第三章・歪み①
「――これで、とりあえず一息かな」
同日、夕方。
つい先ほど気絶した拓海をベッドに寝かせた後、それを指示した楓は肩の力を抜いて呟く。先程まで周りに気を配りながら動いていたので、汗が滲んでいる。
ここまで真面目に動いたのは、何時ぶりだろうか? そう思いつつ、拓海の女から見ても羨ましいくらいにはサラサラな髪を撫でる。
――立場は逆だけど、前にもこんなような事があった。
それはおよそ一年前。まだ拓海と楓がただの情報屋とその客だった頃。
その時はある〝同業者〟達の荒事に巻き込まれ、敵対者が面倒な聖遺物を持ち出していたことにより、隙を突かれて負傷。
そのあとなんとか他の同業者と共に敵を打ち倒したがすぐにその場から立ち去り、傷を癒す為に人気のない場所で座り込んでいた。
外は雨が降り注ぎ、聖遺物による負傷故か治りが遅い。それ故の何度も弾けるような小さな痛みに耐えていると、その痛みのせいか――終わった後の油断故か――近付いてくる気配に、その気配の人物――つまり、拓海に声をかけられるまで気付かなかった。
――治しているところを、魔術を使っているところを見られた――
始末するべきか……? そう思ったのも束の間、拓海は羽織っていたジャケットを、服が透けだしている程びしょ濡れになっている楓に被せる。すると手を引き、気が付けば雨宿り出来る人のいない場所にまで連れてかれていた。
『こういう時、真里華かトキがいてくれたら助かったんだがな……まぁ、とにかく情報屋、だよな?』
『………そうだが』
『別に。怪我のこともそうだけど、雨の中にいると風邪引くからな。何をするにしても、そんな状態で外にいない方が良いぜ』
『……それ、だけ?』
聞かれるかと思っていたのに、脅されると思ったのに、何も言わない。確かにその眼は魔術を捉えていたはずなのに。
『そうだが』
その一言に、その目に、怯えも欲もない。ただ純粋に自分の安否が気になったのだと、理解できた。
そんな人は初めてだった。いや、親切にされたことがないわけじゃない。ただどれもこれも全て好感度上げ、つまり後のメリットのことを考えての行動だったから。
対して、拓海は何もない。それがきっかけで興味を抱いた楓は流れるままに魔術――神秘の存在を教えてしまっていた。
言ってしまってから後の祭り。自分らしくなく失態の繰り返しに動揺している時、それを聞いた拓海の一言。
『……それは良い、応用すれば設定に厚みが出るかもしんねぇ……!』
何のことかと思ったら自作の小説の事で……楓は思わず笑っていた。それも大爆笑。あそこまで笑ったのは長い年月生きてきた中でも一番だったかもしれない。
それからだ。二人は友人となって、次第に拓海の事を『同志』と呼ぶようになり、ほとんど無償で彼を手助けしようと思えるようになったのは。
彼自身はそれを良しと言わず、本当に必要になった時だけ。しかも自分一人ではどうにもならないときだけという誓約書を、彼自身が書いて渡してきたのだから、笑える。
でも、対等でありたい、という気持ちは素直に嬉しかった。
だからその時に真名も不意打ち気味に教えたのだが、そこそこ嫌そうな顔をされたのを覚えている。
まぁ、それを教えるという事は信頼の証であるだけでなく、そのモノの魔術師としての生命線である事が結構ある。
即ち拓海からすれば自分だけでなく彼女にまで被害が及びそうなそういう厄介事を押し付けられたわけなので、当然と言えば当然だが。
その後すぐに創作に使えるかも、ということで割り切っていたのには苦笑を禁じ得なかったが、まぁ、ともかく。
(この出来事があったからこそ、同志はオーディンの存在を知っても驚かなかったし、簡単に信じたのだろうね――っと、いけない)
――ふと、気付けば懐かしい記憶に浸っている事に気付くと、ため息を一つこぼし、立ち上がる。
「……私は拓海が目を覚ますまで此処にいるわ」
「そうかい、分かったよ」
その言葉に頷くと楓は亮と共に部屋を出て、少しばかり待たせていた創喚者・騎士のいるところに足を運ぶ。待たせて悪いという視線を配りながら、空いている場所に座る。
「――――ふぅ。ここまで動いたのは久々だったから、喉が渇いたな。紅茶が飲みたいところだね」
「……別に淹れてやっても良いが、アンタが思っているような紅茶はないぞ。ペットボトルのヤツならあった筈だが」
