第四章・夢①
――夢を見ていた。
場所は近くの公園。まだ危ないからと遊具を全て撤去されていなかった頃の夢。
少年は大きな犬に吠えられた。噛まれるのではないかと恐れ、回転ジャングルジムの中で泣きながら助けを求めていた。
だが、その声に応える者はもういない。
追い払おうとして自分に火がかかる事を恐れた周りの大人たちは、別の遊具で遊んでいた子供を避難させることを優先し、そそくさと逃げてしまったからだ。
それでも何もできない少年は、ただ『助けて』と、その一言だけを口にし、来るはずもない救援を待ち望み、そして――
『――こら! あっち行け‼』
その声に応えてくれる人がいた。いてくれた。彼は若く、穏やかで、優しそうな青年。
あまり屈強そうには見えない男だったけど、それでも、少年を助けようと必死になっている青年に、なぜか少年は目を奪われた。
『大丈夫?』
しばらくすると、青年は犬を追い払い、振り向いて少年に手を差し伸べる。先ほどとは打って変わってボロボロだ。
『あ、ありがとう』
少年はおずおずと手を取り、お礼を言うと、青年は嬉しそうに笑った。
『良かった……』
ただ、そう安堵して。
そんな青年のあり方に、少年は心奪われた。かっこいいと思った。自分もこうなりたい、と心の底から願った。
だから聞いたのだ。
『兄ちゃんは、だれ?』
その言葉に、青年が言ったのはたった一つ。
『僕は、ヒーローさ』
そうして、少年はたった一つの夢を手に入れた。ちっぽけだけど、ささやかで、とても暖かな願いを叶えようと誓った。
その先に無慈悲で、容赦なく。あっという間にぶち壊してしまう現実が、待っているとも知らずに――
***
「………ここは」
拓海は目を覚ますと、見知った天井がまず目にかかる。就寝時、起床時に必ず見る天井。
起き上がれば、そこはやはり自分の部屋。外は暗く、この世界に自分以外の人間がいなくなってしまったかと錯覚するほどに静寂している。
(今まで見ていたのは全部夢? ……いや、それはないか)
拓海の机に置かれている黒い本、グリモワールと、
「遅いお目覚めだな、創喚者」
今しがた起きた拓海に気付いたらしい、扉横の壁に寄りかかる相坂亮が証明している。
であれば、拓海をここに運び出したのは亮なのだろう。寝ていた理由も、ここまでくればもはや記憶を探り出すまでもなく思い出せる。
(そうだった、俺は気絶していたんだったな)
それも拓海にとって情けない理由。
真里華を守ると宣っておきながら、『トラウマを刺激されたから仕方ない』では済まされない。
やはり拓海という男は、部屋の隅でガタガタ震えるしか能がないのだろうか。
いつまでも残酷な現実に負けるような、臆病者でしか、ないのだろうか――
(……いや、今はネガティブになっている場合じゃない)
それよりも、あの後どうなったのか、聞かないと。
「相坂亮」
「はいはい、アンタの騎士、相坂亮ですよっと。それで、何から聞きたい?」
「俺が気を失ってから、全部」
「了解、我が創喚者」
状況を把握するため、主に真里華の安否を知るため。
拓海は一部始終を見ていた亮から、事細かく説明を受けるのだった。
***
「――拓海っ!」
部屋から出て階段を下り、茶の間に入ってまず拓海を出迎えたのは当然、真里華だった。
余程心配させてしまったらしい。拓海を見て一寸も迷わず飛び出し、抱き着いていた。
柔らかな感触と、女性らしい甘い香りが拓海を燻り、顔を赤くする。
「馬鹿……っ」
「真里華……」
――が、泣いている事に気付いた瞬間、それは消え失せた。
流れる涙を止めるために羞恥心を抑え込み、優しく抱きとめる。
「……心配したっ」
「ごめん」
「急に倒れて、心臓が止まるかと思った……!」
「ホントごめんな」
子供のように泣きじゃくる真里華をそっと撫でながら、周りを見渡す。
そこには、拓海達を含めて六人。その内二人は見た事がないが、どういう人なのかは既に聞いている。
「えっと、神崎来華さんと大森美月さん、でしたっけ? ありがとうございます、二人が来なかったら一体どうなってたか」
金髪の細剣使い・来華と、ポニーテールの双銃士・美月に会釈する。
「礼を言われるまでもない。私はただ、私の創喚者を助けたに過ぎないから」
「私も似たようなものね。創喚者からの指示がなければ、誰が敵を助けたりするものですか」
「そ、そうですか……」
(まぁ良い。この人達は正しい事を言ってるだけだしな。―――それよりもさぁ………)
素直に礼の気持ちを受け取らない二人に苦笑しつつ、ずっっっっと、気になっていたもう一人に目線を向ける。
そこにはこの中で一際小さく、一番目立つ灰色頭。
「なーんでお前がここにいるんですかねぇ? ――時亜さん?」
後輩兼弟分、葵時亜がそこにいた。
「なんでって、そりゃ僕も創喚者だからに決まってるじゃん。あっ、一応言っておくけど僕の騎士は美月だからそこんとこよろしく」
「まぁ、この状況からしてそうでしょーね……」
時亜の肩に担がれている、灰色の宝石が嵌められた緑色のグリモワールを見ながらため息を一つ。
彼女であるなら、自分らが助けられた事に納得がいくものの、どうも腑に落ちないのは何故だろうか?
「助けた報酬、何時でもいいから期待して待ってるよ、あ~にきっ」
「あー、はいはい」
知ってた。しかも事が事だから下手なものじゃ報酬にならないフラグだなこれ。
「しかも貸し二つ目か……」と、再度ため息を吐きながら、とりあえずこの事を頭の端に追いやりつつ、
「……そういえばその頭と眼、やっぱりグリモワールが影響してんのか?」
その際、ふと思考に割り込んできたものを時亜の灰色に染まった髪と赤い眼を凝視しつつ聞いてみる。
未来の髪、適正ランクという設定から推測するに――
「適正ランクも関係していて、ランクが高ければ……というか、ランクSであればそのように色が変わる、とか?」
「………大正解だよ、兄貴にしては冴えてるね」
少々あてずっぽうであるが合っていたようで、時亜の表情が驚きの一面で彩られる。
というか、俺としてはってどういう意味だ。否定できないところが悲しい所だけどっ。
「まぁなんていうか、アマチュアの域を出ないけど仮にも作家だ。そういう目線で見れば、大体の細かな設定ぐらい推測できるんだよ」
飽くまで推測でしかないが。
「って、それくらいお前も理解できるだろ。ベクトルは違えど同じ作家なんだから」
「まーね、単にからかってみただけだよ」
「お前なぁ………」
冗談だよ、と笑って言う時亜は、ここで一つ咳払い。
「それで話を戻すけど、兄貴の言った通り、この髪と眼の色はグリモワール持った事で変化したんだ。僕の適正ランクもS。理由は適性が高ければ高いほど、騎士というか、創喚されたもの達と近しいものになるから、その判別としてこうやって色を変えたんだって、オーディンから聞いてるけど」
「へぇ……でも、それ日常生活に支障出る類いのものだから、いい迷惑なような気がするんだけど」
「その点は大丈夫。これはグリモワールの影響からなるもの。一定の……グリモワールを持てるだけの適正を持ってる人にしかそう見えない仕様になってるらしいから」
だから、登校時にそこまで注目を浴びなかった、という事らしい。
「これで、理解してくれたかな?」
「あぁ、十分にな」
「それは良かった」




