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 俺のおくり込む息がミシュアの口内の冷たさに冷やされていく。

 冷気は俺の口のなかにも流れてきて、はたしてミシュアの肺にちゃんと届いているのかと俺はもどかしくなる。

 俺を蕩かすほどの熱を帯びていたミシュアの体は、今は氷のように冷え切って微動だにしない。

 ミシュアに触れている唇が、指が、肌がどんどん冷えていく。俺の息は、体温は確かにミシュアに伝わっているはずなのに、いぜんミシュアの体は冷たいままだ。


 ……足りないというのなら、もっと――。

 もっと、俺は……。


 ……?


 ――――――!!


 俺は、瞠目した。

 重ね合わせた唇を通して、俺の力がミシュアの体へと流れていく。

 息、だけではない。

 いや。今は、息よりも――。


 ……ばかな!

 

 俺が俺の力を、一番感じるとき。

 それは、――戦いに臨んだときだ。

 それに匹敵する力が、今俺のなかに漲っている。

 そしてそれが。

 ただ一点に向かって……。


 ミシュア!!


 だめだ!!

 これほどに強い力は、――ミシュアを壊してしまう!! 

 自分でも戸惑うほどに狂おしい奔流となったそれは、俺の力は、ミシュアへ向かっていこうとしている。

 今度は俺は必死でそれを押しとどめていた。押しとどめようと、していた。

 だがそんな俺の奮闘をあざ笑うかのように、俺の力は容赦なくミシュアになだれ込んでいってしまう。


 このままではミシュアを壊してしまう!

 俺は懸命にミシュアから離れようとした。

 なのにまるで俺達は、一体となってしまったかのように、俺の膂力をもってしても寸分も動かすことができない。

 おまけに俺は、俺の力が奪われていくというのに。

 ミシュアを壊してしまうかもしれないというのに。

 俺の意識を陶然としたなにかが浸食していくのをどうすることもできないでいた。


『……やっと、――手に入れた』


 俺はミシュアから離れようともがいて、もがくうちに、触れていた肌にほんのり熱が戻ってきているのに気がついた。


 ……ミシュア?


 ほっとしたせいなのか。俺からの力の流れが先ほどまでとは打って変わって、緩やかなものへと変化する。

 なんとか、……力をコントロールできそうだ。

 安心して――。俺は力以外の手綱を手放してしまった。

 今や俺の意識の大部分を占めた恍惚とした感覚に溺れた俺は……。





「俺の力の影響か? 前より血色がよくなったような気がする」

 俺は頭を抱えて座り込んだ態勢で、かたわらに横たわるミシュアを見る。

 体は戦いを終えたあとのように疲れていた。

 なのに……爽快な疲労感とでもいうのか?

 こんなのは、今までどんな戦いのときも味わったことがない。

 気分も妙に高揚していた。


 ミシュアは穏やかな寝息をたてて眠っている。

 思えば朝から俺のせいで立ちん坊していたのだから、その疲れもあったのだろう。

 唇も薔薇色のみずみずしさを取り戻し、指先からもあたたかな体温を感じることができる。


 ……そして。

 ミシュアの柔らかく繊細な白い指に、俺は慎重にさぐるように指をはわせる。

 たどりついたさきには、黄金の細い指輪。

 その冷たく硬質な感触に、それが幻ではないと思い知らされる。

 俺がミシュアを引き上げ、ここに横たえたときにはなかったものだ。

 何度も、確かめるように俺はその指輪の上をなぞった。

 そのうち、ほのかにあたたかくなったと思ったら。

 木漏れ日を受けてひときわ強い輝きを放ったあと、指輪はミシュアの指にしみこむように消えていった。


「……はぁ」

 その一部始終を確認して、俺はため息をついた。


 あの指輪があらわれたってことは――。

 あいつの裸はばっちし見ているし、助けるときに触れてもいる。

 目の錯覚でもなんでもなく、あいつの胸はまっ平だし……。


 ミシュアには今、俺のヒマティオンをかけている

 で俺はというと、いつこいつが起き出すかわからないんで濡れたキトンを纏ったままだ。

 気持ち悪いが、さっきのあれのせいもあってか、いつの間にか乾いてきている。



 話には聞いていた。

 だが。

 話で聞くのと実際は、大違いだ!