「それでも構わないよ」
同じく先程まで拓海を寝かせるまで背負っていた亮はその返答に仕方なさそうにリビングへ。
ついでにここに集まった他の人物にも確認を取り、欲しがった者達の分を淹れて置く。
そして自分の分の緑茶を持って座り、一息。
「――それで、今更だが聞いても良いか?」
すると、亮は改まって静まり返っていたこの場に話題を放り込むように問いだした。
――そろそろ聞かれる頃だと思っていた。
「なにかな?」
「惚けんなっ。なんで拓海を救急車とやらとかを呼んで病院に連れて行かずに、自宅に運び込んだのかを聞いているッ。それもアンタ達が秘匿したがっている筈の魔術を使ってまで、今拓海を連れていくべきところに行かせなかったんだ!」
飄々した態度に思わず亮は怒りのボルテージをドンドン上げていく。
そう、今ここにいるのは病院ではなく、拓海家。もっと言うなら茶の間だ。
多くの一般人のいる中で拓海が倒れたあの瞬間、楓はそのまま流れに沿うことなく魔術を使役し、その場にいた創喚者・騎士以外の『自分を含めた創喚者・騎士達がいる』という事実認識を阻害。
摩訶不思議な格好をしている騎士達も、突然倒れた拓海の事も周りが全く気にしなくなった事を確認した楓は、亮に拓海を背負わせるとそのまま皆を連れてここまで逃げてきた。
その行動の意味が亮には理解できなかった。
「確かに戦う前……いや、家を出る前よりは顔色は良くなっているし、確実に症状が軽くなってるんだろうが、瀕死の状態な事には変わりない! 病院に連れて行かせた方が安全だろうが!」
あぁ、確かにその通りだろう。病人は病院へ。それが常識だ。それが普通の症状であるなら。
「では聞くが、同志の症状はどう説明するつもりだい?」
「どう、ってそりゃ――ぁっ」
「そう。同志は毒素のある魔力によってああなった。それを一般的な医者がどうこうできるモノじゃないし、そもそも理解できない。となれば、病院へ連れて行くのはむしろ危険なのだよ」
良ければ病院のたらい回し。今時あるのか分からないが、悪ければ人体実験。最悪なのは、少なくともそれによって拓海の身動きが取れなくなって、奇襲の対応が出来なくなること。
どうあがいてもデメリットしかない。となれば、魔術を使ってでもその展開を振り切るしかなかったのだ。
「と、言うわけだが、理解したかな?」
「……あぁ、十分に」
「それは重畳」
そうこの話を締めくくると、楓はカップに淹れられた紅茶を音を立てず啜って飲み干す。
(スミレが吸値櫂に言った言葉から考えるに、恐らく奴等はまた遠くない内に仕掛けてくるはず)
となると、後回しにしていると奇襲をかけられる上に、その間にマスコミや警察に嗅ぎ付けられ、堂々と見に行けなくなる。
――その前に。
「さて、そろそろ陵氏の頼まれた伝言の真偽を確かめに行くとしようかな。――と、忘れてた。上野氏、君の父はいつこちらに戻ってくるつもりなのか、確認取れたのかい?」
そう背伸びをしつつ、ついでに祭りに参加するためにも、と言って溜まっている仕事を片付けるべく東京へ戻っていった上野浪の予定を問う。
あのバーベキューの後。編集者からなのか電話が掛かってきて、聞く暇もなくそそくさと行ってしまい、つい先日メールに連絡が届いたらしいのだ。その後すぐ寝て聞けなかったようだが。
「あっ、はい。もう一ヶ月程掛かる予定のようですが、修羅場は切り抜けた、とのことです」
「そうかい。ならできればもう少し早くこちらに戻ってきてもらいたいと言っておいてくれ。……どうも月が進む毎に雲行きが怪しくなっている気がするんでね」
気のせいか、この町に漂い始めている異様な空気。
何の予兆もなかったはずなのに、今になって動き出したスミレ、そして吸値櫂が創喚者として舞い戻ってきた事がそれを物語っている。
「…………確かにそうですね。分かりました、伝えておきます」
その応えに楓は何様のつもりなのか、「よろしい」と満足げに言って、おもむろに立ち上がる。
そして心話で連絡を入れつつ家を出て、創喚書で能力を選択、無詠唱で発動。溢れだした霧と影に紛れるような形で姿を消し、目的の場所へ転移していった。
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