第三章・戦闘①
一方、本屋にて。
「ふぅ……」
上野未来はずらりと並ぶ本棚へ一冊元に戻すと、一つ息を吐いた。
「見つからない……本当にどこにあるんでしたっけ…………?」
拓海から頼まれていた、創世記の本を探している途中だったのだ。しかし、それはまだ見つかっていない。
未来の記憶が確かなら、確かにここにあるし、誰も持っていってはいない。だがどこにあるのか全く分からなくなってしまっていた。
「そう思い悩むなよ。もっと気楽に探そうぜ!」
思い出そうと頭を悩ませる未来に、そう言って励ますのは未来と同じように本を漁る青髪の男だった。
まるで作業着のような服装は、本屋にいる者としては似合っていない。
しかしそれでも尚、彼にとってはそれで良いのだと、言わせるだけの妙なマッチ感があった。
「そうは言っても、かなり通い詰めて、いつの間にか店員のような形になっている私にとっては致命的なんですよ。何より、本好きとしては覚えていないというのが何処か悔しくて仕方ない」
「後者が本音だろ――っと、もしかしてこれか?」
未来の力説に苦笑しながら、物色していた男はふとそれらしい本を見つける。
「見せてください」
と未来は彼からその本を受け取り、確認してみる。
「……駄目ですね、私が探しているのはこれじゃないです」
惜しい、と未来は落胆する。
いや、別に不正解ではない。確かにこれは創世記の事が書かれている本だ。それは間違いない。
でもこれでは駄目なのだ。
(これ、原本をそのまま模写したんでしょうか……)
なんせ、よく分からない字で全く読めないからだ。
文字自体は見た事はあるから、これが創世記の本だと知っている。
だがそれだけ。実際読めるわけではないし、そもそも現代の人で読める人が早々いない。
「元の場所に戻しておいてもらえますか?」
「あいよー」
未来は丁重にこの本を彼に返し、そして元の場所に戻すと、再び捜索作業に入る。
そんな彼を見届けつつ、未来は自身のおぼろげな記憶を遡行する。
「……そろそろ別の本棚を探してみましょうか」
だがいくら遡っても思い出せず、いくら探しても見つからない。となるとここにはないのだろう、と判断した未来は、鼻歌を歌いながら一度カウンターに戻り――
「――――」
そして、言葉を失った。
ぶち抜かれた壁。
散乱する木くずと本。
その奥にいる真里華と拓海、そしてオーディンと見知らぬ男。
「…………なっ」
これだけの惨事になっているにも関わらず、気付けなかった理由は想像出来る。
きっと、邪魔されたくなかったオーディンが何かしらの力を使ったからだろう。
しかし、だからと言ってこんな光景を目の当たりにして冷静になる事は出来ず、ただただ呆然とする。
「なっ、なっ、なっ――」
どうすれば良いのか分からず、下手に動けず。
ただ呆然する彼女の視界に入った見るも無惨な本の姿が、思考を動かし、
「なんですかこれぇぇぇええええええ⁉︎」
思いの丈をそのままぶつけるが如く、絶叫した。
***
「――なんですかこれぇぇぇええええええ⁉︎」
オーディンが祭りの開祭宣言をした直後。
拓海たちの鼓膜に絶叫が響き渡った。
「な、なんだ……?」
思わず耳を押さえ、目を細ながら拓海はその発生源に目を向け――察する。というか思い出す。
「あぁ……」
横にいる真里華も察したように、声を出しながら苦笑している。
確かに、恐らくあの本屋を管理しているであろう彼女があの惨事を目の当たりにすれば、あんな反応をするのも当然だろう。
「おや、上野くん。驚かせてしまったかい? じゃが安心せい。あの小屋はワシの力で創られているが故、すぐ元に――」
「そんなことはどうでもいいんですよ!」
「⁉」
普段は怒る事なんて滅多にないのだろう。
あの余裕そうな表情を見せていたオーディンが口を開けて呆然としている。これは良いものを見れた。
そんなオーディンには見向きもせず、未来はマシンガンの如くつらつらと文句を言い始める。
