第二章・開祭①
(俺は、夢でも見ているのか……?)
拓海は目の前で跪く、相坂亮を名乗る男を見ながら自分に問わざるを得なかった。
当然だろう。先程から幾つも非常識な事が起き、あまつさえ目の前にいる男が自分が書いた本の主人公だというのだから。
「痛ぇ…………」
しかし自分の頬を抓った時に生じる痛みが、これは紛れもない現実である事を証明している。
では彼は本当に相坂亮なのか? 拓海がイメージした主人公そのものなのか?
と自問するが、既に拓海の中で答えが出ていた。
(先程の真里華達の言動や、非現実的な現象の数々。そして何もないところから出てきたという事。これが現実なら、問うまでもない)
正直、認めたくないが……。
「本物の、相坂亮……ということか」
「そうだぜ、我が創喚者」
そっと呟くと、聞いていたのか亮は返答する。
掠れるくらいに小さい声で呟いたはず。普通なら聞こえないはずだから、拓海は思わず動揺してしまう。
「まぁ、確かにオレの耳には入ってこなかった。でも、今はアンタの考えてる事が全部分かっちまってるからな。何を呟いたのか想像できる。例えば、さっきオレの存在を夢の産物だと思ったり、無理矢理オレを〝こすぷれいやー〟とか言う変人に仕立て上げようと頭の端っこの方で考えてたのもな」
「……なんで」
「分かるのか。だろ? それはその本に備わる機能にある」
そう指差すのは、拓海が抱え込むように持つ黒い本。
「これ、ですか?」
「そう……っと、その前に言っておきたいんだが」
「?」
「敬語はなしにしてくれ。オレとアンタは初対面であって他人じゃない。むしろ近しい関係なんだからよ」
拓海と彼――亮の関係は一言では説明できないもの。あえて言うとするなら、家族みたいなものだろうか。
そんな間柄だと言うのに、敬語なのは少しおかしいだろう。
「それでも、初対面は初対面ですし、そういうわけには……」
しかし拓海は拓海で正論を述べ、少し距離を置く。
憧れを体現させた者の落胆させるのは、正直忍びないが、他人とすぐに深く関わるのは厳しい。
少しずつで別なのだが……。
「……仕方ない」
どうやら分かってくれたらしい。
断られたりしたらどうしようと思っていたので、ほっと一息つこうとして――
「あー、我が創喚者殿の好きなひ――」
「オーケー、分かったお前の言う通りにするからそれ以上口を開くな」
(真里華が近くにいるこんなとこで、なんて事を言おうとしてんだこいつは!)
亮を止める為、仕方なく折れた拓海は内心憤慨する。その怒りをぶつけても、きっと罰は当たらないだろう。
「おっ、そうか? いやー、分かってくれたみたいで良かった良かった」
しかも当の亮は、ぬけぬけと白々しい事を抜かし、それはそれは素晴らしい笑顔を見せてくる。
(ぶん殴りてぇ……でも殴ったら負けた気がするし…………)
「……お前、意外と良い性格してるな」
「何を言う、そういう風にしたのは他でもないアンタだろ?」
「そうだった……」
小さな反撃をするも、そう心外そうに言われて何も言えなくなってしまった拓海は、頭を抱えて思わず後悔する。
(こんな事になるくらいなら、もう少し素直なキャラにしとけばよかった……)
まぁ、こういう事になるなんて想像出来ない故、仕方ないのだが。
「……はぁ。もう良いや。とりあえずさっきの続きを聞かせてくれ」
「了解だ、創喚者」
なるようになるだろう、と割り切る事にした拓海は続きを促し、了承した亮は続きを話し始める。
「それで、えーっと。なんだっけ……? あぁ、そうそう、《グリモワール》の通心会話についてだったな」
「チャット……? いやそれよりグリモワールって」
「そう、降霊術を主に、呪術や魔術などが記される……簡単に言えば魔導書にあたるものだな」
「なら、お前を召喚できたのは……」
「魔術によるもの……と言いたいところだが違う。後、召喚じゃなくて創喚な」
「じゃあ、一体……」
「それは別に気にしなくても良い事だ。それより聞きたいのは、心を読む機能について、だろ?」
「まぁ、な……」
それでも渋い顔をしている拓海を見かねたのか、亮は「まぁ、一つだけ言うとするなら……」と呟く。
「もはやそのグリモワールは、元来のグリモワールの面影をその名と降霊術……つまり召喚術の基礎くらいしか残っちゃいないって事くらいかな」
(だろうな……)
でなければ、空想の人物を実際にその場で形を成し、召喚される事はないだろう。
「それ以上は、あそこのジジイ辺りがそのうち説明するだろうさ…………さて、ようやく本題に入るが、良いか?」
「……おう」
首を縦に振ると、途端に亮は口を閉じ――
〈では、まずこれは心を読むものではないという事を教えておこう〉
「――⁉」
口元が一切動いていないのにも関わらず、彼の言葉が、脳内に響くように聞こえ始めた。
拓海は驚きのあまり言葉を失うが、同時にこの技術には覚えがあった。
(アニメとかで見たことがある程度だけど……これは、まさか)
〈アンタが考えてる通り。これは念話、つまりテレパシーにあたるもので間違いない〉
――やっぱりそうか。
思った通りのものだった事に、拓海は驚きと納得。そして、自分もそれを使えるようになるんだ、というワクワクした気持ちが湧き上がってくる。
〈ワクワクするのは分かるが、そう急ぐなよ……〉
「……さて、やり方の前に一つやってもらいたい事がある」
亮は念話――通心会話を止め、再び口を開くとそんな事を言い出す。
一体なんだろう……面倒な事じゃないと助かるのだが。
「そんな難しい事じゃない。ただ、『心話対象・パーティー』と口ずさむだけで良い」
何かの機能変更のようだ。素直に従った方が良いだろう。
「心話対象・パーティー」
言われた通りに口ずさむが、特に変わった様子は実感出来ない。
「……オーケー、大丈夫。ちゃんと変更されたみたいだ」
が、彼がこう言ってるのだ。きっと変わっているのだろう。
「準備が整った事だし、そろそろやり方を教えるとするか」
「よし、来たっ!」
待ちに待った時が来た。そう思わずガッツポーズする。
そんな拓海の様子を見て亮は苦笑しつつ、話を続ける。
「……まぁ言っても、別段変わった事はしない。単に、その人の事を考えながら心の中で話すだけなんだよ」
確かに、空想の世界の中では変わった事ではない。ないが…………どうして気付かなかったんだろう。
「まぁアンタと、同じく通心会話。別名、心話を使える者同士でなければならないという条件付きだが……簡単だろ?」
そのやり方が、とてつもなく難しい事だという事を。
この男にできる事を、出来ないと言うのが何故か癪だが、仕方ない。正直に言おう。
「…………すまん、俺にはそんな難しい事出来ない」
「うん。まぁ、知ってる」
…………。
「はっ?」
「考えながら別の事も一緒に考える、なんてオレ達でも出来ねぇよ。本当は心の中で、もしくは実際に心話する相手の名前を『対象選択・○○』っと、一度でも言えばそれで良いんだ。それだけでお互いの通心会話はリンクする」
「………」
「後は、心の中で会話するように言葉を浮かべればいいだけ。それで通心会話は成立するんだよ。後は――」
「フンッ――!」
「ぐふ――っぉぉ…………」
我慢の限界だった彼の右拳は、目の前の野郎の鳩尾へと吸い込まれるように食い込み……
「なっ、ナイス右ストレート………」
そのまま腹を抱えて、震えながらその場で蹲り言った。