 ……あんな。俺が、我を忘れるほど……。


 リプエ神として生まれたからには、『呪い』も受け継ぐのだと聞いていた。

 解呪の方法はない。故に、リプエ神の有する特異体質だとでも思えと。


 代替わりの儀式を終え。初めて聞いたときには、なんの冗談かと耳を疑った。

 だって――。

 俺がキスをした相手に、俺の力を分けてやることができる。……だなんて。

 厄介なことに、できるんじゃなくて、ほぼ勝手にそうなる。俺にそれを止めることはできない――。

 そんなばかな……とそのときは呆れたが、事実俺は止めることができなかった。


『もちろん、誰彼構わずというわけではない』

 そこはそれ。……純潔の乙女に限る。…………限る?


「純粋な女でなくても有効だなんて、聞いてないぞ」


 思わず大きな声を出してしまった。

 すぐ近くでたじろぐ気配に、はっと我にかえる。

 ……重大なことを、忘れていた。

 俺のしたことは、単なる救命行為というだけでは、すまされなくなっていたのだ。

 ……しかし、どうすれば?


 ミシュアは俺の大声にすっかり怯えてしまっていた。小さな体を縮こませ、両手でぎゅっと俺のかけてやったヒマティオンを握りしめ、恐る恐る顔だけをこちらへ向けている。

 これでは、話をするどころではない。その前に、気持ちをなだめてやらなければならないだろう。

 ……どうしたらいい?

 頭のなかでめまぐるしくこの状況にふさわしい言葉をさがしてみるが、口をついて出てきたのは……。

「あ。いや」

 ……。

 他になかったのか! と俺が軽く落ち込んでいると、今度もミシュアのほうから話しかけてきてくれた。


「すみません、僕、対外的には、女神ってことになってますけど、あの、その……」


 ぽろぽろと大粒の涙をこぼすミシュア。胎児のように体を丸めて泣いている。

 俺はほとほと困ってしまった。途方にくれていると言ってもいい。

 所在なくミシュアの泣きじゃくる姿を見つめていた俺は、ふいに気がついて起死回生の言葉をかけた。

 ――ミシュアは、俺がミシュアを女ではなかったと知って怒っている、と思っているのだ。

「俺が怒鳴ったのはお前を責めたんじゃない。その、お前、あれだろ?」


 そう。さっきのあれで、俺はミシュアの正体――体の秘密の見当がついていた。

 いるのだ。神々のなかにも、ごく稀に。


 ――――両性具有。


 よくよく見れば、たしかにミシュアは中性的な美貌の持ち主だった。

 それを俺は、子供だから、と……あまり気に留めることもしなかった。

 山みっつと湖と、半島が俺のせいでなくなっても、これ程へこみはしなかったぞ。

 さすがにちょっとやり過ぎたか、とは思ったが。


「……お前、両性具有なんだろ?」

 ミシュアは俺がなにを言ったのか、しばらく理解できていないようだった。

 ゆっくりと砂時計の砂がおちるように、ミシュアの顔が徐々に色を失ってゆく。驚愕に目を見開いた。


 ……呼吸も、とめてしまったのではないか?

