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 ミシュアの手をひいて、俺はミシュアを俺の膝の上に座らせる。

 最初は恥ずかしがっているが、俺がミシュアを持ちあげて座らせてしまうと大人しくなる。そのうち子供が父親に甘えるように、手をひっぱるだけでミシュアが自分から座るようになった。それでも照れているのがわかったし、俺もそうだった。

 とりとめもない話をすることもあれば、ただ黙って泉をながめているだけのこともある。

 ミシュアは俺の胸にもたれて眠るようになっていた。

 俺の胸にかかるミシュアの重みと優しい熱と、淡く幼い香りと……。

 この小さな変化が俺は嬉しい。


 うとうとしはじめたミシュアを包むようにミシュアの右肩に左手をまわし、俺は辛抱強く待っていた。ミシュアが眠りに落ちるまで。

 ミシュアの後頭部に顔を寄せ反応がないのを確認し、俺はそっとミシュアの頬に手を添えて少しだけ横を向かせる。俺は顔の位置を変え、今度はミシュアの額に唇を寄せた。

 『リプエ神』のキス。その最大の特徴である、俺の力をミシュアに流してやるために。

 一度だけ、眠ってしまったミシュアを草むらに仰向けに寝かせ行おうとしたことがあった。

 いざその姿を前にして、俺は思わぬ戦いを余儀なくされた。

 ミシュアの体はまだ未成熟な子供だが、……もしもミシュアが女なら成長すればどれほどの美女に育つだろう? そう思わせる魅力を、ミシュアはすでに持っていた。

 あどけなく眠る顔も、無防備に寝入る姿も。

 女だとか、両性具有だとか、どうでもいいような気さえしてくる。

 お前はいったいなにをうだうだと考えているんだ? と。




 結界を出てから、俺とミシュアのあとをついてきているのは気付いていた。

 途中で消えたと思ったら、ミシュアの居館の敷地を出てしばらく行った先の茂みの陰で、今度は二柱に増えて待ち構えていた。

 どちらも、覚えがある。この気配。

 二柱ともずいぶんご無沙汰だったくせに。それになんだ? この組み合わせ。

 そういやむかぁ~し、口説いてるんだけどいっつもフラれるんだよね。どーしてだろ? とぼやいていたなという記憶が。

 いよいよ、……くっついたのか?

 ……。

 ここで巻いても、またすぐ追いかけてくるだろう。

 俺はそのまま歩を進めた。

 こちらの表情がわかるくらいまで近づいた地点で、間延びした声が聞こえてきた。


「あーあ。ひどい仏頂面。ほんとに久しぶりなのにさ。でもそれって、俺にじゃないよね?」

 茂みの陰から長身のひょろっとした男神が現れる。

 一見落ち着いた雰囲気だがよくよく注意して見れば、茶色い双眸と口元にこの神の悪戯好きな性分が滲みでている。

 そして――。

「会えて嬉しいわ、リプエ。こんなに近くでお話するのも、あれ以来かしら? こんなのが一緒でなかったら、もっとよかったのだけど。わたしだけじゃあなたの居所をつきとめられなくて」

 嫣然としていとも優雅にご登場あそばしたのは、『愛の女神』だった。


「……」

 俺とあんたが『あれ以来』なのは俺があんたを避けてたからだ。それはそっちも察してると思ってたんだが……。

 女神はゆるやかに波打つ巻き毛をかきあげる。たったそれだけのなにげない仕種にも一流の舞手さながらの流麗さで、見る者の目を惹き付けてやまない。

 ミシュアの髪が陽の光をあつめたような明るい金色なら、女神のそれは光輝く豪奢な黄金の色だ。

 ……もっと艶っぽい声だと思ったが。

 俺は久方ぶりに聞く、女神の高すぎず低すぎず絶妙なトーンの声音が意外だった。

「大祭前に会えてよかったわ。あなたに、大切なお話があるの。それもあって神々があなたの元をかわるがわる尋ねていたのだけれど、まさか『運命の女神』とご一緒にご帰還だなんて。あなたもすみに置けないわね」