「良いですか? 私にとって大事なのは小屋じゃなくてここにある無数の本とこの広々とした空間なんです。小屋あろうとなかろうとどっちでもいいんです。その上で聞きますが貴方は馬鹿ですか? なんで小屋の中で創喚させようとするんですか。というか、そもそも勧誘する時は外でしてくださいと何度か言ってますよね? やっぱりあれですか、神と言えど老人ということですか。それを思うと本当に貴方がかの有名な主神と謳われるオーディンかどうか疑わしい程です」
「お、おぉう…………」
なんという罵倒。もうボロクソではないか。というかもうやめてあげて。
「な、なぁ上野さん。もうそろそろ――」
「そんな貴方の不注意が生んだ結果がこれです!」
そうして取り出したのは、もはや読む事すら出来ないであろう程までボロボロになった本。
そしてそれはよく見ると、日本語に翻訳された創世記が記された本で…………
(良いぞ、もっとやれ)
拓海が手のひら返しをするのに十分な理由となった。正直自分が怒鳴りたいくらい。
……とは言うものの、創喚したのは他でもない自分。七、八割方はオーディンが悪いとはいえ、此方にも非があるにはある。
「すいません、上野さん‼︎」
そう思って、謝る隙のないオーディンの代わりに、頭を下げると、驚いた彼女は説教をやめ、拓海に視線を向けてくる。
「えっ……? どうしたんですか紫苑さん。別に貴方が謝る事ではないはずですけど」
「確かに殆どの原因はこの神にありますし、個人的にもっと罵倒してやれと言いたいくらいです」
「でしたら――」
「それでも、少なからず俺が創喚したせいでもあるのは事実。なのにこいつだけに責任を押し付けて、自分だけ逃れる事なんて出来ません」
特に、真里華の前でかっこ悪いところをできるだけ見せたくないから。
「だから謝ります、罰も受けます。煮るなり焼くなりすきにしてください」
「そ、そう言われましても……」
深々と頭を下げる拓海を見て、当然ながら未来は困惑した表情で見つめる。
「――だったら、さっさと武闘会から退場してくれ、とでも言っとけば?」
そんな彼女に、後ろから助言する美形の男が現れた。
青い髪を風で靡かせ、まるで鳥が獲物に狙いを定めるように鋭い金色の瞳。
黒のシャツにカーゴパンツ。腰にジャケットの袖を結んで巻いているその様は、作業服でありながらワイルドなカッコよさがある。
――そして、グローブをはめているその手に持っていたのは蒼き槍。
しかしその割にはあまりにも巨大で、さらには刃の切れ味を損なわない程度の大きな空洞がある。
つまり、彼は騎士。
創喚者は恐らく彼女――上野未来で間違いないだろう。
しかし、そんなことは見ればすぐに分かるし、思考するまでもない。それより……
「明さん……しかしですね」
「しかし、じゃねぇよ。あの男がたった今創喚者になったってェ事は、これで全ての参加者が出揃ったということ。つまり、武闘会はすでに始まってるって事に他ならない。そうだろ、爺さん」
「然り。開祭の宣言も、今しがたしたばかりじゃ」
「だってよ。なら、遠慮せずに退場してもらわないと、な?」
「…………そう、ですね」
――なんだ、ここは。
彼がこの場に現れ、言葉を発した途端に変わったこの場の雰囲気を感じ取っていた拓海は一瞬、そんな思いにとらわれる。
彼が加わったくらいで、別段なにか変わったわけではない。誰か特別な事をしているわけではない。
だが、変わった。それは間違いない。
「それでいい。――さて」
彼は未来に笑顔を見せた後、次に拓海へと眼を向ける。
「……拓海、今すぐ準備して」
その時、横から黙っていた真里華が突如口を開いた。彼女の方に向いて見ると、その顔はいつになく厳しい。
ここまで見て、拓海はようやく気付いた。
これに似た雰囲気を、知っている。
これとは生ぬるい、本物とは違うものだけど、この雰囲気の正体を知っている。
小さな頃、真里華の両親が営む道場で味わったもの。
彼女の父親と相対する時、いつも味わっていたもの。
そしてその頃味わっていたものは、言わば体験版。いま味わっているものこそが本物。
そうか、今やここは――
「一つの戦場と化しているって事か――――!」