 ミシュアがまた気絶してしまうのではないか、という不安が俺を襲う。

 ミシュアの肩に手をやり、俺はそっと揺さぶった。

 ――ようやく、しようとしていた話のいとぐちをつかめたと思っていたのに。


 俺はミシュアを抱き起し、俺の膝の上に座らせた。

 ヒマティオンにくるまった小柄なミシュアの体が、俺の腕のなかにおさまる。

 ……俺は男の養い親に育てられたから。こんな慰めかたしか知らない。

 まだ湿ったミシュアの髪をヒマティオンの上に出してやり、俺は背中越しにミシュアに語りかけた。

 ……サリエが、俺にそうしたように。

 声を落として、できるかぎり優しく聞こえるように。

「……俺は、怒ってなどいない。だから、お前は安心していい」

 ミシュアの重みと体温と、自分のものではない匂いに、俺が息苦しさを感じ始めた頃。 

 それまで身を固くしていたミシュアが、力を抜くのがわかった。


「……僕。……僕が両性具有だというのは、その通りです。これまで一度会っただけで言い当てた方っていなくて。うろたえてしまって、すみませんでした」

 しみじみとした調子で語るミシュア。肩を落として項垂れているのに、俺の胸に背中を預けることも俺が回した両腕に寄りかかることもしない。ぎりぎりのところで耐えている。その健気な姿がいじらしくて、俺は大切なものを囲い込むようにじっとそのままでいた。


 考えているのは、俺がミシュアに両性具有かと尋ねたときの極端なまでのあの反応。

 俺はミシュアがこのためにつらい思いをしてきたのでは、と今さながらに思い至った。

 外見は、男のものだ。いくら綺麗でも、俺もリプエ神の特異体質がなければ、今もミシュアを男だと思ったままだったろう。

 ミシュア自身にその自覚があるということは、どこで気付いたのか……。

 なにか――、あったのだろうか? 

 やはり俺達とは、どこか違うのだろうか?

 ……とにかく、――俺は無神経にも直接それを、ミシュアにぶつけてしまった。

 情けなくなると同時に。

 俺がしようとしていた話は、ミシュアが知られるのを怖れていた体の秘密と無関係ではない。

 …………。

 先刻のミシュアの姿が、瞼の裏にやきついて離れない。せっかく落ち着いてきたのだ。

 今でなくとも――。

 俺は話題を変えることにした。 


「ミシュアにここへ来るように頼んだのは、どこの神だ?」


 俺はもうひとつ、ずっと気になっていたことを口にした。

 詰問口調にならないように、じゅうぶんに気をつけて……。

 サリエは必要な礼儀作法は教えてくれたが、俺の独り立ちしてからの会話がほぼ戦がらみ。場合によっては非難の応酬にあけくれるなんてことも珍しくなかったので、俺は昔にくらべて剣呑な話し方をするようになったという自覚がある。ミシュアのように感受性の強い子供にはどう聞こえているのか。

 ミシュアを前になんとか取り繕おうとするものの、――いつまで、持つだろう? 俺。


「ティリア様に言われてまいりました。僕……、最初お断りしたんですけど、どうしても、……わたしでないとダメなんだ、って強く仰って」


 ティリア神――あの、『予知・予言の女神』か。


 代替わりしたばかりの非力でひ弱な神の面倒を俺にみさせて、ついでに持て余し気味の俺の力も削いでおこうって魂胆か?


「ふうん」





『俺だって好きで破壊ばかりしているわけじゃない。戦った結果、こうなったんだ。なんだって、なんでもかんでも俺のせいにされなくちゃならないんだ? もし俺が戦ってなかったら今頃どうなってたと思ってる? そんなに文句があると言うのなら、俺にじゃなくて運命の女神にでも言うがいい。俺だってしょせんはあいつらの紡いだ運命のうえで踊らされてるだけなんだからな!』