「俺は、ただ単に送ってきただけだ」

 ……俺は、失敗したらしい。

 女神は口ではそう言ったものの、俺とミシュアの間に別段なにがあるとも思っていないようだった。だが反論したときの俺の様子で、なにかを感じ取ったらしい。

女神の表情が、おや? というものに変わった。


「……もしかして? リプエ、あのこにご執心?」

 好奇心を隠そうともしない声が横から割り込んできて、俺は頭を抱えたくなった。

 ――こいつも、いたんだった。

 ディディエ。こいつに知られると。

 他でもない。このディディエこそ代替わりの儀式を終えたばかりの俺につきまとい、初めての大祭で俺を引っ張り回した男神だった。


 俺の注意がディディエに向いたのが面白くないのか。

「ディディエ! わたしと彼が話しているのよ」

 女神がしっとりとしたそれまでの声風を一変した。


 ぞくりと、悪寒が走った。

 拗ねた素振りの女神は、とりすましていたときとはまた違う一面をのぞかせる。

 これこそが、俺の記憶にある女神の声だった。

 あの夜のことを、思いだす。

 むせかえる芳香……甘える声。蝋燭の灯りだけが頼りなく揺れる仄暗い部屋に、白く浮かぶ女神の――。


「……そんな、怖い顔しないで」

 束の間現れた太陽に再び雲がかかったかのごとく、女神の艶麗な顔が心外そうな、寂しげな色を帯びて翳る。

 懇願するように、俺に向けられる女神の手。

 俺が身構えるのが伝わったらしい。殺気を消すのは造作もなくできるのに、こういうのが絡むと俺は自分でも嫌になるほどからきしだった。


 俺の胸に触れる寸前で、女神の手は止まった。

「あなたがわたしに触れると苦痛を感じたのは、リプエ神にかけられた『呪い』のせい」

 女神の海の蒼をたたえる瞳が揺らめき、切なげに俺を見上げる。

「『愛の女神』のわたしなら……」


「マイア!」

 ディディエが女性を相手にこんな牽制じみた声を発するのを、俺は初めて耳にした。


 この男は、女好きだ。

こいつは親切ごかしに俺の乙女探しに協力するフリをして、その実ちゃっかり自分が楽しみたいがために俺に近付いたのだと俺は思っている。

 その過程で、たまたま運よく乙女が見つかればめっけもの、くらいの軽いノリで。 


 ヴェルガの山中からレストゥールリアへ下りてきたばかりの俺に、こいつはサリエの古い友だと名乗って近付いてきた。


「どうだい? 見つかった?」

「……いや、さっぱり。……乙女というのは、なにかそういうしるしでもついているのか?」

 十三歳で急遽サリエの許からレストゥールリアへ呼び戻された俺は、戦神として窮地に陥った戦場へとかりだされた。初陣後、時をおかずに代替わりの儀式を経て、――俺は『リプエ神』の宿命として、乙女探しをすることになった。


 そもそも妙な話だ。自分の『枷』になる者を、なんで自ら探さねばならないのか?

 そんな厄介な存在、いなければいないにこしたことないではないか。

 しかし俺の言い分は一顧だにされず、一方的に言い渡された。

 だいたい俺は、『乙女』というモノがよくわかっていない。

 物心つく前にサリエに預けられた俺は、女性という存在がいることを知ってはいた。ただし俺の知る女性は絵画や彫像といった媒体によるもので、生身の異性とは一度として接触する機会もなく育ってきた。

 儀式のあとサリエは、そのテの教育に着手する前にあらかじめ決められていた俺の養育期間を中途で打ち切られてしまったのだと打ち明けた。

 今からでもと教えを請う俺に、辛くも勝利したとはいえ未だ緊迫した状況の続くなかでは、再び以前のように俺達が暮らしていくことはできない。これは通り一遍に教えられるものでもないし、それに突き詰めれば他者がどうこういう問題でもないのだと。

 サリエの口からこんな明快さに欠ける答えを聞く日がくるとは、と戸惑う俺に、サリエはさらに追い打ちをかけるように宣告した。

『当初の予定よりだいぶ早くにお前を手放すよう余儀なくされたことは、わたしにとってもすこぶる遺憾ではあるのだよ。お前にはもっともっと教えたいこと、伝えたいものがたくさんあった。しかしお前の初陣での戦神としての戦いぶりを聞くにつれ、わたしの役割はもう終わったのだと、時が満ちたから迎えがきたのだとわたしは悟った。お前も若輩の身でありながらその器量を認められて、『リプエ神』として『旧き神』の仲間入りをしたのだから――。己の伴侶となる者を、己自身の目で見極めなさい』――と。



