「くーちゃん今日は早いな」
「確かに。まぁ先生も来たし、真里華も村井も自分の席に着いたら?」
「……そうね。続きは休み時間にでも」
そう言って真里華は自分の席に行き、村井もそそくさと席に座っていた。
チャイムが鳴る。
全員が座ったのを見届けた倉沼は名簿を確認する。
「えーっと……休みの連絡はきてないのに席一つ空いてますけど、誰がいないんですか?」
「また高山だよくーちゃん」
クラスメイトの一人が助言する。
「ありがとー、ってくーちゃんじゃなくて先生でしょぉ⁉」
「ごめんなさーい」
くすくすと不快でない、心地良い笑いが零れたその時、ひっそりと拓海の真後ろのドアがそっと開く。
振り返り、下を見ればあの時に声が上がった今も拓海に金を返していない男が、しゃがんだままゆっくり教室に入ってきていた。
男は拓海の視線に気付くと、黙っていてくださいと手を合わせて頭を下げている。
(まぁ、黙っているけど)
そもそももう遅いし。
「――高山くん」
「……はーい」
怖くない「怒ってますよ」顔の倉沼の呼ぶ声に、男――高山はしぶしぶ立ち上がる。
「また遅刻ですか、成績だって悪い方なのに、このままだと留年だってあり得ますよ?」
「次から気を付けるから大目に」
「それ聞いたの何度だと思ってるんですか!」
「うぐっ」
もう何度目になるか分からないやり取りに拓海は苦笑する。
もう少し見ていたいところだが、時間的に先に進めないと授業が遅れる。
「先生、もうそこまでに――」
「うー、ふくかいちょー! その実った果実で俺っちを慰め」
「あっ?」
スイッチが入りました。
「え、や、あの、なんでもないですハイ……」
拓海の声を聞いた高山は、青ざめた顔で逃げるように自分の席に着いた。
「なんでそんなに怖がるんだ? 俺は単にただみつめていただけだろうに」
((じゃあその捕食者みたいな目はなんだ⁉))
確実に殺しにかかろうとしているような目に、この教室にいる者達は冷や汗を流す。
標的である高山は「こえー、ちょーこえー」とうわ言を言いながらガタガタ震える。
「……まぁ良いや。先生、そろそろ朝礼終わらせないと時間なくなりますよ」
「そ、そうですね。それじゃあ朝礼を始めます」
元に戻った拓海を見て、一同はほっと一息吐き、拓海に諭されるように朝礼が始まった。