 ティリアの名前を聞いて、またえらく昔のことを思い出した。

 あのときは、今回以上に責め立てられたんだよな。

 俺だって八つ当たりだってことも、とんだ言いがかりだってことも、そのくらいはわかっていた。

 ……毎度毎度、やり過ぎだって非難ばかりが俺に集中して向けられるので、矛先を誰か他に向けてみたかっただけだ。

 どうして俺がやり過ぎる羽目になったのか。他の戦神達にも言いたいことは山ほどあったが、……当時新参者だった俺が、それだけはしてはならないことだったから。

 ――で、ぶちきれた俺の台詞を聞いて憤慨したティリアに、俺は運命の女神についてこんこんと説教を食らった。

 ……悪かったってわかってるのに。さらに理詰めで追い打ちをかけてくる相手は苦手だ。



 ティリアの話によると――

 ミシュアは生まれてくる魂の色とでもいうものを読み取って、その魂に相応しい運命を描いているに過ぎないのだと。

 だから、その魂の運命を決めているのはミシュアじゃない。魂自身なのだと。

 そして、描いたあとは、ミシュアはそれがどんな絵だったかを忘れてしまう。

 忘れてしまったら、もう再びその魂の色を見極めることはできないのだと言う。

 一枚の絵にかかる時間は平均してわずか数分ほど。

 けれど、その一枚にかける集中力と精神力は……。


『彼女達はとても稀有な存在なのよ。彼女達の能力は修行などといったものでたやすく身につくものではない。彼女達こそ逃れられない運命の絵の上で、己の命を削って赤の他人の絵を描いてるの。責任転嫁なんてしたら、そのうち報いを受けるわよ』





 ミシュアとは、今度またいつ会えるかわからない。

 やはりなにも話さないまま別れる、というわけにはいかないか。

 だが、……もし。

 もしミシュアが、両性具有であるという事実を受け入れることができないでいるとしたら?

 俺の話など、到底受け入れられないだろう。

 俺はどうしても、俺が両性具有かと尋ねたときの、ミシュアのあの顔がちらついて離れない。

 ……。


 まずはミシュアが自分の体のことを、どう思っているのか。

 それを聞きだしてから、アプローチの仕方を考える。

 苦しまぎれとはいえこれが最善、と俺はこの方法でいくことにした。



「ティリア神とは? こんな頼み事を引き受けたってことは、懇意にしているのか?」

 自虐的なネタかとも思ったが。いくらんなんでもここにきて天気の話はないだろうし。共通の話題からはいるのがいいかと、とりあえず振ってみる。

「僕を引き取って育ててくださったんです。とてもよくして頂きました。今も変わらず、僕のことを気にかけてくださってて」

 心なしか和んだ調子でかえってきて、俺はほっとした。――で。

「俺は昔、ティリア神に怒られたことがある。こわくはなかったか?」

 うっかり、よけいなことを言ってしまった。

「ティリア様は理由もなく、怒る方ではありません」

 振り返って抗議しようとしたミシュアの頭が俺の顎に当たりそうになる。際どくかわした拍子に、俺はバランスを崩した。

「!」

 当然俺の膝の上にいたミシュアも巻き添えになる。俺は倒れこんできたミシュアを胸で受け止めるかっこうになり。びっくりして支えきれず、俺はミシュアを抱えて草むらに崩れ落ちた。

 …………。

 なんでこうなった? 

 呆然と視界に入る青空を見る。

 大きく上下させた俺の胸の上で、ミシュアが身じろぎをした。その感触がこそばゆい。

 早くどいてくれ。

 そうでないと……。

 ミシュアの頭が離れる。

 俺がほうっと息を吐いたのも束の間。

 ミシュアが身を起こそうとして、力をいれてふんばるので下半身があたってくる。

 なにをやっているんだ? こいつは!

 俺は自分の顔が赤面していくのがわかった。

 ミシュアが大きく吐き出した息が胸にかかり、俺はますます戦慄する。

 俯いて俺の胸からすこし上体を持ちあげた状態で、ミシュアが静止した。


「あの、手を……」

 ……?

 俺の腕はがっちりと、ミシュアの腰を抱き込んでいた。

「! す、すまん!」 

 慌てて手を離そうとして。

 深層から囁く声が聞こえる。

『――――しろ』

 俺の本能に呼びかけてくる。

 俺はその声を、無視した。 


「ほんとにすみません。急に僕が動いたりしたから」

 いや。防げたはずの被害を拡大させたのは俺だ。

 俺は決まりの悪さに伏し目がちになりながら、それでも眼前のミシュアから目が離せない。

 平謝りに謝るミシュアの頬も朱に染まっている。

 羞恥……。

 だとしたら、どっちだ?