「個体によって肉付きも違っているし。……サリエは『乙女』を生殖行為の経験の無い者だと言っていた。ということはまだ成体ではないのか? と訊いたら、そうとも限らない、とも。探せと言うからには、普段は衣服に隠れていてわからないだけで、なにか手がかりになるようなしるしでもその身にあらわれているのかと思っていた……」

 これはディディエに唆され、大祭前に身を浄めにルリアの清流にある沐浴場を訪れる女神達の姿をのぞき見て、自分やサリエとはずいぶん違うものだな、と珍しい生き物でも見る感覚で観察していた時に、俺が吐いた台詞だ。

 ……俺の生涯最大の汚点。心底、無かったことにしたい。


「あははっ。それはいい、そんなしるしがあったら……」

 そう笑うディディエは顔だけでなく首まで紅潮して明らかに興奮していた。

 ……どうも山中で目にした発情期を迎えた獣の雄と……なんとな~くだがかぶって見える気がするのは、俺の気のせいか?

 俺の結界のなかにいさえすれば、沐浴する女神達の話の内容までそれこそ詳細に聞き取れるくらい側に寄っても気づかれることはないだろうとは思ったが。……うっかり不用意に近寄りすぎなくてよかった。


「もしかしたら、匂いが違っているのかも?」

 ……なんだ? その、まるで子供がいいこと思いついた! みたいなキラキラした顔は。

「……ディディエは体臭で、乙女とそうでない者の区別がつくのか?」

「あ~~、俺にはできないけど。だけどさ、俺でも神によって体臭が違うってことくらいはわかるんだよね。乙女を『枷』とするよう宿命づけられてるきみになら、乙女かそうでないかってのも嗅ぎ分けられるんんじゃないか、ってふと思ったんだ。どうだい? 試しにもっと近くに行ってみて、彼女達の匂いをかいでみては?」

 ……あんた。今の自分の顔、鏡で見てみろ。

 自分よりはるかに長く生きている神に思わずそうツッコみをいれたくなるほど、ディディエは無邪気に悪い顔をしていた。――サリエに添削指導されそうな矛盾した表現だが。

 ……俺はこのとき反射的にこいつの周囲だけ結界を解いてやろうかと本気で思った。そうしなかったのは、騒ぎになるのを懼れたからだ。

 腑に落ちないものを感じつつも、なんだかんだと言いくるめられて、――ここでこうしてのぞきに及んでいるのは、まぎれもない弁解しようもない事実で。

 俺はどうして、こんなやつについて来る気になったんだろう?



「実際ね、ほんとタイヘンだと思うよ。それでなくても新たに誕生する神がめっきり少なくなってきているってのに、神のなかから乙女を見つけてモノにしろだなんて」

 俺の隠すつもりもない殺気に、ディディエがわざとらしく話をすり替えてきた。

「前にも言ったけど、みんな長生きしてるからね~。年頃になれば大祭にも参加できるし、恋愛のひとつやふたつ経験してるだろうね。まー、なかには処女を誓ってる変わり者の女神なんてのもいるけど」

 そういうのもいるのか?

「彼女達は論外」

 俺は素直に表情で問いかけていたらしく、ディディエがその反応に楽しそうに話を続ける。

「彼女達のなかでも名の知れてる女神でよく筆頭にあげられるのが、戦女神のドノアだけど。きみもこの間の戦いで会ってるでしょ? 美形なんだけどね~、こう取りつく島もないっての? とにかく近寄りがたくて。俺苦手なタイプ」

 戦女神……。処女?

「…………『枷』は? 戦神ならドノア神にも『枷』となる存在がいるはずだ。なのに処女を誓ってるって?」

「あれ。きみ、知らないんだ。戦神達の『枷』は、それぞれ違うんだよ」

 ――――え?

「ドノアだけじゃないよ。きみと同じ戦男神のカイエもアスエもおつきあいの相手を何度か変えてるし。きみとおんなじだったら、そんなのあり得ないでしょ? 本来『枷』で縛られるべき当の戦神達の気持ち次第でとっかえひっかえなんてできてしまったら、そんなのもう『枷』たり得ないからね。俺も彼らの『枷』が何なのかってことまでは知らないけど、少なくともきみとは違うね」

 俺はきっと間抜けな顔をしていたんだろう。

 俺を見るディディエの目が愉快そうに細められる。

「ドノアに今、決まった相手はいない。これは『伝令の神』である俺が保証するよ。そして彼女は、きみが懸命になって探している『乙女』だ。リプエ。きみ、……どうする?」


 ……どうって?

 …………。

 どう考えても、無理だろう! 俺が、じゃなくて、向こうが。

 俺は完ッ全に子供扱いされて、おまけに、「この! 考えなし!!」と叱責された。


 それに。

 考えもしなかった。あのドノア神が、『乙女』?

 …………。

 確かにディディエの言うとおり、美形だが……。

 戦場でもレストゥールリアへ戻ってからも、ドノア神の存在感は男顔負け。とりつく島がないどころか、戦場からこっち、俺のドノア神の印象はうるさ型のおばさん、……だった。いくら見た目が若くても、一緒にいる間じゅうのべつ幕なしに説教じゃぁ。

 呆れたことには他の二柱の戦神は戦勝の報告が終わると、あとの詳細な報告や事後処理などの一切をドノア神に任せてさっさといなくなってしまった。

 俺は、――『乙女』に対して先入観を持っていたのか?

 なんというか俺は『乙女』というと少女から青年期へとさしかかる、そのちょうど狭間にいるふわふわとしたイメージを勝手に想像していた。

 ……。

 『そうとも限らない』――とは、こういうことか。

 俺のなかで『乙女』の幻想が、ガラガラと崩れていく。


「……なんか、すごいショックだったみたいだね」

 …………。

「リプエ。きみ、もしかして? 初めて身近に接した女が、ドノア、だった?」

 ……。

 ついでに言うなら、その相手が『乙女』だった。

「そりゃ、まあ……。そいつは、また」

 この男らしくもないディディエの申し訳なさそうな態度が無性にムカつく。

 なおさら、情けなくなってくるじゃないか。


 切望していた『乙女』と既にもう遭遇していて、しかもその出会いが――。



 この戦いでは俺達戦神以外にも、腕に覚えのある神達が参戦していた。

 それだけ、切羽詰まっていたのだ。

 俺は最前線にある宿営に、第二次で集められたそうした神々に混じって加わっていた。


「貴様。なんだ、その恰好は?」

 ……さっそく、目をつけられたか。っていうか、どーしたって悪目立ちするよな、こんな武装じゃ。

 出陣前の最終確認の会議の場に集まった神々が、皆自身の体にあった特別あつらえの最高品質の金属鎧に身を包んでいるのに対し、俺は訓練で使っていた簡素な皮鎧姿。

「すみません。現在制作中ですが間に合わなくて。明後日にはこちらに届くことになってますので、それまではこれで」

 周囲から失笑が漏れる。

 しかたがないだろう。急な話だったし。

 まだ成長期にある俺の体にぴったり合わせた特注の神鋼製の鎧なんて、稀少な資源と労働力の無駄使いだ。俺の年で自前で持ってるほうがヘンってもんだ。

 神鋼製の鎧は軽さと動きやすさと防御力の高さが、他の金属鎧と比べて格段に高い。

 材質が貴重なうえに加工も難しく、これ以上早くはできん、と『鍛冶の神』には文句を言われた。

 適当に見繕ってくれた金属鎧も試してはみたが、重いしどうもしっくりこない。

 与えられた情報では、今回敵は魔獣を大量投入してきている。単体ならさほど脅威ではない獰猛で俊敏というだけの下等な獣でも、何万もの大群となれば話は別だ。しかも戦闘用に調教されているという。


 ドノアをはじめとする神々は、下等動物どもの圧倒的な数の前に屈辱的な後退を繰り返してきた。

 ――大規模な火力による攻撃により真価を発揮したリプエ神が健在のときには、敵側もあまり用いてこなかった戦法だ。ここ十年余りの戦闘で、奴らはリプエ神が出てこないとふんで仕掛けてきた。

 どうすればいいかは、わかっている。

 が、そんな火力を有する手札などりプエ神の他にいようはずもなく、どうにも手詰まりという状況で……。

 リプエ神の代替わりとして生まれたというだけで、俺みたいな子供を引っ張り出した。


 それはともかく。そんな数の魔獣を相手にするとわかっていて、重いうえに何より動きが拘束される防具などまっぴらゴメンだ。ならば、と体になじんだ愛用の皮鎧のほうがまだマシ、と俺は判断したのだった。