 言葉のとおりなのか? それとも……?

 俺は自分を静めるのに精いっぱいで、己のいいように解釈したくなる。

 手の届く場所に向かい合って座るミシュアから、俺は態勢を変えるふりをしてわざとらしく見えない程度に距離をとった。

 今日はずっと調子が狂いっぱなしだ。

 無理にひきずらないほうがいいかもしれない。

 どこの誰だかはわかっているんだ。また接触の機会はある。

 お互いにもっと落ち着いて冷静に対することのできる環境で。


 …………。

 俺が考え事をして黙り込んでしまったので、ミシュアがどうしていいかわからず困っていた。

 途中で邪魔してこなかったやつなんて、久しぶりだ。

 ミシュアと目が合う。

 ぱっと瞬きをして、目を伏せてしまった。その仕種がなんとも幼い。

「ミシュアは今、いくつだ?」


「……三十です」

 ミシュアが恥ずかしそうに身をよじった。……前言撤回。

 ともあれ、……危惧していた程、子供ではなかった。

 じゃっかん、幼過ぎる気もするが……。

 両性具有って、こんなもんなのか?

 大人になっても? それとも、これで、大人なのか?

 だとしたら、……二度目はないな。



「大祭?」

「はい。『旧き神』の一員としてリプエ神にもぜひ大祭執行の準備にご助力願いたい、とそのように言付かってまいりました」


 ……十年に一度の神々のバカ騒ぎ――。もうそんなにたつのか。


「断る!」

 即答してしまった。

「え?」

 予想外の答えだったというよりは、俺の返しの速さに驚いたらしい。ミシュアもまた速攻で返してきた。 

「前回俺は警備を任されて、七日間いいようにこき使われたんだ。戦神の俺に協力依頼って絶対また警備だろう。断固として断るぞ!」

 十年前の惨事が昨日のことのようにまざまざと蘇る。

 外敵からの警備ならまだしも、まさに敵は内にいた。

 喧嘩の仲裁は言うに及ばず、そのへんでつぶれてしまった酔っ払いどもを回収したり、川に飛び込むバカどもを阻止したり。

 大祭期間中は神々の神気が最高潮に高まっている時期だから並の神では手に余る、って言ってもだな。条件は皆同じだ。俺も手加減するのが大変だっていうのに。

 だが、このへんはまだ想定内。

 はぐれた連れを捜せだの、どこで失くしたかも覚えていないモノを捜してこいだの。果ては吐瀉物の後始末までやらされたぞ。――いい加減頭にきていたから、かたっぱしから燃やしてチリにしてやったが。

 そんなの、俺でなくたっていーだろーが!!


「……そこまでは。具体的なことは、僕なにも聞いてきてないんです。ほんとに子供の使いで、申し訳ありません」

「…………あぁ」

 また、謝らせてしまった。

 俺はよく戦女神のドノアから「考えなし!」と罵られている。

 そんなことはない! と俺もやり返していたが。

 ……。

 まぁ、今はそれはおいといて。

「お前もなにか任されてるのか? 祭祀以外で、役割?」

 ミシュアが申し訳なさそうに、上目遣いに俺を見る。

 ……。

 なに? マズイことを訊いたか? 俺。

「僕、大祭にちゃんと参加するのは今回が初めてなんです。祭祀のことやそのための準備など勉強中で、今回はなにも……」


 祭りの始めの三日間の祭祀は、『旧き神』が交替で参加して行う。

 『ミシュア神』も、旧き神の一柱に数えられる。

 俺がそうであるように、まだ年若いミシュアも代替わりした『旧き神』として祭祀を執り行う者の列に加わる。


「そうか……」

 俺は周到なサリエに小さい頃からそれとなく少しずつパズルのピースのようにして身につけさせられてきたから、急な代替わりによる急な祭祀参加もなんとかなったが、そうでないなら確かに大変だ。