「初陣だったな。鎧が届くまでは、わたしの後ろにいてよく見ているといい」

 翠緑色の力強い瞳が値踏みするようにひたと俺を見据える。小さくまとめた濃く暗い色の金髪に縁どられた顔は生気に満ちあふれて美しく、――鎧が模る微妙なラインの違いからようやく異性であると気付いた俺は、これがレストゥールリアを発つ前に教えられた仲間の戦女神であると知って、息をのんだ。 



 ――俺の放った一撃は、山の形状を大きく変え、終わったときには丘に姿を変えていた。

 ドノアは、この戦いのために集められた神々を味方である俺の攻撃のとばっちりから守るべく、限界まで結界をはり続けた。

 おまけに集団でいたはずの彼らは戦いのさなかで散り散りになっていて、ドノアは広範囲にバラバラに防御結界を展開させられる羽目になり――。

 ……俺だってドノア神には悪いと思ったが、彼らがしいていた防衛線は崩壊していた。ここで食い止められなかったら、今後はもっと不利な条件下で戦うことになる。攻撃の手をゆるめることは、緊迫した戦況が許さなかった。


 ……で、戦いが決した時には、彼女は力尽きて倒れていた。

 だのに気絶しているドノアに駆け寄る者は、俺以外にいない。

 ぼろぼろに傷つき疲れ果てている神々はともかく、カイエ神とアスエ神まで俺が真っ先にドノアの元にたどり着いたのを見届けるとそれ以上近付いてはこなかった。

 ……?

 宿営地で初めて会ったドノア神は、尋常でない気迫を身に纏って神々の指揮をとっていた。

 女性でも戦神ともなると勇ましいものだと、俺はその雄々しい姿に感嘆した。

 しかして今……。

 意識のない彼女は、同じように倒れている他の男神達より小さく見える。

 艶やかだった髪は乱れてほつれ、埃にまみれた顔はやつれて土気色をしていた。

 鎧に大きな損傷があったので念のためはずして確認したが、ひどい外傷もないし、やはり力を使い果たしたのが原因か?

 俺はドノアの体を抱え上げ、肩に担いで運ぶことにした。


 案外と軽い。……し、背中に柔らかいものが当たってくる?

 ……。

 俺が数歩もいかないうちに、地を這うような低い声が背後から聞こえてきた。


「……おろせ」

 ――――え? もう?

 冷や汗が、背筋を伝う。


 俺は、ドノア神の傷の具合がたいしたことがないとわかって安心すると同時に、大事なことをぽっかり忘れていたことに気がついた。


 ドノア神は、異性だ!


 実は……。

ドノア神が怪我をしていないか見ようとして変形した鎧に俺が手をかけた途端、みしり……といや~な音がした。

 力、いれてないぞ、俺。

 見るも無残な有様だが、もとは銀ぴかの最高級鎧。

 いくら壊れてるったって、それをさらに俺が壊したってのは……マズイよな。

 俺は慎重に鎧を脱がせた。これ以上鎧のダメージが広がらないように。もちろんドノア神の体に極力負担がかからないようにと配慮して。

 結果。…………けっこうあちこち触ったような……。

 これは、――やってはいけないことだったのか?

 いや。俺は、自分のせいで無理を強いてしまったドノアの身が心配で……。

 …………。

 それでも、無作法であったことは否めない。

 やってしまったことは、今さらもうどうしようもない。

 どのみち、脱がしておいてこのまま放置、だなどとんでもない。

 ……。

 さっさと宿営地まで運んでしまおう。意識の戻らないうちに。

 天幕で目覚めてくれれば。

 ……という俺の目論見は、早々に潰えてしまった。


 接触しているからこそやっと聞き取れるくらいの小さな声。それでも今の口調で、彼女の気分が如実に伝わってきた。

 相当、機嫌が悪い!


「……。運ばせてください。俺のせいでもあるのだし」

 俺があんなムチャをできたのも、あなたがいてくれたおかげですから。――俺は殊勝にそう続けようとして。


「わたしを、運ぶだと? 荷物扱いするな! こんなっ」

 だらりと俺に担がれていたドノアの体に、こんな力が残っていたとは。ぐいっと俺の背中が押される。

 ドノアが、上体を起こそうとする。

 が。

 それを支えるほどには残っていなかったらしい。

 ぐらりと、大きくバランスを崩した。

 ――落ちる!!

 ぎょっとして、俺は慌ててドノアの体に腕をまわす。

 無理な態勢にたえきれず、ドノアを抱えた俺はよろけて尻もちをついてしまった。


 ……よかったぁ! 落とさずにすんだ。


 大きく安堵の息を吐く。

 すると直後に俺の顔のすぐ下で、ひくっ、とした反応が。

 ……?

 俺は、ドノアを胸に抱き込んでいた。


 !! やばい! またっ。

 早く離れないと――――。

 あ。待て待て。彼女は、今自分で動けない。

 どうしたらいいのか答えを見つけられない俺は、戦々恐々としてドノア神の次のお言葉を待つ……。

 …………。

 無言……。

 意識を失っているわけではないようなんだが。朦朧としてるのか?

 今ので、最後の力も使い果たしてしまったのだろうか?


 俺が悶々としていると、いつの間にか近くに来ていたカイエ神が宿営地のある方角を俺に指し示して、帰営するよう促してきた。

 俺も小さくうなずいて、ゆっくりと立ち上がる。

 ドノアを抱えたままだったので体が大きく傾いだが、意外にも彼女はおとなしくしていた。

 ドノアが軽くてよかった。

 もしかして?

 最初っから、こうやって運べばよかったのか?


 ……でもって。

 宿営地に戻って体力を回復したドノアから、俺がこっぴどく叱り飛ばされることになるまで、それほど時間はかからなかった。



『ドノアは『癒しの神具』を持っていて、戦いのときには必ず身につけているからね』

 凱旋した俺……なのに気分はほとんど敗残兵――を出迎えてくれたサリエが教えてくれた。

『もしかしたら、だけど。体は全然動かせなくても、意識はあったのかもしれないね』


 ……だから、みんな。

 俺は薄情ともとれる神々の対応に合点がいって、サリエの前だというのに思いっきり悪態をついて呆れられた。

 なんで、あの時あの場で、すぐに教えてくれなかったんだ?

 俺は。

 しまいには目眩がしそうになるまで、説教され続けたんだぞ!!




 ――さわり。


 ……!


 体が震えた。

 忘れもしない。この、感触!


 ――――。ミシュアが、来た!!


 あの二柱に会ってからというもの、俺は時間があると昔のことを思い出し、だらだらと過ごしていた。

 あいつら絡みの思い出は、……どれも忘れていたい記憶ばかりだ。

 いつものように泉に来て寝転んで。いくらか時間も過ぎたと思ったのに、まだ昼までかなりある。

 泉の傍にいたのでは、今日も一日こんな調子で終わりそうだ。

 どこか、気晴らしに出かけようか?


 ミシュアが来たのは、そんな時だった。



 あれから、三日か。

 どうして――?

 さすがにあの二柱に会ったあとは行く気が失せてしまったが、次の日には、俺は会所にちゃんと顔を出しておいた。

 それでおまえが困ることは、無かったはずだ。

 俺に、会いに?

 でなければ、こんなところまで来ないよな。

 また、頼まれごとで?

 この間とは場所を変えているのに、よくここがわかったな。

 もしかして、探したのか? それで、この間より遅くなった?


 いったい、今度はなんだ?

 俺に、なんの用で?


 俺の頭はそわそわと忙しなく自問自答を繰り返し、体は一瞬のうちに結界の外へ。

 ミシュアの秀麗な顔が、いきなり俺の目の前に現われる。

「ひぃゃっっ!」

 それはミシュアも同様で、いたく驚かせてしまったらしい。

 驚愕で大きく開いた瞳の色が、白銀からかすかに菫色を帯びたと思う間に金色へと変化した。

 陽の光を象ったようなミシュアの瞳。

 その場で固まってしまったミシュアの強く煌めくその瞳が、ミシュアの受けた衝撃の強さを物語っている。

 神妙なその色に魅せられて――。

 やがてミシュアの瞳に映る喜色にあふれた己の顔に気がついて、……俺も固まった。

 てか、こっちに出現してからまったく動いていなかったが、別のイミで。


 ……。

 お互いに見つめあったまま、……膠着状態が続く。

 なんで、こんなことになってるんだ?

 気ばかり焦って、一歩が踏み出せない。


 …………。

 このどーしよーもない事態を動かしたのは、緊張状態についに力尽きたと思しきミシュアだった。

 ミシュアの体が、へなへなと座り込む。

 呪縛の解けた俺は地に落ちる寸前でミシュアの体を拾い上げ、次には横抱きにして抱えていた。



 この間の一件は、かなりかいつまんだ内容ながら一応報告は済ませていた。

 ミシュアの名は伏せておこうかと迷ったが、俺と一緒にいるところをディディエに目撃されている。仮にあの二柱が漏らさなかったとしても、その日俺のもとを訪れた神が誰かということくらい、調べられればすぐバレてしまう。

 で、そこは正直に話したものの――。

 とりあえず、泉にいれてしまった俺も、無断で泉に入ったミシュアも、今のところはお咎めなし。

 ミシュアには当面監視が、すでについているかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい!