 手順が細かく膨大なうえに絶対に間違いは許されない。それだけでも音をあげるくらい苦労するのに、一緒に参加する他の神々とも息を合わせなくてはいけない。

 だからこそ、終わったあとの解放感、充足感はまた格別で……。


 三日目の昼を迎え祭祀が滞りなく終わった旨の宣言を合図に、盛大な酒宴が開かれる。

 祭りの厳粛な雰囲気もここまで。

 実際は、祭祀に参加しない他の多くの神々は、初日こそ殊勝にしているが、十年ぶりの祭りに浮き立つ気分を抑えきれないらしい。このときのために各々趣向を凝らして着飾って、なかにはなんの仮装だ? という集団まで現れる。そうした神々が祭祀の舞台となっている神殿を中心にして集まり、集まればただじっと待っていられない者達が出てくるのも当然の成り行きで。祭祀を妨げることのないよう静かに、だが、誰からともなく回ってくる酒にじわじわとヒートアップ。二日目の夜を迎える頃には早くも出来上がってしまっている輩もいる。

 俺は十年前、なぜ俺が祭祀初日の一番始めの部に割り振られていたのかを悟って、唸った。

 ――そうした連中が騒ぎを起こさないよう目を光らせ、起こりそうな気配を察知したら即刻片づける。それもかなうかぎり静粛に、周囲には何事もなかったかのように、だ。

 どんだけ面倒なんだ!

 ……あ。いかん、思い出したら腹がたってきた。

 ミシュアを気にして目をやったが。よかった。気がついていないみたいだ。


 極上の酒に贅をつくしたご馳走に、舞踏に演劇に遊戯に競技に賭け事に。

 このときばかりは無礼講。神々は思い思いに心ゆくまで、それこそ好き勝手に祭りに興じる。

 出会いもある。

 俺も代替わりして初めての大祭には、乙女を見つけるためだからと、世話焼きの神にさんざん引っ張り回された。

 出会いを求めてうろついていたのは俺達だけではなかった。それこそ数え切れない男神や女神が……。

 そんななかに、女神として着飾ったミシュアが――。


 俺は目眩に襲われた。

『――のか?』



「――それで、レストゥールリアへは、顔を出していただけるでしょうか? もしいらしていただけるのなら、いつ頃とかも教えていただけるとありがたいのですが」

「……」

 ミシュアの声に意識を引き戻された俺は、視線を声のしたほうへ向ける。我ながらぼうっとしていたせいで、目つきが悪くなったという自覚があった。

「あ! 無理ならいいです! えと、よくはないですけど、でもそれは僕の事情であって、リプエ神にはリプエ神の事情がおありでしょうし……」

 ミシュアの顔がひきつる。両手を胸の前で左右に振ってしどろもどろになってしまった。

 ……お前のせいじゃない。お前はなにも悪くない。


「……これから、一緒に行こう。お前をレストゥールリアの園の館まで送っていくついでだからな」

「……は?」

 ――イヤそうな顔をされてしまったが、ここは譲れない。

 俺は園のミシュアの居館を、日を改めて訪れるつもりでいる。

 『リプエ神の一度目のキス』について、ミシュアにきちんと話をするためだ。

 話をするのはなにもミシュアの館でなくてもいいのだが、引きこもりの女神に他の場所でそうそう出会えるとも考えられない。まったくもってガラではないが、……こちらから会いにいかないかぎりは。