「すっ、すみません! また。あの、おろしてください。今日はあのときみたいに、……あのときほど熱もないし。だっ、大丈夫なんで」


 俺の腕のなかでミシュアが身を縮こませて訴えるが、俺には毛頭そのつもりはない。

 強引だったか? とひやりとしたのは、ほんの数秒。

 俺の行動に意表をつかれたのか、ミシュアについてきていたらしい存在の動揺がはっきり伝わってきた。

 ……まぬけなヤツだな。どこのどいつだ?

 まぁ、ミシュアの尾行だけならあれでじゅうぶんなんだろうが、俺と接触することまでは予測できなかったか?

 『一度目のキス』については、話さなかったからな。


 ミシュアが俺の腕を押してきた。

 口で言っても俺がきかないので、実力行使にでたらしい。

 俺を、――相手に?

 おかしくて笑いがこみあげる。

 かわいくて、抵抗できないようにミシュアの小さな体を抱える腕に、俺はぎゅっと力をこめた。


「ひゃぁっ」






 あれから、度々ミシュアはここへ俺を尋ねてやってくるようになった。

 初めての訪問で首尾よく俺を引っ張り出した功績が認められ、なにかある都度、俺を呼び出す役目を仰せつかるようになったのだ。


 ――正直、俺は困惑していた。

 俺はミシュアに、ミシュアが意識を失っている間に俺がなにをしたのかを、俺の口からなにも伝えてはいなかった。


 泉にいる間もミシュアを園まで送っていく道中でも、いくらでも機会はあったはずなのだが、……結果として話せていない。


 なんのために送っていってるんだ? 俺……。


 俺は何度も意を決して、話を聞いてもらおうとミシュアの名を呼んだ。

 だが、素直に小首を傾け上目遣いに見上げてくるミシュアの顔を見ると、言葉に詰まってしまう。

 ――――純真そのもののミシュアの表情に、責められているような気になるのだ……。

 親子ほどある身長差がよくないのかと、最後のほうはミシュアの目線の高さまでかがんでみたりもしたのだが、いかんせん、ミシュアの顔が近くなりすぎた。


 両性具有だと意識したときから、いや、キスをしたときからか? 俺はミシュアを見ると、そわそわとなんだか落ち着かないものを感じるようになっていた。


 ――これって、キスのせいなのか?


 いっそ自分に都合よくそう決めつけてしまいたいくらい、俺は衝撃を受けている。


 こんな子供に、……しかも両性具有――――。


 俺にリプエ神の特異体質について語った神は、

『己の『枷』となる者だ。出会えばおのずとわかる』

 ――と最後についでみたいに付け加えた。


 そう言われて、百年以上待って――。

 ………………。

 両性具有が、俺の好みだったってことか? いや。そもそも、こういうのって、……好みとかの問題じゃないのか? 

 おまけに俺は、途中から……夢中になってキスをしていた。

 せめてもの救いは、ミシュアが見た目ほど子供じゃない……?


 …………。




 律儀にどうでもいいような用件で尋ねてくるミシュアに、


「そんなの、うっちゃっとけ」


 と言っっておきながら、その実俺は結界の近くにミシュアの気配を感じると、ミシュアが俺に声をかけるより早く迎えに出てるのだ。


 …………。


 ミシュアは、


「ここに来るとなんだかほっとして。気が休まるというか……。迷惑でもなんでもなくて、僕が来たくて来てるんだ。だから……、ダメ? リプエ?」


 そう言って。今は木陰ですやすやと眠りこけている。

 ここへ来るようになった始めの頃は、それは楽しそうに水浴びをしていたんだが。

 


 お読みいただいて、ありがとうございます。

 回想でのリプエは、当時十三歳の世間知らずの子供でした。

 ディディエにいたっては、弁解の余地もございません。

 できるだけソフトに(?)を心がけましたがなにぶん筆力が至らず、不快に思われた方がいらっしゃいましたら、ほんとに申し訳ございません。

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