 ならば居館でミシュアに仕える女神達に、ミシュアを通して会っておいたほうがいいだろう。

 決して誰も俺には明かさないが、俺は自分について不名誉な噂が広まっていることくらいは知っていた。

 この次ミシュアを尋ねて行って、取り次いでももらえず門前払いなんて憂き目にはあいたくない。


 それに大祭を間近に控えた今なら、サリエがレストゥールリアの丘にある彼の居館に帰ってきているかもしれなかった。

 サリエとも長らく会っていない。もし帰ってきているのなら、懐かしい顔をみたい。声が聞きたい。

 共に山にこもって暮らしていた頃のことを思いだし、俺はそんな気分になっていた。




 ミシュアの哀しそうな姿を前にして、俺は顔をしかめた。

 ミシュアの手にはしおれてしまった、一輪の花。

 結界の外に置き忘れられていた籠のなかに入っていた。

 見事な蕾だ。

 薔薇の一種だろうが大振りで、俺もサリエのおかげで嗜好的な興味とは関係なくやたら植物には詳しくなったが、ここまでのものは見たことがない。。

 籠のなかの果実も傷みはじめているのか、濃厚な甘い香りが辺りに漂っている。


 ミシュアは籠の前にひざをついて両手で愛おしそうにくたりとなった花を持ち、悄然として見つめている。

 よほど、大切にしていたのか?

 なんでそんな花をわざわざこんなところに持ってきたのか? という疑問はわいたが、俺はため息をひとつつき、ミシュアの前に膝を折った。

「かしてみろ」

 ミシュアの手ごと、俺は花を引き寄せた。

 驚くミシュアの顔を見ないで、なかば強引に、茎の上からミシュアの掌にくちづけを落とす。

 案の定、俺の口からミシュアへ力が流れていくのがわかった。

 その余波をうけて、薔薇の蕾がみるみる生気を取り戻す。

 ほんのわずかな力でも小さな植物には余りある。元の状態に戻るだけではおさまらず、固い蕾がほころびはじめ瞬く間に花開いてしまった。

 不思議な花だ。

 花弁の色が次々変化していく。

 俺はミシュアとしばらく花の彩の変化に魅せられてしまっていた。


「……よかった」

 ぽつりとミシュアが呟いた。


 ミシュアに『リプエ神の一度目のキス』の説明をする絶好の機会になると思い、俺はさっきのでかなり勇気をふりしぼった。それが……。

「この花は、あなたにさしあげようと思っていたので」

 満面の笑みで薔薇を俺の目の前に差し出されてしまい、俺はなにも言いだせなくなってしまった。

 …………。

 花が咲くのに見惚れている間に忘れてしまったのか? 嬉しさのあまりなのか?

 どうして花が生き返ったのか。そこはスルーか?

「……俺に?」

 百年以上生きてるが、祝い事でもないのに花を贈られたのなんて、生まれて初めてだ。

「はい。初めてお会いするあなたへのご挨拶に。あとこちらも」

 籠も差し出された。

「すみません。こちらは早く召し上がっていただいたほうがいいですね」

 ミシュアが籠をのぞきこんで言う。

「すっごく美味しいんです。とても珍しい果実とかで、ぜひにと思って」

「俺に……」 

 俺は手に取った果実を二つに割った。いっそう強い香りがたちこめ鼻をつく。

 ミシュアの手から花を受け取って籠に置き、かわりに果実の半分をミシュアに手渡す。

「?」

 レストゥールリアへ帰る前に、ミシュアになにか食べさせたほうがいいだろう。

 まずは俺が口にする。

 かじりついた俺の口いっぱいに果汁が広がる。

「美味いな」

「はい!」

 破顔したミシュアに、俺は食べるようにうながした。

「お前も食べろ。まだもう一つある。ダメにしてしまっては勿体ない」

 一瞬ミシュアの目に戸惑いが浮かんだが。

「……はい」

 ミシュアの小さな口が果実にかぶりつく。

「美味しい!」

 ミシュアの瞳が輝き、夢中で食べる唇の端から果汁が滴り落ちる。

 ミシュアから貰った果実は、中心がすこしとろとろになっていて、このうえなく甘かった。




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